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登るためならマルチともつながる…手指を9本失い、エベレストで滑落死を遂げた登山家が費用を工面した方法

プレジデントオンライン / 2023年2月10日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/sinceLF

登山家の栗城史多さんは、世界最高峰のエベレスト登頂に幾度となく挑戦し、凍傷で手指を9本失い、最後は2018年に滑落死した。栗城さんは入山料だけで数百万円という費用をどのように工面していたのか。本人に取材した河野啓さんの著書『デス・ゾーン』(集英社文庫)よりお届けしよう――。

■政財界の要人の名刺は「レアカード」

ヒマラヤは春(4月、5月)か秋(9月、10月)に登るのが一般的である。夏は気温こそ緩むが雨季なので、雪の日や雪崩が多い。冬は気温が下がり、ジェット・ストリームが吹き荒れる。いずれも登山には不向きだ。

必然的に、栗城さんが日本にいるのは夏と冬になる。

栗城さんの事務所は、札幌の中心部から車で15分ほどの好立地にあった。学校の校舎のような横長の形をした古い鉄筋4階建ての2階に入っていた。札幌市がクリエイターやベンチャー企業を支援するために出資した財団法人が管理するビルだった。2DKで家賃7万円と格安だったのはそのためだ。1階には入所する人たちの交流スペースもあった。

事務所にいるときの栗城さんは、カトマンズのボチボチトレックに国際電話をかけて、次の登山の準備状況を確認する。全国各地の講演会で交換した何百枚もの名刺を整理することもあった。「中にはレアカードもあるんですよ」と、政財界の要人の名刺をいくつか私に見せてくれた。

会社の収支も自分で管理し、帳簿には「現在不足金額」と赤の太文字で書かれた項目もあった。携帯電話がひっきりなしに鳴る。聞かれてはマズイ話もあるようで、そういうときに私が居合わせると「あ、どうも、はい、はい」と携帯電話を耳につけ、しゃべりながら、登山用具が置いてある別室へと消えていった。

山を下りてからの方が、栗城さんは忙しいのだ。

■「僕の登山は総合格闘技」

登山は山に行くことができて、初めて成立する。当たり前といえば当たり前だが、そのために企画書を作り、人脈を広げ、スポンサーの獲得に励むのである。これは大変な芸当だと気づかされた。

営業マン、プロデューサー、出演者……何役も兼ねた自分の登山スタイルを、栗城さんはこう表現した。

「これは総合格闘技ですね」

彼が放つキャッチコピーにはキレがあった。

■講演会で必ず披露した「夢は叶う」というネタ

冴えていたのは、講演の場でも同様だった。

栗城さんのもとには、学校、医師会や弁護士会、そして様々な業種の企業から講演依頼が相次いでいた。講演後は色紙に「無酸素 栗城史多」とサインを書く。「登山家」と書くより「無酸素」と書く方が目に飛び込むインパクトが大きい。こうした細かな自己演出も巧みだった。

ある企業の営業セミナーに招かれたときのことだ。私が会場に入ると、栗城さんは控え室で企業側の担当社員と名刺交換をしていた。

「営業セミナーなんて、一体何を話せばいいんでしょうか?」と困ったような顔を見せていたが、いざ登壇すると──。

「ボクはいろんな企業さんを回らせていただきますけど、いきなりお金を出してもらおうなんて考えないんですね。まずその方と友だちになりたい、って思うんです。皆さんボクよりずっと人生経験があるし、お会いしていろいろ学ばせていただけます。山の資金につながらなくてもボクは満足です。仲良くなりたいという素直な心が営業の原点だと、ボクは考えています」

