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流産手術する妻の懇願「そばにいて」に「俺、仕事だよ!?」と完全スルー…心ない夫を改心させた母の深謀遠慮

プレジデントオンライン / 2023年2月18日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/globalmoments

コロナ禍に、結婚相談所で出会った5歳年上の教員の男性と結婚した看護師の30代女性。新婚生活が始まると、夫は気に入らないことがあると不機嫌になるなど、当初は些細なことで喧嘩が絶えず、家に帰るのも苦痛なほど。2人の関係を改善させたのは、女性の母親だった。だが、その母親は体調を崩し、女性は遠距離介護を始めるものの、仕事と介護の両立に疲れ果てしまった――。
この連載では、「ダブルケア」の事例を紹介していく。「ダブルケア」とは、子育てと介護が同時期に発生する状態をいう。子育てはその両親、介護はその親族が行うのが一般的だが、両方の負担がたった1人に集中していることが少なくない。そのたった1人の生活は、肉体的にも精神的にも過酷だが、それは、誰にでも起こり得ることである。取材事例を通じて、ダブルケアに備える方法や、乗り越えるヒントを探っていきたい。

■無口で気難しい父親と働き者で倹約家の母親

関東在住の鈴木広香さん(30代・既婚)は、高速道路関係の仕事に従事する父親と、歯科衛生士をする母親が35歳の時にお見合いで出会い、約1年後に生まれた。

転勤が多かった父親は、鈴木さんが小学校に上がった後、単身赴任で不在にすることが増えた。結婚を機に専業主婦になった母親は、鈴木さんが中学生ぐらいになると、時間を有効に使おうと、パートで働くように。

「母は3姉妹の真ん中として貧しい家で育ちました。歯科衛生士になった後、上京して住み込みで働き、実家に仕送りをしていたと聞いています。夜はスナックでアルバイトをしていたこともあり、スナックのママが持たせてくれるタクシー代を握りしめたまま走って帰宅するような倹約家でした。働くことが大好きで、結婚後はお金に困っているわけでもないのに働いていました。65歳を過ぎてからも、『雇ってもらえるなら働きたい』と言って掃除の仕事をしていました」

両親の夫婦仲は悪くなかったようだ。父親は無口で気難しかったが、結婚記念日や母親の誕生日を忘れたことはなく、蘭の鉢植えを買ってきて部屋中を花でいっぱいにしたことも。給料明細を開けずに母親に渡し、家計管理を全て任せていたことからも、全幅の信頼を寄せていた。一人娘である鈴木さんに対しても、休みの日は動物園や遊園地、公園によく連れて行ってくれた。

一方、母親は、一人娘である鈴木さんを厳しくしつけた。そのため成長するにつれ、母娘で口論になることもしばしば。やがて大学生になり、上京して一人暮らしを始めると、実家への電話は欠かさなかったが、あまり帰省はしなくなる。鈴木さんは大学で看護師と保健師の資格を取得すると、卒業後は大学病院のNICU、市立病院の脳神経外科、呼吸器外科、総合病院の地域包括ケア病棟などで勤務した。

■結婚相談所を経て結婚

それから十数年経った2020年5月。鈴木さんは33歳の時に、5歳年上の教員の男性と結婚。出会いは2020年になってから入会した結婚相談所だった。

「結婚相談所には、正直ネガティブな印象しかありませんでした。でも、利用して良かったなと思います。間に入ってお世話してくれる人もいるし、お互い高いお金を払っているので、安易な気持ちで活動している人も少ない。最初から『結婚前提』というのも話が早い。それに何より『安全・安心』、これに尽きます」

厳格な父方の祖母から、「婿養子以外は認めない」と言われていたため、祖母が存命中は、結婚したくてもしがたい状況だったのだ。

「祖母が他界した頃には私も30歳を超えており、20代の頃のような出会いもなく、年齢的にも両親を早く安心させたいことから、結婚相談所に入会しました」

コロナ禍ということもあり、東北地方在住の夫の両親とはオンラインであいさつをし、中部地方在住の鈴木さんの両親とは、滞在時間30分のスピードあいさつを行い、入籍後、8月にはフォトウエディングを実施、12月にマイホームを購入した。

