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「鈴木宗男、ハコ乗り最強説」に答えよう…私の遊説スタイルがバラエティ番組のネタになるほど激しいワケ

プレジデントオンライン / 2023年2月9日 10時15分

翌月の参院選に向けて選挙運動中の鈴木宗男氏(=2004年6月24日、札幌市) - 写真=時事通信フォト

参議院議員の鈴木宗男さんは、選挙カーから身を乗り出す「箱乗り」の遊説スタイルでよく知られている。昨年11月にはバラエティ番組の「ネタ」としても紹介された。鈴木さんは「40年前、初出馬したときからずっと続けている。時に批判を受けてもこのスタイルを貫いたのには理由がある」という――。

■初出馬以来40年間続けている

去年の11月、『水曜日のダウンタウン』(TBSテレビ)というバラエティ番組で、「鈴木宗男、ハコ乗り最強説」として、私の遊説スタイルが取り上げられました。選挙運動の時、走っている車の助手席から身を乗り出して、沿道の支持者に手を振るのが「箱乗り」。窓枠の上に腰かけて上半身だけ外に出すこともありますが、そこに足を掛けて立ち上がってしまう場合もあります。

私は昭和58年の初出馬から40年間、選挙のたびに箱乗りを続けています。考えて始めたわけではなく、自然発生的でした。ほかの候補者が、走り過ぎる車の中からチャラチャラ手を振っているのを見ても、何の感動も受けない。「あれじゃダメだ。鈴木宗男のスタイルを作らんといかん」と思った時には、もう身を乗り出していました。

この選挙に賭ける必死さ、本当に命懸けで身体を張ってやっているんですというアピールだからこそ、見る人にグッと迫るんです。箱乗りは伝説の鈴木宗男スタイルになっていますから、ほかの候補者がやっても様になりません。

「そんなものはパフォーマンスだ。選挙では政策を語るべきだ」と批判するのは、政治の本質を知らない人です。党から公認をもらって立候補した以上、訴える政策は決まっています。党が出しているパンフレットを読めばわかるのです。

政治は人です。政治家は、独自にアピールするスタイルや特徴をもっていないとダメです。他の候補者とは違う人間力と情熱を、どれだけ訴えられるかが勝負です。

■マイナス20度、時には涙を凍らせながら…

箱乗りは、長いときだと1時間ぐらい続けます。いや、体力的にはきついですよ。一番大事なのは腹筋です。上半身をねじった体勢ですから、筋肉がついていないと腰を痛めます。腕ぢからもないといけません。自分の全体重を、腕に掛けるわけですから。普段から腕立て伏せをしっかりやるとか、鍛えておかないとダメなんです。

私は日頃鍛えているおかげで、結婚式やお葬式に着る略礼服は、47年前に作ったものをいまでも着ています。女房は新しいのを買えと言いますが、体型が変わっていないので、それでじゅうぶんです。

よく対立候補の陣営が、「あれは道路交通法違反でないか」と警察へご注進に及びます。しかしおとがめを受けたことは、1回もありません。道交法は、郵便集配中の集配車や選挙運動中の選挙カーは、シートベルト着用の義務を免除しているんですよ。

危ない思いをしたことも、一切ありません。大事なのは運転手さんとの呼吸です。特に北海道の冬の選挙は、道が凍って滑ります。最初の選挙の最終日はマイナス20度でしたけど、もちろん箱乗りでした。手にはしもやけ。にじんだ涙は、凍りつきます。

■「地盤」「看板」「鞄」何も持っていなかった

そこまでやるのは、叩き上げの厳しさがあるからです。私は裸一貫。地盤・看板・鞄の「3バン」を持たないスタートでしたから。地盤とは、後援会や支持団体といった組織。看板は知名度。鞄とは資金力のことです。

中選挙区制だった頃は、同じ選挙区内で自民党の候補同士が熾烈(しれつ)に争うので、党内でも仲が悪かったものです。平成8年から小選挙区制になり、候補者同士から党と党の戦いに変わったので、いまでは看板はあまり関係ありません。選挙資金は、ポスター代など国がある程度の面倒を見てくれるので、さほどかからなくなりました。

身内の争いがなくなった分、選挙は楽です。その代わり、政治家の器量や迫力が薄れて、小粒になってしまった。競争原理が働かないから、切磋琢磨(せっさたくま)がないんです。

次第に目立つようになったのが、世襲議員です。親から「3バン」を譲られて、苦労もなく当選していくのを見れば、うらやましい限りです。

日本経済新聞が、平成8年以降の衆院選の世襲議員について調べた結果を、記事にしています(令和3年10月17日)。全候補者の中で世襲の割合は13%ですが、比例復活を含めた当選率は80%に達したそうです。新人候補の当選率をみると、非世襲が1割ほどなのに対して、世襲は6割。ついでにいえば、世襲候補は7割が自民党から出馬しているとのことでした。

