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日本の制度は40年遅れ…"4つの姓"が選べるフィンランドに住んで分かった「日本の不思議すぎる戸籍制度」

プレジデントオンライン / 2023年3月4日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/takasuu

日本の戸籍制度は世界からどのように見られているのだろうか。ヘルシンキ大学非常勤教授の岩竹美加子さんは「夫婦別姓が当たり前のフィンランドに対し、日本の選択的夫婦別姓の議論は40年遅れだ。日本は同姓を選ぶしかなく、諸手続きが煩雑というテクニカルな問題が注目されることが多く、社会の隅々にまで浸透している女性差別に深く向き合う議論はされていない」という――。

※本稿は、岩竹美加子『フィンランドはなぜ「世界一幸せな国」になったのか』(幻冬舎新書)の一部を再編集したものです。

■別姓、同姓、複合姓、創姓から選べる

日本では、結婚すると夫婦同姓しかない。私は、最初は日本人と結婚し、10年間夫の姓を名乗っていたが、自分の名前のように感じたことはなく、離婚したとき旧姓に戻していた。

2018年の法改正によって、フィンランドには別姓、同姓、複合姓、創姓の4つの選択肢ができた。特に通知しなければ、それぞれが自分の姓を保持し別姓になる。変えたい場合は届けるが、夫婦別姓がデフォルトだ。

複合姓というのは夫の姓がA、妻の姓がBの場合、結婚後の妻の姓をBA、またはABとすること。従来はハイフンでつなぐのが普通だったが、2018年からはつながずに離して表記してもよいことになった。

また、2人共複合姓にもできるようになった。その場合、複合姓の順番は、2人で違っていてもよい。たとえば妻はBA、夫はABのように。

また、1人は元の姓のまま、もう1人は複合姓でもよい。つまり夫婦別姓である。ただし、前の結婚で得た、以前の配偶者の名前を新しい結婚で複合姓、また同姓として使うことはできない。

創姓は、結婚に際して新しい姓を作ること。2人の新しい門出を祝して作りたいと思う人もいる。ただし、どんな姓でも作ってよいわけではなく、いくつかのルールがあり審査を経て認められる必要がある。

教育文化省の下にある組織が、例として5000のフィンランド語の姓と700のスウェーデン語の姓をアルファベット順にリストアップしている。

興味深い例として、ルオツァライネンというフィンランド人と塚田という日本人のカップルが、「シンラウハ」という新しい姓を申請したが、認可されなかったケースがある。

シンは心、ラウハはフィンランド語で平和。2つの言語を混ぜるものであること、どちらの国の姓の慣習にも従わないものであることが不認可の理由だったことが、2010年5月のフィンランド法務省の姓名審議会議事録に記録されている。

■1980年、国連女性差別撤廃条約に署名

フィンランドの姓の流れを簡単に見ると、夫の姓に改姓するという慣習はフランスなどから西フィンランドに伝わり、1700年代から上流階級や聖職者の子女の間で夫の姓を名乗ることが流行した。背景には、ロマンチックラブと結婚を結びつける考え方があった。

女性の改姓は、1800年代になると裕福な農民層にも広がった。一方、婿入りした男性が妻の姓を名乗ることもあった。しかし、東フィンランドでは、結婚後の女性の改姓は広がらなかった。

フィンランドで、最初に「姓に関する法律」が制定されたのは1920年。当時は、屋号も使われていて、苗字を持たない人もいた。

1920年の法律は、すべての人が苗字を作ることを規定。屋号を苗字にしたケースもあった。1930年の法律で、夫の姓への改姓、または旧姓と夫の姓を合わせた複合姓が義務づけられ1985年の改正まで続いた。

つまり、女性だけが改姓するのだが、複合姓で夫は元の姓のままなので夫婦別姓である。夫婦同姓と夫婦別姓を含む法律だったことになる。

しかし、1979年の国連女性差別撤廃条約は、こうした制度を見直すきっかけとなった。その条約は、結婚と家族関係における女性差別を禁じ、男女は結婚に関して同じ権利を持つとする条項を含んでいた。

