なぜコンサルを入れても企業業績は向上しないのか…80年代の米国で「リストラの嵐」が吹き荒れたワケ
プレジデントオンライン / 2023年3月10日 9時15分
※本稿は、三枝匡『決定版 戦略プロフェッショナル』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
■企業経営の羅針盤とされたPPM理論の勃興
ブルース・ヘンダーソンがBCGを創設し、戦略の概念を生み出した1960年代は「経営戦略の黎明(れいめい)期」と呼べる時期だった。彼がプロダクト・ポートフォリオ・マトリックス(PPM)理論を完成させたのは、その年代の最後、1969年のことだ。
BCGのPPMは、企業が抱える商品や事業を戦略的に分類し、これから最重点とすべき成長事業はどれか、また、成長率は低いがキャッシュフローの源泉になっている成熟事業はどれか、あるいは、今後の成長性も利益性も期待できない負け犬事業はどれか、などを明示するものだった。
当時の米国企業のトップたちは、企業経営の羅針盤となる新論理が出てきたことに熱狂的反応を寄せ、1970年代は「経営戦略の時代」になっていく。
■企業における「将」と「智」
米国企業トップの権限は大きい。トップ1人で決定を求められることが多い。だから、「意外に大ざっぱ」にものを決めてしまうことも起きかねない。
トップが仕事の負荷を減らしたければ、補佐役を置くことができる。しかしその人数は多い場合でもせいぜい2人。できるだけ「小さな本社」を維持するために、コーポレイト(持株会社)に余計な部門を置かないのが彼らの一般的な考えだった。
企業トップから見れば、配下の事業部社長(ディビジョン・プレジデント)は、それなりの意思決定を行う「将」である。日本で言えば、戦国武将の腹心の部下たちが、あちこちの出城の城主を務めているようなものだ。
映画で見るように、国全体の戦いとなれば彼らは殿様の下に集まり、軍議を開いて戦略を進言する。その場合はラインの「将」が、戦略スタッフとしての「智」の役割も兼ねている。米国企業のトップと事業部社長の関係も同じようなものだったと言える。
■経営者が戦略理論を使うのは難しい
ところが、ブルース・ヘンダーソンが戦略論を生み出し、1970年代に入ると、戦略やPPMにあまりにも人気が出てきたので、競争相手のコンサルタント会社も真似て、ポートフォリオと名付けた概念を出してきた。
その頃から、米国企業では「智」と「将」を組織として分離する必要性が強まっていった。その第一の理由は、戦略理論というのは実際に使おうと思えば、結構、難しい理屈で組み立てられている。普通の経営者が完全に理解し、経営ツールとして自分でいじり回すのは簡単ではない。
戦略論の元祖であるBCGのポートフォリオ理論でさえ、一見するとカラフルで単純なチャートに見えるが、経営者が背後の論理や数値の裏付けを正確に理解するのは大変だ。自分でチャート1枚を作ってみようとしても、多くの経営者はすぐにギブアップになる。
1980年に出てきたポーター教授の「五つの競争要因」に至っては、あれほど有名な理論にもかかわらず、本当にその論理で自社戦略を語ったり、実行ツールとして社内で継続的に使っている経営者に私は会ったことがない。論理としてはきれいだが、動態的にデータ化して実際に継続して経営に使うとなれば、作業が複雑すぎて過重になるのである。ひと言で言えば、経営現場での実践性に限界がある。
■「智」の影響力が大きくなり、「将」が萎縮する
そうなると、戦略論を経営に取り入れたい社長のジレンマは大きくなる。理論やツールを自分で使いこなせない。社内の普通の社員もお手上げだ。すると高いお金を払って、社外の戦略コンサルタント会社を使うしかない。これこそ、米国で70年代に戦略コンサルタント企業が爆発的に成長したメカニズムだった。つまり、彼らは企業経営者が自分で使いこなせない戦略論を売り出し、それに関するプロジェクト依頼がコンサルタント会社に来るようにしていたのである。
コンサルタント会社の料金は半端な額ではない。そこで、外部コンサルタントを幹部としてリクルートして、社内に戦略専門グループを立ち上げる会社が増えた。ところが、社長の側近としてそういう専門ブレーンのグループを置くと、社内でその「智」のグループが自己主張を始める。理屈も口も達者な人たちに、他の幹部が勝てない雰囲気が出てくる。
それによって、事業ラインの「将」が抑えられる形が強まってくる。そうなれば事業部の社長たちが全社戦略に影響力を及ぼす機会は減り、彼らは自部門の戦略を「忠実に実行する者」という役割になっていく。業績の悪い事業部の社長は、自分が事業売却の対象になるかもしれないとビクビクするようになる。
■「業界1位、2位以外の事業はすべて売却しろ」
社内で「智」のスタッフが強くなった第二の理由は、戦略論理というものが伝統的な米国の経営志向に合っていたからだ。正確に言えば、意図してそれに合うような論理がたくさん作られ、企業に売り込まれた。トップダウン経営、短期利益志向、MBAを軸にした数字管理、株価や時価総額を重視した経営、リストラなど、たとえ赤字でなくても、株価・財務重視で合理化策を実行する経営が米国で広まってきた。それに合ったさまざまな打ち手が、企業戦略の一環として考え出され、発達するようになっていった。
1970年代に米国の大企業にPPM理論が広まったことと、1980年代に米国でM&Aブームが広がったことは、無関係ではない。例えば1970年代にPPM理論を熱心に信奉したGEから、80年代初めにジャック・ウェルチが社長として登場して、「業界1位、2位以外の事業はすべて売却しろ」と大号令を発して、その思い切った発想が注目を浴びた。しかしそれはPPM理論から自然に引き出される戦略であり、ジャック・ウェルチはそれを実行に移したのである。
