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なぜ日本人は「仕事のための読書」すらしないのか…「日本人は世界一学ばない怠け者」という誤解を解く

プレジデントオンライン / 2023年2月17日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/mapo

日本のビジネスパーソンは諸外国に比べ「学習」をしない。なぜなのか。パーソル総合研究所の小林祐児・上席主任研究員は「これは日本人が怠けているからではない。日本人は与えられた環境の中で主体的に働く『中動態』的にキャリアを形成してきた。そのことが諸外国との違いにあらわれている」という――。(第2回)

■最大の課題は「日本人の学ばなさ」

現在、世界的に一大潮流となっている「リスキリング」。しかし、日本には、リスキリング推進にとっての最大とも言える課題が存在します。それは、この国のビジネスパーソンは学びの習慣が極めて薄弱だということです。国際的には「勤勉」のイメージで知られる日本人は、社会人になったとたん、国際的に圧倒的に「学ばない国民」と化します。しかも、一部のデータからは学びの量はここ数十年間でどんどん減っている様子さえ見られます。

そのため、行政や企業がいくらリスキリングの機会や補助金などを提供したところで、多くの日本人は関心すらもちません。まさに「笛吹けども踊らず」。日本のリスキリング課題のかなりの部分は、この問題に集約されます。

まずは日本人の「学ばなさ」の実態を、パーソル総合研究所による最新の国際調査で確認してみましょう。一目瞭然ですが、読書や大学院まで、ビジネスパーソンの学習行動を聴取すれば、日本は「何もしていない」が圧倒的に高くなっています。何もしていない人の割合は、世界平均で18.0%ですが、日本は52.6%でした。ちなみに、図のデータは性別・年代の割合を各国一定にして比較しています。

さらに他のデータからは、年齢を重ねるごとにそうした学習行動は低くなっていく様子も明らかになっています。

社外学習・自己啓発「何も行っていない」人の割合
出所=パーソル総合研究所「グローバル就業実態・成長意識調査(2022年)
年齢と学習
出所=パーソル総合研究所・中原淳「転職に関する定量調査」

■学ばないのは「怠惰」だからではない

なぜ日本人のビジネスパーソンはこれほど学ばないのでしょうか。

それは、日本人の心性が「怠惰」だからではありません。このことは、まずは「内部労働市場」と「外部労働市場」というマクロな雇用市場の在り方から説明することができます。欧米先進国では、企業の外にある労働市場サイドが、個人が学びを通じてキャリアアップしていく時の「足場」になるような様々な機能を提供しているのに対して、日本はそれらの機能が貧弱であることです。

まずは、「賃金相場」です。多くの先進諸国では、職種とその技能レベルに合わせた市場の相場観があります。「ある職種の、この技能レベルの人はだいたいこのくらいの賃金をもらう」というマーケットの賃金感覚です。欧米では労働組合との交渉やコンサルティング会社のサラリーサーベイが、こうした相場を企業に提供する役割を果たします。

また、先進各国では職業能力を具体的に評価するための物差しである、「職業資格」も合わせて発展・整備されています。また、社会人に対する職業訓練や社会人向けの大学院などの「教育機会」も日本よりは豊富な国が多いです。

欧米先進国の労働市場
図表=筆者作成
キャリアップを促す「足場」がたくさんある - 図表=筆者作成

■「どのくらい学べば、どのくらい処遇が上がるか」が見えない

日本では、こうした賃金調整・技能維持・獲得の機能を、個別の企業、つまり「内部労働市場」が、提供するという道を進んできました。

日本の従業員の「昇格」に関わる格付け制度は、職種に関わらない組織内の「資格」の序列として組み上げられており、市場に存在する技能資格とは関連付けられていません。教育訓練も、もっぱら企業が新人中心に提供する研修と配属後のOJTという企業内部の学習によって行われていきます。

日本と欧米のキャリア観と学び習慣の違いにはこうしたマクロ的な背景が存在します。ざっくりと表現すれば、「どれくらい学んだら、どのくらいまで処遇が上がるか」という感覚が共有されている欧米先進国に対して、日本にはそうした学びのための「足場」が存在しません。

■「受け身のキャリア」という誤解

では、こうした「足場」が構築されれば、日本人は学ぶようになるのでしょうか。外部労働市場の機能を拡充しようという動きはかねてからありますが、問題はそれほど単純ではありません。そのことを考えるために、次に、よりミクロな側面、個人のキャリアに即してこの「学ばなさ」を考えていきましょう。

世間には、「キャリア論」と呼ばれるような一群の言説領域があります。実証的な学術研究というよりも、「時代がこう変わったから、これからのキャリアはこうなる(べきだ)」という規範的な「意見」に近いものです。そうした「キャリア論」を打つ人々の多くは、大学教授、スタートアップ経営者、ノマドワーカーなど、独立独歩で成功を収めてきた人々です。

