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なぜ警察は助けを求める人を見殺しにするのか…「博多ストーカー殺人事件」を防げなかった根本原因

プレジデントオンライン / 2023年2月2日 17時15分

女性が襲われた現場付近で指紋などを採取する警察官=2023年1月16日、福岡市博多区 - 写真=時事通信フォト

■「女性のほうも悪かった」と自己弁護

ストーカー殺人事件はなぜなくならないのか。

2000年にストーカー規制法が成立し、2021年には「EメールやSNSメッセージの連続した送信」や「転送を前提にして空の封筒にGPS機器を入れ、送付して住所を調べる、宅配便を送り受領通知を受けることで行動を把握するといったケース」も処罰の対象にする改正が行われた。

だが、警察には年間2万件、一日50件以上の相談が寄せられ、相談に行かない人を含めると大変な数の被害者がいると思われる。

今年の1月16日夕刻、川野美樹さん(当時38歳)が、JR博多駅前の路上で頭や胸など10カ所を刺され、帰らぬ人となってしまった。

週刊文春(2月2日号、以下文春)は、なぜこの事件が起きてしまったのかを詳細に報じているので見てみたい。

川野さんは福岡県那珂川市の会社員で、11歳の娘を持つシングルマザーだった。

事件から2日後に逮捕されたのは元交際相手の飲食店店員・寺内進容疑者(31)。

「寺内は『復縁を求めたが、かなわずに刺した』と動機を語る一方、『女性のほうも悪かった』と自己を正当化する供述をしている」(社会部記者)

文春によれば、川野さんは愛知県名古屋市に生まれたが、彼女が幼い頃に両親が離婚して、女手一つで育てられたそうだ。

母親は自宅でエステ店を開き、彼女は歌が上手くて評判の美少女だった。

■名門アクターズスクールに入所するも…

中学生になると、

「安室ちゃんみたいに、歌って踊れるアーティストになりたい」

という夢を持つ。友人の前で安室奈美恵の『CAN YOU CELEBRATE?』を歌うと拍手喝采されたという。

そんな彼女が、沖縄のアクターズスクールに入学したいと思うようになるのは必然だった。

中学卒業後、単身で安室奈美恵やSPEEDを輩出した念願のアクターズスクールに入った。

「恩納村のムーンビーチにあった、アクターズスクール系のインターナショナル・スクール『ドリームプラネット』に通いながら日々、レッスンを受けていました。

同期は三十~五十人。美樹ちゃんは県外から来ているだけあって、エネルギーとやる気に満ち溢れ、いつも輪の中心にいた。仲間思いで誰からも慕われ、人気者でしたね」(当時の恩師)

同じ志を持った仲間と、休日は北谷町や名護市に遊びに出かけ、夢を語り合った。だが、1年余りスクールに通ったが、歌手デビューすることは叶わなかった。

歌手になる夢を諦めて、彼女が向かった先は東京だった。

下町にある家賃約6万円の単身者用マンションから、東京の狭い空を見上げて何を思ったのだろう。

「東京への憧れも強かったのでしょう。といっても働き口はなく、当時はキャバクラで働いて生計を立てていました。美人なので人気があり、彼氏にも困らなかった」(名古屋時代の知人)

母親は福岡県出身の男性と再婚して、名古屋を離れ福岡で暮らし始めたが、その結婚生活は楽ではなかったという。

■結婚するもほどなく離婚し、福岡へ

彼女も東京を離れる時が来た。大阪府出身の男性と結婚したのだ。2011年に長女を出産。大阪府岸和田市に移り、母親と娘3人で、東京ディズニーランドへ旅行したのは、娘が2歳の誕生日を迎える頃だったという。

だが、結婚生活は長くは続かず、数年後に離婚。母親と同じシングルマザーの道を選び、佐川急便に事務職として勤務しながら生きることになる。

「苦労はしていたが、いつも笑顔でイキイキしていた。ただ、お酒が好きで、呂律が回らなくなるまで飲むこともあった」(元夫の友人)

