「夫らしいこと」ができなかった…妻から家庭内別居を切り出された男性に医師がつけた“診断名”
プレジデントオンライン / 2023年2月17日 14時15分
※本稿は、加藤進昌『ここは、日本でいちばん患者が訪れる 大人の発達障害診療科』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
■「家庭を顧みない=思いやりがない」とは限らない
近年、発達障害のパートナーとコミュニケーションが円滑にとれないことに悩み、ストレスのあまり不安や抑うつなど、心身に不調をきたした状態に陥る人が増えています。
このような状態は「カサンドラ症候群」と呼ばれ、メディアにもよく取り上げられていますが、「カサンドラ症候群」という名称は正式な病名ではなく、通称です。
カサンドラとは、ギリシャ神話に出てくるトロイの王女の名前です。カサンドラは予知能力をもっていましたが、アポロン神に呪いをかけられ、自分の予言を誰にも信じてもらえなくなり、悲劇の予言者となりました。
発達障害のパートナー(主に男性)をもつ人(主に女性)も、カサンドラと似たような経験をします。
たとえば、育児や子どもの教育のことで夫に相談してもまったく親身になってくれない、家族が病気で具合が悪くても心配ひとつせず、パソコンゲームに没頭している(具合が悪くてもどうしていいかわからないから)、といった例があげられます。
ASD(自閉スペクトラム症)の人は他者と共感することが苦手なため、家族の気持ちや状況に配慮することができません。
しかし、その特性を知らずに、家族思いの振る舞いをしてくれるものと期待していた妻は、家庭の事情をまったくといっていいほど気にかけないASDの夫を、「思いやりのない人」「自分勝手な人」ととらえ、そんな夫に苦しめられていることに被害者意識を覚え、ストレスを抱えるようになります。
■「あなたの要求が高すぎるんじゃない?」
ところが、そうした実態を知人に打ち明けると、「そんな話、嘘でしょ?」と信用してもらえないのです。ASDの人は、高学歴で知性が高く、物静かで、関わりの薄い人から見ると、とても問題を起こしそうには見えません。
こういう夫婦関係でよく問題になる「不倫」は、ASDの人に関してはほぼ無縁でしょう。
また、“家庭を顧みない夫”などめずらしくありませんから、家庭内でコミュニケーションがうまくとれないという程度の問題は、たいしたことではないと笑い飛ばされてしまうのです。
そして、「あんなにいいご主人に、何の不満があるの? あなたの夫への要求が高すぎるんじゃない?」とか、「あなたの言い方や態度に問題があるんじゃないの?」と、逆に、妻側に問題があるのではないかと指摘されてしまうのです。
■「自称カサンドラ症候群」の妻
知人のそうした反応を受け、「誰にも理解されない」と苦しんだり、「自分が悪いのかもしれない」と思い悩んだりしたあげく、不眠や抑うつ状態に陥ってしまうことがあるのです。
ただし、世の中には“話が通じない夫”や“共感が得られない夫”はASDでなくてもたくさん存在しており、単にそうした夫の愚痴を知人にこぼしているにすぎない、「自称カサンドラ症候群」の妻も大勢います。
また、夫の至らなさを非難するばかりで、自分の至らなさについては棚上げしているとおぼしき人もいないわけではありません。
本来の「カサンドラ症候群」は、あくまで、パートナーが発達障害であることが判明しており、その特性のために妻(夫)が生活上の支障を感じ、ストレスを抱え、心身に不調をきたしていることが明らかなケースに限られます。
![額を押さえる女性](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/e/b/1200wm/img_ebdc1a665fa6e75789917c59aa777855410599.jpg)
■夫婦生活の長い中高年層で起こりやすい
「カサンドラ症候群」の妻は、ASDの夫と気持ちが通じ合わないことで悩みます。
一般的に、夫婦の間には多くの“暗黙の了解”が存在します。毎日一緒にいるのですから、長い年月をかけながら、たとえば、「あれを持ってきて」と言うだけで、「あれ」が何かが相手もわかり、すぐに手に入れることができるようになります。
そういったコミュニケーションの積み重ねから、夫婦の「絆」が生まれるといえるでしょう。
しかし、ASDの夫とは、この「絆」を感じ取ることができません。そのことへの失望やいらだちが「カサンドラ症候群」の最大の要因だと思います。
そういう意味で、「カサンドラ症候群」は、夫婦生活の期間が短い若い人ではなく、中高年層の夫婦の間で多く起こっていると考えられます。
こういった長年にわたる気持ちのズレに悩んだ末に、妻が実母に夫の愚痴を話しても、「あんなにいい旦那さんはいないわよ。不倫はしないし、家事もいろいろ手伝ってくれるし、愚痴なんて言ったら罰が当たるわよ」とたしなめられるのがオチです。
そこに、誰にもわかってもらえない、カサンドラの悲劇があるのです。
■「夫へのストレス」で混同されやすいが…
では、ASDの夫が、妻との「絆」を結べないことに対する責めを負うべきなのかというと、それは少し違うのではないかと思います。
