「女は結婚したら実家を離れる」は日本古来の伝統ではない…男が家を継ぐようになった歴史的理由
プレジデントオンライン / 2023年2月13日 17時15分
※本稿は、大塚ひかり『ジェンダーレスの日本史 古典で知る驚きの性』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。
■なぜ古代の日本女性には力があったのか
経済を掌握していることは、男女を問わず、力の源です。
太古、首長が男女半々だった理由にはさまざまなものがあるのでしょうが、鎌倉時代に至っても“女人入眼ノ日本国”ということばが伝えられていたほど、日本の女に力があったのは、財産権が強かったからにほかなりません。
古代においては、「親の財産は兄弟姉妹間に均等に分割されるという当時の家産相続上の慣行」があり(関口裕子『日本古代女性史の研究』)、それは女の相続が生きている一代限りのあいだだけとなる鎌倉中・後期になるまで続いていました。
古代から中世にかけては女子にも男子と対等な相続権があったのです。
それどころか、『源氏物語』や『栄花物語』(正編1029〜33ころ、続編1092以降)といった平安文学を読むと、少なくとも貴族社会では、家土地に関してはむしろ女子の相続権が強い印象です。
■貴族社会では新婚家庭の経済は妻方が担っていた
そしてそこには、当時の結婚形態が関係している。
貴族社会では、男が女の家に通い、新婚家庭の経済は妻方が担い、衣服を調達して、婿の出世の助けをするのが普通でした。藤原道長は源倫子と結婚すると、倫子の実家に通い、その邸宅である土御門(つちみかど)殿は倫子と道長のものになり、天皇家に入内した彰子ら娘たちの里邸となって、生まれた天皇たちの里内裏ともなります。『紫式部日記』(1010)は、彰子がお産で帰邸していた土御門殿が、秋の気配が深まるにつれ、言いようもなく風情があるというシーンから始まります。
家財産のある娘と結婚すれば、男はそこに住み、使うことができるわけで、逆にいえばそういう資産のない女は惨めなことにもなります。
■「土地は? 車は?」財産がなければ美人でも近寄らない
『源氏物語』より少し前に書かれた『うつほ物語』(10世紀後半)には、
(“今の世の男は、まづ人を得むとては、ともかくも、『父母はありや、家所はありや、洗はひ、綻びはしつべしや、供の人にものはくれ、馬、牛は飼ひてむや』と問ひ聞く”)
(「嵯峨の院」巻)
という一節があります。親や家土地や車はあるの? 身の回りの世話はしてくれるの? 俺のお供にチップはくれるの? というわけで、どんなに美人でもそれらがなければ、男は、
“あたりの土をだに踏まず”
という有様だったといいます。
娘は結婚しても基本的には家を離れぬ上に(子どもがあるていど生まれると夫婦は独立することが多い)、娘を入内させ、生まれた皇子を皇位につけてその後見役として一族が繁栄していた当時、大貴族は男子より女子の誕生を望み、同じ『うつほ物語』には女子の誕生を期待して、「女の子のための蔵」(“女の蔵”)(「蔵開下」巻)を用意している親まで登場します。
■夫の召使いの世話までできる財力がないと結婚が続かない
大貴族でなくとも、女が新婚家庭の経済を担うという傾向は平安末期まで続いたと見え、そのころ成立した『今昔物語集』にはこんな話が語られています。
越前の敦賀に住む女が、財産もないため、結婚しても夫が去っていくということを繰り返し、やがて両親も死に、ひとりぼっちになった。領地もなく、使用人は一人もいなくなり、衣食にも事欠くようになったため、昔、両親が家の後ろに作ってくれたお堂の観音に祈った。すると夢に老僧が現れ、そのお告げ通り良い男が訪れ、夜を過ごすものの、男の召使20人に食べさせる食事も馬の餌もない。途方に暮れていたところ、昔、彼女の両親が使っていた女の娘と称する者が突如現れ、食事やら何やらを用意してくれた。
お礼の品もない女は、自分は男の白袴を着け、助けてくれた女に、自分の着ていた紅の袴を与えた。翌日、いつも祈っていた観音を見ると、彼女が与えた紅の袴が肩に掛かっていたため、観音の助けと分かった。女は男にいきさつを話し、その後は男の領地である美濃で暮らし、多くの子を生んで、敦賀にもしじゅう出かけて観音にお仕えしたのでした(巻第十六第七)。
この話から分かるのは、新婚家庭では、男の供の者への食事の用意や馬の世話などは、妻方がしていたということです。そうしたことができないと、たとえ結婚できたとしても続かないわけで、平安中期の『うつほ物語』に書かれた“今の世の男”の有様を裏付ける説話といえます。
■親からの財産だけでなく夫の死後はすべてを譲り受ける
平安時代から鎌倉初期にかけては、このように女子の相続権は強く、それゆえ経済的負担も、その責任も重いものでした。
武士の世界でもそれは同様で、『御成敗式目』(1232年制定)などの武家法によって、
「財産と地位を強力に保護されていた」(五味文彦「女性所領と家」女性史総合研究会編『日本女性史』第2巻所収)
財産は、男女を問わず相続できて、しかも母方・父方の双方から相続したので、たとえ父から義絶されていても、母からの相続権は維持されてもいました(西谷正浩『中世は核家族だったのか 民衆の暮らしと生き方』)。
しかも女子は、親から譲られた所領・財産のみならず、夫から譲られた所領・財産を持ち、夫の死後は、「家屋敷や所領などの財産をすべて管領し、子供たちを監督し、譲与を行なう、強い存在」(野村育世『北条政子 尼将軍の時代』)だったのです。
■女子が結婚で家を離れる鎌倉中期から相続権が低下した
