なぜ人は歪んだ教義を信じるのか…佐藤優「まっとうな宗教とカルト宗教をわける決定的な違い」
プレジデントオンライン / 2023年1月31日 9時15分
※本稿は、佐藤優『君たちの生存戦略 人間関係の極意と時代を読む力』(ジャパンタイムズ出版)の一部を再編集したものです。
■私の価値基準の根底に「キリスト教を信じる」母親の言葉
相手に影響を与えるための有効な方法に「感化の力」があります。
私自身、今の自分の価値基準や考え方の根本に、多くの人からの感化があります。私はプロテスタントのキリスト教徒ですが、それは私の母親の影響(感化)が決定的でした。
沖縄の久米島で生まれ育った母親は、太平洋戦争の壮絶な沖縄戦で九死に一生を得ました。その中で絶対的な神の存在を確信し、キリスト教徒になりました。
「わたしが沖縄戦で死んでいたら、あなたはこの世にいなかった」とよく話していました。そして、「神様からもらった命だから大切にしないといけない。イエス様がしたようにはとてもできないけれど、自分の命を人のために役立てる生き方をしないといけない」と話していました。
母親の言動によって感化されることで、私自身の人格の根っこにキリスト教の教えが自然に沁み込んでいったように思います。母に連れられて日曜日にはよく教会に行きましたが、そこで会った信者の人たちや牧師さんにも大いに感化されました。
直接キリスト教の教えに触れるよりも、キリスト教を信じる身近な誰かの存在によってより強く影響を受けたと言えると思います。
これはキリスト教に関してだけでなく、その後の私の読書体験、勉強やその他の体験に関しても同様です。国語や数学などの勉強に関しては、塾の先生の影響がとても大きかったですし、マルクス主義に関しては、塾の先生だけでなく母方の伯父の影響がとても大きかったです。
人は何ものかに影響され変容した人物に直接触れることで、同じような変容を遂げることが往々にしてあります。その人が持つ存在感や、雰囲気、波動、そしてオーラのようなものが、自分の中の何かと共鳴するのかもしれません。
■感化の力が世界宗教を生んだ
感化には言葉や理屈を超えたものがあります。キリスト教自体が、イエスの受難による感化によって世界宗教に発展したと言えるのです。
イエスにはペトロやヤコブ、ヨハネなど十二使徒と呼ばれる弟子たちが取り巻いていました。ところがイエスからすると信仰心において皆物足りない。
嵐のガリラヤ湖を渡る際に怖気づいたり、悪霊に取りつかれた子どもから悪霊を取り除くことができなかったり。
一番弟子を自任するペトロに至っては、イエスがエルサレム近くで捕らわれそうになると、「私はどんなことがあっても逃げません」と言ったのにもかかわらず、逃げ出してしまいます。そして、追っ手に問い詰められると「イエスなど知らない」としらを切るのです。
神の子イエスから見たら実に情けない弟子たちなのですが、そんな彼らが、イエスが十字架に架けられ命を落とした数日後、復活したイエスに遭遇することで変容を遂げます。
それは復活という奇蹟に直面したということもあるでしょう。しかしもっと大きいのは、無実の罪で十字架に架けられるというイエスの受難、自己犠牲を目の当たりにしたことです。
人間が本当に影響を受け、感化されるのは、何かに奉仕したり殉じたりという、自己犠牲の姿に直面したときです。イエスは自らの命を差し出して、人間の原罪を贖いました。その自己犠牲の行為がダイレクトに弟子たちに伝わり、彼らを感化し変容させたのです。
ちなみに十字架の刑は最も残酷な処刑法だと言えます。手足を太い釘で十字架に打ち付け立てかけます。自重で傷口が広がり痛みとともに血が流れます。
体が下に下がることで横隔膜を上下することが困難になり、呼吸ができなくなり窒息死します。それまでかなり時間がかかり、長く苦しみが持続するのが十字架刑なのです。
その生々しい姿こそが、人間の罪の重さとそれを贖うイエスの自己犠牲です。そのイエスの圧倒的な自己犠牲ゆえに、弟子たちは復活したイエスを見て変容したのです。
情けない弟子たちは、イエスに倣って、自己犠牲の気持ちで周囲に宣教を始めます。そのため迫害に遭い殉教した者もいます。それが初期のキリスト教会の始まりとなり、世界宗教であるキリスト教の原点となっているのです。
■自ら下敷きになり客車を止める究極の自己犠牲
自己犠牲が人を感化し変容させるという話は、三浦綾子さんの『塩狩峠』という小説を読むとよく分かります。主人公の永野信夫は敬虔なプロテスタントで、周囲からの人望も厚い男です。
あるとき部下の三堀が同僚の給与袋を盗んだことで糾弾されますが、永野はそんな三堀を自分の下で働かせます。
この三堀という人物が生来のひねくれ者で、人格者で人望の厚い永野の言動がうっとうしくて仕方ありません。何度も永野に突っかかり、偽善者呼ばわりします。
三堀が決定的に変容したのは、永野と二人で名寄駅から札幌駅に向かう途中で起きた列車での出来事でした。列車が塩狩峠に差しかかったとき、二人が乗っていた最後尾の客車の連結が外れ、坂道を下り始めたのです。
慌てふためく乗客たちの中で、鉄道職員の永野は必死で客車を止めようとしますがブレーキが利きません。そして列車が大きなカーブに差しかかり脱線する直前、永野は三堀の目の前で線路に体を投じ、自ら下敷きになることで客車を止めます。
