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妻子がいるのに働けない、カネもない…20代で難病に苦しんだ男性に起きた「メダカの奇跡」の物語

プレジデントオンライン / 2023年3月5日 13時15分

「めだかやドットコム」を営む青木崇浩さん。 - 筆者撮影

東京・八王子でメダカ専門店「めだかやドットコム」を営む青木崇浩さんは、20代で難病とうつ病に苦しんだ。しかし、ひょんなきっかけで始めたメダカの飼育が、青木さんの人生を好転させた。いまや青木さんだけでなく、100人以上の障害者がメダカに救われているという。いったい何が起きたのか。フリーライターの川内イオさんが書く――。

■めだか業界のパイオニアが仕掛ける「新しい福祉」

そこはまるで、おしゃれなアパレルショップのようだった。広々としたフロアの壁に沿うように並ぶ、青白くライトアップされた大小の水槽。ふたりの女性が店員から説明を受けながら、興味深そうに見入っている。

フロアの中央にあるハンガーには、パーカーやTシャツ、パンツが吊るされている。スポーツウェアブランド、デサントとのコラボで袖にメダカのプリントが入っているこの商品は、限定品だ。

ここは、八王子駅の駅ビル「オーパ」の5階にある「めだかやドットコム」本店。女性客が眺めていたのは水槽のなかで水草や木、石などを使って表現する盆栽「めだか盆栽」だ。バクテリアで水質を浄化する特許によって、水替え不要で水草の盆栽を楽しめるだけでなく、水を注いでめだかを入れればそのまま飼育できる。

東京・八王子にある「めだかやドットコム」本店。
筆者撮影
東京・八王子にある「めだかやドットコム」本店。 - 筆者撮影

この「めだか盆栽」を考案したのが、店舗を運営する「めだかやドットコム」創業者、青木崇浩さん。ここ1、2年、全国的なメダカブームと言われているが、青木さんは2004年にめだか情報専門のウェブサイト「めだかやドットコム」を立ち上げ、ブームが来る前の2010年にめだかの専門書を出版している、めだか業界のパイオニアだ。

青木さんは今、福祉業界で大きな注目を集めている。自身が経営するもう1社、あやめ会で行っているめだか飼育を通じた障害者の就労継続支援B型事業(詳しくは後述)によって、年間およそ3億円の収益をあげているのだ。そして「めだかやドットコム」本店は、心身の不調が改善し、就労できるようになった事業所の利用者が社員として働く受け皿になっている。

めだかと福祉という異色の掛け合わせは、なぜ生まれたのか? その背景には、青木さんの壮絶な闘病体験があった。

黄金ラメメダカ
写真提供=青木さん
青木さんが生み出した「黄金ラメめだか」。 - 写真提供=青木さん

■医師の診断は「好奇心が強いだけ」

1976年、八王子で生まれた青木さんが最初に「病院に行ってください」と言われたのは、小学校3年生の時。教師が話すことに対して、なんでもかんでも「なんで?」と繰り返したため、教師が脳の障害を疑った。母親に連れられて病院で脳の検査を受けたところ、異常なし。医師の診断は「好奇心が強いだけ」だった。

幼少期を振り返る青木さん。
筆者撮影
幼少期を振り返る青木さん。 - 筆者撮影

なんで? と問い詰めても大人は面倒くさがってまともに答えてくれないことを悟った青木さんは、「こんなことをしたら、どうなるんだろう?」と興味の赴くまま、いたずらに精を出した。今なら炎上必至のこともしたそうだ。しかし、そこからグレて不良になるという道には進まなかった。

「中学に上がった時、国際ジャーナリスト、落合信彦さんの本をたまたま読んでから夢中になって。オイルマネーとかケネディ暗殺の話を読んで、こんな男の世界があるんだ、世界はすごいと思ったんですよ。そうしたら、不良のやっていることがすごくちっぽけに感じたんですよね」

落合信彦に憧れたことで、興味が世界に広がった。高校に入ると、「なんで?」の視点が社会にも向かい、当時24時間営業だった地元のデニーズに友人を集め、「自殺」や「死刑」について議論した。知識豊富な友人がいると悔しくもあり、勉強への意欲も高まったと振り返る。

