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「一問一答で動いちゃいねェんだ世の中は!!」ワンピースの名ゼリフに公共政策学者が「その通り」と思ったワケ

プレジデントオンライン / 2023年2月26日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Wachiwit

社会問題を解決するには、どうすればいいのか。公共政策学者の杉谷和哉さんは「社会問題はすごく複雑に絡まり合っているし、単純に一つの原因だけ語ることはできない。単純な一問一答の積み重ねで善い世界を目指すというのは間違っている」と指摘する――。

※本稿は、谷川嘉浩、朱喜哲、杉谷和哉『ネガティヴ・ケイパビリティで生きる』(さくら舎)の第1章<「一問一答」的世界観から逃れる方法>を再編集したものです。

■一問一答で解決できるほど社会は単純ではない

【杉谷】松浦さん(編集)は『ONE PIECE』(尾田栄一郎、集英社)という漫画をご存じですか。

――はい。読んでないんですけど。

【杉谷】『ONE PIECE』という漫画に百獣のカイドウというものすごく強いやつがいて、彼が自分の子どもと戦っているとき、いろいろ問われるんですよ。どうしてこんなことをするんだと詰問される。そのとき、カイドウが言ったのが、「一問一答で動いちゃいねェんだ世の中は‼ 青二才が!!!」というセリフなんですね。

今ネットで流行っているひろゆき(西村博之)とかメンタリストDaiGoとかって、一問一答の積み重ねなんですよ。彼らのYouTube、そうなっているじゃないですか。だけれども、社会問題はすごく複雑に絡まり合っているし、単純に一つの原因だけ語ることはできないし、特定の個人や集団の意図で説明もできる場合ばかりでもない。なので、「それに対する答えはこれですよ」と答えるだけで、社会の問題が理解できるとか、私たちの生きている苦しさが解決するかというと、そうじゃないわけです。

たとえば、新型コロナ感染症のリスクを実際に全部防ごうとなったら、もう完璧なロックダウンをすればいいわけです。でも、そうなると経済的にものすごく苦しくなるし、メンタルヘルスの問題なども出てきて、大変なことになる。単純な一問一答を積み重ねていけば、善い世界にたどり着けるとか、いい問題解決につながるとか、真理に到達できるという考えは、おそらく正しくないんですね。

■一問一答を求める心理は、ウェブ検索のせい?

【杉谷】この対話を収録する前に、ある法人のための口座を作らないといけないので情報収集していたんですが、やるのは「法人口座 やり方」で検索ですよね。私だって単純な一問一答を求めてしまう。というか、今日生きてきた24時間の中で一問一答しなかった人って、たぶんこの中にもいない。一問一答って便利なんですね。いま目の前の問題、課題を解決する。さしあたり解決する上ではそれはすごく大事なことなんです。

【谷川】だからこそ、カイドウの言葉は大事だし難しいんですね。だとすると、「この答え何なの?」と答えを探してしまうことは避けられないけど、単純な一問一答を超える局面、つまりネガティヴ・ケイパビリティを用いる局面をどう作るかが大事になってくる。

【杉谷】その通りです。一問一答じゃない局面をどう作るか。

【谷川】ウェブで検索することをベースに生きているからこそ、一問一答に親和的になるのかもしれませんね。このキーワードに合致する答えを探す心の習慣が形成されている。

【朱】しかも、一問一答の背景には学びたいという感情があるので、それは否定すべきでは決してないですよね。

【谷川】性急に結論づけずにモヤモヤを抱えておき、こうではないかと考えを彫琢(ちょうたく)していく。その上ではじめて、何か有意義な議論ができることだってあるはずで、そのことの価値についても、この本でどうにか言語化していきたいですね。

■丁寧な議論や地道な対話をカットしたい

【杉谷】スパーンと即座に短く断言する一問一答は、クールで格好よく見えるわけですよね。ひろゆきさんのように、意表を突いた答え、逆張りのような発言は、爽快感があるし、みんなそれを見て喝采したくなる。でも、ああいう語り方だけでは駄目なんだということを考えていったほうがいいと思うんです。口で言うほど簡単じゃないのですが。

一問一答の世界観、その中で魅力を持つズバッと断言する語り方を超えていくものを考えるとき、ネガティヴ・ケイパビリティが大切になってくる。つまり不確実なもの、不確定なもの、わからないものがない世界を、人は望みがちだけれども、一問一答では掬いきれない世界があることをどう認識してもらうか、そして、その認識をどう共有していくか。最近そんなことを考えています。

