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シリーズで最も売れた「ファイナルファンタジーVII」の主人公が、「原発を破壊するテロリスト」である必然的理由

プレジデントオンライン / 2023年3月1日 17時15分

画像=『ファイナルファンタジーVII リメイク』公式サイト

1997年に発売された『ファイナルファンタジーVII』は、世界中で1000万本以上のメガヒットとなり、いまでもシリーズで最も売れたタイトルとなっている。文芸評論家の藤田直哉さんは「主人公たちは独裁的な巨大企業に戦いを挑むテロリストとして描かれている。作品内では『敵』への一方的な暴力の是非が問われており、そのテーマの深さが長く愛される理由となったのではないか」という――。

※本稿は、藤田直哉『ゲームが教える世界の論点』(集英社新書)の一部を再編集したものです。

■シリーズで最も売れた『FF7』の主人公は「テロリスト」

※本原稿は、IGN JAPAN(https://jp.ign.com/)で連載していた内容をもとに加筆修正されたものです。

『ファイナルファンタジー』シリーズは日本を代表するRPGで、1997年に発売された『VII』は国内だけで400万本、全世界で1000万本以上を売り上げ、国際的にも評価が高い。

内容は、一言で言えば、環境テロリストの話である。神羅電気動力株式会社、通称・神羅カンパニー(Shinra Electric Power Company)が、政治・経済的な権力を握っている独裁的な世界が舞台であり、主人公たちはそこに戦いを挑むテロリストだ。ゲーム開始直後に、主人公たちは魔晄炉(まこうろ)と呼ばれる発電所のような場所を爆破する。

つまり、ほとんど原子力産業や工業社会に抵抗するテロリストの話なのである。魔晄を掘り出し、魔晄炉という発電所のようなところでエネルギーに変え、非常に栄えているミッドガルという都市。そこに君臨する神羅カンパニーは露骨に、「中央」なり「資本主義」なりの象徴である。

主人公クラウドが加担することになるアバランチという組織は、「星命学」という思想を信じている。これは、要するに地球を守るために科学技術を排除しようという思想と、死んだ魂が大地に戻るというスピリチュアル的な考え方が混ざったようなものである。過剰に工業と資本を誇張して描かれるミッドガルに対して、アバランチは素朴な自然・霊性のようなものを擁護する勢力だとみなせる。

ヒロインのエアリスは、無邪気な女性で、植物を育てている「古代種」だ。文明や科学や技術が進展することで失われた、無垢(むく)さ、無邪気さ、自然や優美さの象徴だろう。オリジナルの『VII』では作品の中盤で彼女が殺されてしまう。

■「ファンタジー」が意味すること

つまり、作品の基調となるのは、科学や技術、利益追求に邁進する世界のなかで失われる「自然」を求める、ロマン主義である。『ファイナルファンタジー』というタイトルなのに、描かれるのは工業的な世界だが、本作におけるファンタジーとは、このような機械的なものによって失われる「自然」的な感覚のことを指すのだと解釈できるだろう。

第2次世界大戦後、科学技術立国になって失われていったアニミズム的な心性の象徴だと考えることもできる。

■作中の「メルトダウン」、「隠蔽」が想起させること

神羅カンパニーのひどさを本作は鮮烈に描く。たとえばミッドガルは、上層と下層に分かれていて、下がスラム街になっているが、神羅カンパニーはプレートを落として下の人々を大量に犠牲にしてしまう。スラム街育ちのヒロイン・ティファが、売春を思わせる仕事に従事しそうになるエピソードまである。

さらには、(オリジナルでの)ジュノンの町は、工業化による水質汚染で魚が取れなくなっている。コレルの町では魔晄炉の事故が起こり、焼き払われ、その跡地にゴールドソーサーという遊園地が作られている(現実で、公害などで汚染された場所が、観光地化されたり、そこにテーマパークが建設されたりするように)。

アバランチのリーダーであるバレットは、元はここの鉱員で、豊かになるために魔晄炉誘致に賛成し、反対者の説得をしていたが、事故により故郷が壊滅し、後悔と自責の念と怒りでテロリストになったという過去を持っている。

ゴンガガ村では魔晄炉がメルトダウンして村が失われていたり、村が焼き払われて隠蔽(いんぺい)工作が行われていたりと、なかなかシビアな状況が描かれている。「メルトダウン」や「隠蔽」などは、チェルノブイリなどの原子力発電所事故を思わせる。