めだか盆栽
写真提供=青木さん
展示されているめだか盆栽。 - 写真提供=青木さん

■脳神経と脳血管が癒着する難病にかかる

青木さんの祖父は会計士、父は税理士で、大学進学を考える時、父親から「税理士か会計士になりなさい。そのために経営学部、経済学部、商学部のどれかにしなさい」と言われた。祖父と父親がどんな仕事をしているのか理解していたから、特に反発することもなく、一番面白そうだと思った経営学部に進んだ。

その頃はまだ「世界を股にかけて活躍したい」という想いがあり、大学2年生の頃、アメリカ東海岸にある大学に留学した。その時にひとつの大切な気付きを得て、1年で切り上げて帰国する。

「結局、アメリカにいても八王子の友達のことばっかり考えていたんですよ。今思えば、地元の仲間に青木すげえなって言われるのが好きだったから留学もしたし、いつも意識が八王子に向いてる。そこに気づいたら、俺、世界で働く必要性ある? と疑問に思ったんですよね。だから僕、人生でその1年間だけアメリカにいて、それ以外はずっと八王子にいるんです」

地元愛に目覚めた青木さんは、大学院に進んで勉強しながら、これまで通り仲間たちと楽しくやっていこうと考えていた。ところが、帰国して間もなく頭痛と耳鳴りに悩まされるようになり、大学院入試の前に倒れてしまう。

水槽
筆者撮影
取材をした「めだかやドットコムミュージアム」に飾られているめだか盆栽。 - 筆者撮影

病院で検査を受けた結果、顔面の神経と血管が接触する難病「顔面けいれん」だとわかった。医師からは「この病気で死ぬことはない」と言われたそうだが、常にビクンッ、ビクンッと頭のなかで脈が響き渡り、顔面がけいれんする耐えがたい症状だった。

少年時代から挫折を知らず、「これまでも、これからも、なにもかもうまくいくはずだ」と信じて疑わなかった青木さんの人生は、ここから一気に暗転する。

■割れるような頭痛、何度も死にたいと思った

1999年、大学院進学を諦め、父親の会計事務所に入社した。しかし症状は酷くなるばかりで、顔がどんどん歪んでいく。25歳の時に結婚し、翌年、子どもが生まれたこともあり、青木さんは開頭手術を受けることを決めた。

「身体が動かないわけじゃないし、会計事務所でできることもあったけど、なんか、生きてる感じがしなかったんです。もう、ここで勝負をかけるしかないと思いました」

手術によって、病気の症状は治まった。想定外だったのは、術後、思うように身体を動かせなくなり、車イスが必要になってしまったこと。そのうえ、開頭手術の影響か、顔面けいれんとは別の激しい頭痛に襲われるようになった。

もとのように身体を動かすためには、リハビリをするしかない。手術をした病院からリハビリ専門病院に移り、割れるような頭痛を抱えながらのリハビリが始まった。それは、想像を絶する苦しさだった。

いつまでこれが続くんだろう……ある日、病院のベッドに寝ていた青木さんは、天井を見ながら思った。「死にたい」と。でも、死ねない。だって、身体が動かないから――。

闘病中は何度も「死にたい」と思った。
筆者撮影
闘病中は何度も「死にたい」と思った。 - 筆者撮影

その日以来、必死にリハビリに臨むようになった。「身体が動くようになったら、飛び降りよう」という決意を秘めた、「死ぬためのリハビリ」だ。

しばらくすると、その効果が表れ始めた。少しずつ手足の自由が利くようになると、どこからか前向きな気持ちが湧いてきた。結婚して間もないし、生まれたばかりの子どももいる。いつの間にか、「死ぬためのリハビリ」は「生きるためのリハビリ」に変わっていた。しかしそれは、新たな戦いの幕開けに過ぎなかった。

■つらい時期も手放さなかっためだか

車イスなしで歩けるようになって退院した後も全快にはほど遠く、会計事務所に戻るのは難しかった。自宅で療養していると、病院では意識しなかったことを考えるようになった。それぞれの職場で仕事に励んでいる地元の仲間たちと、なにもできない自分を比べてしまうのだ。

絶望の沼にズブズブとはまり込むのに、時間はかからなかった。再び「死にたい」と思うようになり、精神病院に入院した。うつ病だった。頑張れば成果が目に見えたリハビリと違い、うつ病は長引いた。寄せては返す波のように良くなったと思えば悪くなり、入退院を繰り返す。家計は苦しく、一度使ったラップを洗って再利用していた時期もあるという。