栗城流営業哲学を堂々と語ってみせた。自分に声をかけてくれたのがどんな団体で、今日はどんな話を求められているのか? TPOに合わせて機転を利かせるのだ。

反対に、必ず披露する鉄板ネタもあった。「夢は叶う」という話も、その一つだ。

「ボクの夢は単独無酸素で七大陸の最高峰に登ることなんですが、この夢をボクはできるだけたくさんの人にしゃべりたいんです。夢は口に出すことが大事なんです」

彼はいつも、ここで少し間を取る。そして、

「口で十回唱えれば、叶う、という字になりますから」

「ほう!」とか、「うまい」「なるほど」といった声が客席から上がる。拍手も起きる。

■栗城さんの成功哲学の「元ネタ」

後々気づくことになるのだが、栗城さんの講演術は「師匠」の大きな影響を受けていたのだ。

「人財育成コンサルタント」として活動するKさんだ。

Kさんは国際線の客室乗務員として日本航空に30年勤務し、世界中のVIPをもてなしてきた。その経験を基に「成功とは成幸である」という独自の成功哲学を樹立した。様々な自己啓発本も出版している。Kさんの講演では、しばしば言葉遊びが披露される。

「絶対やるぞ、という思いは、『心』に、くさび、を打ち込むこと。『必』ず、という文字になります」
「『愛』という漢字は、まず『受』ける。何を? 相手の『心』を真ん中に」
「『米』を食って胃の中で消化されて『異』なるものが出てくる。すなわち『糞』です」
「何かを『十』年間『立』つ(断つ)のは『辛』い。でもこれを『一』途にやり通しちゃうと『幸(しあわせ)』になる」

栗城さんの「夢は、口で十回唱えると、叶う」は、師匠にならって、大好きな「夢」にひっかけた言葉遊びができないか思案したのだろう。

■自身を「わらしべ登山家」と称した理由

栗城さんとの出会いを、Kさんは自身の著書にも綴っている。2007年9月、著名な旅行会社の経営者との講演会の場だった。栗城さんが会場で、南極大陸最高峰ビンソンマシフに再挑戦するための遠征資金を募っていた。

「『南極へは船も飛行機も定期便はいっさいありません。(中略)マゼラン海峡近くのチリ最南端にあるプンタアレナスの町から、軍用機をチャーターするしかないんです。(中略)一人当たり400万円もする。だから、今回は誰かにカンパしてもらわないと、南極は難局になるんですよ』。栗城君は、白い歯を見せてハハハッと軽く笑い飛ばす。なんとも陽気な、能天気といったほうがぴったりの不思議な青年であった。私も酔った勢いで言ってしまった。よっしゃあ、まかしたれ!」(Kさんの著書より)

1万円札
写真=iStock.com/liebre
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/liebre

栗城さんを気に入ったKさんは、自身が主催する勉強会に彼を呼ぶようになった。各界の重鎮にも引き合わせた。Kさんに見せてもらった写真では、国土交通大臣や世界的なメーカーの会長など錚々たる人たちを間に挟んで2人が笑顔を見せていた。首相夫人だった安倍昭恵氏と撮った写真もあった。

一つの出会いが次につながるコネとなり、そのコネが更に太いパイプとなる。支援者やスポンサーのネットワークが広がっていく様を、栗城さんはこう表現した。

「ボク、わらしべ登山家、なんですよ」

■資金集めのためならアムウェイ主催の講演会にも顔を出す

一方で、そんな栗城さんに懸念を抱く人もいた。大学時代から彼を知るBさんは言う。

「栗城君が大学を卒業した後、2007年か8年だったと思うんですけど、札幌で開かれた彼の講演会をのぞいたんです。主催者の名義は札幌の夫婦でしたが、ネットで検索してみたら『日本アムウェイ』のディストリビューターでした。私はマルチビジネスの勧誘が嫌いなので、そのときは栗城君に忠告しました。『商売や政治の色がついているところをスポンサーにすると面倒だよ』って。そのときは『はい』と答えていましたけど、その手の講演は増えていったみたいですね」

アムウェイは日用品や化粧品、サプリメントなど様々な商品を「連鎖販売取引」する企業だ。1959年にアメリカで生まれ、日本を含む世界各国に拠点を持つ。登録した個人事業主が、年会費を支払って「ディストリビューター」(価格を自由に決められる卸売業者)となり、仕入れた商品を小売りして利益を得るシステムである。マルチ商法とかマルチビジネス、ネットワークビジネス、とも呼ばれる。