男性は旧姓を保持できるのに、女性にだけ改姓、または複合姓を義務づけるのは、それに反することになる。

フィンランドは翌80年、国連女性差別撤廃条約に署名したが、それを批准するためには法律を改正する必要があった。

■日本の選択的夫婦別姓議論は40年遅れ

法務省は男性も女性も旧姓を保持できる、どちらも複合姓にできるなど選択肢を増やした改正案を準備した。両親が別姓の場合の子どもの姓については、両親が決めることができる等の案も盛り込まれた。

この改正案が国会に提出されたのは、1982年。女性議員のほとんどがその法案に賛成した。現在、女性の国会議員の比率は47%だが、当時は30%である。

しかし、改正案は強い反対を引き起こした。「家族の一体感や絆を壊す」「結婚制度を弱体化する」「親子で名前が違うと、子どもがかわいそう」。

現在、日本で選択的夫婦別姓に反対して聞かれるこうした意見は、フィンランドでは主に当時の「キリスト教連合」系と「フィンランド地方党」系の党によって、1980年代初めに主張されていた。

議論を経て、改正案が通ったのは1985年。フィンランドで女性に改姓、または複合姓が義務づけられていたのは、1930年から1985年までの55年間だ。つまり、夫婦同姓以外の選択肢がないという状況は歴史的になかった。

フィンランドで論拠になったのは、女性差別撤廃と男女平等である。日本では、自民党の右派が選択的夫婦別姓に反対している。

選択的夫婦別姓を求める訴訟で棄却されるケースが相次いでいるが、裁判で論拠とされるのは、憲法や民法、戸籍法などの法律であり、女性差別撤廃や男女平等ではない。

また、実用的な問題として同姓にした場合、さまざまな手続きの煩雑さ、不便さなどテクニカルな問題があげられることが多い。女性差別は日本社会の隅々にまで浸透しているのだが、それにより深く向き合う議論はされていない。

■アメリカで結婚後、戸籍をとってみた

私は、アメリカ・フィラデルフィアで結婚した。

1991年の春で、イラクで湾岸戦争の只中だった。ペンシルヴァニア州の結婚許可が必要で、申請のためにフィラデルフィアのシティホールに行くと、手続きのために入った部屋の壁に「広島長崎バグダッド」と大きく書いた紙が貼られているのが目に入った。

つまり広島と長崎に次いで、イラクの首都バグダッドへの原爆投下を誘うものだ。

当時は街を歩くと、玄関のドア近くなどに黄色いリボンを結びつけた家をよく見かけた。出兵した息子やアメリカ兵の無事を祈る気持ちを表すものだ。しかし、それは3度目の原爆投下を望む気持ちと地続きでもあった。

結婚申請書のコピーを今も持っているのだが、1枚の長い紙で「男性の記述」と「女性の記述」の縦の2列に分かれている。住所、氏名、職業、生年月日、生まれた場所に続くのは「人種の色」である。

多様な人種の目元
写真=iStock.com/Jun
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Jun

「人種の色」という表現、さらに括弧して「ホワイト、ネグロ、その他、具体的に」と書かれていることに2人とも「ええーっ!」と驚いた。非常な不快感と抵抗を感じたが、私はイエロー、夫はホワイトと書くしかなかった。

アメリカでは大学も学生の人種の分布を調査しているが、地理的なエリアで出身を聞くのが普通だ。色で言わされるのは初めてだった。

■戸籍に男女の別は記されていない

ドイツのブルーメンバッハやフランスのゴビノーに遡る、1700年代後半から展開された人種理論は、1990年代アメリカの結婚許可申請で制度化されていた。

しかも、黒人より差別的な「ネグロ」という言葉も使われていた。こうした質問は、異なる人種は混ざるべきではないというゴビノー的な優生思想も感じさせる。

アメリカの結婚にはフィンランド同様、教会での結婚と非宗教的なシビル結婚の2つがある。私達はシティホールでシビル結婚した。結婚式をとり仕切るのは、牧師ではなく判事。

