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不登校から医者を目指すも挫折…慶應中退の元ホストが「20日間のアメリカ横断一人旅」で見つけた人生の方針

プレジデントオンライン / 2023年3月5日 15時15分

SINCE YOU…主任を務めたホスト、皐月さん。

自分らしく生きるにはどうすればいいか。慶應中退で新宿歌舞伎町のホストクラブ主任を務めていた皐月は、28歳のときに行った20日間のアメリカ横断で新たな挑戦を決めた。居心地の良い環境だからこそ、やめなければはじまらないと思ったという。日本水商売協会代表理事の甲賀香織さんが書いた『日本水商売協会 コロナ禍の「夜の街」を支えて』(筑摩書房)より紹介しよう――。

※本稿は、甲賀香織『日本水商売協会 コロナ禍の「夜の街」を支えて』(筑摩書房)の一部を再編集したものです。

■中等部から慶應。医者を志すも一転、18歳でホストの道へ

人は、なんのために生きるのか。

常識や世間体という窮屈な枠の中から一歩踏み出してみたとき、そこに自分の居場所が見つかった。

目の前に見えていた道とは違う今を生きることを決めた皐月。彼と話していると、その自由な生き方が羨ましくさえある。

普通は執着しそうなものをあっさり捨てて次を見ている。普通は尻込みしそうなところを満面の笑みで進んでいく。新しいことへの挑戦を好み、自分なりの方法でそれを成し遂げる。

それが、新宿・歌舞伎町のホストクラブ「SINCE YOU…」で2021年12月まで主任を務めた皐月(さつき)である。

ある平日の13時。一面の窓ガラスから光が差し込む店内に、皐月はいた。

私の姿を見つけると、立ち上がって深々と一礼をする。彼に染み付いた育ちの良さは、食事をするときの両手を合わせた「いただきます」からも読み取れた。

皐月。28歳。ホスト歴は10年になる。

彼は慶應大学理工学部を中退している。慶應に入ったのは中等部からだという。

幼い頃から医者を目指していた彼は、慶應大学医学部への進学の可能性を絶たれ、生きていく道を模索していた。

そんな大学一年生の秋、昼下がりの道を友達と歩いていると、見るからにホストっぽい男性に声をかけられた。

それが、皐月がホストになったきっかけである。

■中学2年で不登校、「ハガキ職人」に没頭

皐月は東京都出身。兄弟はいない。

目標である慶應中等部に合格するために、小学生時代はとにかく一心不乱に勉強をした。そんな小学校時代は、大人向けの小説や、父から勧められた論語を読むような子どもだった。ちなみにその頃から、女の子にはモテたという。

そして、目標であった慶應中等部に無事合格できたものの、中学1年生の頃から次第に学校に馴染めなくなり、中2の頃に登校拒否になった。

東大を目指していた皐月は入学と同時に猛烈に勉強を始めたため、成績では常にトップだった。

つまずいた原因はスクールカーストである。1クラス40人のうち、14人が女子。そして、スクールカーストのトップは女子たちだったという。

人数は少ないが、力が強い女子に媚びを売るのが嫌で、友だちができず、学校に行きたくなくなったのだ。

学校に行けなくなると、全く勉強をやめてしまった。中学2年、3年の間は、毎日部屋にこもって一日中ラジオを聞いていた。

狭い部屋の中では、ラジオの世界が皐月の唯一の世界だった。今度はラジオでトップを取ろうと構成作家という夢を持ち、一生懸命聞いていた。

自分の投稿が取り上げられることが構成作家への道であると当時の皐月は信じていた。

日本で年賀状を書く女性、ねなうう
写真=iStock.com/Yue_
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Yue_