違法ではないが、「料理教室と思って行ってみたら、アムウェイの家電やキッチン用品のセールスだった」といった類のトラブルも起きている。そのため、その営業活動には「特定商取引法」で、「勧誘する際には先立って、勧誘者の名称を明示しなければならない」「相手方にとって特定の負担を伴う取引であることを告げなければならない」「一度断られた人を再度勧誘してはならない」など様々な制限が課せられている。

アムウェイに限らず連鎖販売取引の事業はたくさんあり、ディストリビューター向けの月刊誌まである。

■1回の講演で100万円を超える報酬を得たことも

2010年、栗城さんがエベレストに2回目の挑戦をしたとき、彼とのツーショット写真を撮るためにわざわざベースキャンプ(BC)までやって来た日本人がいた。50代の女性だった。それまで勤めていた会社をやめて、日本アムウェイのディストリビューターとして活動していくので、「その前に元気をもらいに来ました」と笑顔で語ったという。このとき栗城さんに同行した森下亮太郎さんの証言だ。

大変な費用と労力をかけて撮影したツーショット写真だ。彼女の営業活動に使われた可能性は高いだろう。

事務所の児玉佐文さんは振り返る。

「講演には各地のアムウェイ関係者が来てましたし、『次はうちでもお願いします』という流れになることもあります。アムウェイ関係のギャラの規定がいくらだったか正確には知りませんが、彼の講演では50万円もらったこともあれば100万円を超えたときもありました」

私は「日本アムウェイ」の広報に、栗城さんが「日本アムウェイ」の講演会に出るようになった時期やきっかけ、講演料を尋ねたが、「講演には弊社が企画したものもあれば、ディストリビューターの方々が企画したものもあり、回答は差し控えさせていただきます。ギャラについては非公開となっております」とのことだった。

栗城さんと講演会で何度も一緒になったY氏は、かつてアムウェイのカリスマ・ディストリビューターだった。1965年生まれのY氏は大学在学中にディストリビューターとなり、20歳で1500万円を超える年収を得たという。現在は作家や画家として作品を発表する一方、「─夢─実現プロデューサー」としての活動も行なっている。

■マルチビジネスの関係者からの応援メッセージ

2人の出会いは2008年7月、静岡の熱海で開かれた「夢合宿セミナー」だった。栗城さんが千歳の「大将」石崎道裕さんに誘われて入会した「日本アホ会」のメンバーが主催したものだ。「スペシャル変人」として7人の講師が集まったが、その1人が栗城さんだった。のちに親交を深める元お笑いタレントのT氏も参加している。

このセミナーのことは、私も栗城さんから聞いていた。

「熱海に行って来たんですけど、メチャクチャ盛り上がりました! すごい人たちと夢を語り合って、もう興奮しまくりでしたよ!」

このセミナーで栗城さんはY氏らと意気投合した。

2009年ごろに栗城さんの東京事務所を手伝っていた、Cさんという女性がいる。私も当時、電話やメールで複数回やりとりをし、東京で一度会ったこともあるが、彼女はY氏のスタッフだった。1人で手が回らない栗城さんのために、自分のスタッフを貸し出すほどの仲だったことがうかがえる。

山﨑氏に栗城さんへの思いを聞きたかったが、取材は叶わなかった。

「色がついたところをスポンサーにすべきではない」と栗城さんに忠告した先述のBさんは、その後、札幌から本州方面に転居した。2012年の夏、居住する地域で栗城さんの講演会が開催されることを知り、久しぶりに会いたい、と会場に足を運んだ。

「ところが、講演の前、スクリーンに映像が流れて、元お笑いタレントのT氏が栗城君を応援するコメントを叫んでいたんです。彼はマルチビジネスの関係者として有名ですし、集まった人たちもどこかの宗教の信者のような、私の苦手なタイプでした。栗城君に挨拶するのもやめて、話だけ聞いて退散しました」

T氏は、マルチビジネスについて自身のブログにこう綴っている。

「自分が頑張ったぶんだけお金が入るという厳しいシステムは人を育てる。なかには強引にうりつけて問題を起こす人もいるだろう。でも、それは、ネットワークビジネスだけでなく、どんな仕事だって起こりうることだ」