それに変化が訪れるのが鎌倉中期でした。男女均等だった相続が、「鎌倉中期、女性に対する財産相続がその女性一代に限られる一期分的相続が始まる」(関口氏前掲書)のです。
一期分とは、生きている期間は所有できるものの、死後は実家なり一族の代表者なりに返さなければならないということです。それまでは、女子も男子同様、親から所領を譲られれば、それを婚家で生まれた子らに相続させることができたのが、鎌倉中期から後期になると、できなくなったのです。
理由は、「所領の他家への流出」(五味氏前掲論文)を防ぐため。結婚によって一族から離れた女子に所領を譲ったままにすれば、先祖伝来の所領が流出してしまう。そこで、女子の生きている一代限り、「一期分」だけということになったのです。
平安貴族の新婚家庭のように、女子が結婚しても婚家を離れなければこういうことは起きなかったわけで、結婚形態と女子の相続権が密接に関わっていることが分かります。
■「長男」とそれ以外の立場が変わった武家の時代
女子の相続は「一期分」というのは、貴族社会でも12世紀中ごろ、平安末期あたりから見られたことで、とくに寺領や神領に関する所領が多かったといいます。神事や仏事を負担する者は選別されなくてはいけないという考え方からで、鎌倉後期の武家社会での女子一期分相続も、女子は所領に伴う武芸などの公事といった責任を果たすことができないというので、進んでいったらしいのです(五味氏前掲論文)。
女子の一期分相続と共に出てきたのが「惣領」と呼ばれる、家を継ぐ誰か一人が、所領とそこから生じる義務や責任をも背負う「単独相続」です。それもこれも、「他家への所領の流出や所領の細分化を防ぐ目的から」(同前)で、結果、「親権や惣領権に強く従属する女子、惣領に扶持される後家が生まれ、子に所領を伝えることのできない母親が生まれてくる。かつての自立して所領を知行する女性の存在はこうして失われていった」(同前)わけです。
もちろん、こうした傾向は一直線に進んだわけではなく、一進一退しながら、単独相続と、子ども全員が相続権をもつ諸子分割相続が並立しながら、徐々に惣領(嫡子)の権力が強まって、女子や次男三男の立場が弱くなっていくという形です。
つまりは父系的な「家」の観念が強まってきたわけですが、それでもなお諸子分割相続が消えなかったからこそ相続争いが続発し、全国的な規模の争いに発展したのが室町時代の応仁の乱です。
![紙本著色真如堂縁起・下巻(部分)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/5/a/1200wm/img_5a14cc1b8b3702db270419f684652ce3399160.jpg)
■将軍家を巻き込んだ相続争いだった応仁の乱
一般的に室町時代は、諸子分割相続から嫡子(正妻腹の長男)の単独相続への移行期といわれています。といっても一律に法律が施行されたわけではなく、西国は遅くまで分割相続が残るなどの地域差や、家による差がありました。
![大塚ひかり『ジェンダーレスの日本史 古典で知る驚きの性』(中公新書ラクレ)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/1/7/1200wm/img_17845089071b6dbc52c1d9cffc9996b5405966.jpg)
だからこそ、「前と違う」「うちだけなぜ」といった不満や混乱が生じ、争いが増えることになります。
この時代の主要大名は、大なり小なりそうした争いを経験しています。兄と弟、オジと甥、養子と劣り腹の実子……親族で展開する相続争いを有利にするため、姻戚関係に頼ったり、利害関係の合致する者が力を増すための同盟を組んだりしたあげく、将軍家を巻き込んで展開したのが、1467年から1477年までの長きにわたって戦われた応仁の乱です。
これをきっかけに戦国時代に突入、男の地位は高まって、女子は相続からますます弾き出されることになり、その社会的地位も低下していくのです。
■結婚の形一つにも「日本の伝統」は存在しない
というのが教科書的な経過の説明なのですが、女子の相続権が低下したのは、先にもちらっと触れたように、男が妻方に通い、新婚家庭の経済は妻方が担うというような結婚の形が、崩れてきたからでもあるでしょう。
女子が婚姻によって実家を離れなければ、実家=家土地は女子が相続する機会が当然増えるし(源雅信から娘の倫子、その子孫に伝領された土御門殿がその一例です)、逆に、嫁入婚によって実家を離れることが普通になれば、家土地を相続することは自然となくなるからです。
このように結婚の形一つとっても、長い歴史の中では変化があります。
現在、常識と思われている「日本の伝統」も、実はまったく伝統的なものでなかったりすることが、歴史を辿ると分かるのです。
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古典エッセイスト
1961年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部日本史学専攻卒。古典を題材としたエッセイを多く執筆。著書に『ブス論』『本当はエロかった昔の日本』『女系図で見る驚きの日本史』『くそじじいとくそばばあの日本史』など多数。また『源氏物語』の個人全訳も手がける(全6巻)。趣味は年表作りと系図作り。
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(古典エッセイスト 大塚 ひかり)
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