「中国のスパイ気球」で米メディアが再注目…旧日本軍が太平洋越しに放った「1万個の風船爆弾」の末路
プレジデントオンライン / 2023年2月21日 10時15分
■戦時中に全米で目撃された“謎の気球”の正体
アメリカの上空で「気球」が撃墜され、現地メディアはこのニュースを大きく報じている。米国防省は中国の偵察用気球と断定し、中国が数年前から大規模な偵察活動を続けていたと指摘。米中対立の再燃が懸念される事態になっている。
こうした報道に関連して、アメリカでにわかに注目されている別の気球がある。80年前にアジアから流れ着いていた日本軍の気球だ。
1944年、第2次世界大戦まっただ中のアメリカで、各地の保安官事務所におかしな報告が相次いでいた。ある住民は飛行機が墜落したと通報し、別の住民は石油タンクが爆発したと述べ、別の町では閃光(せんこう)を見たとの報告が入っている。共通しているのは、何か大きな爆発が起きたということだ。
奇妙な現象の正体は、日本軍が放った実験的な気球兵器によるものだった。のちにジェット気流と呼ばれることになる偏西風に乗って太平洋を越え、アメリカ本土に続々と押し寄せたのだ。「ふ号作戦」と呼ばれたこの作戦で放たれた気球の数は約1万機に上る。このような気球爆弾は全米26の州で発見または観測されたほか、メキシコでも確認された。
気球は充填(じゅうてん)された水素によって浮遊し、爆弾をアメリカへ運んだ。米ワシントン・ポスト紙は、各気球には2発の焼夷(しょうい)弾のほか、33ポンド(約15キロ)の対人爆弾が積まれていたと報じている。
これらの気球爆弾がアメリカ本土にもたらした被害は限定的であり、現地でも一部の人々が語り継ぐ知られざる逸話となっている。風任せの変わった作戦として、時折メディアで紹介される程度だったが、今再び注目を集めている。
■9メートルの巨大気球に仕掛けられた爆弾
米CBS系列のソルトレイクシティ局「KUTV」は、当時の保安官が経験した忘れがたい1日を紹介している。
1945年の冬のことだった。ウォーレン・ハイド保安官は、ソルトレイクシティの北にある事務所で電話を取った。ハイド保安官が受けた電話は、地元の農家からの通報だった。彼の畑に奇妙な機械が漂っており、大きな風船あるいはパラシュートのようなもので浮いているという。
車を飛ばしたハイド保安官が現場で目にしたのは、直径およそ30フィート(約9メートル)、ビル3階分の高さもあろうかという巨大な気球だった。太いロープで爆弾がつられている。
保安官は即座に理解した。目の前で揺れる球体は、アメリカ中で目撃が続く奇妙な気球のひとつであり、軍当局が喉から手が出るほど情報を欲しがっている新手の兵器の現物だ。回収して当局に届けねばならない。
気球にしがみついた彼だが、巨大な気球の浮力はすさまじい。保安官の巨体はいともたやすく宙に浮いたという。しがみついたまま渓谷を横切り、風に翻弄(ほんろう)され、ぐるぐると回る気球に吐き気を覚えた。
■ジェット気流に乗り、数日でアメリカ本土に
指のしびれが限界に達した頃、ハイド保安官を乗せた気球はヨモギの生い茂る谷底へ向け、ゆっくりと降下を始めた。谷底の根に腕を絡ませ、保安官はなんとか気球を留めることに成功した。
45年後、保安官は他界したが、逸話は息子へと語り継がれた。息子は2015年、ニューヨーク公共ラジオ番組のラジオラボの取材に応じ、こうした一連の顚末(てんまつ)を詳細に語っている。
日本軍が放った1万機の気球はジェット気流に乗り、早いものではわずか数日でアメリカ本土に届いたようだ。
気球というと簡素な造りが思い浮かぶが、実際のところは太平洋を渡るため、相応に込み入ったからくりが備え付けられていた。米スミソニアン誌は、航空専門家のロバート・ミケシュ氏の著書『Japan's World War II Balloon Bomb Attacks on North America』を基に、「凝ったメカニズム」で海を越えたと報じている。
