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いま必要なのは「シルバー民主主義」より「子育て民主主義」…明石、流山、福岡が「住みたい街」と呼ばれるワケ

プレジデントオンライン / 2023年2月6日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/monzenmachi

なぜ日本社会には停滞感があるのか。兵庫県明石市の泉房穂市長は「さまざまな国が、時代に合わせてしくみを変えているのに、日本だけ旧態依然としたまま。しかし、明石市、流山市、福岡市などに『この街に住みたい』という声が集まるように、変化の兆しはある。政治をあきらめてはいけない」という――。

※本稿は、泉房穂『社会の変え方』(ライツ社)の第6章<望ましい政治に変えるために私たちは何をすればいいのか?>の一部を再編集したものです。

■減り続けていた人口が10年連続で増えた

家族で住むところ、我が子のふるさとになるまちを、自治体で行われる「施策」を重視して選ぶ。そんな時代にもなりました。とりわけ魅力ある子ども施策を行う自治体を選び、新たな我が家を構え、引っ越す層が増えています。

私が市長に就任してから、明石市のやさしいまちづくりに多くの方々に共感いただいた結果、実際に明石市民になる人は大幅に増えました。減り続けていた人口が10年連続で増え、過去最多を超えていくほどの大きな注目を集め続けています。

まちの施策を意識して引っ越してきた市民は、選挙に行くことが多いように感じています。

政策や方針が変わるようなことがあれば、本当に困る。そのまちの子ども施策は、自分たちの暮らしの前提、日常生活に欠かせないセーフティネットになっているからです。自分ごとですから、まちの動向に敏感です。市の政策が生活に直結するから、きっちりとチェックが入るのです。

■投票所にはベビーカーの行列ができる

2019年の私の出直し市長選、得票数は8万795票。得票率は7割。中でも30代の得票率は9割です。投票所の前にはベビーカーの行列ができました。まちの誰もが驚いたことでしょう。象徴的な光景でもありました。

もはや「シルバー民主主義」一辺倒の時代は終わりました。明石では「子育て民主主義」とも言える動きが根付きつつあります。転換が必要なのは、明石だけではないはずです。

今はSNSなどでどんどん情報が入ってきます。口コミも拡散しやすく、全国各地のリアルな状況も容易にすぐ調べられる時代になりました。

明石市には兵庫県内はもとより、他の地域からも人が集まってきました。以前は神戸や芦屋、西宮など、高級住宅街を有したブランドイメージの高いまちが安定した人気を誇っていましたが、それでも近年、「住む場所によって自分たちの暮らしが変わる」というリアリティもかなり重視されるように変わってきました。

市民の選択が多様化し、私が生まれ育った「魚のまち明石」も、多くの人々に選ばれる時代に変わったのです。

■お上に従うのではなく、まちの現実を客観的に判断する

大阪や神戸のベッドタウンである明石市と同様、首都圏への通勤が可能で「東の流山、西の明石」と言われるほど子育て支援に力を入れている千葉県流山市では、送迎保育ステーションなどのハード整備、就労場所の確保など、市民のニーズを汲んだ子育て施策を展開し、高い注目を集め続けています。

一方で2021年の「全国戻りたい街ランキング」で明石市に次ぐ2位の福岡市、その特徴の1つは、ベンチャー企業支援も含む幅広い経済対策です。アジアの玄関口に位置する大都市ですから、明石市とは政策が違って当然です。

それでも3つの市に共通しているのは、まちの現実を客観的に判断していること。

市民の声と政治の限界のはざまで可能性を探り、我がまちの立ち位置、時代状況を踏まえ、行政にできる効果的な手段を選択している。だからこそ多くの人が、そのまちの施策を評価するのでしょう。

お上に従い漫然と全国一律でやってきた従来のやり方、思い込みを脱して、自治体が自ら改革を進めていける時代です。自分の住むまちだけでなく、他のまちの政策も日頃からしっかりチェックすることをお勧めします。自分にも、家族にも、自分のまちにも役立てることができるはずです。

■政治家は最初から市民のほうを見ていない

日頃からチェックすべきは、自治体の政治だけではありません。国の政治も私たちの生活に直結しています。

あまりにも一般の市民感覚からかけ離れた政治家が多い。そう思う方も多いでしょう。国会議員のあきれた言動が、日常的によく報道されている残念な状況です。

「最初は志があったのに、初心を忘れている」

そんなふうに思うかもしれません。でもそれはフィクションです。

企業や団体の応援で当選した議員は、最初から一般市民よりもその企業や団体を見ています。それに加えて政治家からの口利きを期待して、企業や団体などから献金の打診も山ほどあります。さらに国会議員ともなると、空港やフライト、鉄道だけでなく、都心の一等地の宿舎などで優遇を享受できる。置かれた環境が過剰な特権につながり、さらなる勘違いを生じさせる。そのしわ寄せを受けるのは一般市民です。