家でのパーティには大学院の友人や知人、教授、教務の人などが大勢来てくれて、明け方近くまで賑やかだった。

外国での結婚は日本でも有効と聞いていて、翌月東京に行ったとき区役所に届け出た。戸籍とはどういうものなのか興味津々で、戸籍謄本をとった。外国人は戸籍の筆頭者にはなれないので、筆頭者は私だ。

「平成○○年○○月○○日国籍フィンランド国○○○○(西暦○○○○年○○月○○日生)とアメリカ合衆国ペンシルヴァニア州の方式により婚姻同年○○月○○日証書提出東京都○○区○丁目○○番地(註、本籍地)○○○○(註、父の氏名)戸籍から入籍」

スペースも句読点もない文章で、最後の「入籍」の籍の字に小さいハンコが押されている。ここで「入籍」というのは、新たに作った私の戸籍への入籍を指す。

上記の文の下には、「妻」という欄があり「美加子」と私の名前が書かれている。これは、筆頭者は私、その妻も私であるかのようでわかりにくい。

ただし、男性の場合も同様の書き方になる。男性を筆頭者とする戸籍には、同じ場所に「夫」という欄があり、そこに筆頭者の名前が書かれる。戸籍は、わかりやすく記録することを目的にしていない。

夫の名前は、日本式に姓を先にして書かれている。しかし、生年月日は西暦で書かれていて統一性がない。それ以外のすべての時間の表記は元号なので、そこだけ時間の秩序が異なっている。

私の生年月日は2カ所に書かれていて、無駄な重複がある。「戸籍上は男性(女性)」という表現をよく聞くが、戸籍に男女の別は記されていない。性別は長男、長女などの記載からわかるのだろう。

■バツイチと死亡の双方につけられる印

バツイチという表現がある。離婚すると、戸籍に×がつけられるという理解からきた表現と思われる。しかし、私の戸籍は外国人との2度目の結婚で作られたものなので、最初の結婚についての記載はない。

一方、私の父を筆頭とする戸籍には、私の最初の結婚、離婚と2度目の結婚についての2つの記載があり、両方の記載の下の欄にバツをつけられた私の名前がある。

つまり、私という人の記録としては重複しながら一貫性に欠けている。遺産相続の際、故人のすべての戸籍を集めなければならず時間がかかって煩雑なのは、こうした欠落がありうるからだろう。

泣きながら部屋を出ていく女性
写真=iStock.com/yamasan
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/yamasan

バツイチは、戸籍上では除籍と記される。死亡した場合も除籍になりバツがつけられる。

私の父を筆頭とする戸籍で、父は「平成○○年○○月○○日午後○○時○○分東京都○○区で死亡同月○○日親族○○○○届出除籍」になっている。死亡診断書ではないのだが、何時何分まで書かれている。

また「親族○○○○」と書かれているのは、私の母である。なぜ「妻」ではないのか疑問がわく。上の記述の下方に「夫」という欄があり、父の名前が書かれているが、そこにはバツがつけられている。

父が死亡し除籍されたことは、父を筆頭者とする戸籍に記されているが、死んでも筆頭者であり続け、母はそこに居続ける。

ただし「平成○○年○○月○○日夫死亡」と記入されていて、その下にある「妻」の欄で、妻という字が太めの縦線で消されている。

■「死後離婚」は存在しない

日本では妻が夫の死後に離婚を求める「死後離婚」が増えているという。夫が亡くなった後、妻が離婚するケースである。

夫の死後も、夫の親や親族から介護を求められることを避ける、夫との関係を断つなどが理由だという。死んだ夫と離婚する死後離婚とは、まるでホラー映画のようだ。

フィンランドの婚姻法第3条は、「配偶者が死亡したとき、認定死亡のとき、または離婚が成立したとき、婚姻は解消する」としている。

つまり、配偶者の死によって婚姻が解消することは、離婚による婚姻の解消と並ぶものと規定されている。死んだ夫と離婚するなどありえない。

また、ここには人に対する根本的な認識の違いがある。先の記事でふれたように、フィンランドには「自然人」と「法人」がある。簡単にいうと、自然人は生身の肉体を持つ私たち人間。

