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刃渡り20センチの包丁を自室に持ち込み…興奮する男性を落ち着かせた"障害者支援員のひと言"

プレジデントオンライン / 2023年1月30日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/s-cphoto

障害者支援員の仕事では、生死にかかわる重大な事案に対応することもある。現役障害者支援員の松本孝夫さんは「私がテスト勤務をしているころに、男性の利用者が自室に包丁を隠したことがあった。以前、包丁で自分の頭を刺したことがある利用者だったので、危険な状況だった」という――。(第2回)

※本稿は、松本孝夫『障害者支援員もやもや日記』(三五館シンシャ)の一部を再編集したものです。

■換気扇に向かって意味不明な言葉でつぶやき続け…

テスト勤務の最終日4日目を迎えるころには仕事にもだんだん慣れてきた。忙しくなる夕食準備の時間帯、私は1階と2階を往復(*1)していた。

その間もできる限り、利用者への声がけに努めていたが、ミッキーさんだけは素通りをしていた。というのも、ミッキーさんは大柄で表情がないので何を考えているかわからず、自傷癖があり、以前包丁で自分の頭を刺して血だらけになったこと、さらに傷害事件を起こしたことなどを聞いていたからだった。

ホームでは、利用者の障害特性を非常勤職員に説明することはない。だから、私たち非常勤職員たちは利用者がどういう障害なのかわからないままで対応していた。専門家の障害認定書には、具体的に書かれているのかもしれないが、私たちにはそれを見る機会はなかった。

したがって、非常勤職員にとって大事なこと(*2)は「障害の名前」よりも「症状」である。その点、ミッキーさんの「症状」は職員にとって扱いづらいものだった。2階から階段を下りてくる途中で、リビングを見下ろすと、食事前で席に着いた利用者たちがにぎやかにしている。

しかし、その中で誰にも声をかけられず、ただ座っているミッキーさんのまわりだけ孤独のバリアに包まれているように見えた。なんとなく、まずいな、という気がした。ほかの職員が気づいて声がけをしてくれないかな、と都合のよいことを考えた。突然、ミッキーさんが立ち上がり、換気扇の下に直立した。どうなるのだろうと心配で私は眺めていた。

ミッキーさんはお辞儀をすると、換気扇に向かって、強い口調で何か言い始めた。「集団生活は……」「心をきれいに……」という言葉が聞こえてくるが、内容は脈絡がなくて意味不明だ。

「あなたは……」とも言っているから、誰かと論争している感じだった。遊軍職員の小林君がつぶやくように言った。「このおしゃべりが喧嘩腰になってきたら危険水域(*3)です。危ないから早めに止めないと……」

(*1)1階フロアと2階フロアにはそれぞれリビング、キッチン、トイレ、風呂場があり、ほぼ同じ間取りになっている。ただ調理器具や食材の貸し借りなどがあるため、夕食時になると職員は頻繁に1、2階を行き来することになる。
(*2)とくに非常勤職員たちは「障害の名前」などを深く考えたりしない。年配の主婦が多く、彼女たちはこれまで生きてきた世間の常識どおりに接して、利用者を「素直・素直じゃない」「言うことを聞く・聞かない」などと評価しながら世話を焼いていた。だが、それが悪いわけではない。彼女たちは利用者を見下したりすることはなかったし、献身的に仕事に従事していた。
(*3)顔の表情や雰囲気が不穏さを表出している。反応が鈍くなったり、手の震え(震顫(しんせん))が激しくなったりすると危険水域。私もこの仕事に就いて、2〜3カ月ほど経つうちにミッキーさんの危険水域を読み取れるようになった。

■「その包丁で切ったら痛い?」

テーブルに並べ終わった7人分のトンカツの食欲をそそる匂いが流れる中、私は意を決してミッキーさんに話しかけた。「さあ、ごはんだよ。一緒に食べよう」ミッキーさんはこちらを見ずにそのまま席に着いてくれた。小林君が急いで換気扇に駆け寄り、スイッチを切った。

こうして私は正式に非常勤職員として採用された。「眠れて5000円の手当がつく勤務はおいしい」と考えた私は勤務形態を決める段になり、月・水・金の週3回の「宿泊勤務(*4)」と日曜日の日中勤務を入れた。

夜中にひとりでの対応もあるが、慣れればなんとかなるだろうと思っていた。この勤務形態だと、時給1050円だから月平均23〜24万円くらいになって、社会保険に入らない選択をしたので手取りは20万円(*5)を超えた。

