賃上げできるのは勝ち組大企業だけ…「賃上げ大号令」の岸田首相が根本的に勘違いしていること
プレジデントオンライン / 2023年3月6日 9時15分
■企業の姿勢は3つに分かれ始めた
最近、わが国企業の中で賃上げの機運が高まってきた。その背景には、約40年ぶりのインフレが続いて、賃上げをしないと従業員の生活が厳しくなっていることがある。それに加えて、人手不足が深刻化しており、賃金を上げないと企業が必要とする人材を確保することが難しくなっていることがある。
企業の賃上げに対する姿勢を見ると、大きく分けて3つに分類することができるだろう。一つ目は、物価の上昇分程度の賃上げを行い既存の従業員の生活水準を維持しようとする企業だ。
二つ目は、生活維持からもう一歩進んで、雇用や賃金体系を根本から見直し、優秀な人材を積極的に確保しようとする企業である。正規雇用だけでなく、非正規雇用の分野でも積極的な賃上げは増えている。そうした企業が増えることは、中長期的なわが国産業の競争力と経済の実力向上を支えるだろう。そして3つ目のカテゴリーは、収益状況が厳しく、なかなか賃金を上げられない企業も多い。
相応の収益力を持ち、より高い成長を志向する企業は、今後も個々人の成果に応じて賃金をアップさせるだろう。一方、今後の景気動向によっては、賃上げが難しくなる企業も増えるかもしれない。懸念されるのは、経済格差の拡大である。格差の拡大を防ぐために政府はセーフティーネットの整備が必要になるだろう。
■自動車産業は政府の要請に応じる動き
賃上げに対する企業の考え方は、いくつかのグループに分けるとわかりやすい。一つは、国内物価の上昇率前後の賃上げを行い、従業員の生活水準を守ろうとする企業だ。1月、消費者物価指数の上昇率は前年同月比4.3%だった。物価の上昇余地が懸念される中で連合や政府は実質ベースでの賃金増加を念頭に、5%程度の賃上げを目指している。
そうした要請に対応するために、要求水準、あるいは物価上昇ペースに見合った程度の賃上げを行う企業は増えている。主力の自動車産業では、ホンダやトヨタ自動車が労働組合の要求に満額回答した。企業によって賃上げ水準にばらつきはあるが、マツダでは約4%、日産自動車やダイハツでは3%台の賃上げが目指されている。
二つ目は、最近、わが国企業の中には、経営トップが賃金体系を根本から見直し、優秀な人材の確保と登用を推進しようとする動きだ。その根底には、長く続いてきた“終身雇用・年功序列”の雇用慣行から見直し、年齢や性別などにかかわらず、個々人の活力を高めようとする考えがある。
■イオンは約40万人の賃上げ、オリエンタルランドも
代表的な企業の一つとして、サントリーホールディングスは6%超の賃上げを検討している。同社は積極的な賃上げによって物価上昇下での従業員の生活を守ることに加え、従業員のモチベーションを高め、より高い成長を目指そうとしている。サントリーは賃上げに加えて研修制度も拡充し、人々が学び、新しい発想を実現して高付加価値の商品を生み出す力を引き上げようとしている。人材を育成して、より高い成長を目指そうという考え方だろう。
積極的な賃上げの動きは非正規雇用にも及び始めた。一例として、イオンはパート従業員の賃金を7%引き上げる。連結子会社の147社、約40万人のパートを対象に賃上げが行われる。平均年収は8万円増える見通しだ。オリエンタルランドもパートなどの時給を大きく引き上げる。人材の確保に加え、賃上げによって人々の成長意識を高め、事業運営の効率性向上につなげようとする企業が増えつつあることは、他の企業にもより強い賃上げ志向を与えるだろう。
■中小企業の賃上げは依然として厳しい
大企業と中小企業に分けて考えると、中小企業には賃金をなかなか上げることが難しいケースが多いようだ。それは、商工組合中央金庫(商工中金)の「中小企業の賃上げの動向について(2022年11月商工中金景況調査 トピックス調査分)」などから確認できる。
単純な比較はできないが、2014年、2016年に商工中金が行った調査に比べ、定例給与・時給を引き上げる企業の割合は増えている。ただ、2023年の中小企業全体の賃上げ(定例給与・時給の平均引き上げ率)は1.98%にとどまる模様だ。2021年の1.31%、2022年の1.95%に比べ賃上げ率は小幅に高まってはいるものの、実質ベースでの賃上げは容易ではない。