昔から、こうした「キャリア論」の中で、槍玉に挙げられ、仮想敵にされてきたのが日本の「普通の」キャリアです。普通の日本人のキャリアはあまりにも「受け身」で、「受動的」だと言われてきました。

たしかに、日本の正規雇用は、「配属ガチャ」と揶揄されるように、ポジション転換が業務命令として行われ、勤務地まで企業に握られます。長期雇用の慣習もまた「企業に囚われている」というイメージに一役買うことになります。そうした特徴を指しながら、「日本は受け身のキャリア観しか持っていない」「組織に依存せず、好きなことをして働こう」――通俗的な「キャリア論」はこのように問いかけます。

しかし、現実を冷静に見てみれば、ブラック企業で拘束的に働いてしまっている人を除けば、日本の普通の会社員のキャリアは、そのような「受け身」のような単純な言葉で覆い尽くせるものではありません。

実際に目にするのは、キャリアの主導権を企業に握られつつも、「なんだかんだ、そこそこ主体的に」働いている多くの会社員の姿です。すごく仕事を楽しんでいるわけでは無いけれど、とはいえ居酒屋で愚痴るくらいの不満しか抱えません。

ビジネスマンが二人並んで歩く
写真=iStock.com/key05
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/key05

■問題は「中途半端さ」にある

「受け身」のキャリアのシンボルのように語られる業務命令異動やジョブ・ローテーションも、「飽きが来ない」「新しい人との出会いがある」「成長できる」ものとして前向きに捉えている人も多いです。

そうした人々にとっては、先ほどのような「受け身なキャリア/能動的なキャリア」という対比は他人事です。日本の「学ばなさ」を考えるにあたって目を向けるべきは、日本のキャリアの受け身さではなく、この「中途半端さ」そのものです。

■「中動態」的キャリア論

このことを理解するヒントになるのは、哲学者の國分功一郎氏による『中動態の世界 意志と責任の考古学』(医学書院)によって広く知られるようになった、「中動態」の議論です。

「中動態」とは、「受動態」「能動態」という私たちがよく知る態とは異なる態の在り方です。多くの方にとっては、英語の授業を思いだしてもらうのが早いでしょう。動詞の「態voice」を示す文法用語として私たちが慣れ親しんでいるのは、「能動active」と「受動passive」という対比です。例えば、“They are displaying the hats.”は能動態で「彼らは帽子を展示しています」と訳されますが、“The hats are being displayed.”は受動態で、「帽子が展示されています」という同じ文意を示すことができます。

しかし、言語学の知見からは、この「受動態」と「能動態」という区別は全く普遍的なものではなく、歴史的にはかなり後世になってから出現した新しい文法規則であることが分かっています。

そこで明らかにされてきたのは、能動態でも受動態でもない「中動態middle voice」 という態の存在です。しかも、この「中動態」は、「能動態」と「受動態」の「間」ではなく、「能動態」の反対側、つまり能動態に対して対(つい)になっていたということです。

筆者は、日本人のキャリアの特徴とは、まさにこの「中動態」的なあり方にあると考えています。

日本の「中動態的キャリア」の概念図
図表=筆者作成

■与えられた環境の中で主体的に働く日本人

日本人は「受け身」だと考えられていますが、現実の一人一人の働き方を見てみれば、企業のなすがままにされているわけではありません。

配属後に訓練を受けて適応するのも、出世競争も、査定評価を受けるのも働く個人の側です。日本の雇用は「年功序列」だと単純に呼ばれ続けていますが、それはかつてのような年齢と賃金が直接紐づいた「純粋年功」ではなく、現場で半期か1年毎に評価査定を受け続ける、「査定付き年功」となっています。そこで行われる目標管理のプロセスもまた「単なる受け身」とは程遠く、目標記入から自己評価にいたるまで主体的なコミットメントを必要とします。

こうしたキャリアの特徴をもつ日本では、「意思」という強い形での主体性の発揮が無くても、昇進レース、配属後の適応、目標管理といったプロセスを経て、「そこそこ能動的に」仕事ができてしまいます。かつ、日本企業においてはポストの空きがなくても処遇は徐々に上がっていきます。

つまり、完全に働き方やキャリアを企業にコントロールされているような状況からも、自律した個人が自ら発揮する主体性からも、ともに離れた場所。それこそが日本のビジネスパーソンが働いているリアルです。

だからこそ、「普通の」ビジネスパーソンと話していると、「異動で新しい出会いがあった」、「やりたいことは入ってから考えればいい」、「MUST(やらなくてはいけないこと)の中からWILL(意思)が見えてくる」といった言葉が頻出します。すべて、こうした「中動態」的なキャリアをよいもの、否定すべきではないものとして捉えている言説です。