それによると、ちょうど乗り物の熱気球と同じように、気球兵器は複数の土嚢(どのう)を備えていた。飛行高度が低下すると、土嚢を結び付けている紐(ひも)が自動的に爆薬により切断され、軽量化して再び上昇するしくみだったようだ。
32個の土嚢を使い果たすまでこの動作を繰り返すと、その頃にはちょうどアメリカ本土の上空に到達している。土嚢をすべて失った気球は、今度は土嚢と同じ要領で、搭載の爆弾を切り離して投下する。
■誰も日本から飛んできているとは考えなかった
最後に自爆して気球自体も姿を消す算段だったが、実際には動作不良のまま残った個体が今日までに多く回収されている。
スミソニアン誌は1944年秋から1945年夏のアメリカで、気球の目撃報告が数百件寄せられたと報じている。日本軍はおよそ9000機を放っており、うち1000機ほどがアメリカに到達したという。
もっとも、米ワシントン・ポスト紙はこれより少なく、放たれた1万機のうち実際に確認されたものは300機程度、割合にしてわずか3%ほどだったとしている。
いずれにせよ、太平洋を越えて飛来した気球は、調査に当たったアメリカ当局にとっても前代未聞だった。ラジオラボによると、
■米海軍の揚陸艦はパニック状態になった
気球はアメリカで広く知られるところとなり、軍関係者は相当に過敏になっていた。米超党派NPOのアメリカ海軍協会はFacebookの投稿を通じ、日本の気球に関連した往時の逸話を紹介している。
「1945年、(米揚陸艦の)USSニューヨーク(BB-34)が硫黄島へ向け航行していた際、乗員らは頭上に高く浮かぶ銀色の球体を目撃した。何時間にもわたり戦艦を追尾しているように思われた」
「この輝く球体が日本の気球兵器なのではと懸念した艦長は、撃墜を命じた。だが、銃はどれも命中しない。ついにはある航海士が、金星を攻撃していると気づいたのだった」
乗員たちは肝を冷やしただろうが、揚陸艦をパニックに陥れた気球の存在は、今ではこのような笑い話としても語り継がれている。
■子供5人と妊婦1人が犠牲になった
一方、農村部のある町では、市民の人命が奪われる悲劇が起きた。
西部オレゴン州、人口700人ほどの小さなブライの町は、気球爆弾がアメリカ本土で死者を出した唯一の地と言われる。子供5人と妊婦1人が死亡したこの悲惨な事件について、ワシントン・ポスト紙は次のように報じている。
初めての子供を身ごもった26歳のエリス・ミッチェルさんは、1945年5月のある土曜の朝、教会学校の子供たち5人を連れて車でピクニックに出かけた。夫での牧師のアーチーさんがハンドルを握り、一行を乗せた車は州南部のギアハート山へ到着した。
晴れた空のもと、皆で駐車場に向かっていれば、事故は起きなかったかもしれない。だが、アーチーさんが車を止めているあいだ、エリスさんと子供たち5人は先に降り、森へと急いだ。
子供たちが何やら、茂みで見慣れない物体を見つけたようだ。ジェット気流が運んだ気球爆弾の不発弾だった。車を降りたアーチーさんは叫び声を上げたが、遅かった。
■米誌「敵兵器によって命を落とした、最初の、唯一の市民」
爆発に巻き込まれ、アーチーさんは妻のエリスさんとおなかの子供、そして教会に通っていた5人の地域の子供たちを一瞬で失った。唯一生き残ったアーチーさんはスミソニアン誌に対し、決して忘れられない瞬間を振り返っている。
「私は……気をつけろと大慌てで叫びましたが、もう遅かったのです。瞬間、激しい爆発がありました。駆け寄りましたが……みな地面に倒れ、息絶えていました」
オレゴン州の片田舎にまで戦争の脅威が忍び寄ろうとは、地域のだれもが想像だにしないことであった。スミソニアン誌は、「第2次世界大戦中にアメリカ本土で敵の兵器によって命を落とした、最初の、そして唯一の市民となるだろう」と述べている。
気球爆弾は、風の力だけでアメリカ到達をねらう奇抜な作戦だ。日本軍がどの程度の勝算を見込んでいたのか、今となっては知る由もない。1万機が放たれていながら、オレゴン州の一件を除けば、実害はほぼ皆無だ。
現在のアメリカの一部には、気球は直接的な殺傷を目的としたものではなく、本土到達によるパニックを企図していたとの見方がある。