生きていく苦しさを酒で紛らわせていたのだろうか。

約6年前、家族ぐるみで付き合っていた友人に彼女から電話が入る。娘を育てながらの生活は大変だから、母親のいる福岡へ行くというのだ。

母親は快く娘を受け入れてくれたという。住まいは福岡市から少し離れた那珂川市にある2階建ての賃貸住宅。

彼女には歌手とは別にもう一つの夢があった。母親がエステ業界に関わっていたため、彼女も「人を綺麗にすることが好き」だったという。

自宅から歩いて行けるマンションの一室を借り、200万円以上のローンを組み、大阪府にあるエステチェーンのフランチャイズ店を開いたのだ。

だが、思惑通りにはいかず、コロナ蔓延という不幸な事態もあったためか、初期投資が回収できず間もなく店を畳んでしまった。

2020年8月に破産手続きをして、翌年4月には自己破産。

生活を立て直すために彼女が足を向けたのは、九州一の歓楽街・中洲の高級クラブ「S」だった。

■寺内容疑者は「突然キレて物を投げたり、どついたり…」

昼間は派遣会社で働き、夜は蝶として舞い、週末は子育て。楽しみは大のファンである中日ドラゴンズの応援と、娘と一緒に通うジムだったという。

娘とお揃(そろ)いのドラゴンズのユニフォームを着て、仲よくトレーニングする写真が、友人限定のフェイスブックに上げられた。

娘との笑顔の写真。思い出の沖縄にも、たびたび娘を連れて訪れていたそうである。

だが、川野さんが昨年春、中洲のバー「X」で寺内と出会ったことで大きく人生が暗転する。

「茶色の短髪に鋭く切り込んだ細い眉。関西弁を操るアヒル口の男が寺内だった」(文春)

この店は「S」の系列店で、昨年1月に店を辞めていたが、時々ヘルプで店に入ることもあり、「X」のようなバーに遊びに行くこともあったという。

寺内は1991年8月生まれ。大阪市福島区で、父親が働く運輸会社の寮で育った。母親はラウンジで働いていて夜はいない。父親もほとんど家にいなかったそうだ。

そんな寺内は中学進学後に変わってきたという。

「友達の家で突然キレて物を投げたり、どついたりして喧嘩を始める。中学はお弁当だったけど、彼はいつもファミリーマートのおにぎり。部活はしてなかったが、ボクシングを習っていた」(学校関係者)

目が合っただけで殴られた生徒もいた。日に日に暴力沙汰を起こす寺内は、教師にも牙をむいた。

■「俺のバックには山健組がいとるんや」

「ボクシングの強豪校に推薦が決まっていたけど、教頭先生を殴って推薦が飛んだんですわ。学校が被害届を出し、更生施設送りになったと校内で噂が立った。実際、三年生の大半は学校に来ていなかった」(同)

地元の高校に進むも中退した寺内は、大阪市中央卸売市場に勤め始めるが、祭りですれ違った同級生に対して、

「お前、金持ってるか。俺のバックには神戸の山健組がいとるんや」

と凄んだという。

髪を金色に染め、バラのタトゥーを右胸に刻んで、どっぷり夜の世界に浸かっていった。

バーでワイングラスの後ろに
写真=iStock.com/Nikada
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Nikada

「十三年、大坂のショーパブ『K』に二十歳そこそこの寺内が入店してきた。すると直後、酔って先輩従業員に暴行したのです。警察沙汰にはしなかったものの、本社のある東京で教育し直すことに。ところが、指導を厳しく感じたのか、あいつは二~三カ月で飛んでしまった」(元同店経営者)

逃げるように大坂に舞い戻った寺内はさまざまな飲食店を渡り歩いたという。

2015年3月、窃盗容疑で大阪府警に逮捕される。そんな寺内を拾ったのは兵庫県内のキャバクラだった。

黒服として働いていたが、見かけによらずレディファーストだったという。女性には一途で、高級バッグをプレゼントしたりしていたそうだが、信じられないほど幼稚な面があったという。

■「自分は別れていない。許さんぞ」

当時の交際相手はこう語っている。

「束縛が激しく、携帯を盗み見るなんて日常。友達と遊びに行くときは、いつでも連絡できるようにしておかないと彼は怒り狂うから、遊びにも行けへんかった」

その過度な束縛癖が嫌になり、彼女は警察に相談に行ったという。しかし、別れた後も家に来て、「別れてない」としつこくいい続けたそうだ。

大阪市東淀川区に知人と一緒に「ぼったくりバー」をオープンさせたが、数カ月で潰れた。

周囲に「人生をやり直す」といって、縁もゆかりもない九州へ飛び立ち、鹿児島や熊本を経て、福岡の地に足を踏み入れたのは約1年前だったそうである。

そして昨年春、川野さんと知り合い、交際を始めたという。男と女というものは不思議なものだ。寺内のどこに彼女は惹かれたのだろう。

だが寺内は本性を現し、彼女を束縛していく。寺内の言動に危険を感じた彼女が、初めて福岡県警に相談に行ったのは昨年の10月21日のことだった。

「携帯電話を盗られた。相手とも別れたい」

切羽詰まった様子で被害を訴え、その翌日、寺内に別れを告げたという。だが寺内は、「自分は別れていない。許さんぞ」と繰り返した。

10月24日に警察から警告を受け、それでも、寺内が彼女の職場に押しかけたり、電話をしたり、つきまとい行為を止めなかったため、11月26日に春日署はストーカー規制法に基づく禁止命令を出した。

