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岸田総理が断行する"官製給料"モデル…企業の新賃金体系を政府が上から目線で決める暴挙を許していいのか

プレジデントオンライン / 2023年2月10日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/fatido

1月の施政方針演説で岸田文雄首相は「日本型職務給」という言葉を口にした。今後、持続的に賃金が上昇するために、ということだが実効性はあるのか。昭和女子大学特命教授の八代尚宏さんは「年功賃金からの移行が急務だとして、首相は6月までに“日本型職務給”のモデルを示すと語りました。しかし、そうした重要案件は強制せず個々の企業に委ねるべきだ」という――。

■日本人の「給与」はこれからどうなってしまうのか

1月半ばの岸田文雄首相の施政方式演説では、今後、持続的に賃金が上昇するために「日本型職務給」という目新しい概念が提起された。これは個人の職務に応じてスキルが適正に評価され、それが賃上げに反映されるためには、従来の年功賃金からの移行が急務としている。また2023年6月までに、この日本型職務給の導入方法を類型化し、モデルを示すという。

これには、3つの問題点がある。

第1に、この「日本型職務給」の中身が全く不明である点だ。欧米型の「職務給」はもともと個々の職務と賃金が一体化しており、それに見合った人材を配置する。これに対して、日本型の「職能給」は個々の職務内容が明確でなく、年齢や勤続年数に応じた賃金を先に決める。この両者の折衷案のような「日本型職務給」とは、本家の欧米型職務給と何が、どう違うのだろうか。

第2に、成長分野への円滑な労働移動を促すための職務給であれば、産業や企業規模にかかわらず、同一労働同一賃金が保証されることが大きな前提だ。さもなければ衰退分野でも高賃金の大企業に貴重な人材が滞留する現状から大きな変化は望めない。このためには、安倍晋三内閣で法制化された、「(見かけ上の)同一労働同一賃金」では不十分だ。

第3に、日本企業に合った職務給のモデルを示すという人事コンサルタントのような役割を、政府が自ら果たすことの妥当性である。企業の賃金体系のあるべき姿を政府が定め、それに各企業が倣うべきという上から目線のまるで“官製給与”のような論理は、労働者の大部分が公務員でもなければありえない。

■「日本型職務給」とは何か

本来、職務給とは、欧米の職種別労働市場には古くから存在していたもので、既存の職種を守る労働組合によって、新しい技術の導入が妨げられるという否定的な面があった。これに対して、戦後日本の企業別労働市場では、個々の職種と切り離された職能給の下で、複数の職種に対応できる企業内での流動性が高い。

例えば、組立作業用ロボットが導入されても失業の心配がないため、組合の反発は少なく、製造業の生産性向上に貢献した。

こうした職務給に対する職能給の優位性が損なわれた背景には、日本経済の成長減速と高齢化がある。企業内の多様な職種を経験する業務上の訓練(OJT)の投資効果は、企業の成長に比例して高まる。それが1990年代以降の約30年間に及ぶ長期停滞の下で、大幅に低下する一方、労働者の高年齢化による賃金コストの高まりと相まって、企業からは年齢に無関係な賃金体系である職務給への転換が叫ばれるようになった。

もっとも、日本の新卒一括採用ではじまるOJTは、若年者の仕事能力形成にはいぜん重要である。その意味では、筆者は40歳になるまでは従来の職能給主体で、それ以降は、企業内で労働者自ら選択した職務給でという組み合わせが最適となる、と考える。職能給か職務給かは、企業内の年齢別の働き方に応じて選択するというのが「日本型」のひとつのイメージとなるだろう。

扇形に並べられた一万円札
写真=iStock.com/amnachphoto
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/amnachphoto

■管理職という職種

新規に日本企業で職務給を導入する際に、最大の懸案となる職種が管理職である。多くの企業では、管理職は部下の仕事の管理が主で、自らの業務範囲は曖昧な場合が多い。このため、部下の仕事内容に細かな指示を出してやる気をなくさせたり、逆に部下に仕事を全部丸投げし、過重な負担を負わせたりするなど、ばらつきが大きくなる。そもそも、40歳代の年齢になると、何らかの管理職ポストに就くのが当たり前という、日本企業の慣行は、今後の高齢化社会では維持できない。

あるべき管理職の職務とは何か。それは上司の指示に従って行動すれば良い部下と異なり、自ら与えられた裁量性を生かして、新たな仕事に向かう決断をすることである。それができない人材を管理職にすれば前例踏襲主義となり、改革が必要な問題を、ひたすら先送りすることになる。

部下の仕事能力の評価も管理職の大事な職務であり、厳しすぎても甘すぎても良くない。そもそも部下よりも優れた仕事能力を持たなければ、正しい人事評価はできない。部下が特定の職務に限定された職務給の働き方になれば、急な欠員が生じた場合に、誰かに仕事を振ることが困難になる。結局、管理職に、部下の欠員も一時的にカバーできるだけの仕事能力が求められる。