例えるならば、中動態的キャリアは会社という机の上で回るコマのようなものです。コマは自ら回ることはできません。コマが回る「動力」が生み出されるのは、「自分自身ではない」企業が与える力です。しかし机の上で回っている「コマ」の一つ一つをとってみれば、移動しつつバランスをとりながら速度を調整し、よりうまく、より長く回ろう=働こうとする、「能動的な主体」そのものです。「受動的に回されたコマとして能動性を発揮する」という構図です。

コマ
写真=iStock.com/Job Garcia
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Job Garcia

日本人のキャリアをこのような「中動態的」なものとしてとらえると、しばしば指摘される低いエンゲージメントも、転職の少なさも、「学ばなさ」も、見通しよく理解することができるように思います。

■リスキリングと相性が悪い「中動態的キャリア」

誤解のないようにここで強調しておきますが、「中動態的」であることに、正しいも正しくないも、良いも悪いもありません。先ほどのような状況を見て、「欧米的なキャリアになるべきだ!」と能動性の欠如を嘆きたくなってしまうのは、まさに「能動/受動」という「新しい区別」を用いた二分法に縛られている発想です。実際、世界を見渡してみても、労働者階級の就業感はそれほど「能動的」な人々ばかりでもありません。

しかし、確かに「学び」や「リスキリング」とこの中動態的なキャリアは極めて相性の悪いものではあります。中動態的なキャリアの副作用を簡単にまとめれば、以下のようなことです。

1.学びへの意思も、学ばないことへの危機感も醸成されにくいこと
2.職業的専門性を蓄積する習慣がつかないこと
3.中高年になってからの成果と期待がアンマッチを起こすこと

筆者はもはや中動態的なキャリアの在り方は、これからの就業年数の長さとビジネス環境の変化、そして何よりリスキリングと相性が悪すぎるという面で、限界を迎えていると考えています。

■個人の意思を発芽させる仕組みが不可欠

一方で、企業が作るリスキリングについての資料を見れば、「主体的な学びを促進」「自律的なキャリア形成」といった、耳馴染みの良い言葉で埋め尽くされています。会社というのはほとんどの場合そうしたキレイな体裁を整えたがるものですが、多くの場合、こうした言葉は空転していきます。

より端的に言えば、そうした言葉は、「個への過剰期待」の現れです。先ほどのようなマクロ・ミクロな環境の中で「中動態」的に働いている従業員に対して、「個性の時代だ」「らしさの発揮だ」といくら煽っても仕方ありません。

この状況を変えるには、やはり企業内部の「中動態」的なキャリアのあり方を変える必要があります。それは、流動性を上げたり転職マッチングの機能を増強したりといった「外部労働市場に期待する」やり方ではなく、企業内部の人材マネジメントの在り方こそが変わるべきです。

具体的には、企業内において、働くことや学びについてのなんらかの「個の意思」を発芽させるような仕組みの変更です。詳細を語るには紙幅が足りませんが、筆者は常々、企業内部の流動性の質を変えるための「対話型ジョブ・マッチング」の仕組みが必要だと提唱しています。

今広がってきたキャリア研修や公募制度、社内FA制度などはその一部の現れですが、多くの企業はうまくいっていません。ベースとなる「個」への対話の機会や、学びのコミュニティ化といったそもそもの「意思」を発現させるような仕組みが欠如したまま制度だけ入れるからです。キャリア・カウンセリングの習慣も無い日本においては企業が提供するしかありません。意思を発生させないまま、変化に適応できない個人を再生産し続けているのは、企業の人事管理そのものです。

日本の「リスキリング」ブームが今もなお突き進んでいるように見える「笛吹けど、踊らず」状態を脱せられるかどうかは、リスキリングの実践と議論を、ただの研修によるスキル注入のレベルから、人材マネジメント総体の水準へと接続できるかどうかにかかっています。

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小林 祐児(こばやし・ゆうじ)
パーソル総合研究所上席主任研究員
上智大学大学院総合人間科学研究科社会学専攻博士前期課程修了。NHK放送文化研究所に勤務後、総合マーケティングリサーチファームを経て、2015年パーソル総合研究所入社。労働・組織・雇用に関する多様なテーマの調査・研究を行う。専門分野は人的資源管理論・理論社会学。『働くみんなの必修講義 転職学 人生が豊かになる科学的なキャリア行動とは』(KADOKAWA)、『残業学 明日からどう働くか、どう働いてもらうのか?』(光文社)、『会社人生を後悔しない40代からの仕事術』(ダイヤモンド社)など共著書多数。

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(パーソル総合研究所上席主任研究員 小林 祐児)

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