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「スマホ育児」で育った子は将来どうなるのか…非行や不登校に共通する「国語力崩壊」という恐ろしい大問題

プレジデントオンライン / 2023年1月28日 14時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/franckreporter

子供の不登校、ゲーム依存症、非行といった問題が深刻化しているのは、なぜか。『ルポ 誰が国語力を殺すのか』(文藝春秋)を書いたノンフィクション作家の石井光太さんは「子供たちを取材していると、国語力の乏しさを痛感する。近年、増えている『スマホ育児』は、こうした問題を悪化させる恐れがある」という――。

■計算はできるのに、文章題が解けない子供たち

日本の子供にとって「国語力」は、学校の勉強や受験勉強だけでなく、将来的に社会を生き抜くために必要不可欠な力だ。

国語力とは語彙(ごい)をベースにして、情緒力、想像力、論理的思考力、表現力を育てることで培われる総合的な能力である。文部科学省のいうところの全人的な力といえるだろう。

学習の面で考えてみると、小学校低学年の頃は算数が得意だった子が、小学4、5年生になって急に成績が落ちることがある。

親は算数の勉強が難しくなったためだと勘違いするが、実は計算はできるのに、文章題の意味を正確に理解できていないせいであることが多い。小学校高学年に差し掛かると、文章題が抽象的になるので、国語力のない子供は理解が追い付かなくなるのだ。

同じことは社会でも理科でも当てはまる。国語力がなければ、抽象的な設問に答えることができない。こうした困難は「9歳の壁」と呼ばれている。

英語でも同じだ。幼少期から英会話を習い、スピーキングも、リスニングもできるのに、高校2年生くらいになって成績が伸び悩む子が少なくない。

中学生くらいまでの英文は、日本語でいえば小学校低学年~中学年レベルの内容なので誰でも理解できる。しかし、大学受験のそれは中学生レベルになる。そうなると、国語力がないと、英語の知識がいくらあっても文意を読み取れないということが起こるのだ。

■不登校、ゲーム依存症、非行に走る子の共通点

こうした現象は、何も学校の学習においてのみ起きているわけではない。私は『ルポ 誰が国語力を殺すのか』(文藝春秋)で、国語力の弱い子供たちが社会で様々な困難に直面している現状を描いた。

たとえば、24万人にも膨れ上がった不登校児。彼らの多くが、学校へ行けない理由を言語で考えられず、「わからない」と答えている実態がある。あるいは、本書で紹介したゲーム依存症治療を行う病院の調査では、ゲーム依存症の子のIQの言語理解が他の能力と比べて明らかに低くなっていたり、少年院に入っている子供たちの多くが非行の意味を考えられずにいたりする。

本書で詳しく検討したように、こうした子供たちは、年齢相応の語彙を身につけ、情緒力、想像力、論理的思考力を育て、言葉によって思考するという、総合的な意味での国語力をつけることができなかった。

なぜ、そうしたことが起こるのか。子供の国語力の成長を阻害してしまう要因を、家庭での親子の関係性に焦点を当てて考えてみたい。

■親との接し方で国語力の差が生まれる

家庭は、子供にとって国語力を育む基盤である。親との会話、読んでいる本、日常での遊び方など、家庭の言語空間が子供の国語力を育む。

特に未就学児の場合は、親と何をして過ごしているかが重要だ。たとえば、絵本の読み聞かせをしてもらっている子と、そうでない子の間には、大きな国語力の差が出ると言われている。

母と男の子が自宅で絵本を読む
写真=iStock.com/Yue_
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Yue_

絵本で使用される言葉は、家庭の中の日常会話とは質がかなり異なる。それを日常的に聞いている子は、語彙が増えるだけでなく、言葉のバリエーション、たとえば「切る」という言葉を、切断の意味だけでなく、「水を切る」「力を出し切る」「カードを切る」など多様な形でつかいこなすことができるようになる。

また、絵本の読み聞かせの利点は、そこから親子の様々なコミュニケーションが生まれることだ。

母親に『100万回生きたねこ』を読んでもらったとする。内容について様々なことを考えるのはもちろん、そこから猫の生態や友達が飼っているペットにまで話が広がったり、母親の声が嗄れているのに気づいて心配をしたりすることで、いろんな感情や想像力が刺激され、新たな言葉が飛び交うようになる。

