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アクリル板、バツ印のイス、ビニール手袋…現役医師が訴える「5類化より先にやめるべき無意味な感染対策」

プレジデントオンライン / 2023年2月28日 13時15分

衆院本会議場の演壇前に飛沫防止のアクリル板が設置され、マスクを着用せずに施政方針演説を行う岸田文雄首相=2023年1月23日、国会内 - 写真=時事通信フォト

■この期間は「嵐の前の静けさ」なのか

「新型コロナ」上陸から3年が経過した。いわゆる第8波も収束の兆しとなり、発熱外来もいまだに満枠となる日はあるものの、熱発者に占めるコロナ患者さんの割合は激減した。2019~2020年シーズン以降、すっかり鳴りを潜めていたインフルエンザの患者さんがむしろ増えてきている現状だ。現場の肌感覚では、当初懸念されていた「コロナとインフルのW大流行」や「コロナとインフルの重複感染者多数」といった最悪の事態は今のところ起きていないように思われる。

このままインフルエンザもコロナも一日も早く終息してもらいたいところだが、岸田政権の打ち出した5月からの「5類化」とマスク着用緩和といった施策が再流行の起爆剤となってしまわないか、私を含め現場の医療従事者は凪のような現状を束の間の「嵐の前の静けさ」なのではないかと、懸念とともに固唾(かたず)を飲んで見守っている状況ともいえよう。

■マスクよりも先に廃止すべき「対策」がある

新型コロナウイルスが上陸して以来、この3年間で私たちの生活や習慣は一変してしまった。ウイルスという見えない「敵」からいかに身を守るか。もちろんコロナ以前でもインフルエンザやその他のカゼを引き起こすウイルスたちと私たちは「共存」してきたわけだが、これらよりも感染性が強く、変異と流行を季節を問わず繰り返し、そして重症化や死に至る、さらに後遺症までもたらす未曾有の新型ウイルスということもあって、当初より多くの「感染対策」が私たちの身の周りで講じられた。

そしてこれらの「対策」の中には、重要なものや有効性が期待できるものももちろんありながら、当初からその効用について首をかしげざるを得ないものも少なからずあった。

今回、政府はマスクの着用緩和に舵を切ろうとしているが、飛沫(ひまつ)感染予防という、自分への感染を防御するよりも他者にウイルスをうつさないために有効とされるマスクの着用緩和を急ぐよりも、まず廃止や見直す必要がある「対策」が他にあるのではなかろうか。本稿では、「5類化」の是非やタイミングと関係なく、これらの無意味な「対策」を今一度炙り出してみたいと思う。

■レジで見かける「手袋」は無意味どころか不衛生

まずひとつ目は、多くの人が今なお目にしている「対策」。それは手袋だ。スーパーのレジに並んでいると、未会計用のカゴから会計済用のカゴにバーコードで精算した商品を次々と移し替えている店員さんの手際の良さについつい見とれてしまうが、彼らの手には多くの場合、ディスポーザブル手袋がはめられている。そしてその手袋は、次々と客をさばいていく中で、客ごとにはめ替えられることはない。

いくつかの店舗では、アルコールと思しきスプレーをシュッシュと手袋に噴霧しつつ、前客の未会計用カゴを次客の会計済用カゴとして使うべく、これにもスプレーを噴霧し雑巾で拭って次客の精算に取りかかるところもあるが、それでも手袋は同じままだ。忙しさのあまりか、破れているのに気づかないまま使い続けている店員さんも散見される。

もうすっかり見慣れてしまった光景ではあるものの、この手袋の使い方に違和感を覚える人は私ばかりではないだろう。長蛇の列となっているときに、一人ひとり替えている時間的余裕などないのは理解できる。しかし「感染対策」としておこなっているとするなら、これは無意味であるばかりでなく、極めて不衛生であるとさえ言えるのだ。

■その手袋は誰のために、何のために着けている?

そもそも手袋には、汚れや危険から自分の手を守る意味合いのものと、自分の汚れた手で清潔なものを汚さないためのもの、さらにその両者の意味合いを持つものとがある。

たとえばゴミを捨てるときにはめる軍手や掃除をするときのゴム手袋。これは自分の手を汚さないためにはめるものだ。化粧品売り場やブティックなどで店員さんが客に見せる商品を触るときや貴重な美術品を扱うときにはめる手袋、これは自分の手垢等で商品や美術品を汚さぬためのもの。そして私たち医師が手術の際にはめる滅菌手袋は、術者の手に付着している微生物等で患者さんの内臓を汚染しない目的とともに、患者さんの体液や手術器具等から術者の手を守る意味も併せもっている。

ではレジでの店員さんの手袋は、いずれの意味合いに近いだろうか。商品の外装には確かに種々の微生物が付着しているには違いないが、持ち帰る客が素手であるのに対して、店員さんがこれらの微生物から身を守るために手袋を着けているというのが理由であるならば、客の立場からすると「そんなに汚い商品を客に売っているのか」と思えてしまって、あまり気持ちの良い感じはしない。やはり、客の持ち帰る商品を汚さないために着用しているのであろう。

しかし、それが理由であるならば、前客が触った商品を扱い、現金を受け渡したその汚れた手袋を替えぬまま次客の商品に触れるという行為は、まさに汚染を伝播させていることに他ならないわけであるから、不潔極まりない行為といえるのである。

■アクリル板やビニール幕も今すぐやめていい

そもそも手袋をしていると、自分の手指の汚染を直接感じないことから、手袋をしている本人は自分の手がいつまでも清潔であると勘違いしてしまいがちである。手袋の本当の意味を十分に理解していないと、自らが汚染を次々に移していっていることに気づかないのだ。一方、手袋の役割と意味合いを理解している者にとっては、このような誤用は非常に不快に見えてしまうのである。