皐月の没頭しやすい性格は、この頃から随所に見てとれる。そんな彼に対し、両親は特に何も言わなかったという。

不登校には慣れてくる。テストのときだけ学校に行き、勉強していないために当然成績は悪いが、数学だけは学校に行かなくてもできた。

■「人生終わったな」と思った瞬間

慶應義塾高等学校へ内部進学を果たすと、今度は男子校となったために、再び学校に通いだした。

「やっぱり勉強がしたい」

不登校の間、通っていた医師のように、人を助ける医師になりたい。

その強い思いにより、再び勉強の熱に火が着く。自ら中学の学習内容のおさらいから勉強をしなおした。すると、高2、高3の成績はトップクラスとなった。

医師になることをモチベーションとして勉強に励んでいた彼だが、内部推薦での慶応大学医学部への不合格通知で、目の前が真っ暗となった。

やむを得ず理工学部へ進学し、次なる夢として研究者を目指したものの、1年生の物理でさっそく単位を落としてしまう。「人生終わったな」と思ったという。

思うとおりにいかない、思い描いたような進路に進めない苛立ち。大学生活がつまらなくなっていく。そんなとき、「ホストをやってみないか?」と、スカウトされた。

■こんなに楽しい世界があるのか

こうして皐月は、大学1年生の秋頃から、ホストへの道を歩み始めた。当然、皐月にとって未知の世界である。テレビで見たことはあるけれど、業界のことはよくわからなかった。

はじめは、単なる好奇心で歌舞伎町に足を運んだ。女性を口車に乗せて貢がせるのがホスト。そんなイメージが、皐月にもないわけではなかった。だが、実際のところは見てみなければ、わからない。

アルバイト初日。キラキラした店内。ノリノリの曲と、女の子たちの笑い声。そして、そこにいるホストたちはカッコ良く、輝いていた。

19歳の皐月にとっては20代半ばくらいのホストたちは大人に見えた。こんなに楽しい世界があるのか。皐月はその日からこの世界のとりこになった。

皐月のホストとしての人生は、最初から順風満帆なものではなかった。新人の頃は月収6万円の寮生活。食事はもっぱら、誰かにごちそうになる。服も先輩にもらう。

そうしないと、生活すら成り立たなかった。ホストになって1年ほどは、そうした生活が続いたという。

それでも、皐月はホストという仕事が楽しくてしかたがなかった。夢中になれるものが見つかったことで、大学への熱が冷めてしまった。

そして、大学は1年で中退をすることになる。休学として籍を残しておくこともできたが、逃げ道を残しておくことに嫌悪感を抱き、退学を決意した。

■今を精一杯生きる

皐月にとって大きな転機がある。

24歳の頃、親友が亡くなった。高校時代から同じく医師を志し、彼は研修医として走り出した頃だった。

死因が明確にされることはなかったが、恐らくは自殺であろうと皐月は思っている。

亡くなった親友はこれまで、あらゆることを犠牲にして勉強を頑張っていた。

未来のために今を我慢して頑張って、夢であった医師にもなれたのに、いざその未来が訪れたときになって、なぜ死を選択することになったのか。

その答えはわからないが、このとき以降、皐月はそれまで以上に「今」を意識することになった。

未来のために惜しみない努力をすることを得意とする皐月にとって、「今」を優先する、ということが大きな転換となる。

堀江貴文氏の言葉「過去にとらわれず、未来を恐れず、全力で今を生きる」という言葉に支えられていた、という。

目の前にいる人と、今という時間を、大切にしなければならない。ホストである自分の役割は、自分と自分の周りの人を精一杯楽しませること。それが自分にできる最大の貢献だと思った。

