お風呂の「お」の字を聞いただけで拒否反応…認知症の72歳の女性が入浴を拒否していた本当の理由
プレジデントオンライン / 2023年2月26日 10時15分
※本稿は、川畑智『さようならがくるまえに 認知症ケアの現場から』(光文社)の一部を再編集したものです。
■認知症ケアの現場で繰り返される入浴拒否
お子さんがいらっしゃる方であれば、登校拒否という言葉には敏感に反応するだろう。しかし、認知症ケアの現場では登校拒否ならぬ入浴拒否という現象が日々繰り返されている。登校拒否をしている子どもに、無理やり学校へ行かせようとしても逆効果であるのはお分かりだと思うが、それは入浴を拒否する認知症の方にとっても同じことである。無理強いされればされるほど、その態度は急速に硬化していくのだ。
お風呂嫌いの湯川さんを、どうにか定期的に入浴させたいという思いで、湯川さんの家族はデイサービスの利用を決めた。湯川さんは72歳で身体は元気ではあるが、少し認知機能の低下が見られるという状態だ。「私、汚れてないし臭くないから」というのが湯川さんの口癖だった。
確かに人間は、汗をかかなければ、洋服さえ着替えておけば、多少お風呂に入らないくらいでは臭くならないものだ。しかしながら、家族からスタッフに課されたミッションは、入浴をさせること。だからどんな理由があれ、これは必ず達成しなければならないとスタッフは意気込むのだ。
■お風呂に入らないための最強のキーワード
「湯川さん、お風呂に入りましょう!」と、スタッフから声をかけられても、湯川さんは案の定色んな言い訳をして拒否してくる。スタッフも家族からの強い希望がある以上、負けずに毎回あの手この手を使って誘導しようとする。「お願いですから、私のために入ってください」なんて訳の分からない理由をつけるものだから、「どうして、あなたのためにお風呂に入らなきゃいけないの?」と猛烈な反発に遭い、作戦はことごとく失敗する。お風呂に入るメリットが本人に全くないのだから、この結果は至極当然のことである。
それでも、午前中の入浴タイムに全てを済ませる必要があるため、スタッフの声かけは執拗に続いた。すると湯川さんは、これまでの言い訳では生ぬるいと判断したのだろう、「私、風邪気味だからお風呂はやめておくわ」という理由を口にするようになってしまった。これではスタッフは手も足も出ない。こうして湯川さんは、自分を守るための最強のキーワードを手に入れたのだった。
■スタッフの強硬手段が心を閉ざしてしまった
入浴できませんでした、という報告が少しずつ増えていくにつれ、湯川さんの家族からは、「これじゃ何のためにデイサービスに預けているか分からんじゃないか」と怒られるようになってしまった。本人の希望で入浴させることができないとはいえ、家族の要望を満たしていない以上、スタッフとしてもバツが悪い。「孫の結婚式が控えているから、次は絶対に入れてほしい。お願いしますよ」と念を押されてしまった。
そして数日後。これまでの汚名を返上するべく、スタッフはついに強硬手段に出た。「今日は入る日って決まっているんです!」と言って、いやがる湯川さんを無理やりお風呂場に連れて来て、「ここまで脱いだから、もう入ってしまいましょうね!」と、3人がかりで入浴させてしまった。そのやり方が良くなかった。それからというもの、湯川さんは一切お風呂に入らなくなってしまったのだ。それまでは、拒否をしつつも数回に一度は入ってくれていたのに。
■上機嫌でお風呂に入ることもあった
そうして私のところに相談が来た。入ってくれたときはどういう状況だったのかと質問すると、「温泉は好きですか? 気持ちいいですよねとか、私と一緒に入りませんか? と声をかけたときに入ってくれました」とスタッフは答えた。聞けば、素敵なあなたが背中を流してくれるんだったら入ろうかしら、と上機嫌のときすらあったそうだ。
やはり、頑なな気持ちは、温かい言葉で溶けていくもののようだ。しかし残念なことに、たった一回の強制連行のせいで、開きかけていた心の扉は固く閉ざされてしまい、一筋縄では開けることができなくなってしまった。
現在の本人の様子を尋ねると、お風呂の「お」の字を聞いただけでも拒否反応を示すようになったという。「とはいえ、ご家族の希望もあるので、お風呂には入れたいのですが、もう八方塞がりです」とスタッフは嘆くばかりだった。