「感染対策=手袋」、手袋を着けてさえいればウイルス対策を意識していると見てもらえるという、いわゆる「やってる感」に由来するこの誤った「対策」は、即座に見直すべきといえよう。

飲食店などでよく見かけるアクリル板の“ついたて”やビニール幕も、今すぐにでもやめてよい「対策」だ。マスクを外した状態で飲食する際の飛沫拡散を防ぐためのものと推察されるが、ラーメン店などのカウンターに林立するこれらのアクリル板を見て、飛沫拡散防止にどれだけ効果が期待できるのか疑問に思っている人のほうが多いのではなかろうか。

これもレジ手袋と同様に、客が入れ替わるたびに交換されないことはもちろん、清拭(せいしき)されることもほとんどない。透明であるはずなのに、飛沫なのか油滴なのか不明な汚れで透き通っていないアクリル板を目にすることも珍しくない。

新宿の繁華街
写真=iStock.com/krblokhin
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/krblokhin

■「ひとつおき」にバツ印がついた椅子も意味がない

自治体によっては感染対策を行っている「認証店」の条件として、このアクリル板設置を掲げているところもあることから、認証が欲しい店側としても設置せざるを得ないのだろうけれども、これも効果不明な「やってる感」の典型例と言えるだろう。

板やビニール幕そのものが不潔であることももちろんだが、これらによって空気が部分的に滞留し、店内の効果的な換気がかえって妨げられるという指摘も以前から存在する。さらにこれらのバリケード越しでは声がよく聞きとれないこともあって、発する声も大きくなりがちになり、わざわざアクリル板やビニール幕を避けて会話するなど、本末転倒な事態をも生じさせており、これらももはや無意味であるどころか有害な「対策」として即座に廃止すべきものとして良いだろう。

飲食店といえば、その店外に並べられた入店待ちの客のための椅子に「ひとつおき」にバツ印が付けられているのもよく見かける。待合室などに置かれているソファ、公園に置かれているベンチにまでも同様に、客同士の間隔を空けて座るよう指示が書かれていることもある。これにもどれだけの効果があるのか甚(はなは)だ疑問だ。

■「独自ルール」を作ればさらなる混乱を呼ぶ

ソーシャルディスタンスを保とうということなのだろうが、電車やバスなどの公共交通機関の中では客同士の座席は間隔を空けるどころか、密閉空間で密着密集状態だ。これほどリスキーな場所があるというのに、それよりも明らかにリスクの低い空間でひとつおきに座らせる意味はまったく理解できない。これも「やってる感」の生み出してしまった産物といえよう。

会社などの組織で独自に運用している「ルール」にも首をかしげざるを得ないものがある。「飲酒を伴う会食は4人まで」だが「飲酒を伴う会食でなければ人数制限せずとも良い」というルールを作っている組織の存在を耳にした。ちなみにこの組織は医師で構成されるとのことだが、これにはいかなるエビデンスがあるのだろうか。

今後「5類化」となり種々の規制が緩和されることを契機として、「感染対策」のうち、これらに代表される無意味もしくはかえって有害な「対策」が淘汰(とうた)されていくことが望まれるが、逆に、緩和となった規制を会社などの組織が「独自ルール」で埋め合わせようとし始めると、新たな混乱が生じる可能性が懸念される。

2009年に流行した「新型インフルエンザ」の時には、感染後の出社時に再検査することを社員に義務づけたり、医療機関に陰性証明診断書や出勤許可証の発行を強要したり、新型か従来型かの検査結果を明記した診断書の提出を求めたりなど、会社組織によって思い思いの「独自ルール」が考案されたため、医療機関が診療以外の問題で大混乱に陥った。

■「対策」どころか「愚策」を生まないために

今回のコロナ禍では、これらの診断書関連のトラブルは当時よりも少なくなった印象だが、今後の「5類化」によって、自宅療養期間が事実上の廃止とされてしまうと、会社組織によっては医療機関を再受診し「出勤許可」のお墨付きをもらってくるよう社員に命じるところも出てきかねない。今から言っておくが、この悪しき慣行だけは絶対に復活させることのないようしていただきたい。

その他、私たちの予想を超えた「新たな感染対策」が今後発案されないとも限らないし、それらが医療現場だけでなく私たちの日常生活に新たに余計な負荷をかけるだけになるのであれば、それはもはや「対策」とは呼べないただの「愚策」である。

今後いかなる流行状況になろうとも、学校や会社をはじめ組織内で何らかの「感染対策」を立案する場合には、その対策が本当に意味のあるものであるのか、無意味ばかりか、むしろかえって有害となるものではないのか、ということを十分に議論していただきたいし、立案された対策の実効性に疑問を感じた人が、ただただ黙って従うのではなく問題点をキッパリと指摘することで、形ばかりの「やってる感」が一つでも多く淘汰されていくことが望まれる。

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木村 知(きむら・とも)
医師
医学博士、2級ファイナンシャル・プランニング技能士。1968年、カナダ生まれ。2004年まで外科医として大学病院等に勤務後、大学組織を離れ、総合診療、在宅医療に従事。診療のかたわら、医療者ならではの視点で、時事・政治問題などについて論考を発信している。著書に『医者とラーメン屋「本当に満足できる病院」の新常識』(文芸社)、『病気は社会が引き起こす インフルエンザ大流行のワケ』(角川新書)がある。

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(医師 木村 知)

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