夕食準備の一番忙しいときにもっとも放っておかれる利用者はミッキーさんである。大柄で眉が濃く目がぎょろっとしているので、周囲のざわめきの中で黙って座っていると声をかけにくい雰囲気を放射する。

ミッキーさんの関心が刃物に向かっているのが気になっていた。ミッキーさんには趣味や関心事がひとつもない。だからホームにいるときは終始ぼうっとしている。夕食前も、リビングに座って職員が調理をしているのをただ眺めている。キッチンでジャガイモを剝いていると、「その包丁で切ったら痛い? いっぱい血が出る?」突然、そんなことを聞いてきた。

トマトを切る主婦
写真=iStock.com/byryo
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/byryo

私が入る前に自傷して血だらけになったという話を思い出し、何を考えているのかとヒヤッとする。

(*4)宿泊勤務職員の中には「宿泊勤務」が苦手な人も多かった。寝てもいいことになっていても、午前2時のミッキーさんのトイレ起こしがあるため、寝られないという人もいた。その点で「宿泊勤務」を得意とした私は重宝されたといえるかもしれない。
(*5)これに私の国民年金が7万円、妻の年金が6万円あった。老夫婦のふたり暮らしのため、細々とではあるが家計的には問題なかった。

■「ミッキーさんが包丁を持って部屋に隠したのよ」

その日は、社会福祉系の大学から実習生(*6)の鮎川誠君が遊軍職員として入っていた。それにもう一人の職員である50代の主婦・松岡圭子さんがいてホームは夕食支度の喧騒に満ちていた。慌ただしく作業している中、ミッキーさんの表情の険しさが増している感じがした。

声がけをしなくてはと思いつつも、この日は忙しくてそれどころではなかった。しばらく2階で作業し、1階に下りると、松岡圭子さんが寄ってきて私の耳元でささやいた。

「たいへんなことが起きたの。ミッキーさんが包丁を持って部屋に隠したのよ」
「え? そこに座っているじゃないですか」
「ついさっきよ。包丁を持って部屋に歩いていくのを鮎川さんが見たって言ってるのよ」

実習生の鮎川君が心配そうにヒョロ長い体でそばに寄ってきて、うなずく。「包丁で切ったら痛い?」という言葉が思い起こされ、頭が真っ白になった。

「その包丁を取り戻さないと……」

松岡さんはミッキーさんのそばに座り、甲高い声で言い始めた。

「ミッキーさん、あなた包丁を部屋に持っていったでしょ! ダメよ! すぐ戻しなさい!」

そばで聞いているだけでも「うるさい!」と言いたくなるようなキンキン声である。ミッキーさんがキレやしないかハラハラしたが、生後すぐに母親がいなくなったミッキーさんは、女性にまったく慣れていないためか、困ったような笑いを浮かべて「知らない」と首を横に振っている。

(*6)本部は社会福祉系の大学からの実習生をつねに受け入れていた。福祉職の人材育成という側面もあったが、足りない人手を補うという意味合いもあったように思う。とはいえ、本部の希望のとおりに実習生が来ることはなかったようだ。私が出会ったのは8年間でこの鮎川君ひとりだけだった。

■刃渡り20センチの包丁をどこに隠したのか

「嘘よ! 鮎川さんがちゃんと見ていたのよ」

松岡さんは怖いもの知らずに言い立てる。私もその勢いに乗って聞いてみた。

「じゃあ、ミッキーさん、私が探してきていいかな?」
「どうぞ」

しめた! ふだん、職員に自室に入られるのを嫌がる(*7)ミッキーさんが、このときは素直にカギをポケットから出してくれた。その場を松岡さんと鮎川君にまかせて、私はミッキーさんの部屋に向かった。

刃渡り20センチほどの包丁だと鮎川君は言っていた。6畳の広さの部屋には見事といっていいくらい何もない。自室にひとりでいることのできないミッキーさんは、寝るとき以外はたいていリビング、時には廊下にいるからだ。窓側に頭を向けたベッドがあり、対角線の角に3段重ねの引き出しケースが置かれているだけの部屋の真ん中に立って考えた。

■キチンとし過ぎているベッド周りを見ると…

ミッキーさんならどこに隠すかな? たぶん面倒なことはできない人だから、複雑な隠し方はしないだろう。ベッドメイクがされて、シーツはきちんと伸ばされている。頭の位置に枕がきちんと置かれており、足元には掛け布団が3段に折られて重なっている。