■プライドの高い夫

順調に話がまとまっていった様子から、幸せな結婚生活を想像するが、鈴木さんによると、最初はそうとは言えなかったという。

約20年間ひとり暮らしをしてきた夫は、独自の価値観やルールを持っていた。共働きであるにもかかわらず、家事のほとんどは鈴木さんが担当。それだけでなく、夫の帰宅後に、鈴木さんが「お帰りなさい」とは言ったのに、「ご苦労様」の一言がないだけで、怒って部屋に引きこもった。

気に入らないことがあるとすぐに不機嫌になり、鈴木さんが準備した夕食にも手をつけず、話し合いをすることから逃げ、けんかになると大きな声で怒鳴ったり、物に当たったりするため、鈴木さんは恐怖を感じることもあった。

「結婚当初はささいなことでけんかが絶えず、家に帰るのも苦痛なほどでした。私は結婚してすぐ妊娠したにもかかわらず流産してしまったのですが、初めての妊娠、そして流産は、とてもつらく悲しいものがありました。しかし、当時の夫は思いやりに欠ける面があり、妊娠初期の時点で職場に妊娠を言いふらし、その後、流産手術の付き添いを依頼しても、『俺仕事だよ⁉』と休んではくれようとはせず、私の気持ちに寄り添ってくれないだけでなく、プライドが高く、私から意見されることを嫌っていました」

想像とはかけ離れた結婚生活を支えてくれたのが、母親(69歳)だった。母親は、どんなに遅い時間でも鈴木さんの気持ちに寄り添い、「つらいことがあったら何でも話しなさい。いつでも電話をして気持ちを吐き出しなさい」と言ってくれた。その一方で、鈴木さんが夫とけんかをして実家に帰って来ようとすると、なぜか「帰ってきちゃダメ‼ どうしても帰りたいのであれば、掃除洗濯、2日分の食事の支度も完璧にして、部屋にこもって寝ている夫を起こして、許可を得てから帰って来なさい!」と言った。

床に置かれた受話器
写真=iStock.com/Asobinin
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Asobinin

鈴木さんはその通りにした。部屋にこもって寝ている夫を起こし、「実家に帰るので、承諾してください!」と頭を下げた。すると夫は慌てて飛び起き、「それは違うだろ!」と怒る。それでも鈴木さんが、「母に話した結果、夫の承諾がないと実家に帰って来るなと言われたから、お願いだから帰る許可をください!」と必死に訴えると、夫は感じるところがあったのだろう。このとき以降、夫は少しずつ変化していく。自分に配慮してくれた鈴木さんの母親へ感謝の気持ちを持つようになり、話し合いから逃げず、衝突する度に夫婦間で話し合う習慣がついた。

「夫が『変わろう』と思って努力をしてくれたのがこちらにも伝わり、今では自慢できる良き夫、お互いを思いやれる仲良し夫婦になりました」

■遠距離介護

ところが2020年後半、母親には時々「あれ?」と思うことが起きていた。

10月ごろには自転車だけでなく、歩行中にも転倒を繰り返し、頚部の痛みを訴える。近所の整形外科を受診し、電気療法を受けたり湿布などの貼り薬で様子をみたりするが改善せず。

12月までは、マイホーム購入を検討していた鈴木さんに、電話で的確なアドバイスをしていた母親だったが、親族の葬儀のため、8カ月ぶりに帰省し、母親と再会すると、母親は杖歩行になっていた。一緒に帰省した夫とともに、母親がひどく痩せていることに驚き、聞くと、実際10キロも体重が減っていた。

そして2021年1月。母親は、いつも使っていたLINE電話の操作ができなくなってしまった。心配になった鈴木さんは、週1で中部地方に帰省し、料理・掃除などの家事を手伝うように。この頃母親は、家の中でも伝い歩きをしていた。

看護師としてフルタイムで働いていた鈴木さんは、当然夜勤もあった。夜勤明けに帰宅すると、すぐにたまっている家事と夫の食事の支度を済ませ、実家へ持っていく作り置きの料理をして、2時間程仮眠。夕方それらを車に積み込み、高速を運転して帰省。家事が全くできない父親や、両親が飼っている犬の世話をして、翌日の同じくらいの時間に自宅へ帰るという生活を始めた。