今を精一杯生きる、ということは目先の快楽に身を任せるということとは意味が違う。

だから、皐月は業務の改善、より良いサービス提供のために、常に新しいことにチャレンジしたいという欲求がある。

前進し続けることが彼自身の自尊心を満たし、自分の存在価値を高めると考えているのだろう。

■1口10万円を分け合う「クラウドファンディングタワー」

その1つの例が、「クラウドファンディングタワー」という試みだ。接待飲食業ではおそらく初めてだろう。皐月は、自身の誕生日に200万円のシャンパンタワーを入れた。

通常、シャンパンタワーは一人の客が入れるものだが、それを一口10万円にして、何人かで分けて入れる。

一人ではシャンパンタワーの費用を出せないお客様にも、クラウドファンディング形式にすることで、その喜びや楽しさを味わってもらいたい。そんなふうに考えた。

しかし、「前例がないし、ありえないから、無理」。アイデアを相談したときに、同僚たちには、そう言われていた。

通常ホストクラブでは、客同士がライバルとして認識し合うため、協力し合ったり、一緒に楽しむようなことはありえないからだ。

しかし、こんな常識を超越し、SNSを通じて購入者は大勢集まった。

日頃から、目の前の女性の人間性を深く理解し、受け入れようとする接客姿勢を貫いていたからこそ、彼がこの「クラウドファンディングタワー」でお客様を喜ばせようとしているということを理解してもらえたのだろう。

当日は複数のお客様がタワーの周りに集まった。ライブ配信で閲覧する方もいた。お客様同士が乾杯している様子に、皐月は心が震えたという。

誕生日に実現させた、一口10万円のクラウドファンディングタワー。
誕生日に実現させた、一口10万円のクラウドファンディングタワー。

■居心地の良い環境だからこそ、「やめなければ始まらない」

私から見た皐月は、優しくて平和主義。協調性があり、学習意欲が高い。

人の役に立ちたいという想いが強く、繊細で、ポジティブ――あるいは物事をポジティブに考えようと努めているように見える。

甲賀香織『日本水商売協会 コロナ禍の「夜の街」を支えて』(筑摩書房)
甲賀香織『日本水商売協会 コロナ禍の「夜の街」を支えて』(筑摩書房)

そして、皐月は2021年12月、10年働いたホストの仕事を辞めることにしたようだ。

10年目の誕生日イベントが終わった後、自分の世界を広げるために20日間のアメリカ横断の一人旅をし、そこで決意したという。

最低限の資金で済ませるために、移動手段はもっぱら地元の人が使うバス。特に治安の悪い地域のバス移動は危険なため、はじめはドキドキした。

それでも毎日のようにそのような場所にいると、段々慣れてきて、ストレスなく過ごせるようになったという。それが自分の人生と重なった。

登校拒否もそう、ホストとしての生活もそう、慣れてくるのだ。慣れは、良い面と悪い面とを併せ持つ。気心の知れた居心地の良い仲間の中では、これ以上の自分を見いだせないと考えた。

それは、10年、がむしゃらに働いたからこその決断だろうと思う。10年を区切りとして、新しい世界に飛び込むべきだと考えたのだ。

次なる挑戦は起業だ。日本に帰国する頃には、没頭しやすい性格の彼の頭の中は、起業に向けてのワクワクでいっぱいになっていた。

彼の未知なる世界への好奇心や探求心は、勉強を頑張っていた学生時代のそれと何も変わらない。

ただ、彼の価値観の中で、常識や世間体という判断基準が重要視されていないだけであって、いつまでも、純粋で一生懸命なままだ。

ホストの仲間との毎日を通して、マズローの欲求5段階説でいう、承認欲求は満たされた。次は、自己実現欲求だ。

居心地の良い環境だからこそ、「やめなければ始まらない」と彼は言う。

そんな皐月の唯一のコンプレックスは、「やりきる力」であるという。

大学も、ホストも、やりきれていないということを後ろめたく感じている。だからこそ、辞めるという決断は軽く考えているわけではない。

「やりきらないと。やりきらないと」

皐月は自分に言い聞かせるようにつぶやいていた。

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甲賀 香織(こうが・かおり)
一般社団法人日本水商売協会代表理事
1980年、埼玉県生まれ。青山学院大学文学部卒業後、出版社等を経て株式会社ベンチャー・リンクに入社、カーブスジャパンに出向。人材教育や営業マニュアルの作成、新規店舗の立ち上げ、業績不振店舗の再建に従事する。27歳で銀座の高級クラブ「ル・ジャルダン」に入店。1年でナンバー1となる。引退後は、ホステスの営業メール配信システムの開発・販売を行う。2018年、日本水商売協会を設立。

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(一般社団法人日本水商売協会代表理事 甲賀 香織)

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