つまり、絵本の読み聞かせは、単なる内容理解に留まらず、実践的で幅の広いコミュニケーション力や教養力を育てることにつながるのだ。

一方、最近の親がよくするスマホ育児(タブレット育児)は、そうした効果が格段に乏しい。

親は、スマホを渡しておけば、子供は静かにするし、スマホから十分な情報を得ていると考えがちだ。だが、近年の研究では、子供は二次元の情報を現実と重ねることが不得意とされている。

■スマホ育児は百害あって一利なし

たとえば、スマホに「リンゴ」が映っても、それを現実のリンゴと完全に同一視できなかったり、リンゴの甘さを想像して食欲を刺激されたり、きれいとか、硬いといったイメージを浮かべられなかったりするのだ。「画面の中の赤く丸い塊」という漠然とした認識なので、感覚が刺激され、言語が生まれることが少ない。

また、スマホ育児は一方向なので、絵本の読み聞かせのような親子の双方向のコミュニケーションが存在しない。子供がスマホを見ている時間、親は自分の用事をしているだけだ。そうなると、子供にとっての世界は、スマホの画面だけに留まる。

こうしてみると、スマホ育児では、子供は現実感のない状態で、表面的な情報だけを押し付けられているにすぎないことがわかるだろう。これでは語彙だけでなく、国語力の中核とされる情緒力、想像力、論理的思考力、表現力が養われることは望むべくもない。

さらにいえば、スマホ育児をする親は、自身もスマホに割く時間が多い傾向にある。統計によれば、子育て世代の親の半分以上が1日3時間以上スマホを使用しているとしており、約7割が「子供と遊んでいる最中にスマホを操作している」と答えている。

親とスマホを見る子供
写真=iStock.com/Shelyna Long
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Shelyna Long

本来、子供の遊びとは双方向で行われ、たくさんの予期せぬことが起こる中で感覚が刺激され、心を豊かにしていくものだ。それが感情をグラデーション化して自分の内面をより深く見つめたり、他者と適切な関係性を築いたりする力となる。

しかしながら、スマホ育児はそれとは反対のものだ。家庭にいるのに、子供はスマホの世界で孤立し、ただディスプレイに映る画像を機械的に目で追いかけているだけだ。

こうした日常が、子供たちの国語力を奪っていることに、大人はもっと自覚的である必要があるだろう。

■叱るタイプの親が子供を思考停止にさせる

また、家庭内での「会話の質」も、子供の国語力を伸ばすのに非常に重要だ。

親が厳しいスパルタタイプだったり、怒りっぽかったりして一方的な言い方をする家庭では、子供の国語力は脆弱(ぜいじゃく)になる傾向にあるといわれている。

たとえば、子供が汚れた手のまま食事をしていたとしよう。それを見た親が、こう言ったとする。

「なんで手を洗わないんだ! さっさと洗ってきなさい!」

子供は萎縮して手を洗いにいくことになる。これでは何かを言葉で考えることにはつながらない。

一方で、もし親がこんなふうに言ったとしたらどうか。

「あれ、手を洗っていないわね。お母さんも子供の時によく手を洗いなさいって言われたけど、あの時おばあちゃんは、どんな思いで言ってくれていたのかな?」

あるいはこう言う。

「昔話に出てくる人は、手を洗っていたのかな。でも、昔は石鹸なんてなかったよね。どうやって洗っていたんだと思う?」

こう聞かれた子供は、手洗いの必要性を自分で考えるだけでなく、親はどんな気持ちで言っているのか、昔の手洗いはどうだったのかを、一段深く思考するだろう。そこから生まれる親との会話もある。

つまり、前者の「叱るタイプの親」は子供を萎縮させて思考停止にさせるだけだが、後者の「問いかけるタイプの親」は子供にいろんなことを考え、表現させる。

■言葉で説明できない虐待家庭で育った子供たち

両者の家庭で、子供への影響はどれだけに及ぶのか。

もし親に1日3回問いかけをしてもらえば、子供は3歳~10歳までの7年間の間に、思考する機会を7665‬回も得られることになる。それが小学校高学年になって、自ら思考する子と、ほとんど思考しない子の差になる。

これがもっとも顕著なのが、虐待家庭で育った子供たちだ。

親から毎日のように理不尽に怒られ、手を上げられていると、子供は物事を思考しなくなる。不条理なことばかりが起こるので、思考を停止した方が楽なのだ。思考停止は、いわば虐待を生き延びる方法なのである。