それでもやめられなかったのが、めだかの飼育だった。20歳の頃、たまたまホームセンターで買った黒めだかが卵を産んだ。卵から孵っためだかの色が微妙に違うことに気づき、「なんで?」と調べ始めるも、その当時、めだか飼育の本格的な専門書がなく、答えがわからなかった。

それで、探究心に火がついた。調べを進めると、めだかは白、黒、黄の3色がベースになっているとわかった。この3色はグラデーションになっていて、個体ごとに薄さや濃さが異なる。「ということは、メダカを掛け合わせることでいろいろな色を表現できるのでは?」と閃いた青木さんは、繁殖に没頭。顔面けいれんの時も、うつ病の時も、その火だけは消えることがなかった。

「妻が今でも笑い話で言うんだけど、6畳ぐらいの部屋に30から40ぐらいの水槽があってね。妊娠している時、つわりで水槽が臭いと言って吐いていました。でも楽しくて、止められなかった」

■めだかがもたらした転機

2004年、うつ病の療養中だった青木さんは、症状が好転したタイミングで、めだか情報専門のウェブサイト「めだかやドットコム」を公開した。20歳の頃から蓄積してきたノウハウを公開すると同時に、青木さんの技術によって誕生した珍しい色のめだかの写真を掲載した。

「その頃もまったく動けなかったんですけど、稼がないと家族を食わせられないじゃないですか。だから情報サイトを作って、そこで多少稼ごうと思って。働いてないって人に言えないから、元気なふりをしながら運営してました」

数カ月後、ウェブサイト「めだかやドットコム」は毎月数十万PVを記録するようになった。掲示板にもさまざまなコメントが寄せられ、活発なやり取りがかわされた。こうしてあっという間にめだかファンが注目するサイトになると、「当時、全国に数店しかなかった」という大手めだか販売店から年間50万円ほどでバナー広告が入るようになった。そのほかにも約10社から広告が入り、年間150万円が青木さんの主な収入だった。

しばらくするとメディアにも取り上げられ、取材や講演の依頼がくるようになった。少しでも収入を増やすため、うつ病の薬を飲みながら必死に対応した。

ウェブサイト「めだかやドットコム」より
ウェブサイト「めだかやドットコム」より

■子どもたちから「先生」と呼ばれて

2007年のある日、障害を持つ子どもが多く集まる児童養護施設から「めだか飼育の指導に来てほしい」という依頼があった。そこでいつものようにめだかについて話した青木さんは、「先生」と自分を呼ぶ子どもたちに胸を衝かれる。

「その頃、自分は生きる価値のない人間だと思っていました。お金も生み出さなければ、未来も見えないじゃないですか。一生働けないんじゃないかって恐怖のなかで、死んだ方がいいなって思ってたんです。その自分を、先生、先生って呼ぶんですよね……」

開頭手術を受けてから5年、家族や親しい人以外から初めて「必要とされている」と感じた瞬間だった。その施設に2度、3度と通い始めるうちに関係者から福祉業界の課題を耳にした。特に障害を持つ人たちが就労支援の事業所で得られる工賃があまりに低いことを聞き、言葉を失った。

その頃、青木さんの掛け合わせによって生まれた珍しい色のめだかを「めだかやドットコム」で販売すると1匹数万円で売れていたから、「僕がめだかの飼育方法を教えて販売すれば、もっと高い工賃を払うことができるのでは?」と思いついた。とはいえ、それまで縁もゆかりもなかった福祉業界に関する知識は皆無。「まずは福祉業界を知ろう!」と立ち上がった。

これが、大きな転機になる。

■老健施設で得た確信

福祉業界は、大きく分けると老人福祉と障害者福祉になる。青木さんは最初に、介護を必要とする高齢者の自立を支援する介護老人保健施設(老人保健施設)でアルバイトを始めた。服薬しながらの勤務だったが、やがて心身に活力が湧いてくるようになった。

水槽
筆者撮影
「めだかやドットコムミュージアム」の水槽では色鮮やかなめだかが泳ぐ。 - 筆者撮影

「僕が働き始めた時、おじいちゃん、おばあちゃんはベッドの上でボーっと天井を眺めていました。その姿を見るのが、つらくてね。それで、施設にめだかを持ち込んだんですよ。そしたらみんなすごく喜んでくれて、最終的にすべての居室と事務室にもめだかを置いたんです。そうしたら、みんなめだかを大切に育てるようになって、めだかって本当にたくさんの人に喜んでもらえるんだとわかったんですよね」