「今思うと、遠距離介護という二重生活は、同居介護の何倍も大変だと思います。身体的にも精神的にも過酷で、『きょうだいがいたら良かったのに……』と何度も思いました」

聴講する医療従事者
写真=iStock.com/kazuma seki
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kazuma seki

2021年2月になると、母親は手が震え始め、お茶を入れる際にこぼし、固定電話も使えなくなっていた。机の端など、バランスが悪いところに物を置こうとしたり、頻繁に携帯電話の置き忘れをしたり、買い物やお金の管理ができなくなった。

さらに、長年疎遠だった叔母(母の妹)に頻回に電話をし、急にランチに誘うなど、行動がますます予測不能なものに。鈴木さんは遠距離介護に疲れ果てていた。一方、夫は妻の健康や道中の安全が心配だった。鈴木さんは夫と、自分の両親を近くに呼び寄せる計画を立て始めた。

■突然の同居

3月。鈴木さんは両親を呼び寄せるために、実家を売却して住み替える計画で、自宅近くの中古マンションを購入。ただ、購入したマンションは、10月にならないと引き渡してもらえなかったため、9月までは遠距離介護を続ける予定だった。

ところが、家事ができなくなった母親は、父親からたびたび怒られることで、抑うつ傾向に。それまでは「大丈夫」と言っていたが、生活に自信をなくし、頻繁に鈴木さんに助けを求めてくるように。

鈴木さんは、母親に手の震えや歩行障害が出ていたので「パーキンソン病」を疑い、神経内科につれていく。MRIなどの検査を行い、長谷川式認知症スケールを受けると、30点満点中27点。パーキンソン病と診断され、薬を処方される。

4月。突然固定電話を解約してしまい、電話がつながらなくなる。働くのが大好きだった母親だが、無断欠勤が続く。処方された薬の効果も出ず、薬の管理もできない。

そんな5月のGW中のこと。叔母(母の妹)から鈴木さんの携帯に突然電話があり、「広香はどこまでお母さんの状態を知ってるの⁉」と言われた。

母親と叔母は長年疎遠だった。その理由は、20代の頃にさかのぼる。鈴木さんの母親は、貧しい両親の助けになればと、自分が稼いだお金を家に入れ、自分に結婚の話が来ても、断り続けていた。そんな母親が断った結婚話を叔母が代わりに受け、相手に気に入られ結婚。2人の子どもをもうけたが、結局3〜4年で離婚。子どもを捨てて実家に帰ってきた。

叔母は事務員として働き出すと、その会社の社長の愛人に。母方の祖父母は、出戻った末娘を不憫に思って甘やかし、これまでさんざん尽くしてきた母親を冷遇。このことがきっかけで、母親は叔母と距離をおいていたのだ。

「母と叔母の仲は悪かったはずですが、母は何らかの不安を抱え、独身で身軽に動ける叔母にSOSを出していたのだと思います。週1〜2回、叔母が母を車で迎えに行き、いろいろな場所に出かけていました。しかし、帰りが遅くなることも多々あり、父に遅くなることや行き先を連絡しなかったことから、帰宅時に父からひどく怒鳴られ、その様子を叔母が見て、『あんなに怒鳴られて、ふーちゃん(母)が可哀想。広香は何をしてるの⁉』と電話で言われました」

叔母から連絡を受けたとき、夫も家にいた。「これは10月まで待てない……」と思った2人は、マンションが引き渡されるまでの間、一時的に自宅で同居をすることを決意。すぐに中部地方の実家に向かい、その足で両親と犬を連れて帰ってきた。

「母は、私たちと一緒に暮らせることに安心して喜んでいましたが、父は、私が新婚ということもあり、『連れて行くならお母さんだけにしろ! どうせ10月にはそっちに行くんだから』と同居を嫌がっていました。ただ、何もできない父を1人置いて行くこともできず、夫に説得してもらい、無理矢理連れて帰ってきました」

そのとき鈴木さんは、妊娠3〜4カ月だった。

公園にいる妊婦さん
写真=iStock.com/Masao
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Masao

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。

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(ライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)

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