【谷川】一問一答に頼りたくなる心の動きって、面倒くさいものをカットしたいという感覚が背景にある気がします。ひろゆきの論破も、丁寧な議論や地道な対話といった面倒をカットして、意表を突いたこと、誰も言いそうにないことを言うってことですよね。バシッとくる答えを検索で見つけたいという気持ちと、論破や断言を期待する気持ちは、背後にある感覚がとても似ている。

小学生もひろゆきの真似をして論破しようとするそうですが、そこで反復されているのはひろゆきの思想や中身ではなく、批判や論点ずらしの構文で、その真似にもコストがかからない。コスパのいい話し方なんでしょうね、ひろゆきの話法は。

【朱】なるほど。

■なぜ「攻殻機動隊」は、無関係なシーンが多いのか

【谷川】急にサブカルチャーの話になるんですが、昔「攻殻機動隊」というテレビアニメがあったんですけど、その監督の神山健治という人が、ストーリーの中に、面倒くさい会議、調整のための顔合わせみたいな瞬間を意識的に入れていたと言っているんです(『コンテンツの思想:マンガ・アニメ・ライトノベル』青土社)。

このアニメは、別に根回しや調整を描く政治劇ではなくて、むしろ銃撃や諜報(ちょうほう)、治安維持、内偵といったことがメインなんです。だから、こういう瞬間というのは、ストーリー展開でいうと必要ない。にもかかわらず、誰かに出撃の許可を取りに行くシーンとか、予算をとってくるシーンとか、議論して突っぱねられたり、書類を突き返されたりするシーンがたくさんある。これは効率でいうと必要はないけれども、現実にはこういう瞬間もあるんだということをやっぱり言っておかないと、神山さんは言うわけですね。

この対談がすごい頭の中に残っていて、ときどきこの指摘の重要性を思い返すんです。神山さんの発想は、一問一答に飛びついたり、論破される瞬間に快楽を感じたりするように、効率的で目立った世界観を求める心の動きの対極にありますよね。でも、私たちは、まさにこういう面倒に振り回されている。会議とか、根回しとか、許可取りとか、書類とか、そういう面倒くささに疲れてるからこそ、一問一答を求めちゃうんかなとも思って……。特にオチを想定して話したわけではないのですが、朱さんは一問一答的な見方についてどう思われますか。

■「人に意見を言わせる」役割も求められるように

【朱】我が意を得たりと思って聞いていました。一問一答が問題になっていましたけど、実際には「検索の仕方」ですよね。それに、一問一答のかたちでしゃべって、ひろゆきみたいに何かを断言して、誰かを論破したい人自身が問題になっているというより、それを見て喝采したい、そうした論破劇のオーディエンスでいたいという欲望の方が問題だなと思って聞いていたんです。

【杉谷】確かに、誰もが答える側、話す側、意見を言う側に回りたいわけではない。多くの人は、一問一答において、いい感じの「答え」を見たいだけなんですね。

【朱】そうそう。誰もがしゃべりたがっているわけじゃないんだけど、でもこの今の世の中って、大学がそうであるように、みんな自分の意見をしゃべりなさいという方向に権力を働かせるわけですよね。ファシリテーションなんかは典型的で、基本的には自発性を発揮しなさいということを強制するタイプの権力。

【谷川】ちょうど最近、そういう権力を「自由促進型権力」と名付ける議論が出てきましたが、まさにそういう感じですね(渡辺健一郎『自由が上演される』講談社)。

【朱】意見を話すスキルだけでなく、意見を話させる類のスキルセットを養成しようとする流れもあるわけですよね。ファシリテーターを養成して、ワークショップが主宰できますだとか。なぜこんなことが求められているのかというと、一つの背景は市民の意見を収集して、コンセンサスを形成し、それが政策に反映されたんですよという建て付けを作っていく上で大事だからですよね。

カフェで何かについて議論する二人
写真=iStock.com/Comeback Images
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Comeback Images

■「聞くことに徹する」ことが求められる哲学対話

【朱】参加型行政を進めていく上で、しゃべらせる権威としてファシリテーションが要請されている。大学などで、そういう人を養成する課程もあるとはいえ、別に大学はそれだけやっているわけでは全然ないですよね。

この本の企画にある「ネガティヴ・ケイパビリティ」という言葉を聞いたときに連想したのが、僕が学生時代を過ごした大阪大学の鷲田清一さんが推進していた、哲学対話や哲学カフェです。いくつかのやり方や流派がありますけど。

――哲学対話とか、哲学カフェって何ですか?