最大の問題は、わが国の中小企業を取り巻く事業環境が不安定化していることだ。全体として中小企業の倒産件数は増えている。また、大企業と比較すると足許の中小企業の事業環境の厳しさも増している。昨年12月の日銀短観によると、大企業製造業の最近の業況判断は7、非製造業は19だった。一方、中小企業はそれぞれ、-2と6だった。
■仕入れ価格の上昇、残業代、資金繰り…
ウクライナ紛争などによるエネルギー資源などの価格上昇や円安の進行を背景に、仕入れ価格が上昇するなどコストプッシュ圧力は高まった。その状況下、中小企業にとって価格転嫁は依然としてむつかしい。2022年度の計画ベースで中小企業全体の経常利益は前年度から5.1%減少すると予想されている。4月からは中小企業においても月60時間を超える残業の割増賃金率は、それまでの25%から50%に引き上げられる。コストプッシュ圧力は一段と高まるだろう。
また、“ゼロゼロ融資(実質無利子・無担保の融資)”の返済に伴い、資金繰り不安を抱える企業も増えている。東京商工リサーチによると、2023年1月、ゼロゼロ融資後の倒産件数は前年同月比500%の48件だった。全体として中小企業の賃上げは人材のつなぎ留めなどを目的とした防衛的なものになる傾向は強まっている。
![全国各地で増えている「シャッター通り」](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/1/9/1200wm/img_19f27eb3139c71b299d332d6d7a619c0474674.jpg)
■中小企業の賃上げは格差問題に直結する
わが国経済全体で、規模の大小に関係なく、積極的に賃上げを進める企業が増えているとは言いづらい。雇用の7割を占める中小企業の多くにおいて、物価上昇ペースを上回る賃上げは難しいといわれている。その状況が続けば経済格差は拡大するだろう。
足許の世界経済では、米国や中国で生産活動が停滞し始め、設備投資のモメンタムは弱まり始めた。わが国では設備投資の先行指標である機械受注が減少している。今後、賃金を積極的に上げることのできる企業と難しい企業の二極化が鮮明となる展開は排除できない。
資本主義の経済では、基本的に、市場メカニズムを通して成長期待の高い産業や企業にヒト、モノ、カネが再配分される。競争原理が働くことによって、企業の成長ペースや個人の所得状況に差が生じることは避けられない。問題は、その状況が続くと格差の固定化懸念が高まる。それは社会心理全体を抑圧し、長期的に政治・経済にマイナスの影響を与える。
■賃上げとともに就労支援の整備が不可欠だ
それを避けるために、政府はしっかりとしたセーフティーネットを設ける必要がある。セーフティーネットの代表的なものとして、失業給付や中小企業への補助金などがある。そうした取り組みは今後も必要だろう。
それに加え、わが国では、個々人が能動的に新しい知識や技術の習得に取り組む社会全体の制度も必要不可欠だ。実務に精通したプロを講師に招き、国際的にも遜色ないリカレント教育の場をより多く設ける。その上で、人材のマッチング向上を目指して職業紹介(就労支援)制度を強化する。
2000年代のドイツでは解雇規制の緩和に加え、職業訓練と就労支援を強化した。就労を拒む場合には失業給付を減額して人々に働こうとする意識を植えつけ、経済の再生を実現した。それは、企業、産業間での労働力の再配分を促し、企業の成長を支える。その上で企業が高い成長を実現できれば、より積極的に賃上げを行い、従業員の成果に報いようとする企業は増えるだろう。
足許、わが国で賃上げ機運が高まりつつあることは重要だ。政府がそれを支えるセーフティーネットを整備することは、中長期的な賃上げ機運を高める要素の一つになるだろう。
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多摩大学特別招聘教授
1953年神奈川県生まれ。一橋大学商学部卒業後、第一勧業銀行(現みずほ銀行)入行。ロンドン大学経営学部大学院卒業後、メリル・リンチ社ニューヨーク本社出向。みずほ総研主席研究員、信州大学経済学部教授、法政大学院教授などを経て、2022年から現職。
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(多摩大学特別招聘教授 真壁 昭夫)
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