施設の高齢者がめだかによって元気になり、比例するように気力を取り戻した青木さんは、正社員に登用された。この施設で夜勤などをこなしながら執筆を進めたのが、2010年に出版しためだか専門書『メダカの飼い方と増やし方がわかる本』(日東書院本社)だ。

それまでなかった内容のこの本がヒットしたこともあって(現在20刷)、福祉×めだかの試みが話題になり、ある障害者福祉施設から副理事として来てほしいとオファーを受けた。青木さんは、5年働いた老人保健施設を後にして、新しい職場に移った。

■「なんで?」魂がさく裂

その施設では、知的障害や精神障害を持つ人たちにめだかの飼育を指導した。そこで、新たな気づきを得た。特性のひとつとして「こだわり」が強かったり、「繰り返し」を苦にしない人、「手抜き」をしない人が少なくないため、青木さんを上回るレベルで日々のルーティンワークに真剣に取り組むなど、めだかの飼育に向いているとわかったのだ。また、めだかという生き物と触れ合うことで、情緒が安定したり、情操教育につながることも実感した。

「アニマルセラピーってありますよね。精神を病んでいる人や知的障害がある人たちにとって生き物との触れ合いはすごくいいとされているんですけど、めだかって気軽に飼えるし、大嫌いっていう人がいないんですよ。日々の支援のなかで、彼らならいいめだかを作ることができると確信しました。いいめだかが欲しい人は、誰が作ったかというのは問いません。いいめだかには、いい値がつきます」

青木さんは施設で働きながら、2013年に2冊目の著書を発売、さらに2015年、東京・江戸川区で開催される観賞魚の祭典「第33回 日本観賞魚フェア」の改良メダカコンテスト部門で優勝するなど、めだか業界でも存在感を高めていた。

日本観賞魚フェアにて日本一(総合優勝)となった青木三色錦(日本一受賞)
写真提供=青木さん

日本観賞魚フェアにて日本一(総合優勝)となった青木三色錦。

- 写真提供=青木さん

青木さんの収まることを知らない「なんで?」魂がさく裂したのは、バクテリアを利用した水質浄化システムだ。つわりの妻が水槽の匂いを「臭い」と言って吐いていた姿、そして水槽の水替えが難しい障害者と間近に接することで、水が汚れず、臭いもしない水質浄化システムの開発を思い立った青木さんは、科学の知識ゼロから実験スタート。

詳細は省くが、3年かけて水替え不要、エアレーション(酸素を送る装置)も不要の「青木式自然浄化水槽」を作り上げた。青木さんはこれを2015年に特許申請し、2016年に認められている(特許番号「JP5909757B1」)。なんで特許をとるような発明ができたんですか? と尋ねると、青木さんは笑った。

水槽越しの青木さん
筆者撮影
水草に付着している気泡が酸素。 - 筆者撮影

「メダカを通じて出会った多くのアクアリストから得た知識は、すべて実験をして自分のものにしてきました。そのうえで浮かんでくるなんで、なんで、なんでっていう疑問をひとつずつ潰していったんです。その頃は職場に自分の部屋があったから、そこで研究していて気づいたら朝だったってこともしょっちゅうでした」

100万円のめだか
写真提供=青木さん
青木さんがテレビの企画で生み出した「100万円のめだか」。 - 写真提供=青木さん

■独立して始めた「カッコイイ福祉」

障害者福祉施設でも5年勤め、福祉業界について十分学んだと判断した青木さんは2016年、独立して株式会社あやめ会を創立した。

あやめ会は、障害者の就労継続支援B型事業を手掛ける。B型の場合、雇用契約を結ばずに障害者が働く事業所を運営し、利用者はそこで「就労訓練として行う生産活動」としてクッキーを焼いたり、花を育てたりする。その売り上げを「工賃」として利用者でシェアする仕組みだ。

雇用契約を結び定期的に働くことを前提とする就労継続支援A型の事業所と比べると、B型の利用者は仕事をして対価を得るというよりは、生活のサポートという意味合いが強い。ちなみに、全国にはB型の事業所が1万4393カ所あり、利用者は約26.9万人に及ぶ(厚生労働省「障害者の就労支援対策の状況」より)。生産活動として作ったものを売るのはどこの事業所にとっても課題で、工賃は全国平均で1万6507円にとどまっている。