そんな中でも、与野党を問わず多くの心ある国会議員が関心を持って、明石市まで視察に来てくれました。明石市の取り組みは国でも可能。高い政策効果に大いに期待して、国会質問でも明石市のことがしばしば取り上げられています。「やさしい社会を明石から」。全国に広げていく動きが、次第に広がっていることを実感しています。

■明治維新から変わらない日本の古くさい政治のしくみ

かつての右肩上がりの時代は、潤沢な国費を分配するのが地方を代表する国会議員の役割になっていました。地元のさまざまな課題をどんどん国に挙げ、次々と予算をつけてもらう。そんな仕事ぶりが「力のある政治家」との評価になっていました。

しかし今は、停滞が続く時代です。

要望されてもお金が出せない。簡単に予算はつかず、既存の政策や制度すらも見直さないと持ちこたえられないような状況です。旧来の国会議員の感覚のままで振舞っても成果は上げられず、むしろ時代の流れに逆行してしまいます。

ほとんど車の通らない道路の新設工事、ほぼ誰も使わない公共施設の維持管理など、まるで企業の既得権益を守るかのような公共事業は、その典型です。

複雑に交差する道路の上からの眺め
写真=iStock.com/kokouu
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kokouu

日本の政治のしくみは、明治維新のころからほとんど変わっていません。当時最先端だったフランスやドイツから制度を取り入れたときのままの発想です。お手本にした国々はとうの昔にアップデートしているのに、日本だけが古いしくみを守り続けているのです。

■既得権益を持つ人に権力を預け続けている

国会議員の構成を見ても、古い体質であることは明らかです。裕福な家庭で育った、障害や病気のない、男性、が多数を占め、多様性の真逆のような構成になってしまっているのです。そんな集まりには、自ら変える発想も力も生まれないでしょう。

ドイツの国会には「連邦議会」と「連邦参議院」があり、連邦参議院は各州の代表で構成されています。日本で言えば、全国の市区町村のトップが国会議員を兼ねているようなものです。また、男女比を平等に近づけるために「クオータ制」を導入している国も複数あります。フランスの県会議員選挙は「ペア制度」を採用しました。男女ペアでないと立候補できない制度です。さらに、アフリカのルワンダは「国会に障害者の議席を必ず設ける」と憲法で定めています。

さまざまな国が、時代に合わせてしくみを変えているのに、日本だけ旧態依然としたまま。いまだに既得権益を持つ人たちに「権力」を預け続けているのです。

既得権益を守るしくみは強固です。何の行動も起こさずに文句を言っているだけで変わるほど甘くはありません。変わらないのは行動しない私たちの責任でもある。私たちが変えていくしかないのです。

■「権力」そのものが悪いわけではない

いわゆる「権力」と聞くと、既得権益などと結びつき、悪いイメージしか浮かばない人も多いかもしれません。社会的な力が国民のために適正に使われていない。そうとしか思えない。だから良いイメージが湧かないのだとは察します。

でも本来、権力そのものは善悪で語るテーマではありません。

誰のため使うのか。どう使うのか。今の政治家は往々にして、そこが間違っているのです。

とりわけ国会議員が使う権力は「国民のため」にあるはずです。

世の中の「できない」を「できる」に置き換えていく大きな力。その行使と成果には、国民の思いが託されています。真摯(しんし)に、そして適切に行使していく重い責務がともなっています。

それなのに今の日本では、いびつなカタチで力が使われているのではないか。「ごく一部」の「既得権益者のため」に権力が濫用されているに違いない。権力を振りかざし、好き勝手している政治家は悪いヤツだ。だから「権力は叩くべき」ものだ。そんなふうに、ずいぶんとぞんざいな扱いをされている気がします。権力を握る政治家はまるで悪代官、大げさにワイドショーの俎上(そじょう)にも載せられてしまう状況です。

地方自治体のトップにも大きな「権力」が集中しています。地域利権を差配できる立場にもあります。実際、こんな私のもとにすら、選挙が終わるたびに「応援してやったのに」と文句を言う恨みがましい声が聞こえてきます。

近しくても支援者でも誰にでも、便宜など一切図らないからです。そんなことは当然です。選挙で応援しようがしまいが関係ありません。住民の声を聞き、住民のために良いと思う施策をする。それが首長の使命・役割です。

■殺害予告をされても権力を市民のために使った

冷たいまちをやさしいまちに変えるため、子どものころから市長になることを望み、40才を過ぎてようやく市長になりました。困っている人に手を差し伸べ、やさしい社会をつくることが使命。私が市長として持つ権力は、当然「市民のため」に使う。実際にこの12年間、あたりまえのことをしっかり続けてきました。

既得権益を守りたい人たちには、さぞかし邪魔な存在に映ったでしょう。

就任前から今でもずっと、数多くの嫌がらせや悪口も言われ続けています。殺害予告もされるような身です。それでも根っからの市民派です。たとえ文句を言われても、恨みを買っても、脅されても、そんなことで私の政治姿勢は変わりません。