法人は、会社や自治体、市民組織など「人工的」な人である。どちらもさまざまな権利と義務を持つが、「自然人」の権利は生まれたときに始まり、死んだときに終わる。死んだ人と婚姻関係にあること、死んだ人と離婚するなどということは法的にありえないのだ。

戸籍は筆頭者のもとに家族を束ね、妻は夫に、子は父に属すものとして記録する。

人口登録の制度が中立なものではなく不平等が組み込まれていることは、女性差別、外国人差別、人権侵害などの問題とつながるだろう。

■個人という概念を嫌う日本

私の戸籍では、普通使われない壱、弐、参、拾などの漢字が使われていて、読みにくくわかりにくい。さらに戸籍には、明治、大正、昭和、平成、令和などの年号が入り混じる。

家族の戸籍であっても、何年のことなのかすべて西暦に換算しなければわからない。家や世帯として束ねられる一方、時間の流れは分断され元号という天皇の時間に切り裂かれる。

戸籍は、管理や統治の方法としては非効率的だ。人口登録の制度として最もシンプルなのは個人ごとに記録することなのだが、日本では個人という概念を嫌う。戸籍を「日本固有」の制度として維持することが、目的化しているようだ。

岩竹美加子『フィンランドはなぜ「世界一幸せな国」になったのか』(幻冬舎新書)
岩竹美加子『フィンランドはなぜ「世界一幸せな国」になったのか』(幻冬舎新書)

選択的夫婦別姓への強い要求があるが、自民党が渋っている。家族の絆が失われるなどが理由とされているが、より深い理由は戸籍制度が崩れることへの怖れだろう。戸籍は、平成6(1994)年に電算化されたというが、根本的な考え方は変わっていない。

遠藤正敬は『天皇と戸籍「日本」を映す鏡』(筑摩書房)で、戸籍は天皇から見た臣民簿であること、戸籍と天皇制は対になって互いを支えあう制度であることを論じた。

戸籍には日本の根幹に関わる深い問題があるのだが、自由な議論をすることができないという別な問題もかかえている。

■日本の戸籍と住民票

戸籍に書かれる本籍は住所ではないので、住所の記録や証明には住民票という別のものが必要になる。

住民票の項目は、「住所」「世帯主」「氏名」「生年月日」「性別」「続柄」「住民となった年月日」「本籍」「筆頭者」である。世帯主との続柄において人はある場所に住むという思想は、戸籍の世界観とつながるものだ。

住民票を編成したものとして、さらに住民基本台帳があり、総務省はそれを次の事務処理のために利用しているという。

・選挙人名簿への登録
・国民健康保険、後期高齢者医療、介護保険、国民年金の被保険者の資格の確認
・児童手当の受給資格の確認
・学齢簿の作成
・生活保護及び予防接種に関する事務
・印鑑登録に関する事務

戸籍謄本と抄本、住民票、住民基本台帳という煩雑な制度を持ちながら、非常に限られた事務処理しかされていないことがわかる。

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岩竹 美加子(いわたけ・みかこ)
ヘルシンキ大学非常勤教授
1955年、東京都生まれ。早稲田大学客員准教授、ヘルシンキ大学教授を経て2019年6月現在、同大学非常勤教授(Dosentti)。ペンシルベニア大学大学院民俗学部博士課程修了。著書に『PTAという国家装置』、編訳書に『民俗学の政治性』など。

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(ヘルシンキ大学非常勤教授 岩竹 美加子)

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