事業所の主な収入は、自治体から支給される「訓練等給付費」。これは、各月の事業所の利用率と平均工賃をもとに算定される。利用者がたくさんいて平均工賃が高ければ、訓練等給付費も増えるというわけだ。

青木さんは2016年10月、「カッコイイ福祉」を掲げて八王子に就労継続支援B型事業所「めだか販売店」を開いた。当初の予定通り、「就労訓練として行う生産活動」としてめだかの飼育と水質浄化システムで使うバクテリアの育成を取り入れた。こだわったのは、事業所のデザインだ。

めだか販売店
筆者撮影
駅ビル「オーパ」の店舗に飾られているあやめ会の大きな暖簾。 - 筆者撮影

「自分自身がうつ病で苦しんでいた時、一番つらかったのはプライドを傷つけられることだったんです。だから、もし自分の子どもが僕みたいな悩みを抱えても、堂々とここで頑張っているんだって言えるように明るくておしゃれな場所にしました。福祉事業所とも書いていないから、普通のお店にしか見えないと思います」

■あやめ会の事業所に利用希望者が殺到

利用者は「めだか販売店」に通い、スタッフのもとでめだかの飼育、バクテリアの育成、接客などを学ぶ。めだか界の有名人、青木さんが率いるあやめ会のめだかやバクテリアはニーズが高く、初月から利用者の平均工賃2万5000円を実現。その評判を聞きつけ、半年で利用者が25人に増えた。

めだか販売店の広告看板
筆者撮影
あやめ会が八王子の町なかで掲出している「めだか」看板。 - 筆者撮影

特筆すべきは、初年度から一般企業で働くようになった(一般就労)利用者が2人も現れたこと。B型の利用者は一般的に、雇用契約を結ぶA型の利用者よりも障害の程度が重いとされる。そのB型の利用者が、A型を飛び越して一般企業で仕事を得るのは異例と言ってもいいだろう。

この実績に加えて、めだかブームが到来。日本のペット市場で犬、猫の次につけるほどの人気になり、めだかの売り上げも伸びて、工賃が3万円を超える利用者も出てきた。

それが口コミで広がり、利用希望者が殺到。受け入れ人数を拡大するため、2018年6月に第2事業所の「メダカフェ」、2021年12月には第3事業所の「めだかやドットコムミュージアム」をオープンした。どちらもカフェやセレクトショップのような造りで、ふらっと入ってきた人は福祉事業所と気づかないだろう。ここから一般就労する人たちも増えていて、2020年に2人、2021年には3人があやめ会を卒業した。

「うつでどん底だった僕の言葉がみんなに刺さるんだと思います。例えば、歩け歩けと言われても、歩きたくなければ歩かなくていいんだ、歩きたくなったら歩くんだって伝えているんですよ。それは、僕がうつ病を患っている時、福祉に目覚めることでやる気が出て、身体が動くようになるという経験をしたから。そういうきっかけを待ちなさい、でもそのきっかけは部屋のなかにはないから通所してくるようにと言っています。めだかの飼育を通じてなにかしらそういうきっかけを得た子たちは、元気になって就労していきますね」

講義支援風景
写真提供=青木さん
事業所の利用者に話をする青木さん。 - 写真提供=青木さん

■コロナ禍に新会社を立ち上げた

現在、3つの事業所の利用者は合計100人を超えており、平均工賃は2万円。めだか事業で得た利益は利用者に全額還元するため、めだか事業だけで毎月約200万円を売り上げていることになる。一般就労の人数を含めて、あやめ会は全国のB型の事業所のなかでも屈指の成績を上げており、起業から6年で1事業所あたり1億円の収益をあげるようになった。

……と書くと、いかにも順風満帆だが、新型コロナウイルスのパンデミックの時には、「終わったな……」と頭を抱えたそうだ。あやめ会が得る「訓練等給付費」は、利用率から算定される。コロナ禍で通所してくる人が激減すれば、給付費も同様に減額されるのだ。

2020年4月のある日、緊急事態宣言が発令されて利用者もスタッフもいないオフィスに泊まり込み、ひとりでめだかの面倒を見ていた青木さんは、「ほんと儚いな。カッコイイ福祉を作ろうと思ってここまでやってきたのに……」と落ち込んでいた。