職員がしたのかもしれないが、ミッキーさんもベッドメイク(*8)は自分でやれる。後述する医療少年院暮らしで身についた習慣かもしれない。まずは小物を入れるにはちょうどいい、3段重ねの引き出しケースを覗いてみる。3段とも全部開けて見たが包丁は見当たらない。本人は隠したつもりだろうから、引き出しケースは選ばないかもな。本人が隠した気分になれて、すぐ取り出しやすい場所といえばどこだろう? 探偵にでもなった気分で推理してみる。

養護施設の空のベッド
写真=iStock.com/SallyLL
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/SallyLL

いつもベッドはきちんとしているほうだが、今日のベッドはとくにきちんとしている気がする。枕が1センチのゆがみもなく、真ん中の頭の位置に几帳面に置かれている。まさかな、と枕を持ち上げてみる。あった!

(*7)利用者も自室に入られるのを嫌がる人、まったく平気な人とさまざまだ。ミッキーさんの場合、状態が悪いときほど、職員が部屋に入ることを嫌がる。また身体に触れられることも極度に嫌がり、肩に手を添えようとするとさっと身をひるがえして避けようとする。
(*8)ベッドメイクは基本的に本人におまかせである。休日などに職員が敷布や掛け布団を干してあげることはある。とくにヒガシさんはよだれがあるので布団が汚れやすく、放っておくと悪臭がするので枕カバーも含めてまめに洗濯する必要があった。ヒコさんは布団が敷きっぱなしだったが、お母さんが毎週やってきて資料の山の間を縫って掃除や布団干しをしているため、意外に清潔だった。

■主婦から見たらただの調理器具だが…

枕のちょうど真ん中、真っすぐ横に向けて、丁寧に置かれていた。私はそれをベルトの後ろにさしてシャツで隠しリビングに戻った。「あったよ」と伝えるとミッキーさんは驚いて、「どうしてわかったの?」とびっくりしながら笑っている。本人としては考えて隠したつもりだったのにそんなにすぐ見つかったことが不思議で仕方がないという表情だった。

大事に至らず一件落着だったが、こんなときは「ドキドキレポート(*9)」を書くことになっていると聞いて、翌朝、1時間残業して私が書いた。

松本孝夫『障害者支援員もやもや日記』(三五館シンシャ)
松本孝夫『障害者支援員もやもや日記』(三五館シンシャ)

こうした出来事は常勤・非常勤を問わず職員全員に共有されるのだが、利用者の動向に無頓着な職員もいる。テスト勤務初日に私が“洗礼”を浴びた非常勤職員の下田しげ子さんがそのひとりだ。包丁研ぎ器が2階にあり、1階の包丁をときどき2階に持っていくことがある。そんなとき、下田さんは包丁を2、3本両手にブラブラぶら下げて歩いていく。ミッキーさんの目玉はその間、ずっとその刃先を追っている。たまりかねて声をかけた。

「下田さん、すみませんが、包丁を運ぶときはミッキーさんの目につかないようにしてもらえませんか」
「はあ? でもこれ、調理道具ですからねえ」

薄い唇を曲げて薄笑いの表情をするだけで、新参者の言うことに応じてくれることはなかった。

長いあいだ、主婦をやっている(*10)と包丁はどうしても調理器具にしか見えないのだろう。下田さんを説得するのをあきらめ、包丁をぶらんぶらんされるたびに、ミッキーさんの視線を気にして、ヒヤヒヤと肝を冷やす心配性の私であった。

(*9)重大な事案が起こった場合には、通常の日報とは別の報告書を書くことになっていて、「ホームももとせ」では「ドキドキレポート」と称されていた。A4の専用用紙があり、これは職員間だけではなく、ホーム長、エリア長も閲覧する。
(*10)下田さんは主婦として3人の子どもを育てあげたという。子どもたちもみな成人し、ご主人と二人になって時間ができたので、「ホームももとせ」の非常勤職員として働いていた。下田さんがいい加減に仕事をしているのかといえば、そんなことはない。下田さんも献身的に一生懸命働いていたし、彼女がいなければ、つねに人手不足だったホームのシフトはまわらなくなってしまうだろう。

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松本 孝夫(まつもと・たかお)
障害者支援員
1944年、山口県生まれ。大学卒業後、会社員、ライターなどを経て、会社を立ち上げるも倒産。70歳を目前に職探しをする中、高齢者ホームだと勘違いして受けた面接を経て、精神(知的)障害者のグループホームに就職。以来、8年にわたって勤務しながら、障害者が置かれた厳しい立場や偏見に苦しむ親の思いを知る。

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(障害者支援員 松本 孝夫)

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