これだけ厳しい要求を管理職の職務として定めれば、その成り手が不足するかもしれない。しかし、それこそが、今後、増える一方の中高年社員に、限られた管理職ポストをどう割り当てるかの人事上の大きな課題を解決する答えとなる。少ないポストに見合って管理職志望者を選別するためには、その職務内容を厳しくし、それでも管理職になりたい者の内から選べば良い。

■国際標準の同一労働同一賃金へ

日本の労働市場に職務給を普及させるためには、真の同一労働同一賃金が大きな前提となる。それは、安倍政権時に、正規・非正規間の賃金格差是正を目的として、すでに実現しているとの認識が一部にあるが、これは正しくない。本来、非正規社員のフラット賃金に対して、正規社員の年功賃金を維持したままで、同一賃金が実現したと到底言えるはずがない。

この解のない答えを導きだすためのトリックは、法律自体には見当たらない。それは同一労働同一賃金のガイドラインに、「正規社員の基本給は勤続年数に応じて支払われるという現実を認めた上で、仕事の実態に違いがなければ同一賃金の義務づけ」とある。しかし、正規・非正規労働者の賃金格差が拡大する中高年層で、正規社員と同じ長さの勤続年数の非正規社員は、ほとんど存在しないため、結果的に現行の賃金格差を正当化するだけである。この勤続年数要件を外さなければ、国際標準の同一労働同一賃金とは言えない。

また、個々の職務についての同一労働同一賃金の是非について、企業側の立証責任も明確にされていない。これが担保されなければ、企業と比べて十分な人事データを持たない労働者側に裁判での勝ち目はなく、実効性に乏しい。これは、企業側にとっても、本来の能力主義人事を行うためには不可欠であり、その整備は必要な投資といえる。

手に持った3枚の一万円札
写真=iStock.com/PJjaruwan
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/PJjaruwan

■企業間競争を通じた望ましい職務給へ

岸田首相の「日本企業に合った職務給モデルを6月に提示」という演説について、その実現可能性に疑問を持った人は少なくないであろう。

しかし、より大きな問題点は、「労働市場における政府と企業との役割」のあり方である。社会政策的な見地から最低賃金を設定することは、どの国でも政府の役割となる。ただし、いかなる賃金体系を企業が選択するかは労使の決定事項である。その内容が仮に、放置すれば年功賃金がいつまでも変わらないという懸念があったとしてもだ。

個々の企業が創意・工夫に委ね、その内からベストプラクティスの職務給が普及することが、市場経済の基本である。そうした企業の努力を支援するための労働市場環境の整備こそが政府本来の役割である。

■最初に国家公務員の日本型職務給のモデルを作れ

年功賃金是正のために、政府が「日本企業に合った職務給モデル」のひな型提示よりも最優先で行うべきことは、以下の3つである。

第1に、安倍政権で腰砕けとなった同一職種であれば、勤続年数にかかわらず同一賃金という原則の徹底化である。また、それに基づき、労働者から訴訟を起こされた際の企業の立証責任の明確化である。そうなれば、個々の企業は、労働者が納得する職務給体系を示すとともに、それに見合った働き方をしているかの人事評価に時間をかけることになろう。

第2に、労働者を企業内に閉じ込めることを助長する、年功賃金に基づいた退職金制度の見直しである。例えば、働き盛りの40歳代に転職すると、定年まで同一企業に勤務した場合と比べて、生涯に受け取れる退職金は大きく減少する。退職金制度の是非は、個々の企業の判断に委ねるべきだが、少なくとも退職金を優遇する現行の所得税制を廃止し、企業間でポータブル型の企業年金との税制上の中立性を維持することは、政府の裁量で十分に可能である。

一万円札の細部
写真=iStock.com/itasun
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第3に、政府が賃金制度を決められる国家公務員について、あるべき日本型職務給のモデルを率先して適用するといい。もともと国家公務員法(第62条)では、「俸給は、その職務と責任に応じて支給するもの(職務給原則)」とされている。そんなことを言うと「公務員の賃金体系は容易には変更できない」といった反発がありそうだが、それは民間企業についても同様であろう。政府が自分では困難なことを民間企業に強制するのではなく、日本型職務給の普及は、個々の企業に委ねるべきだ。

構造的な賃上げの基本は、今回取りざたされている職務給の是非よりも、企業間競争を通じた新規投資による生産性向上である。民間企業の参入が抑制されている農業や医療・介護施設などの分野や、雇用の流動化を妨げている労働市場の制度・規制改革は放置されたままであり、競争は十分ではない。それにもかかわらず、企業の賃金体系について「日本型職務給」の導入を政府が直接、指導しようとすることは本末転倒といえる。

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八代 尚宏(やしろ・なおひろ)
経済学者/昭和女子大学特命教授
経済企画庁、日本経済研究センター理事長、国際基督教大学教授、昭和女子大学副学長等を経て現職。最近の著書に、『脱ポピュリズム国家』(日本経済新聞社)、『働き方改革の経済学』(日本評論社)、『シルバー民主主義』(中公新書)がある。

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(経済学者/昭和女子大学特命教授 八代 尚宏)

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