しかし、そこから闘病中に福祉に出会った時のような活力が、腹の底から湧いてきた。

「今だからこそ、誰もやっていないことをやってやろう」

それから2カ月後、青木さんは株式会社「めだかやドットコム」を設立。翌年の2021年2月には、駅ビル「オーパ」に直営店を開いた。めだか水槽やオリジナルアパレルなどを売るこの店は福祉事業所ではなく、一般企業。ここで、あやめ会が運営するB型事業所を卒業した3人を社員として雇用している。

今年の春にはもうひとり、あやめ会の卒業生が勤務予定。
筆者撮影
今年の春にはもうひとり、あやめ会の卒業生が勤務予定。 - 筆者撮影

なぜコロナ禍の逆風で新会社を作り、事業所の利用者の受け皿を作ろうと思ったのですか? と聞くと、ニヤリと笑った。

「気合いですね。僕は中学生の時、落合信彦さんに心を打たれて、大きな夢を抱こうと思いました。だから次は、自分が落合信彦さんのように若い子たちを元気づける立場になろうと思ったんですよ」

■めだかに魅了され、めだかに救われた男

コロナ禍で、青木さんの「気合い」はスパークした。2021年10月、エイベックスの社員と知り合ったことが縁になり、シングルCD『めだか達への伝言』を発売。これは青木さんが大きな影響を受けた落合信彦の著書『狼たちへの伝言』のオマージュで、その歌詞は精神的な悩みを持つ若者へのメッセージとなっている。

シングルCD『めだか達への伝言』を発売。
筆者撮影
漫画『北斗の拳』に登場するジャギの仮面をかぶる青木さん。作者の許可を得て作成、MVでも着用している。 - 筆者撮影

さらに同月、スポーツウェアメーカー、デサントとのコラボで、めだかのプリントが入ったアパレルシリーズをリリースした。2022年10月には、クラウドファンディングで集めた300万円を超える資金を投じてめだか盆栽を宇宙に打ち上げている。それぞれのエピソードは割愛するが、青木さんの想いは一貫している。

「コロナ禍で経験したのは、世の中が一瞬で変わってしまうということですよね。明日のことがわからないんだから、障害を抱える人だって毎日を一生懸命楽しく生きよう、そんな福祉があってもいいじゃないかというメッセージです。僕を信じてついてきてくれるスタッフや利用者から、青木さんってほんとに面白い、最高って思わせることが、社長としての仕事だと思ってるんですよ」

こういったド派手な活動によって、青木さんの名前はそれまで以上に広く知られるようになった。その結果、某大手スーパーから声がかかり、なんと全国初、ショッピングモール内でB型福祉事業所を開く準備が進んでいる。さらにこの4月には八王子市内にもう1軒、B型福祉事業所が開設予定だという。もちろん、どちらもめだかを中心にした「カッコイイ福祉」だ。

2016年の起業から7年経った今年、青木さんは5つの事業所とオーパの直営店を運営することになる。顔面けいれんとうつ病で悩んでいた時期を知る人には、想像もつかない姿だろう。

めだかに魅了され、めだかに救われた男は、まだまだ足を止める気はない。

「もっともっと事業が発展的すれば、メダカ盆栽の専門店を増やしたいし、飲食店も好きだからやってみたい。そこで働くのは、やっぱり僕のもとで頑張ってくれた子たちだよね。僕は20代の頃に死にかけて、福祉に元気をもらったから、ガソリンを身体いっぱいに積み込んで、それを福祉に使い切って終わりっていう人生にしたいな」

三色ラメめだか
写真提供=青木さん
三色ラメめだか - 写真提供=青木さん

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川内 イオ(かわうち・いお)
フリーライター
1979年生まれ。ジャンルを問わず「世界を明るく照らす稀な人」を追う稀人ハンターとして取材、執筆、編集、企画、イベントコーディネートなどを行う。2006年から10年までバルセロナ在住。世界に散らばる稀人に光を当て、多彩な生き方や働き方を世に広く伝えることで「誰もが個性きらめく稀人になれる社会」の実現を目指す。著書に『1キロ100万円の塩をつくる 常識を超えて「おいしい」を生み出す10人』(ポプラ新書)、『農業新時代 ネクストファーマーズの挑戦』(文春新書)などがある。

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(フリーライター 川内 イオ)

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