つまり、反原発、環境テロリスト、反資本主義、反帝国主義のゲームなのである。よくこんな作品が、堂々と作られていて、ベストセラーになり、世界的な評価を得たものだなと感心してしまった。

■反原発運動はFFのせいなのか

すでに述べたが、テロ組織アバランチは「星命学」という教義を信じており、これがテロをする大義名分になっている。これは、エコ・スピリチュアリズムに近い思想である。

東日本大震災と、福島第一原発の事故のあと、筆者は反原発運動に賛成し、国会前のデモにも参加し、SNSでも論陣を張った。

2011年7月16日、反原発デモ
写真=iStock.com/krestafer
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/krestafer

だが、ふと『ファイナルファンタジーVII リメイク』をやっていて思ったのは、「ひょっとすると自分の思想や行動も、このゲームに影響されているのではないか」ということだった。もし、そうだとすると、ちょっとゾッとしてしまう。それではあまりに安っぽいではないか。

東日本大震災後の、「国家」や「資本主義」や「帝国」に抵抗し、自然や弱者を救おうとする自分の反原発運動の動機が、記憶の彼方にある、自分に重大な影響を及ぼしたゲームの経験から来ていたら、どうなのだろうか? ヒロインのエアリスのような、無邪気で優しい無垢な女性の「イメージ」が、自然と結びついていて、それを救いたいと思ったのだとすると、どうなのだろう?

SNSを見ていると、アメリカの連邦議会議事堂を占拠するトランプ支持者たちの陽気な姿がたくさん流れてきた。コスプレをしたり、自撮りをしたり、配信で生中継をしたりしている彼らは、正義のための戦いをしている戦士として、革命の高揚感を覚えているだろう。

彼らはサブカルチャーやゲームに影響されているのではないか。政治のゲーミフィケーションではないか。彼らの「なりきり」と「勘違い」のイタさを笑うことは、翻って、自身の「反原発」革命の戦士としての行動にも降りかかってくる感じがして、ものすごく居心地が悪い。

フィクションは、人々の欲望や認識に影響を与える。そして、政治的な行動に駆りたてる。それは、自分自身を振り返って考えても、ありうることだと思われる。

そのことの意味を、しっかりと考える必要がある。

■戦後日本サブカルチャーの共通点

戦後日本のサブカルチャーは、敗戦と科学技術立国化・高度成長によって急速に変貌していく世界を受け止めるための心理的な装置として機能した。

つまり、それまでは信じられていたアニミズム的な「神」は、日本を戦争に導いた原因とみなされ、それまでのように公的には本気で信じることを表明することは難しくなった。

しかし、文化には慣性がある。たとえば宮崎駿監督『となりのトトロ』(1988年)や『もののけ姫』(1997年)、『千と千尋の神隠し』(2001年)ではアニミズムが扱われており、国民的なヒットとなったが、このヒットから考えるに、おそらく戦後日本の変貌する世界のなかでも、「神」的なものを求める心はあると解釈されるべきなのだろう。

農業中心から工業中心の国家へと移行し、全国各地の風光明媚(めいび)な自然は破壊され、工業地帯や原発などに変貌していった。インフラが整備され、生活のなかに家電が取り入れられていく。農耕生活に付随していたさまざまな信仰や儀礼も、都市生活で失われていく。

そのような急速な変貌を背景にしなければ、日本のサブカルチャーが「科学・工業」と「神・超自然」を執拗(しつよう)に扱ってきた意味は分かりにくいだろう(『ゴジラ』『鉄腕アトム』『ドラえもん』『機動戦士ガンダム』『新世紀エヴァンゲリオン』と、枚挙に暇がない)。

『ファイナルファンタジーVII』が、極端なまでに「工業」を描き、「星命学」という自然信仰と死者実在論の混じったような思想を提示してきたのは、このような戦後日本の歴史を背景とするサブカルチャーの系譜で理解すべきだろう。

折しも90年代は、戦後日本の高度成長やバブルが崩壊を迎える時期であり、終末論的な予感のなかで、戦後の歩みを批判的に反省する向きもあった(物質的な豊かさを追求した結果の、精神的な虚しさなどを)。

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写真=iStock.com/happylemon
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/happylemon

■ゲームで反資本主義をテーマにする皮肉

本作に影響するもうひとつの重要な思想は、60年代のカウンターカルチャーである。

ヒッピーたちは、権威やシステムに反抗し、科学や資本主義を否定し、ドロップアウトして自然のなかでスピリチュアルなものを大事にしようとした。その影響は日本にも及び、多くのサブカルチャーのなかで展開された。その思想が、おそらくは『ファイナルファンタジーVII』にも入りこんでいる。ネイティヴ・アメリカンから着想を得たと思しき、コスモキャニオンなどの設定が、その証拠だろう。