■福岡県警の対応に問題はなかったのか

川野さんは勤務先の人材派遣会社で昇進が決まり、喜んでいたそうだ。11歳になった娘を絵画教室に送り迎えする姿は、幸せそのものに見えたという。

だがその幸せを、寺内の刃渡り20センチの刃物が切り裂いてしまったのである。

周囲を明るく照らす太陽のようだった彼女は、生きていれば39歳の誕生日だった日に、親しい友人らに囲まれて荼毘に付された。

文春は触れていないが、川野さんから相談を受けた福岡県警と那珂川市を管轄する春日署の事件対応に問題はなかったのだろうか。

たしかに、寺内の逮捕歴や威嚇、粗暴な性格などを鑑(かんが)みて、規制法に基づいて接近禁止令を出し、本人にも伝えたようだが、これまでの事例を見ても分かるように、「法的対応を受けることで動揺して不安を強めたり、逆恨みしたりする恐れもある」(産経新聞1/19〈木〉20:49配信)のだ。

私事で恐縮だが、はるか昔、私が月刊現代という部署にいるとき、講談社の女性社員から、妹が右翼で暴力団員を名乗る男に付きまとわれ、困っていると相談を受けたことがあった。

私は友人の右翼の大物に相談して、その男と対峙しようとなった。だが、それを察知した男は、娘ではなく身体の悪い父親を自宅から拉致し、どこかに監禁してしまったのだ。

当時はストーカー規制法などない時代で、娘が警察に相談に行っても、「民事不介入」を盾に動いてくれない。

■毎年のように何度も起きている

私と彼で、男のヤサを探し出して踏み込んだ。父親が縛られて地下室にいるのを見つけたが、男は逃げた後だった。ストーカーではなく父親の拉致・監禁罪で訴え、男は捕まった。だが、出てきたらまた同じことを繰り返すのではないかと数年、彼女と連絡を取り続けた。

今は規制法ができたために、当時よりはよくなったと思うが、今回のようなストーカー行為から殺人事件に至る悲劇は毎年のように何度も起きている。

朝日新聞デジタルで「ストーカー殺人」で検索すると、いくつも出てくる。

小金井ストーカー殺人未遂事件(2016年5月21日)。芸能活動を行っていた女性のファンを自称する男が、ライブハウスで彼女を刺殺しようとした。

2018年2月6日。フィリピン国籍の女性をストーカーしていた男が刃物を持って家に押し入り、一家3人を襲撃して家に火をつけた。

2020年6月。静岡県沼津市の女子大生が、同じ大学に通う21歳の男に腹や首などを刺されて殺害された。好意を抱き、一方的にLINEを送ったがブロックされたことで、「生きがいを奪われた」と逆恨みしたという。

2020年8月30日。東京中野区の38歳の女性が、元交際相手に殺害された。男はすぐカッとする性格で、別れを切り出すと、「死ぬ」「恨んでやる」というメールを送り付け、彼女の首を絞めたり殴ったりする傷害容疑で書類送検されていた。警視庁からも注意を受けていたが、犯行を止めることはできなかった。

■ストーカー規制法のきっかけになった「桶川事件」

こうして見てくると、相手が一方的に好意を持ち、ストーカー行為をしてくると、女性の側(男性の場合もあるが)は、周囲に彼女を守ってくれる人間や、まれに、親身になってくれる警察官に出会えないと、自分の身を守ることは不可能かもしれないと思えてくる。

よくいわれることだが、法的な対応だけではなく、臨床心理士の面談などを通して加害者の心の問題にもアプローチしないと、根本的な解決にはならない。

しかし、今回の事件の寺内容疑者のように、粗暴で独占欲の強い人間が相手では、決め手になるとは思えない。

女性に対する家庭内暴力の男は拳の黒と白のイメージを握りしめた
写真=iStock.com/Paul Gorvett
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Paul Gorvett