■会話を大切にすることが人間関係を構築する
「まずは、今の湯川さんの状態をご家族に説明するのが先決ですね」と伝え、私は次のような提案をした。なぜ一切入らなくなってしまったかの事件の経緯、これからしばらくの間、お風呂に入らないことを家族に覚悟してもらうこと、その代わり温かいタオルで毎回身体を拭く、この3点を理解してもらいつつ様子をみようということでまとまった。
意外なことに、洋服をめくって身体を拭くというのは、いやがらずにやってくれた。どうも洋服を全部脱ぐことが湯川さんにとって負担になっていたようだ。身体を拭くことを1カ月間続けたあと、次のステップとして、足湯の気持ちよさを体験してもらうことにした。
それらを行うときに、会話一つ一つを大切にしてほしいということもスタッフに伝えた。熱くないですか、痛くないですか、大丈夫ですか、たとえ分かっていたとしても、必ず聞くことが重要なのである。なぜなら、これを徹底することで人間関係を構築していけるからだ。それが良かったのか、足湯も湯川さんはすんなりと入ってくれた。
■入浴拒否のきっかけ
しばらくしてから、奇跡が起きた。「明日はお医者さんの診察があるそうですよ。きれいにしましょうか?」とスタッフがさりげなく言ったところ、「そりゃきれいにしておかないと、先生に失礼だもんね」と、あんなにいやがっていた湯川さんが、自らお風呂に入ると言ってくれたのだ。
実はこれも作戦の一つ。診察とは名ばかりで、白衣と聴診器を身につけたスタッフが回診の真似事をしているだけなのだが、定期的に医者が来るというストーリーを事前に湯川さんの耳に入れておいたのだ。そこから湯川さんは徐々にではあるが、入浴してくれるようになった。
湯川さんの場合、汚れてないから入りたくないと言っていたが、実際のところ、お風呂に入ったときに何をしていいか分からなくなってしまったことが、入浴拒否のきっかけだった。シャンプーのボトルが分からない、シャワーの使い方が分からない、お風呂から上がったときに何を着ればいいのか分からない。お風呂に入るたびに混乱することがたくさんあり、疲れてしまったのだ。実はこのような理由で、入浴拒否をする高齢者の方はとても多い。
■諦めずに向き合うことで光が見えてくる
なぜ私たちは、身体や頭の調子が低下した状態の人に、規則正しい生活を求めてしまうのだろうか。制限をかけるのではなく、本人のしたいようにさせ、そこをサポートすればいいだけの話である。
「僕も、風邪をひいたときや残業で遅くなったときは、お風呂が面倒になります。まして飲んで帰ってきたときは、お風呂のことなんてすっかり忘れてベッドに倒れ込んじゃいます。自分でもいやなことを無理強いしていたんですね。母を再びお風呂に入れるようにしてくれて本当にありがとうございます」と息子さんはお礼を言ってくれた。
湯川さんのように一度ダメになったとしても諦めないでほしい。その理由を紐解いて、つなぎ直していくと、改善していくことは可能なのである。そこで諦めると、それ以上の結果は絶対に見込めない。けれど諦めずに向き合うことで光は必ず見えてくるものだ。
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理学療法士
株式会社Re学(りがく)代表取締役。2002年、熊本リハビリテーション学院卒業後、国家資格「理学療法士」を取得。急性期・回復期・維持期のリハビリに携わる。病院・施設勤務の経験と、地域づくりやまちづくりや社会福祉協議会勤務の経験を活かし、水俣病暴露地域における介護予防事業(環境省事業)や、熊本県認知症予防モデル事業プログラムの開発を行う。2015年、株式会社Re学(りがく)を設立。熊本県を拠点に、病院・施設における認知症予防や認知症ケアの実践に取り組むと共に、国内外における地域福祉政策に携わる。
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(理学療法士 川畑 智)
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