とはいえ、科学技術や合理主義で覆い尽くされていく世界から疎外される自然や霊性の感覚を、科学技術の産物であるゲームで提示するということに、一種のアイロニーがある。

ゲームはそもそも機械である。だが、そのなかにプレイヤーは、自然や霊性、つまりはファンタジーを感じるのだ。これが、ポストモダン以降、ゲーム世代の感覚であろう。文化人類学者アン・アリスンの言葉を借りて、それを「テクノ─アニミズム」と呼んでもいい。

■ポル・ポト、文化大革命につながる思想

物語内容に話を戻すと、科学技術や資本主義を象徴する神羅カンパニーが敵なのは序盤だけで、後半はセフィロスという男との対決が主題となる。

セフィロスは、地球を救うために、人類を滅ぼしてしまおうとしている。この、セフィロスとクラウドの対立に象徴される思想的葛藤は、どのようなものだろうか。

セフィロスは、自分を「古代種」だと勘違いしているが、本当は人体実験で産み出された存在だ。ジェノバと呼ばれる宇宙生命体の細胞を人工的に植えつけられた科学の産物で、ジェノバを母と呼ぶ。自らを産み出した科学技術に憎悪を覚え、母胎回帰願望を強く持っている。

これは、「科学・文明」を否定し、「自然・生命」に帰ろうとする『ファイナルファンタジーVII』のベーシックな思想に近く、科学技術の産物であるゲームにおいて自然や過去への回帰を描く本作の捩(ねじ)れの負の部分を体現した思想である。

クラウドたちは、後半では、このような科学・人類を抹消し、母胎に回帰したいという極端なロマン主義の思想と対峙(たいじ)することになる。これはどのように解釈すればよいだろうか。

科学技術をなくして昔に回帰すればよいという思想は、歴史的に何度も現れている。たとえば、神羅カンパニーの一員であるハイデッカーというキャラクターの名前が示唆する、ドイツの哲学者マルティン・ハイデッガー。

セフィロスは「古代種」が地上の栄光を得ていた過去を取り戻すべく、人類を抹殺しようとしているが、過去に戻れば栄光があるというのは、ナチス・ドイツに大きな影響を与えたドイツ・ロマン主義の考え方でもある。それはレトロトピア幻想(未来に希望を見いだせず、過去に理想世界があるとする考え方)とも非常に近いものだ。

藤田直哉『ゲームが教える世界の論点』(集英社新書)
藤田直哉『ゲームが教える世界の論点』(集英社新書)

科学や技術、都市生活をなくしてしまえばいいと考えて実行した権力者も多数いる。カンボジアのポル・ポトは都市から農村へ人々を移住させ、それに前後する争いや飢餓などで数百万人が死に、国の人口が3分の1になったと言われている。

中国でも、中国版カウンターカルチャーだと言える文化大革命が起こり、数百万人から数千万人が亡くなったとされている。

『ファイナルファンタジーVII』が作られたのは、このような「カウンターカルチャー」的な思想の帰結が無視できなくなった時代である。

だから、セフィロスと、クラウドたちの対決は、このような20世紀の悲劇的な思想との対決を含意しているのだとも解釈することが可能だろう。

■福島第一原発事故の影響

本作、特にリメイク版では、テロの結果の一般人の被害が甚大であることも、明確に描かれている。葛藤と痛みも描写される。悪の企業である神羅カンパニーで働いている一般人たちの生活や姿も詳細に描き、プレイヤーに罪悪感を深く覚えさせるように作られている。

これは、福島第一原発事故後の、科学や自然をめぐる対立や分断が意識されているのだろう。冒頭で行われる魔晄炉の爆破のような、過激で暴力的な抵抗の是非を問うという主題系が、より強調されているのだ。

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藤田 直哉(ふじた・なおや)
批評家/日本映画大学准教授
1983年、札幌生まれ。東京工業大学社会理工学研究科価値システム専攻修了。博士(学術)。著書に『虚構内存在』『シン・ゴジラ論』『攻殻機動隊論』『新海誠論』(作品社)、『新世紀ゾンビ論』(筑摩書房)、『娯楽としての炎上』(南雲堂)、『シン・エヴァンゲリオン論』(河出新書)、『百田尚樹をぜんぶ読む』(杉田俊介との共著、集英社新書)ほか。

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(批評家/日本映画大学准教授 藤田 直哉)

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