よく知られているように、ストーカー規制法ができたきっかけは、埼玉県桶川市で起きた女子大生殺人事件だった。

1999年10月に女子大生の猪野詩織さん(当時21歳)がJR高崎線桶川駅前で刺殺されるという事件が起きた。

当時写真週刊誌FOCUSの記者だった清水潔さんは、偶然、取材中に詩織さんと親しかった友人2人と知り合った。

2人から「詩織は小松(犯人)と警察に殺された」と聞き、詩織さんは「私が殺されたら犯人は小松」という遺言を残していたことを知る。

詩織さんは、小松(最初は偽名)とゲーセンで知り合い、付き合うようになった。自称青年実業家の小松は、高価なものをプレゼントしてくれた。

■別れを切り出すと「徹底的にお前を潰す」

だが、そのうち態度が怪しくなり、「プレゼントの代金を払え、払えないならソープに行って働いて金を稼げ」と脅すようになった。

詩織さんは別れてほしいと何度も切り出したが、「別れるというのなら、徹底的にお前を叩き潰す」といい出し、見知らぬ男たちに尾行され、2人組が家に乗り込んできたこともあった。

家族と話し合った結果、埼玉県警上尾警察署に出向いて、相談する。だが刑事たちは、「これは事件にならない」「男と女の問題だから警察は立ち入れない」というばかり。

警察が何もしてくれないうちに事態は悪化していく。都内で彼女の写真入りのカードがバラまかれた。そこには「援助交際OK」と彼女の自宅の電話番号が書かれていた。

父親の会社に、根も葉もない中傷の匿名手紙が千通も送られてきた。そこで詩織さんは、このままでは殺されると思い立ち、警察に動いてもらうために刑事告訴することを決意する。だが警察は動かないばかりか、驚くことに、彼女の家に刑事が来て、「告訴を取り下げてほしい」といったのである。

そして惨劇が起こった。

■12人が処分を受ける前代未聞の事態に

清水記者は、小松が池袋の性風俗店のオーナーであることを突き止め、実行犯も特定して撮影することに成功する。それらの情報を上尾署に伝えるが、動かない。

ようやく警察が動いて共犯者3人を逮捕したのは撮影してから3週間がたってからだった。主犯の小松は翌年の1月、道東の屈斜路湖で自殺体として発見された。

しかし、それだけでは終わらなかった。警察は告訴を取り下げるよういってきただけではなく、捜査や報告義務が必要になる「告訴状」を、面倒なために「被害届」に改竄していたことまで明るみに出たのである。

新聞、テレビはその間、警察から情報をもらって、彼らのいいなりに嘘情報を垂れ流していた。

「結局、改竄に関わった警察官三人は懲戒免職となり、虚偽公文書作成などの容疑で刑事責任も問われることになった。また、県警本部長を含む十二人が処分を受けるという前代未聞の事態となった」(清水潔『騙されてたまるか 調査報道の裏側』新潮新書)

これは調査報道の「金字塔」としていまだに語り継がれている。

尊い命が失われたことをきっかけにできたのがストーカー規制法である。

この法律ができたために思わぬ副作用もあった。週刊誌の記者たちは取材者を追いかけ回したり、家の周りをうろうろできなくなったりしてしまったのだ。相手がストーカーだと警察に訴えれば、排除されてしまうからである。

■法律があれば犯罪がなくなると錯覚しているのか

この規制法、何度も改正もしてきているが、ストーカー殺人を根絶するところまでいかないのはなぜなのだろう。

私は、警察がいまだに民事不介入のしっぽを残し、ストーカーもそうだが、家庭内の子どものDV被害にも消極的だからではないかと考えている。

それに、私の住んでいるような下町でも、警察官の巡回が少なくなったと感じている。

国家防衛という名目でテロ対策のような大犯罪に人を割かれ、昔のように「おまわりさん」として、近所を回って年寄りと話し込むというような余裕がないのであろう。

おまわりさんから警察官。そのうち特高警察となるのではないかと危惧している。ストーカーのような犯罪は、被害者に寄り添って、親身になってやらなければ、被害を防ぐことはできない。

法律だけ作れば犯罪がなくなるとでも錯覚しているのではないか。今度の事件を機に、いま一度原点に返り、ストーカー被害者を救うために何ができるのか、警察やメディアが共に、真剣に考えるべきだと、私は思う。

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元木 昌彦(もとき・まさひこ)
ジャーナリスト
1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任する。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)『編集者の教室』(徳間書店)『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)、近著に『野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想』(現代書館)などがある。

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(ジャーナリスト 元木 昌彦)

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