就職することが夢だったのに…障害を抱える19歳の男性が立ち直れなくなった"同僚のひと言"
プレジデントオンライン / 2023年1月31日 11時15分
※本稿は、松本孝夫『障害者支援員もやもや日記』(三五館シンシャ)の一部を再編集したものです。
■生活保護を受けながら施設で暮らす19歳の少年
なぜ障害者ホームにいるのだろう、と思うような利用者が何人かいた。どこが障害なのだろうと思って観察しても、それらしいところが見あたらない。たとえば、まだ19歳の高野洋三君という小柄な若者がいた。野性味があるジャニーズ系の顔立ちで、ふつうの学校などでもモテそうだ。
地元の児童養護施設を18歳で卒業して半年ほど経って、「ホームももとせ」に入居した。ホームでは「タカさん」と呼ばれていた。あとになって知ったが、父親はトラック運転手で、母親は彼が小学生のころに亡くなっている。彼は末っ子で姉と兄がいるものの、上の2人も障害者なので、父親は次男の世話ができなかったようだ。
養護学校を卒業して少年期から青年期にかかる大切な時期に、生活の自立をする場もないということから、相談員や支援員が動き、ようやくグループホームに入居することができた。その費用は障害者年金と不足分は生活保護でまかなっているらしい。彼が働いて稼ぎ出したら生活保護は減額か中止になるのだろう。親はいても世帯を切り離して、生活保護を受けている利用者(*1)はほかにもかなりいた。
親が払う場合にしても所得に準じた公費補助があるから、それほどの金額にはならない。タカさんは人見知りで、最初はなかなか打ち解けなかった。出会って2カ月ほど経って、話ができるようになってからこんな会話をした。
(*1)「ホームももとせ」には、生活保護と障害年金を同時に受給している利用者が何人もいる。この場合、障害年金分は生活保護費から差し引かれるので総額は同じである。それなら、なぜ両方受けるのかといえば、就労支援を受けてレベルアップし、一定収入を得られるようになれば、生活保護を受けず障害年金だけで生活できるようになる。そこを目標にするのだ。
■二の腕には十数カ所の“根性焼き”が…
「小学2年くらいから学校に行かないで遊んでたよ」
「一人でかい?」
「うん、姉ちゃんや兄貴もあまり学校へ行ってなかったから……」
「そのうち児童養護施設に預けられたんだね」
「うん、大部屋に年の違う子が何人もいたから、一人の部屋が欲しかったんだ」
「大部屋に何人もいたんじゃ、たいへんだったろう」
私がそう言うと、顔が曇った。
「いじめとか、そういうのもあったのかい?」
「……うん、根性焼き(*2)、見せようか?」
そう言って腕まくりをする。二の腕には十数カ所、タバコの円の大きさに皮膚が白くなった跡が残っていた。「同じ部屋の年上のやつら(*3)に中学のときにやられた」
![タバコ](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/e/c/1200wm/img_ec46a906fa2d1950b80aaf00d514d9aa385732.jpg)
笑いながら言う。養護施設の中でも、職員の目を盗んで、こうしたことが行なわれているのだ。
「ここじゃ、一人の部屋がもらえて良かったね。今の部屋、広いだろう。独り占めしているのは贅沢かもよ」
「うん、そうだね」
嬉しそうに笑う。コミュニケーションはふつうにとれ、話していると、どこにでもいるふつうの19歳の若者である。ただ、あいさつはできないし、部屋は足の踏み場もないほど散らかり放題だ。けれど、これは障害というより、幼いころから、そういう生活習慣のない環境にあったからではないかと思えた。
(*2)火のついたタバコを体に押し当てることで、もともとは不良少年たちが我慢強さをアピールするために行なわれた。周りが盛り上がった円形の傷跡が残る。
(*3)タカさんの児童養護施設での思い出はこうした凄惨(せいさん)なものばかりではない。その証拠にタカさんはオートバイで事故死したという養護施設時代の先輩の墓へ、毎年詣でているのだった。
■一般企業の障害者就労枠に就職するのが夢だった
文章を書くと小学6年生くらいの文章力だが、これも小学校低学年のときから授業放棄をしていたのだから当然だろう。たとえば、彼はスマホでキャッシュレス決済ができた。いわゆるガラケーしか持っておらず、スマホなどチンプンカンプンの私から見れば、こうした社会的能力では私より上ではないかとも思った。
19歳になったばかりのタカさんには、一般企業の障害者就労枠に就職するという大きな目標がある。「ホームももとせ」で働き始めるまで、恥ずかしながら私は障害者の多くが就労していることを知らなかった。
企業はその規模に応じて障害者を雇用しなければならない、と「障害者雇用促進法(*4)」によって定められている。ただ、一般企業で対応するのは難しい障害者も少なくない。そういう人たちは、自治体、社会福祉法人、赤十字社などが運営する「障害者授産施設(*5)」といわれる事業体が対応している。
