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致死量は食塩ひとつまみ以下、原料は中国産…アメリカで銃よりも若者を殺している"史上最悪の麻薬"の怖さ

プレジデントオンライン / 2023年2月20日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/BackyardProduction

アメリカで、違法に製造された「フェンタニル」と呼ばれる薬物の被害が広がっている。国際ジャーナリストの矢部武さんは「年間7万人がフェンタニルの摂取によって死亡している。ヘロインより何十倍も強力で、かつ安価。販売しているのはメキシコのカルテルだが、原料の大部分は中国から供給されている」という――。

■米国で年間7万人の命を奪っている

いま米国で違法薬物の被害が増加し続けている。特に恐ろしい状況になっているのは鎮痛薬として使用される非常に強力なオピオイドの一種「フェンタニル」の蔓延だが、オピオイドとはケシから採取される天然由来の有機化合物や、そこから生成される化合物の総称のことである。

フェンタニルは1960年にベルギーの化学者、ポール・ヤンセン博士によって開発され、米国では1968年に米食品医薬品局(FDA)により医療用として承認された。それ以来、手術時の麻酔や集中治療時の鎮痛薬などとして広く使用されてきたが、いま問題になっているのはメキシコの麻薬カルテルなどが違法に製造したフェンタニルが米国に密輸され、多くの人の命を奪っていることだ。

米国でフェンタニルが蔓延した背景には、以前からヘロインやコカイン、メタンフェタミン(覚醒剤)など違法薬物の取引が盛んに行われ、闇市場のネットワークが確立されていることがある。それに加え、2000年代初頭から、医師によって処方されるオピオイド鎮痛薬の依存症になる人が増え始めたことも関係している。処方薬に依存すると、医師の処方が中止されても使用をやめられず、違法薬物に手を出す可能性が高くなるのである。

このような米国のオピオイド需要の高まりに目をつけたメキシコの麻薬カルテルが、ヘロインより何十倍も強力で、かつ安価で生産できて利益率が高いフェンタニルの製造・密売を始めたのである。

一方、米国でのフェンタニルの流行とともに薬物過剰摂取による死者は急増し、米疾病対策予防管理センター(CDC)によると、2021年には10万7622人に上り、その約3分の2に当たる7万238人はフェンタニルによるものだという。

■致死量はわずか「食塩20粒程度」

2022年12月12日の有力紙ワシントン・ポストは、米国では2000年代初頭からの約20年間で、フェンタニルを含むオピオイドによって累計75万人近くの命が奪われたと報じた。また、連邦議会が行った分析では、オピオイドが米国のコミュニティー(地域社会)にもたらした経済的損失は2020年だけで、1.5兆ドル(約195兆円)に達するという。

このような悲惨な状況にもかかわらず、米国政府はオピオイドの蔓延を食い止めるための有効な解決策を見いだせていない。連邦麻薬取締局(DEA)は2022年にフェンタニルの粉末4.5トンと錠剤5060万錠を押収したが、これはなんと3億3190万人の「米国人全員の命を奪うのに十分な量」だという。

フェンタニルの最大の特徴は致死量が少ないこと。重さにして2ミリグラム、食塩で例えると20粒程度のひとつまみにも満たない量で体の呼吸機能をつかさどる脳細胞が損傷を受け、呼吸が停止して死に至る可能性があるということだ。

■多くが合法の鎮痛薬に偽造されている

フェンタニルが大量に闇市場に出回る前は、何物にも代えがたい強烈な快感と多幸感をもたらすことで、「クイーン・オブ・ドラッグ(麻薬の女王)」とも呼ばれたヘロインが最も危険な薬物と見なされていた。しかし、フェンタニルはヘロインの50倍も強力だといわれており、その致死性の高さは想像を絶するものがある。

オピオイド鎮痛剤
写真=iStock.com/Moussa81
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Moussa81

しかも恐ろしいのは、メキシコから密輸されるフェンタニル錠剤の多くが「オキシコンチン」や「パーコセット」など合法のオピオイド鎮痛薬に似せて偽造されているため、フェンタニルが混入されているのに気づかずに使用して亡くなる人が少なくないことだ。

コロラド州に住む16歳の少女ソフィアさんも麻薬の売人から偽造鎮痛薬を購入し、フェンタニルが含有されているのを知らずに服用して危うく命を落とすところだった。

2022年4月6日の「PBSニュースアワー」の番組に出演したソフィアさんの父親によると、彼女が助かったのは通報を受けて駆け付けた警察官がすばやく適切な措置をしてくれたからだという。その警察官は彼女が呼吸をしていないのを確認してオピオイドの過剰摂取を疑い、薬物依存者の緊急対応のために携行していた解毒剤の「ナルカン」を投与した。すると薬が効いて、彼女の呼吸機能が回復したそうだ。

