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「極楽」「浄土」「天国」の違いを説明できるか…政治家もメディアもごっちゃにしてしまう根本原因

プレジデントオンライン / 2023年1月30日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/BlackSalmon

宗教リテラシーが「世界最低水準」といわれる日本。宗教にたいする知識や理解が著しく低いのはなぜか。ジャーナリストで僧侶の鵜飼秀徳さんは「先の戦争では国家と宗教が一体化。多くの犠牲を生んだ反省に立って政教分離が実現したのはよいが、思考停止になってしまって、基礎知識や日本人の宗教性、死生観などを公教育で学ぶ場がないのが問題だ」という――。

■「極楽」「浄土」「天国」の違いを説明できない日本人

日本人は、宗教リテラシーが「世界最低水準」であることが、よくいわれる。その大きな要素に戦後の日本が、公教育から宗教を排除してきたことがある。その結果、低下した。仏教や神道にたいする基本的知識すら、多くの日本人で失われてきているのが実情だ。

政治家やマスメディアの、宗教にたいする関心も低い。旧統一教会問題が生じたのも、社会全体の宗教に対するリテラシーのなさがあるようにも思う。今後、日本が真の共生社会を目指すためには、宗教にたいする学びと理解が欠かせない。

本連載の記事「国民の涙を誘った“菅前首相の弔辞”に異議ありな人々の納得の理由」(2022年10月15日配信)でも触れたが、昨秋に執り行われた安倍晋三元首相の国葬でのシーンが象徴的だった。

菅義偉元首相は弔辞で「天はなぜ、よりにもよってこのような悲劇を現実にし、いのちを失ってはならない人から生命を召し上げてしまったのか」と述べた。

このフレーズに違和感を覚えた人は、ほとんどいなかったに違いない。安倍氏は浄土宗寺院の檀家(だんか)であり、よって密葬を増上寺で行っている。仏教では死後世界を「浄土」「極楽」などと呼ぶ。「天(国)に召される」は、キリスト教徒やイスラム教徒に対する用語である。

死後世界の表現で「天国」が、一般化していることはわからぬではない。しかし、国葬の場で政治家が宗教用語を間違ってはまずい。多くの政治家が旧統一教会と結びついていたのも、まさに宗教リテラシーの低さが招いた結果といえる。

メディアも然りである。旧統一教会問題のような大きな事象が生じない限り、宗教記事を東京の大手メディアはほとんど扱わないし、専門の記者もいない。確かに京都には、かつて司馬遼太郎が産経新聞記者時代に所属した伝統ある記者クラブ「京都宗教記者会」がある。ただ、行政担当などと兼務する記者がほとんどだし、大手新聞社では人事異動が数年に一度あり、すぐに担当から外れてしまう。

読売新聞や朝日新聞、共同通信といった巨大メディアの記者はそれぞれ約2000人いると考えられるが、これまで私は宗教を日々追いかけ、専門にしている記者に出会ったことがない。

政治家やマスコミが宗教のことを分かっていないのだから、多くの人々の理解が及ばないのは当然だ。日本人のおよそ7割が仏教徒といわれているが、菩提(ぼだい)寺がどこの宗派に属するかすら知らない檀信徒は少なくない。

■「寺と神社の違いは?」と尋ねても言葉に詰まる

筆者が定期的に教壇に立っている大学の授業で学生に「寺と神社の違いは?」と尋ねても、言葉に詰まる者が多数派だ。そして、「自分は無神論者だ」と言って胸を張る。

東福寺
写真=iStock.com/hungryworks
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/hungryworks

旧統一教会問題のような宗教トラブルが生じると「宗教は怪しいもの」としてひとくくりにされ、本質的な議論が進まないのも常だ。先の戦争では国家と宗教が一体化。多くの犠牲を生んだ反省に立って「政教分離」が実現したのはよいが、「思考停止」になってしまってはいないか。宗教にたいする無知、無関心がこんにちの旧統一教会問題を生み出したといっても過言ではない。

「宗教とは何か」からはじまる基礎知識や日本人の宗教性、死生観などを学ぶ場がないのが問題だ。あえていえば特に公教育において、宗教の基礎学習が欠落している。

公立学校の中で宗教の授業が取り入れられないのは、戦後占領政策の過程で米国の教育モデルを取り入れたからとされている。米国の公教育では、宗教が排除されている。その上で、憲法20条3項で「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と定めている。

憲法20条を受け、戦後の教育基本法制定時の規定の概要には「宗教教育(第9条)」が盛り込まれた。その第2項には、「国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない」と明記されている。この規定からは、公立学校における宗教教育の限界がみえる。

だが、国が一切、宗教と関わりをもたないことなどは不可能だ。そこで政教分離を争った過去の裁判では「目的効果基準」が、違憲かどうかの判断材料となっている。

つまり、「①行為の目的が宗教的意義を持ち②行為の効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為」になっていなければ、政教分離違反といえないのだ。したがって、公立学校が宗教の歴史や概論のような授業を実施することは何ら、問題がないはずである。

伏見稲荷神社
写真=iStock.com/Vincent_St_Thomas
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Vincent_St_Thomas

■宗教を学ばなければ何の理解も深まらない

政教分離への考えは国家によって、まちまちだ。フランスは最も厳格な政教分離(ライシテ)を敷く国家として知られており、わが国同様に公教育の中では宗教色を一切排している。信仰の自由と平等を徹底しているのだ。フランスの学校では、十字架のネックレスやイスラムの女性が被るスカーフの着用が禁止されているほどだ。

しかし、フランスの場合、「米国流」を倣った日本とは違う。それはフランス革命に端を発する。カトリック教会による支配体制から、市民が自由を勝ち取った結実としての政教分離なのだ。

英国では政教分離政策は敷いているものの、公立学校で宗教の科目が必修となっている。子どもに宗教教育を通じて多文化共生への理解を深めさせ、真の国際人を育てることが目的だ。英国の調査会社サバンタが2000人を対象にアンケートを実施したところ、64%が「今日の学校のカリキュラムに宗教教育が含まれていることが重要だ」と答えている。

ドイツに至っては、連邦基本法において「宗教教育は、無宗派学校を除く公立学校において正規の教科科目である」と定めている。その背景には、ドイツにおける、さまざまな信仰をもつ移民の多さ(総人口のおよそ2割)がある。

生徒は、カトリックやプロテスタント、イスラムなどの履修科目を選ぶことができる(州によって異なる)一方で、履修をしない権利もある。そこにはドイツ社会が宗教的多元性に対応しようとする意思が感じられる。

日本は元来、宗教が深く生活に根ざしている国家だ。歴史や文化、政治や経済、もっといえば科学も、宗教を学ばなければ理解は深まらない。公教育の中に、宗教の授業を取り入れないことのほうが「不自然」といえるが、いかがだろう。

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鵜飼 秀徳(うかい・ひでのり)
浄土宗僧侶/ジャーナリスト
1974年生まれ。成城大学卒業。新聞記者、経済誌記者などを経て独立。「現代社会と宗教」をテーマに取材、発信を続ける。著書に『寺院消滅』(日経BP)、『仏教抹殺』(文春新書)近著に『仏教の大東亜戦争』(文春新書)、『お寺の日本地図 名刹古刹でめぐる47都道府県』(文春新書)。浄土宗正覚寺住職、大正大学招聘教授、佛教大学・東京農業大学非常勤講師、(一社)良いお寺研究会代表理事、(公財)全日本仏教会広報委員など。

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(浄土宗僧侶/ジャーナリスト 鵜飼 秀徳)

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