(*4)従業員43.5名以上の企業は、全従業員の2.3%の割合で障害者を雇用する義務があり、達成すれば助成金もつく。達成できないと1人当たり月5万円を納付するペナルティが科される。障害者を雇用する義務は続き、実施できなければハローワークからの勧告と指導があり、それでも満たせない場合は企業名を公示されることになる。
(*5)おもに政府機関や社会福祉法人などの団体によって運営される心身障害者施設のひとつ。2006年の「障害者自立支援法」の施行により、障害種別の授産施設の多くは就労移行支援事業所と就労継続支援事業所(A型、B型)などへ移行したが、われわれは「授産施設」と呼んでいた。
■授産施設での生活指導は非常に効果的
通ってくる障害者の程度に合わせて、さまざまな仕事があって工賃が支払われる。ただし、労働に対する給与という通常の雇用ではなく、障害者の労働によって収益が上がったら、それを分配するという性格のもので金額も低い。したがって授産施設の売上げには税制上の優遇措置があり、そこに勤務する職業指導員(*6)の給与は別途公費でまかなわれる。
だから指導員は作業指導だけでなく、生産性を度外視して、あいさつ、礼儀、言葉づかい、身だしなみなどの生活指導まで行なうことができるのである。これはある意味、ホームの職員にとってありがたかった。
なぜならホームは家庭と同じように利用者にとって憩(いこ)いの場所である。リラックスできて当たり前のところなので、礼儀や規律を教え込むには不向きである。それに対して「障害者授産施設」は働く場所なので規律があり、メリハリがある。ヒコさんが通っている「星空園」という作業所もそのひとつである。利用者がホームで前夜、どんなに扱いづらく乱れていても、翌朝、星空園のマイクロバスで指導員が迎えに来ると、シャキッとなるのであった。
(*6)障害者の職業訓練の指導や、自立した就業をサポートする。おもに障害者の就労支援を目的とした事業所に勤務する。必須の資格や免許、実務経験などはなく、事業所の選考に通過すれば働くことができる。ただし事業所によっては「介護職員初任者研修」などの資格保有者や、一定の実務経験者を応募要件としているところも。
■「障害者就労支援」には大きく4種類に分けられる
障害者たちが働く場を大きく分けると、
②障害者授産施設
の二通りがあり、みなそのどちらかで働いている。最初は、働ける場所があるのだなあ、と思った程度だったが、徐々に就労支援制度の詳細がわかってくるにつれ、この制度の綿密さと相談員の面倒見の良さに、私は感銘を受けることになる。その概略を説明しよう。「障害者就労支援」の内容は4種類に分けられている。この4種類を理解すればこの制度の全貌がわかる。
(1)就労移行支援 一般企業の障害者雇用枠で働くことをめざす。支援があれば一般企業が用意した仕事に就く能力のある、軽度な障害者が対象になる。能力向上には本人の働く意欲も含めてトレーニング期間が必要である。2年間を限度として努力し、それでも一般企業への就労が無理なら、「就労継続支援A型」「B型」に切り替える。
(2)就労定着支援 一般企業に就労したあとに行なわれる支援。障害者側だけでなく、企業側の未熟さによるトラブルもあるので、支援は就労後も続けるのが原則である。
(3)就労継続支援A型 一般企業での就労は不安で困難であるが、一定レベルの仕事はできる人が対象。たとえば、カフェやレストランのホールスタッフ、ご当地ストラップのパッキング、パソコンによるデータの入力代行など、比較的単純作業が多い。就労先は一般企業ではなく「授産施設」になるが、雇用契約を交わすので最低賃金は守られ、給与は月8万円くらいになる。勤務時間が短く、日数も少ない場合もある。
(4)就労継続支援B型 A型では困難な障害者ができる軽作業(*7)などを行う。雇用契約は結ばず、作業収益の分配が給与ではなく、工賃として支払われる。タカさんには「就労支援センター(*8)」の田中さんという相談員がついていた。
(*7)名入れ刺繍などの手工芸、パンやクッキーなどの製菓、クリーニング衣類の封入、農作業、ボールペンの組み立て、新聞折り込みなど、さまざまなものがある。
(*8)正式名称は「障害者就業・生活支援センター」。障害者の就労機会の拡大を図るため、自治体が設置する支援施設で、職業能力に応じた就労の場の確保だけではなく、職場定着の支援や生活相談までを行なう。また一般就労まで至らない障害者については授産施設などへの結びつきを支援する。登録すれば無料で相談できる。
■大手雑貨チェーンに就労することができたが…
この人の指導で授産所に通って仕事をしながら、能力の向上に努めていたのだ。つまり(1)の就労移行支援の適用だった。支援を受け始めて1年以上経ったころ、タカさんは大手雑貨チェーンのP市支店に就労することができた。そして週5日、朝出かけて夕方帰ってくるという生活が始まった。