■注意喚起のキャンペーンを開始したが…

ソフィアさんは「スナップチャット」というアプリでフェンタニル錠剤を購入したが、これを使えば、買い手を探している売人に匿名で、「ファイア」などの絵文字を送るだけで薬物を入手できるという。実は彼女は親の知らないところで、さまざまな違法薬物に手を出していたのだ。

フェンタニルによる犠牲者が続々と出る中で、ソフィアさんは幸運だったが、それでもこの経験は彼女の心に深い傷を残したようだ。

彼女は「本当に大変なことをしたと思っています。罪悪感というか……。私と同じ世代の人が薬物の過剰摂取でたくさん死んでいるわけですよね。でも、私はたまたま助かった、なぜなんだろう? 今は、せっかく助かった命を無駄にしないように考えるようにしています」と語った(同前)。

ソフィアさんの父親はその後、「娘に何が起きたのかを多くの人に知ってほしい。他人事だと思ってほしくない」と考え、若者や保護者にフェンタニルの危険性を訴える活動を始めたという。また、薬物取引の新たな横行を受けて、DEAはSNS上で使われる絵文字の暗号解読表を若者の親や保護者向けに発表し、フェンタニルの危険性を注意喚起するために、「1錠で命を落とす(One Pill Can Kill)」キャンペーンを開始した。

しかし、フェンタニルの過剰摂取で命を落とす人は一向に減る気配はない。なぜなら、大量のフェンタニルが毎日メキシコ国境を通過して持ち込まれているからである。

■政治家や裁判官を買収するメキシコのカルテル

米国で使用されるフェンタニルのほとんどはメキシコから密輸されているが、それを作っているのは同国最大級の麻薬組織「シナロア・カルテル」だ。

もともとメキシコには麻薬組織がいくつも存在し、数十年前から組織間の縄張り争いや政府の取り締まりに対抗する「麻薬戦争」が行われてきた。この戦いで殺されたり、行方不明になったりした人は一般市民も含めて10万人を超えるといわれているが、それを制してナンバーワンの組織になったのがシナロア・カルテルである。

同カルテルは世界50カ国以上で活動しているというが、その中心は米国であり、米国内のヘロインやメタンフェタミンなどの違法薬物の主要な供給源となっている。その経済的規模は不明だが、組織のボスの「エル・チャポ(ちび)」ことホアキン・グスマンが米経済誌『フォーブス』の「世界のビリオネア(長者番付)」に載ったことなどから推測すると、莫大(ばくだい)な利益を上げていると思われる。

ホアキン・グスマン
写真=AFP/時事通信フォト
メキシコの麻薬組織「シナロア・カルテル」の「麻薬王」ホアキン・グスマン(通称エル・チャポ)受刑者(2016年1月9日、メキシコ・メキシコ市) - 写真=AFP/時事通信フォト

麻薬で得た利益で政治家や警察官、裁判官らを買収して法の目を逃れ、一国の軍隊並みの戦闘部隊を備えているのである。

■フェンタニルは堂々と検問所を通過している

シナロア・カルテルがフェンタニルの製造に乗り出したのにはそれなりの理由があったようだ。拠点を置くシナロア州は元々ケシの栽培が盛んで、それを原料にヘロインなどを大量に作っていた。

しかし、ケシの栽培には何カ月もかかり、広い土地を必要とする一方、フェンタニルは原料の化学物質を入手すればラボや小規模な工場で製造でき、しかも軽量でコンパクトなので、米国への密輸や流通が比較的容易になるだろう。このように考えてフェンタニルの製造を始めたようだが、国境通過は事前の予想通りとなった。

メキシコで製造されたフェンタニルは主にトラックや乗用車でカリフォルニア州サンディエゴやアリゾナ州ノガレスの国境検問所を通過して米国に持ち込まれている。しかし、ワシントン・ポスト紙のフェンタニルに関する調査報道記事(2022年12月12日)(前掲)によれば、米国当局が検問所で押収しているフェンタニルの割合はメキシコから密輸される全体のわずか数パーセントにすぎない。その最大の理由は、鎮痛薬などに偽造された錠剤に混入されているフェンタニルを検出する技術が遅れていることだという。

トランプ前大統領はメキシコからの不法移民と麻薬の流入を防ぐために莫大な資金を投じて一部の国境に壁を建設したが、皮肉なことにフェンタニルの密輸防止には全く役立っていない。フェンタニルの錠剤を積んだメキシコからの車両は正規の検問所を堂々と通過しているからである。

バイデン政権はこの政策を見直し、フェンタニルの検出技術の向上に取り組み始めたが、まだ追いついていないという。検問所を通過したフェンタニルはロサンゼルスやラスベガス、シカゴ、ニューヨークなど全米各地の闇市場に流れ、売人に引き継がれている。

■中国はメキシコより先に郵便で送っていた

さらに米国で蔓延するフェンタニルがどこから来ているのかを追跡していくと、意外なことがわかった。メキシコの麻薬カルテルが製造しているフェンタニルの原料となる化学物質の大部分は中国から供給されている。つまり、中国の化学会社がフェンタニルの前駆体(ある化学物質が生成される前段階の物質のこと)を作り、メキシコのカルテルに供給しているというのだ。