ASDの人は悪意をもって他人と共感しなかったり、配慮をしなかったり、自分のことしか考えなかったりしているのではありません。それは、ASDという障害の特性からくる症状ですから、そうなってしまうのは、ある意味しかたのないことなのです。
最近は、夫が定年退職して家にいる時間が長くなり、することがないので、何をするにも妻の後についてくる「濡れ落ち葉症候群」「主人在宅ストレス症候群」というワードを目にします。
しかし、パートナーのASDの特性のために妻が生活上の支障をきたす「カサンドラ症候群」のケースはこれとは違います。
また、ASDの特性によって引き起こされる「性格の不一致」から離婚、というケースは若年層にはたくさんありますが、これも「カサンドラ症候群」とはいいません。
■「男の沽券にかかわる」のではなく「わからない」
長年連れ添った夫婦関係において、ASDの特性によって支障をきたしている状態を「カサンドラ症候群」といい、これは中高年層に多い症候群だといえます。
私が診ている高齢男性の患者さんの場合、曲がりなりにも仕事を続け、女性問題を起こすわけでもありません。
しかし、子育てや家のことはずっと妻に任せきりでした。金銭の管理はそもそもASDの人は苦手ですから「家計」の管理はすべて妻任せ、家庭内の問題や子どもの教育については、そもそも「男の沽券に関わる」「やりたくない」のではなく「わからない」ので、妻からの相談にはまともに応じることはできませんでした。
![家事を手伝わない男性に不満な女性](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/a/f/1200wm/img_af0888ee77a723a9a9f5accc6964aad7395295.jpg)
ASDのために、妻に対するねぎらいの言葉掛けなどはできず、また、子どもが小さいうちはなんとか育児にも携われたのですが、大きくなって人格が形成されていくとお手上げになるなど、“夫らしいこと”や“世間のお父さんらしいこと”がほとんどできなかったのです。
■「家庭内別居」に至るケースも…
また別のケースでは、同じくこうした夫の振る舞いによって妻の不満が少しずつ積み重なり、愛想を尽かした妻は最終的に家庭内別居というスタイルを選択しました。
![加藤進昌『ここは、日本でいちばん患者が訪れる 大人の発達障害診療科』(プレジデント社)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/2/6/1200wm/img_261b6dd44e1211b533fcc01041db143a287105.jpg)
ASDの彼は、自分の行動のどこがいけなかったのか、何が妻を悩ませ、怒らせてしまったのか、自ら理解することができません。しかし、妻も子どもも、いまとなっては彼とコミュニケーションをとろうとさえしないのです。
彼は、最近になってようやく発達障害専門外来を受診し、ASDの診断がつき、自分の特性を客観的に受け止められるようになりました。
そして、これまで自分には妻や子どもへの思いやりが足りなかったことを自覚し始め、「妻と子どもにはいままで苦労をかけて申し訳なかった」と考えるようになりました。
彼がそこに至るまでには、定期的に診察を受け、ASD専門プログラムのデイケアにも参加して、ピアサポートを受けながら、少しずつ自己課題にも気づくようになり、家族に歩み寄ろうと努力するようになった過程があるということを強調しておきたいと思います。
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東京大学名誉教授、医師
1947年、愛知県に生まれる。東京大学医学部卒業。帝京大学精神科、国立精神衛生研究所、カナダ・マニトバ大学生理学教室留学、国立精神・神経センター神経研究所室長、滋賀医科大学教授などを経て、東京大学大学院医学系研究科精神医学分野教授、東京大学医学部附属病院長、昭和大学医学部精神医学教室主任教授、昭和大学附属烏山病院長を歴任する。東京大学名誉教授、昭和大学名誉教授、公益財団法人神経研究所理事長。医師、医学博士。専門は精神医学、発達障害。2008年、昭和大学附属烏山病院に大人の発達障害専門外来を開設し、併せてASDを対象としたデイケアを開始。2013年からは神経研究所附属晴和病院(現在は新築中につき小石川東京病院で診療中)でもリワークプログラムと組み合わせた発達障害デイケアを開設した。2014年には昭和大学発達障害医療研究所を開設し、初代所長に。脳科学研究戦略推進プログラムに参画するなど、一貫して発達障害の科学的理解と治療、研究に取り組んでいる。2023年より東京都発達障害者支援センター成人部門(おとなTOSCA)が神経研究所(小石川東京病院)に開設され、成人発達障害の相談を広く受け付けている。
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(東京大学名誉教授、医師 加藤 進昌)
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