孤独な少年
写真=iStock.com/KatarzynaBialasiewicz
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/KatarzynaBialasiewicz

しかし、彼らが大きくなった時、思考停止は生きづらさの原因となる。彼らにとって都合の悪いことが起きた時に思考停止すれば、物事はさらに悪い方向へ進んでいくからだ。

私は本書の中で、少年院にいる少女の会話を紹介した。その少女は虐待家庭で育った後、半グレの先輩に売春を強要され、客から得た売り上げをすべて半グレたちに渡していた。次は少女の言葉である。

――男(売春グループの半グレ)に金を払ったのはなぜ。
言われたから。
――悔しくなかった?
サンキューって言ってくれる人もいた。
――売春は嫌だった?
そうだけど、他にすることないし……。
――後悔してる?
わかんない。

ここからわかるのは、少女が言葉でもって理論的に物事を考えていないことだ。

本書では他にも、彼氏に恐喝されても何も考えずに言われるままに金を払いつづけた女性や、誘われるままに何も考えずに特殊詐欺に加担してしまった女性を紹介したが、共通するのは思考力の弱さだ。

これらが極端な例だとしても、普通に学校に通っている子供たちですら、物事を知覚し、思考し、行動を選択していく力が弱くなっていることは、多くの教員が指摘するところだ。

■学力低下、生きづらさ…最悪の場合はドロップアウト

このようにしてみると、子供たちの国語力が、学力の低下に留まらず、生活の中の生きづらさに直結することがわかるだろう。逆に言えば、国語力を身につければ、子供たちは生きる力を飛躍的に伸ばすことができる。

今の日本では、社会の分断や経済格差と言った問題によって、子供たちを取り巻く家庭格差が著しい。

親がきちんと国語力の大切さに気付いている場合は、絵本の読み聞かせや、問い掛けによってその力を育てようとする。そして子供たちが手に入れた言葉をより豊かにさせるために、自然と触れ合う機会をつくる、美術館へ足を運ぶ、社会問題を話し合うといったことを積極的に行う。

図表1を見れば、それが子供の学力にもどれだけ役に立っているかがわかるだろう。そして、こういう子供たちはグローバル化、情報化が進んだ未来の複雑な社会を生き抜いていける。

【図表1】保護者の子供への働きかけと子供の学力の関係
『ルポ 誰が国語力を殺すのか』(文藝春秋)より

他方、そうでない場合は、子供たちの国語力は頼りないものにならざるをえない。そんな子供たちが成人し、複雑な多文化共生社会の中で高度なコミュニケーションを求められればどうなるか。それについていけず、ドロップアウトするのは火を見るより明らかだ。

■子供の国語力は親の工夫次第で伸ばせる

子供に国語力をつけさせるのは、学校をはじめとした国の役割だという意見もあるだろう。だが、子供たちの基盤としての国語力は、学校より、家庭のあり方によって大きく左右される。

石井光太『ルポ 誰が国語力を殺すのか』(文藝春秋)
石井光太『ルポ 誰が国語力を殺すのか』(文藝春秋)

未来を子供たちが生き抜くための国語力を、どのようにつければいいのか。詳しくは拙著『ルポ 誰が国語力を殺すのか』を読んでいただきたい。ただ、ここで言えるのは、家庭の工夫次第では、かならずしも経済格差に関係なく、子供の国語力を育てられるということだ。

残念ながら、学習塾での勉強や、進学する学校に関しては、家庭の経済力の影響が大きい。だが、子供の国語力は親の意識と工夫一つで、経済力に関係なく成長させることができる。子供が確かな国語力をつければ、自ずと学力やコミュニケーション能力を成長させていくことができる。

先の読めない複雑な未来を生きる子供たちにこそ、親は十分な国語力を与えて欲しいと思う。

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石井 光太(いしい・こうた)
ノンフィクション作家
1977年東京生まれ。作家。国内外の貧困、災害、事件などをテーマに取材・執筆活動をおこなう。著書に『物乞う仏陀』(文春文庫)、『神の棄てた裸体 イスラームの夜を歩く』『遺体 震災、津波の果てに』(いずれも新潮文庫)など多数。2021年『こどもホスピスの奇跡』(新潮社)で新潮ドキュメント賞を受賞。

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(ノンフィクション作家 石井 光太)

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