T氏にも取材を申し込んだが、「今回はお断りします」との回答だった。

■「単独無酸素での七大陸最高峰登頂」は誤解を与える

私はここでマルチビジネスの是非を論じたいわけではない。その世界で誠実に業務を行なっている人はごまんといる。私の知人も女性用下着のディストリビューターで、ヤンチャな息子を、手を焼きながらも育て上げた。ただ、栗城さんの言動にはマルチビジネスの世界の影響が色濃く表れていることを、ここで確認しておきたいのだ。

相手に夢や元気を与えることも大事だろうが、相手に誤解を与えないよう努力することは更に重要であり、人と接するときの基本である。特にビジネスにおいては。

「単独無酸素での七大陸最高峰登頂」という彼の言葉には勢いがある。だが、誤解も与える。事実、私は誤解した。私の誤解を解く努力を彼はしなかった。彼のスポンサーや講演の聴衆も、私と同じように誤解した可能性がある。永遠に誤解したままかもしれない。

栗城さんは自著の中で、彼が共鳴する近江商人の「三方よし」の経営哲学を引用している(『一歩を越える勇気』)。

「商売とは『売り手よし、買い手よし、世間よし』である」

しかし、売り手が勢いに任せて行動するだけでは「買い手よし」にも「世間よし」にもならないはずだ。イケイケ感や甘美な言葉の裏側でおざなりになる「配慮」と「ケア」……マルチビジネスの世界が抱える課題は、そのまま栗城さんの危うさでもあった。今思えば、「わらしべ登山家」というネーミングも「連鎖販売取引」とイメージが重なる。

■栗城さんをエベレストに運ぶ五つの潮流

栗城さんの講演会を取材すると、私も流れの中で主催者や来場者と少なくとも3、40枚程度は名刺を交換することになる。すると早ければその晩、もしくは翌日に、その人たちから個別にメールが入る。

「本日(昨日)はありがとうございました」に始まって、自身もしくは自社のPR、今後の予定、「次は個別に飲みましょう」という誘いがあり、最後は自身のキャッチフレーズ、たとえば「人生に奇跡を!」「笑うあなたに福来たる!」「メイキャップ・ユアセルフ!」「自分を解放! 宣言」「笑って死ぬため今は泣く」……で締めくくる。

河野啓『デス・ゾーン』(集英社文庫)
河野啓『デス・ゾーン』(集英社文庫)

初めは1時間半から2時間かけてすべてのメールに返信したが、とても身が持たない。以後、ダンマリを決め込んだ。参加者の「イケイケ」モードが楽しめる人、そこに利益を生み出す人はいいのだろうが、私は正直「元気を奪われていく」と感じることがあった。

私の知る限りでは、栗城さんの営業ネットワークは5系統あった。

初期の応援団長だった札幌の某弁護士の人脈(2009年ごろ、弁護士本人とは交流が途絶えた)、札幌国際大学の和田忠久教授のつながり、日本アホ会の個性派グループ、日本アムウェイの関係者、そして講演の手本にしたKさんのパイプ。

この五つの水脈に、栗城さん自身が発掘した支流が合流し、滔々たる大河の流れとなって、彼をエベレストへと運んでいくのだ。

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河野 啓(こうの・さとし)
北海道放送ディレクター
1963年愛媛県生まれ。北海道大学法学部卒業。1987年北海道放送入社。ディレクターとして、ドキュメンタリー、ドラマ、情報番組などを制作。高校中退者や不登校の生徒を受け入れる北星学園余市高校を取材したシリーズ番組[「学校とは何か?」(放送文化基金賞本賞)、「ツッパリ教師の卒業式」(日本民間放送連盟賞)など]を担当。著書に『北緯43度の雪 もうひとつの中国とオリンピック』(小学館。第18回小学館ノンフィクション大賞、第23回ミズノスポーツライター賞優秀賞)。

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(北海道放送ディレクター 河野 啓)

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