![ウォールストリート](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/f/7/1200wm/img_f791d818c47165162b5659f938f1ff62399517.jpg)
短期に財務戦略の効果を出そうとすると、会社の長期の強みを弱めてしまうという矛盾も出てくる。例えば、新しい技術は外から買えばいいと考えて社内の研究開発を切り詰めると、一時的には利益が上がる効果は出ても、長期的には自社の開発能力は枯れていくという反作用が出てくる。一旦殺してしまった技術は、転職の多い米国では人が散ってしまうので、ノウハウは散逸してしまい、もう蘇ることはない。
■戦略論に頼りすぎた80年代の米国企業は弱体化した
戦略論とは、企業が競争に勝ち抜くためのセオリーである。しかし果たして米国における戦略論の発達は、本当に米国企業を強くしていったのだろうか。
現実には、1980年代に入ると多くの米国企業はいよいよ弱体化し、日本企業との戦いで負けが込み、80年代後半には米国全土で史上最悪と言われるリストラの嵐が吹き荒れた。
つまり当時の米国経済の凋落の原因は、日本との貿易問題だけではなく、戦略と称して、短期的な財務的効果や時価総額を意識した事業整理、売却・買収による「会社転がし」など、安易な「飛び道具」に走りすぎた面があったと著者は考えている。
■「組織に落とし込む」ことの重要性
戦略経営者とは、経営者自身が(戦略コンサルタントと同等レベルで)新しい戦略の論理と視点を更新し続け、それを使って社内幹部の戦略発想を刺激し続け、部下と共に戦略ストーリーを立案し、それを確実に組織に落とし込み、その実行と結果に責任を負う。
ここで言う「組織に落とし込む」という言葉だが、軽く読み過ごさないでほしい。これは新戦略を部下に向かって説明したりプレゼンすることだけを言っているのではない。
「組織に落とし込む」とは、改革者が立案した「戦略ストーリー」を、組織の上から下まで「今そこにいる人々」に、できるだけ「シンプル」に、かつリーダーの「熱い語り」で伝える。それによって、その場で聞いた部下たちが心を揺さぶられ、つまり一発で認識を変え、事業の現状に対する自分の「責任と役割」を理解する。その結果として、「今そこにいる人々」が皆で「心」を合わせ、新戦略の実行に向かっていく。
日本企業の社内を知っている人々は、そのことが現実に簡単でないことを知っている。改革には必ず抵抗とサボりの現象が出てくる。それに対して、改革のステップは、次のものだ。
①トップが自ら「ハンズオン」のスタイルで事業組織に立ち入る。
②経営幹部に対する戦略教育を行う。彼らの戦略リテラシー(戦略の読み書き能力)を画期的に上げることを狙う。
③それを受けてトップと幹部は、熱くなって新戦略を立案する。
④その戦略を彼らは、自らの手で、組織一体になって、実行に移す。
⑤このステップで事業革新を目指すと同時に、経営者人材が育成される。
■組織を目覚めさせるような内部改革が必要
事業革新手法は、戦略だけでなく、内部組織の活性化を重視している。その企業改革論を少々長い言葉で定義してみると、
「(弛緩(しかん)している日本企業において)今そこにいる人々(幹部・社員)の戦略意識を目覚めさせ、トップとラインが一体となって事業革新を立案し、実行するための企業改革論」
![三枝匡『戦略プロフェッショナル』(KADOKAWA)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/e/8/1200wm/img_e8fdeab2df64e879ac90f1e9e8c2866b267288.jpg)
本書の改革でも、基礎的な形でそれが実行されていることに読者は気づくだろう。その要素を加えて、改革論をもっと簡略な表現に削ぎ落とすとこうなる。
「戦略論と組織論の一元的な企業改革論」
もっと短い言葉にするために、著者が行き着いた究極の短い定義はこれだ。
「戦略と熱き心の改革」
M&Aを改革のように言うのは、それが本当に改革として有効であれば否定もしない。しかし業績が低迷している日本企業には、内部的な「戦略論と組織論の一元的な企業改革」が必要であり、また有効だと著者は信じている。
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ミスミグループ本社 名誉会長 第二期創業者
一橋大学卒業、スタンフォード大学MBA。20代で三井系企業を経て、ボストン・コンサルティング・グループの国内採用第1号コンサルタントとなる。32歳の時、外資と財閥系企業の合弁会社の常務、翌年社長に就任。次いで大塚製薬が救済した倒産ベンチャーの再生、およびベンチャーキャピタル会社の立ち上げをそれぞれ社長として手掛ける。41歳で株式会社三枝匡事務所を設立。事業再生専門家として16年間不振事業の再生に当たる。2002年、ミスミCEOに就任。同社を340人の商社からグローバル1万人超の国際企業に成長させ、取締役会議長などを経て2021年から現職。一橋大学ビジネススクール客員教授など教壇にも立ち、著書に『決定版 戦略プロフェッショナル』の他、『経営パワーの危機』『決定版 V字回復の経営』『ザ・会社改造』(4冊の出版累計約100万部)があり、米国、中国、台湾、韓国の現地語版も出ている。『三枝匡「戦略と志」講座』を塾長として主宰している。
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(ミスミグループ本社 名誉会長 第二期創業者 三枝 匡)
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