タカさんなら続けられる(*9)と私は期待していた。けれども、それは3カ月と続かなかった。持病の喘息が出て休むことが多くなり、やがて出勤しなくなった。月例の職員会議でその真相が明かされた。タカさんが勤務した雑貨チェーンは大型店で、家具、食器、インテリア雑貨、ステーショナリー、アクセサリーと豊富な商品がある。店員はバイトも含めて、納品の検品から展示、商品補充、レジ、接客とすべてをやるのが原則である。
![ガラスを選ぶ女性の手](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/e/e/1200wm/img_eea4d8d839583bae20e507c18d3516ad390253.jpg)
バイトも入れて約40人の店員の中で、ただ1人の障害者従業員であるタカさんは、接客はせずバックヤード担当にされた。バックヤードは納品日には大きな段ボールが何十個も入ってきて重労働になる。ふだんは売れた商品の補充や棚と商品の清掃がある。きついけれども、彼の場合、残業はなくて夕方5時に退社できるので、身体への負担は大きくはなかったそうだ。
(*9)夕方、仕事から帰ってきたタカさんに「仕事、どうだった?」と水を向けると、「荷物の積み下ろしがかなりキツイ」などと話してくれた。「キツイ」「たいへん」とはよく言っていたが、それは愚痴ではなく、その表情から一般企業で仕事をしていることの誇らしさを感じ取ることができた。西島さんとも「タカさん、いい感じですね」などと話していたのだが……。
■「あなたねえ、接客できないんでしょ!」
ある土曜日、午後になると店は混雑し、店員はみな忙しく動きまわっていた。タカさんはフロアの責任者から、「これ大急ぎでインテリア売り場に届けて!」
と台車に載せた照明器具を渡された。「はい」と返事をして大急ぎでインテリア売り場へ向かっていると、通りすがりの通路で接客をしている女性店員から声がかかった。
「高野君! ちょうど良かった。このお皿、食器売り場に届けてくれない? 私、お客さまの相手があるから」
「すみません。これをインテリア売り場に至急届けるよう言われてますんで。すぐ戻ってきますから」
そう言ってインテリア売り場に向かった。インテリア売り場での受け渡しが終わってさきほどの場所に戻ってみると、荷物を載せたままの台車に手をかけた女性店員が不機嫌そうに待っていた。
「あなたねえ、接客できないんでしょ! そういう人は接客している店員が呼んだらすぐ飛んできて荷物運ぶのを交代しなくちゃダメなのよ! おかげで、私がこんな台車を引いてお客さまをご案内させられたわ」
憎々しげに言うと、自分で運ぶはずの台車を彼に押し付けた。
■喘息の発作が出てしまい、仕事を欠勤するように
それ以来、彼に関心を持ってたびたび話しかけてきたという。
「障害者枠って入社試験するの? 面接だけなの?」
「障害者枠だとお給料はどのくらいなの?」
「あなたの病名はなんていうの? 自閉症なの?」……。
嫌味ではなく、興味を持っただけだったのかもしれない。そんなこと(*10)があり、数日後、タカさんに持病の喘息の発作が出た。
![松本孝夫『障害者支援員もやもや日記』(三五館シンシャ)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/2/f/1200wm/img_2ff2a47bdf9fff14545f8ba12c0c5843209407.jpg)
夜中に咳が出て止まらなくなり、息苦しさで眠れなくなる。こうした病状は精神状態と密接に結びついているように思う。さらにその翌日、タカさんは朝、起きてこなくなった。職員が部屋に行って、起きてくるように促しても、布団から出てこない。この日を境に、仕事を欠勤するようになってしまった。
自分の気持ちを言葉にして伝えることが苦手なタカさんにとって、これが拒絶の意思表示なのだった。障害を持った人たちが一般企業に就職する際には本人たちの意欲や努力が欠かせない。だが、それだけではうまくいかない。受け入れる側がどのように迎え入れるか、その姿勢が問われているといえる。制度や仕組みも大切だが、それ以上に重要なのは、いつだって人の心なのである。
(*10)店での出来事については、「就労支援センター」相談員の田中さんから西島さんへと報告があった。西島さんも私もタカさんへの期待が大きかった分、落胆した。
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障害者支援員
1944年、山口県生まれ。大学卒業後、会社員、ライターなどを経て、会社を立ち上げるも倒産。70歳を目前に職探しをする中、高齢者ホームだと勘違いして受けた面接を経て、精神(知的)障害者のグループホームに就職。以来、8年にわたって勤務しながら、障害者が置かれた厳しい立場や偏見に苦しむ親の思いを知る。
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(障害者支援員 松本 孝夫)
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