アメリカと中国
写真=iStock.com/Gwengoat
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Gwengoat

なぜ、こうなったのかと言えば、実は中国はメキシコより先にフェンタニルを製造し、国際郵便などを通じて米国に送っていた。ところがこの問題が深刻化したことで、米国は2018年10月に郵便システムを介した海外からのオピオイドの流入を防ぐための「合成薬物の密売および過剰摂取防止法(STOP法)」を制定し、郵便物の検査体制と取り締まりを強化した。

その結果、中国からの郵便物が大量に押収されるようになったため、中国は仕方なく、フェンタニルの原料をメキシコに輸出する方法にシフトしたのではないかと思われる。

中国がフェンタニル原料の主要な供給源であることを把握している米国政府は中国に対し、メキシコへ輸出している業者にやめさせるように要請しているが、中国側はそれに応じようとしないという。それどころか、中国政府は米国のフェンタニル問題を「外交カード」として利用しようとする動きを見せている。

■中国はフェンタニル問題を外交カードにしている

政治的なリスクや機会を分析する専門誌『ジャーナル・オブ・ポリティカル・リスク』の発行人で、米中の外交問題に詳しいアンダース・コアー氏は、「中国はフェンタニル問題の交渉を、台湾問題のような全く異なる問題と結びつけています。そのため、ペロシ氏が台湾を訪問した時、中国が米国に報復した方法の1つは、フェンタニルに関する交渉を中止することでした」と述べている(エポック・タイムズ、2023年1月7日)。

つまり、2022年8月にナンシー・ペロシ下院議長(当時)が台湾を訪問したことに対する報復措置として、中国はフェンタニル問題に関する米国との交渉を中止したというのである。中国がこの問題を外交カードとして利用し始めたことで、根本的な問題解決はますます難しくなってきた。

■銃による死亡を抜いて若者の死因1位に

冒頭でも述べたように、米国では毎日薬物の過剰摂取で300人近く(年間10万人以上)が亡くなり、そのうち約3分の2はフェンタニルによるものだという。薬物全体の死者数はこの10年で2倍以上に増えたが、その増加分のほとんどをフェンタニルが占めている。

10年前には誰も予想できなかったような重大な危機を招いてしまったわけだが、その要因は先に述べたように政府の対策の失敗もあるが、それよりも大きな問題は米国人の麻薬に対する飽くなき欲求(強欲さ)ではないかと思われる。

米国では現在、17歳未満の男女と18歳~45歳の男性の間で、フェンタニルの過剰摂取による死亡が交通事故や銃による死亡を抜いてトップになっている。特に若年層の死者が急増しているが、致死性の高いフェンタニルはたった一度の判断ミスで命を落とす可能性がある。

それにもかかわらず、闇市場の売人からフェンタニルを買い求める人が後を絶たない。言い換えれば、彼らの強欲さが違法薬物の需要を拡大し、それを満たすためにメキシコの麻薬カルテルなどが密輸していると言うこともできる。

■米国の「オピオイド危機」は今後も続く

ヒラリー・クリントン元国務長官は2009年3月に行われたメキシコ政府との麻薬対策協議の席上で、「私たち(米国人)の麻薬への強欲さが違法な麻薬取引をたきつけています。米国はメキシコに広まる麻薬によってたきつけられた暴力に対する責任を分担して負います」と述べた。

米国の政府と国民はこのクリントン氏の言葉をもっと真剣に受け止めて違法薬物問題に取り組んでいたら、今日のフェンタニルを中心としたオピオイド危機は避けられたかもしれない。

メキシコとの国境検問所には毎日20万台以上の車両が通過しているが、そのなかでフェンタニルの検出検査がきちんと行われているのはほんの一部だという。現場の捜査官からは、「フェンタニルの密輸を止めるのはほぼ不可能に近い」との声も出ている。米国のオピオイド危機は今後もしばらく続くことになりそうだ。

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矢部 武(やべ・たけし)
国際ジャーナリスト
1954年生まれ。埼玉県出身。70年代半ばに渡米し、アームストロング大学で修士号取得。帰国後、ロサンゼルス・タイムズ東京支局記者を経てフリーに。人種差別、銃社会、麻薬など米国深部に潜むテーマを抉り出す一方、政治・社会問題などを比較文化的に分析し、解決策を探る。著書に『アメリカ白人が少数派になる日』(かもがわ出版)、『大統領を裁く国 アメリカ』(集英社新書)、『アメリカ病』(新潮新書)、『人種差別の帝国』(光文社)、『大麻解禁の真実』(宝島社)、『医療マリファナの奇跡』(亜紀書房)、『日本より幸せなアメリカの下流老人』(朝日新書)、『世界大麻経済戦争』(集英社新書)などがある。

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(国際ジャーナリスト 矢部 武)

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