■安倍元総理と岸田総理は世襲議員の成功例

最近の世襲議員を見ていると、苦労をしていない分、人の痛みがわからず、人の情けに欠ける人もいます。政治は本来、立場の弱い人や恵まれない人のためにあるんです。

一方で、世襲にも長所はあります。政治とは何かという基本を子どもの頃から学べるし、親の人脈を引き継ぐこともできるからです。

亡くなった安倍晋三元総理は、3代目でした。総理になれなかった父・晋太郎先生の苦労や政治の厳しさを間近に見て、その知見を活かしたから、天下人になれたと思います。

岸田文雄総理も、同じく3代目です。お父さんの文武さんは早くに亡くなりましたから、安倍元総理と同様、父親の達成できなかった夢を自分が果たさなければという思いの中で、生きてこられたはずです。

■15年の経験でようやく役人に太刀打ちできる

世襲議員には、世襲ならではの苦労もあるでしょう。先代が立派であるほど乗り越えるのは大変だし、どうしても比較されるのは仕方ありません。相当な覚悟と決意をもって引き継いだ人でなければ、本物の政治家にはなれません。だから伸びる人は伸びるけれども、ダメな人はダメです。血統書付きの競走馬でも、ダービーで優勝するのは大変な確率です。世襲議員だったら誰でも成功するのかと言えば、そうはいきませんね。

田中真紀子さんは当選1回で、科学技術庁長官になりました。当時、自民党と連立を組んでいた村山富市総理は人気がないから、ネームバリューのある真紀子さんを入閣させることで政権の浮揚を狙ったんです。ところが経験不足が、裏目に出てしまいました。

小泉純一郎元総理も、同じ失敗をしました。若手を大臣に起用すればイメージは新鮮だけれども、役人から見たら、当選3回までの議員なんて海のものとも山のものともわからない。この世界、最低15年は経験を積まないとダメです。そこから先が本当の勝負で、役人と太刀打ちできるようになるんです。

かつての自民党が大したものだったのは、当選5回、国会議員生活をおよそ15年続けて、初めて大臣の椅子が回ってきた。そこまでに積む経験は、大きな強みになっていました。

曇天の国会議事堂
写真=iStock.com/kanzilyou
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kanzilyou

■「父が見せられなかった景色を私が」

私の娘の貴子は、自民党に所属する衆院議員です。二世ですが、世襲ではありません。私はまだ現役だし、地盤も違うからです。2人とも比例北海道ブロック選出ですが、私の地盤は帯広と十勝で、貴子は釧路と根室なんです。

「鈴木宗男の娘」という看板はありますが、プラスとマイナスがあるでしょう。「鈴木宗男は嫌いだ」という人もいますからね。

貴子は去年が36歳の年女で、産経新聞の「吼えろ!! 寅年男・女」というシリーズの中で、インタビューを受けていました(令和4年1月15日)。記事の中で、〈私も将来、この国のリーダーを目指します〉と語っています。

〈鈴木宗男は(受託収賄などの罪で平成22年に実刑判決が確定し、服役した事件の)国策捜査で地獄を経験しました。娘としては「あれがなければ鈴木宗男はどこまで上り詰めていたのだろうか」と考えてしまう。支援者の皆さんにはもっと強い忸怩(じくじ)たる思いがあるでしょう。だから、鈴木宗男が支援者に見せられなかった景色を私が見せてあげられれば、という思いは持っています。

父は24時間365日、政治家です。子育てや子供の権利の話を聞いたことがないでしょう? 経験していないから限界があるのかな。親としては落第です(笑)。しかし、政治家としてはいつかは超えないといけない大きな山です。超えるまでは、父の使えるところを使い切ってやろうと思います〉

■2年半後に出馬するかはわからないが…

私はこのインタビューを読んで、ああ、娘は娘なりに覚悟を決めているんだなと感じました。紛れもなく私の娘だけども、二世という殻に閉じ籠るのではなく、自分で新しい世界を切り拓こうとしているんだ、と。政治家になった以上、そのくらいの気概がなければいけません。

私は今年で75歳になりますから、後期高齢者です。参議院議員としての任期は、あと2年半です。同郷で“心友”の松山千春さんは、札幌で開いた私のセミナーで「宗男さん、もう1回やらんとダメだ」とスピーチしてくれました。支援者からも「次も出れ」という声をたくさんいただきます。「まだ元気なんだから、頑張れる」と。

しかし女房に言わせれば「なんも元気でない」って。ウチの女房は厳しいんですよ。やっぱり、鈴木宗男イコール元気印です。元気がなくヨタヨタ歩く鈴木宗男は、女房にしても娘にしても見たくないでしょう。

まあ、2年半後の政治状況と、私の体力でしょうな。箱乗り? 出れば当然やりますよ。

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鈴木 宗男(すずき・むねお)
参議院議員/新党大地代表
1948年、北海道足寄町生まれ。拓殖大学政経学部卒業。1983年、衆議院議員に初当選(以後8選)。北海道・沖縄開発庁長官、内閣官房副長官、衆議院外務委員長などを歴任。2002年、斡旋収賄などの疑惑で逮捕。起訴事実を全面的に否認し、衆議院議員としては戦後最長の437日間にわたり勾留される。2003年に保釈。2005年の衆議院選挙で新党大地を旗揚げし、国政に復帰。2010年、最高裁が上告を棄却し、収監。2019年の参議院選挙で9年ぶりに国政に復帰。北方領土問題の解決をライフワークとしており、プーチン大統領が就任後、最初に会った外国の政治家である。

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(参議院議員/新党大地代表 鈴木 宗男 聞き手・構成=石井謙一郎)

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