一部始終を目撃していた三堀は、永野の命を投げ出す究極の自己犠牲の前に、強い衝撃を受けます。そしてその後は永野の遺志を引き継ぐべく、自ら洗礼を受けてキリスト教徒になるという話です。
この小説は、明治42年に実際に塩狩峠で起きた鉄道事故をもとにして作られています。敬虔なキリスト教信者だった長野政雄さんが、まさに小説のような状況に遭い、客車の下敷きになって脱線を防ぐことで乗客の命を救ったのです。
三堀は架空の人物ですが、事故のあと、永野さんの行為に感銘を受けた多くの人たちが実際にキリスト教に改宗したといいます。
■感化は自己犠牲・洗脳は暴力
本当の意味で相手から決定的な感化を受けるのは、自己犠牲的な行為や態度を目にしたときだと言えるでしょう。
そこに自己犠牲があるからこそ、人は先入観や警戒心、疑心暗鬼のような心の鎧を脱ぎ捨て、素直にそれを受け入れることができます。それは無防備になった心に直接波動が伝わるようなイメージと考えていいと思います。
ただし、それだけに感化というのは危険なものでもあるということを認識しておくべきでしょう。
というのも、相手を無防備にすることで容易に価値観や信念を変容させるという構図は、洗脳にある種、通じるものがあるからです。
特定の宗教団体や思想的な団体などで、自分たちの宗教や思想信条を相手に植え付けるための手段として、このような方法がとられることがあります。
![フード付きマントを身にまとう集団](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/8/1/1200wm/img_81c0437eb4f26192b96b7191e05b0a63483654.jpg)
精神的、物理的に相手を追いつめることで判断力を低下させ、絶望的な状況に追い込んで自分たち以外に頼るものを失くしてしまいます。半ば暴力的に心の壁を取り払った上で、自分たちの都合のいい思想信条を吹き込むわけです。
本来の感化が相手の自己犠牲、つまり絶対的な善なるものによって心を開くのに対し、洗脳の方はそこに利己的な悪意があり、暴力的な手段によって心を明け渡させるところが大きな違いです。
何かしら圧倒的な影響を受けそうになったとき、その相手があくまでも善意と自己犠牲的な姿勢の持ち主か、それとも利己的な悪意を持っているかで判断する方法があります。冷静にそれを見極めることで悪意の手から逃れることができるはずです。
■間違った目標設定をしている宗教・価値観は要注意
ただし、厄介なのは、本人があくまで善意に基づきよかれと思って、悪をなしている場合です。かつてのオウム真理教などは、まさにそのパターンでしょう。
このままだと煩悩からどんどん悪事を働いてしまう衆生を救わなければならない。そのためには人々を罪の軽いうちに殺してしまうこと(ポアすること)が正しく善なる行為である、という論法です。
あくまでも自分たちこそ正しく、神や天の意志に従っているという認識なので、大変に始末が悪いのです。
こういう場合は、彼らの目標や目的が、いわゆる公共善に基づいたまっとうなものかどうかを考えてみることです。
例えばナチスドイツやソ連のスターリニズムがよい例と言えます。彼らの論法は彼らの内部においては正論とされますが、一歩そこから離れ、客観的な価値観と照らし合わせてみると、決してまっとうな目標でも目的でもないことは明らかです。
![佐藤優『君たちの生存戦略 人間関係の極意と時代を読む力』(ジャパンタイムズ出版)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/9/5/1200wm/img_9564391237c13d4a9ad93535657dfe25207492.jpg)
ナチスの優生思想に基づくホロコーストや、スターリニズムの全体主義的な大粛清は、そこに自己犠牲的な要素も公共善的な要素もありません。あるのは自分たちを正義として、反するものを抹殺する独善的な価値観・ドグマです。
ゲルマン民族が世界を支配するという目標も、共産主義の皮を被った全体主義の完成という目標も、正しいもの、善なるものだとは言えません。
間違った目標設定をしていると考えられるものからの影響は、どんなものであれ排除するべきです。ただし、これは集団の中心にいて、同調圧力と集団真理にどっぷりと染まっていると客観的な判断が難しいでしょう。
中心から少し軸足をそらすこと、そして客観的、相対的に全体を俯瞰する姿勢が肝要なのです。
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作家・元外務省主任分析官
1960年、東京都生まれ。85年同志社大学大学院神学研究科修了。2005年に発表した『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮社)で第59回毎日出版文化賞特別賞受賞。『自壊する帝国』(新潮社)で新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞受賞。『獄中記』(岩波書店)、『交渉術』(文藝春秋)など著書多数。
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(作家・元外務省主任分析官 佐藤 優)
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