どんなことがあっても「市民のため」に。

自分たちのまちを、自分の望みを託せるのは誰か。未来を選び、政治家を選ぶことができるのは、あなた自身です。決める権利をあなたが持っているのです。

■市長は自分でゴールテープは切れない

「市長としてやりたいことは、どのくらいできましたか?」

取材で、よく聞かれる質問です。

「最初の5年間は1割ほど。3年前は2割、今は3割程度でしょうか」。そんなふうに近頃は答えていました。

泉房穂・明石市長
泉房穂・明石市長(撮影=片岡杏子)

「少ない」と不満を述べているのではありません。自分がやりたいことを任期中に全部できるだなんて、初めから思いもしませんでした。そもそもやりたいことなんて、山のようにある。あれもこれも、やりたいことだらけのうえに、まちづくりに終わりはないのです。

それでも就任当初からの議会との軋轢もありましたから、3期12年間で市長としてできることは、かなりやれたのかもしれない。そんな気もしています。

市長という仕事は、駅伝のランナーみたいなものです。

1人でまちづくりのスタートからゴールまでたどり着くなんてことはできません。「やさしいまちづくり」は、これからもずっと続きます。

人生を捧げるつもりで責任感を胸に、私の受け持つ区間を全力で走り続けてきました。中間走者ですから、途中までしかできないこともある。はっきりと最初から意識していました。最善を尽くすために、市民の顔を見て、声を聞く。時代状況や世間の風を読みながら、その時々に応じてもっともふさわしい施策を次々と置き続けたこれまでの12年間です。

これからの「やさしいまちづくり」は、私の後に続く「誰か」に引き継いでもらうしかありません。自分でゴールテープは切れない仕事です。次の人につなぐまで、市民から与えられた任期の間、ベストを尽くし続ける。たすきを渡し切るまで、ひたすら全力。それが自治体の首長としての私の矜持です。

■衆院選で落選した時の思い

2005年、郵政解散の衆院選で落選し、悔しさの中でこんな文章を書きました。

私は、私をあきらめない

私たちの社会は、私たちがつくっていける社会であり、
私たちの社会は、私たちが支えていける社会であり、
それを変えていくのが、まさに選挙にほかならない。

「有権者たる国民を信じる」

そう言い切って、前回の総選挙に、はじめて立候補した。

そして、8万61名の思いを受け、
国会というところで仕事をする機会をいただいた。

今回、8万3380名の思いを受けつつも、
国会での仕事は中断せざるをえなくなった。

審判の結果については、戸惑いと落胆を禁じえないが、
これもまた、私たち自身の選択なのだと、受けとめている。

私たちの社会は、まだまだ未熟だと思う。

その未熟な社会をいまだに変えていけずに立ち止まっている私たちもまた、
まだまだ未熟だと思う。

候補者であった私自身が未熟であったのはいうまでもない。

まだまだ、これからなのだ。

私たちの社会も、その社会をつくっている私たちも、
そして、その私たちのなかに含まれるこの私も。

私は、私をあきらめない。

当時も、今も、変わらず同じ思いです。

生きている限り可能性は開かれていく。思いを胸の内に抱えているだけでは、政治は変わりません。声を上げ、行動に移さなければ、何も変わらない。

しょせん人間の能力や障害なんて、誤差の範囲でしかありません。私自身、常に少数者の側にいると感じ続け、何かあると真っ先に排除される対象は私だ、常にそういう意識を持って生きてきました。

自分の限界を感じるからこそ、子どものころから努力を重ね、今も全力で走り続けています。努力は報われないかもしれない。それでも、こんな冷たい社会を何とか変えようと、手を緩めることなく力を尽くしてきた立場です。

■社会を変える現実的な方法は「政治」

私たちの生活は政治と深く関わっています。直につながっているのです。

泉房穂『社会の変え方』(ライツ社)
泉房穂『社会の変え方』(ライツ社)

政治をあきらめることは、あなたの未来をあきらめるようなもの。その陰で得をするのは誰かをよく考えたほうがいいでしょう。社会を変えるもっとも現実的な方法は「政治」だと、私は信じています。

私は、私をあきらめない。政治をあきらめない。

あなたも、あなたをあきらめないでください。

あなたにも「社会を変える」ことは「可能」です。

ともにがんばりましょう。

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泉 房穂(いずみ・ふさほ)
明石市長
1963年明石市二見町生まれ。1987年、東京大学教育学部卒業。NHKディレクター、衆議院議員などを経て2011年より明石市長。「5つの無料化」に代表される子ども施策のほか、高齢、障害者福祉などに力を入れて取り組み、市の人口、出生数、税収、基金、地域経済などの好循環を実現。人口は10年連続増を達成。柔道3段、手話検定2級、明石タコ検定初代達人。

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(明石市長 泉 房穂)

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