米オンラインマガジンのアトラス・オブスキュラ誌は、「この実験的兵器により、多くのアメリカ人にとって第2次世界大戦は、国土に差し迫るものとなった」と述べ、国民に一定の精神的な影響を与えたと分析している。
■アメリカ政府は報道管制を敷き、気球の情報を封鎖した
もっとも、少なくとも300機ほどが本土に到達した気球のうち、爆発が目撃された例はごくわずかだ。同誌によるとある住人は閃光に気づき、別の住人は花火のような破裂音を聞いたという。だが、大規模な火災などを生じるには至っていない。
当時の出来事を刻んだある銘板には、次のように記されている。「発火装置は夜空を明るく染めたが、なんら被害をもたらさなかった」
同誌は日本軍の上層部が、気球を放つことで「パニックを生じ、メディアの注意を広く引きつけ、将来的な攻撃への道筋をつける」よう期待をかけていたと指摘する。
だが、この期待は裏切られる。ワシントン・ポスト紙は、当時のアメリカ検閲局が報道管制を敷き、気球に関する情報を封鎖したと伝えている。日本側に気球到達の事実を知らせないことが目的だった。
情報封鎖は、アメリカ側のねらい通りに功を奏した。現地からの被害情報が届かない日本軍は、気球爆弾の大多数が不発に終わったものと判断。気球作戦は開始から1年と経(た)たずに幕を閉じた。
■風任せの気球爆弾だが、技術的に成功していた
気球を飛ばした日本軍の狙いは何だったのだろうか。
スミソニアン誌は、「(日本の)技術者たちは、この兵器の威力と森林火災が複合的に作用し、最初の爆発とそれに続く大火災により、恐怖をもたらすと期待していたのである」との見方を示している。
これが現実のものとなっていれば、「これらの気球は、広範な戦争のなかの見過ごされた逸話に留(とど)まることはなかっただろう」とも同誌は述べ、米本土に一定のインパクトを与えていた可能性があると論じている。
ワシントン・ポスト紙によると、航空専門家のミケシュ氏は2020年のインタビューのなかで、日本軍の気球爆弾は技術的にみて成功であったと評価している。実験的手段でありながら、効果を表すまであと一歩のところにあったようだ。
ただし、実質的に不発に終わった理由としてミケシュ氏は、降下地点を制御できない弱みが災いしたと指摘する。大空へ容易に放てるが、その後は文字通り風任せとなる、気球爆弾の本質的な弱点でもある。
ミケシュ氏はさらに、時期を選べばアメリカ側への打撃は拡大していたとも論じている。気球爆弾が放たれたのは、アメリカで森林火災が猛威を振るう夏季ではなく、冬場のことだった。
「彼らにそんな余裕はなかったのです」とミケシュ氏は言う。「打ち上げられるときにやる必要があったのです」
■気球爆弾は今も、ひっそりと語り継がれている
気球爆弾の残骸はいまだに、北米大陸の西岸を中心に発見されている。ラジオラボによると、2014年10月にはカナダ西岸のブリティッシュ・コロンビア州で見つかった。測量のため山村を訪れていた技師が、70年間眠っていた不発の気球爆弾を発見した。
日本軍の気球爆弾は、中国の気球が話題となるはるか80年前に観測された奇抜な作戦として今もひっそりと、ものめずらしく語られている。
時を経て良好になった日米関係に、かつて日本軍が行った常識を越えた作戦、そして忘れてはならない6人の命――。気球爆弾は80年の時を越え、戦争の記憶を現代に語り継いでいる。
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フリーライター・翻訳者
1982年生まれ。関西学院大学を卒業後、都内IT企業でエンジニアとして活動。6年間の業界経験ののち、2010年から文筆業に転身。技術知識を生かした技術翻訳ほか、IT・国際情勢などニュース記事の執筆を手がける。ウェブサイト『ニューズウィーク日本版』などで執筆中。
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(フリーライター・翻訳者 青葉 やまと)
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