【谷川】集まりごとに違いはありますが、簡単な対話のルール(何でも話して構わない、話を遮らずに最後まで聞くなど)を設定して、市民同士がざっくばらんに話し合う実践です。特定のテーマ、たとえば「友達とは」みたいなものが掲げられていることもあります。ただその場合も、講座やシンポジウムのように、何か教え伝えるものではないです。

【朱】僕は、大阪大学の文学部研究科の哲学・哲学史研究室出身なんですけど、鷲田さんは隣の臨床哲学研究室にいたんです。その鷲田さんが当時よく言っていたのが「聞くことの力」です(『「聴く」ことの力:臨床哲学試論』ちくま学芸文庫)。哲学対話にも「ファシリテーター」はいるんですが、これは参加型行政がアリバイ的に求める「意見をしゃべらせる権力」ではなくて、むしろ聞くことに徹すること、聞く側でどこまでいけるかということが求められるんです。

■「俺の話を聞け」おじさんの心理とは

【朱】聞く力がたとえばどう活きてくるかというと、哲学カフェを実践している友人から話を聞くと、いわゆるマンスプレイニングおじさんというか、「俺の話を聞け」というタイプの方がいらっしゃって、場を制圧することがあるんですね。哲学カフェは、「聞きますよ、話してください」という基本ルールがあるから、そういう説明したがる人の言動にもお墨付きを与えてしまう側面がある。だから、隣の研究室にいた僕は、複雑な思いで見ていたところがあるんです。

谷川嘉浩、朱喜哲、杉谷和哉『ネガティヴ・ケイパビリティで生きる』(さくら舎)
谷川嘉浩、朱喜哲、杉谷和哉『ネガティヴ・ケイパビリティで生きる』(さくら舎)

で、話を本題に戻すと、長年哲学カフェのファシリテーターをしていた友人で、大阪大学の臨床哲学者である鈴木径一郎さんによると、そういう方がなんで同じ話を何度もするかというと、「話を聞いてもらえてない」と思ってるんですって。

自分が言ってるのにみんなが「またか……」という顔をしていたり、話題もなんか流されたりして、自分の話を聞いてもらえていないと思っているから、もう一回説明しなきゃという風になる。だから、必ずしも怒っているわけではなくて、まだ聞いてもらっていないからしゃべらなきゃ、言わなきゃと。

つまり、相手に伝わるような仕方で聞いているよという姿勢が取れたとき、その方は、抑圧的で一方的な説明ではなくて、その場で会話のやりとりを回してくれるようになるということだそうで。

【谷川】聞く力は意識的に養う必要があるのかもしれない。聞くことは、ネガティヴ・ケイパビリティの一つの表現と言えるのかも。

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谷川 嘉浩(たにがわ・よしひろ)
哲学者、京都市立芸術大学 特任講師
1990年、兵庫県に生まれる。哲学者。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程修了。博士(人間・環境学)。現在、京都市立芸術大学美術学部デザイン科特任講師。単著に『スマホ時代の哲学』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『鶴見俊輔の言葉と倫理』(人文書院)、『信仰と想像力の哲学』(勁草書房)などがある。

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朱 喜哲(ちゅ・ひちょる)
哲学者、大学社会技術共創研究センター 招聘教員
1985年、大阪府に生まれる。哲学者。大阪大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、大阪大学社会技術共創研究センター招聘教員。主な論文に「陰謀論の合理性を分節化する」(『現代思想』2021年5月号)、共著に『信頼を考える』(勁草書房)、『世界最先端の研究が教える すごい哲学』(総合法令出版)、共訳に『プラグマティズムはどこから来て、どこへ行くのか』(勁草書房)などがある。

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杉谷 和哉(すぎたに・かずや)
公共政策学者、岩手県立大学総合政策学部 講師
1990年、大阪府に生まれる。公共政策学者。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程単位取得認定退学。博士(人間・環境学)。現在、岩手県立大学総合政策学部講師。著書に『政策にエビデンスは必要なのか』(ミネルヴァ書房)、論文に「EBPMのダークサイド:その実態と対処法に関する試論」(『評価クォータリー』63号)、「新型コロナ感染症(COVID-19)が公共政策学に突き付けているもの」(共著、『公共政策研究』20号)などがある。

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(哲学者、京都市立芸術大学 特任講師 谷川 嘉浩、哲学者、大学社会技術共創研究センター 招聘教員 朱 喜哲、公共政策学者、岩手県立大学総合政策学部 講師 杉谷 和哉)

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