極貧と闘病を経て41歳・銀座オーナーママが「明朗会計の全く新しい銀座のクラブ」をオープンさせた理由
プレジデントオンライン / 2023年3月6日 18時15分
※本稿は、甲賀香織『日本水商売協会 コロナ禍の「夜の街」を支えて』(筑摩書房)の一部を再編集したものです。
■絵に描いたような富豪一族と娘としての葛藤
銀座「CLUB AMOUR」のオーナーママ、河西泉緒(かわにしみお)。
彼女の人生ほど、「波乱万丈」という言葉が似あう人生はない。彼女はどんな状況からでも、這い上がってきた。
誰にも甘えず、長いものに巻かれることもなく、自らの理想のお店を、人生を着実に実現させている。
幼少期は、東京都調布市内で一番の大豪邸で過ごした。絵に描いたような富豪一族で、だだっ広い敷地の中には親戚らの家が3軒並び、運転手付きの高級車が数台あったという。
裕福だった理由は、祖父が大企業の経営者だったからだ。
社員2000人を抱える会社を一代で築き上げた。洋服もおやつも手作りしてくれる優しい母と、かっこいい父。
3人姉妹の中で満ち足りた生活を送っていた――と、周囲からは思われていただろう。
しかし、幼い泉緒の心は、常に何かと闘っていた。いとこ10人が同じ敷地で暮らしていたが、祖父からは孫の中で自分だけが好かれていない気がしていた。
頑張らないと人には認めてもらえない。人から愛されるために、習い事も、お手伝いも誰よりも頑張っていた。
そして、小2にして摂食障害になる。学校で、太ももの太さをからかわれたショックがきっかけだった。
23歳で摂食障害を克服するまで、ずっと頭の中から食べ物への興味、罪悪感、呪縛が消えることはなかった。
■倒産、そして父の失踪
裕福で幸せな生活も、少しずつ歯車が狂い始めていた。2代目として父が会社を継いだ頃、日本はバブル期の絶頂にいた。そして、勢いのある会社ほど、崖からの転落も早い。
泉緒が11歳の頃にバブルが崩壊。そして、会社が倒産する。
土地も家も、すべて手放すこととなった。あまりの急な転落に、泉緒の父は相当なストレスを抱えていたに違いない。
引っ越しを目前にしたある日、大好きだった父が姿を消した。
「パパはいつ帰ってくるの?」と何度も母に尋ねた。母は、何も答えなかった。
父は通っていた銀座のクラブで知り合ったホステスと駆け落ちをしたらしい、ということを後から知った。
泉緒は、銀座のホステスに父を奪われたと感じ、ホステスという存在を憎むようになった。
そして、父が不在のまま一家での引っ越し。母は娘たちにみじめな思いをさせたくないと言い、無理をして3LDKのアパートを借りてくれていた。
泉緒は自分が生まれ育った、つい昨日まで住んでいた家が大きな音を立てながらブルドーザーで潰されていくのを、泣きながら見守ることしかできなかった。
不安と、悲しさと、寂しさで押しつぶされそうだった。
■パティシエという職業の現実
思春期の子どもたち3人を抱えた母は、給料の良い土木作業員として夜通し働きながら、必死に子どもたちを守ってくれた。そんな母には感謝しかない。
少しでも母を助けることができればと思い、中学生になった泉緒も、西調布の洋菓子店「ぱてぃすりーど・あん」でアルバイトをして家計を支えた。
しかし、泉緒は一家での狭いアパート暮らしがどうしてもいやだった。
成績の良かった泉緒は都立高校へ入学と同時に、一人暮らしを始めた。家賃5万円、築40年、三宿の風呂なしアパート。
「ボンマルシェ」(現在は閉店)という洋菓子店で働き、自分の生活費は自分で賄う生活をスタートする。
ペットボトルに水道水や、自分で作ったお茶を入れ、お弁当は自分で握った具なしのおにぎりを持ち歩く。帰りに近所のパン屋さんでパンの耳をただでもらい、それを夕食代わりにしていた。
高校の同級生たちが大学受験の話をしているなか、泉緒は大学へ行くつもりがなかった。洋菓子店でアルバイトをしていた中学の頃から、パティシエになると決めていたからだ。
専門学校を経て、本格的にパティシエとしての仕事をスタートさせる。
しかし、アルバイトとしては経験があるものの、職人としての仕事は想像以上に過酷だった。
勤務時間が朝9時から夜9時まで。そして手取り収入は16万円程度。独り暮らしをする泉緒には、少なすぎる収入だった。
![サイフ 空っぽ](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/3/4/1200wm/img_34a8cd20217982e1d9f8c84fa00b21fa674082.jpg)
食費を賄うこともできず、売れ残りのケーキで空腹を満たすのが日常茶飯事だった。
経済的に困窮し、睡眠時間も少ない。劣悪すぎる環境下で、パティシエへの情熱はどんどん冷めていった。
■寺院で精進料理の修業
そして泉緒は、精進料理の料理人を志す。きっかけは、亡き祖父の墓参りに行ったときのこと。
泉緒は年に4回、祖父の墓前に近況を報告に行くようにしている。そこで、今思っていること、感じていることをすべて祖父に伝えているという。
24歳のとき、家族の状況や、今の自分の状況を伝えた。自分は、もっと大きな仕事がしたい。世界に通用する、たくさんの人を喜ばせる、社会の役に立つ仕事がしたい……。
そう祈ったとき、なぜかふと「精進料理をやりなさい」と言われた気がした、という。
思ったことは実行に移すのが、泉緒の強さでもある。調べると、精進料理は京都府宇治市にある黄檗山萬福寺で栄えたことがわかった。そうなれば、当然そこで修業をする、と思うのが泉緒である。
萬福寺は仏教の寺院。当時、女性が修業をすることはなかった。住職からも「あきらめて、お引き取りください」と言われた。
しかし、泉緒は頑として引かなかった。一週間、毎日のように寺を訪れ、修業させてほしいと座り込んだ。まさに、念ずれば通ず。
萬福寺では史上初、女性として精進料理の修業を積むことになった。
■コンビニの廃棄弁当をゴミ袋から拾って食べた日々
実は、萬福寺で修業をする前、泉緒は1週間のホームレス生活を経験している。
![ホームレスのテント](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/f/e/1200wm/img_fe597eedecdcaad5b4ce9ae95a1a15fc1162630.jpg)
今でこそ怖いものが少ない泉緒だが、当時は死ぬこと、老いて何もできなくなること、お金がなくなって人に迷惑をかけることに恐怖を感じていたという。そして、それを克服したいと思っていた。
とはいえ、老いることはできないし、死ぬこともできない。
そう考えると、「お金がない状態」になることは、今の自分でもできるような気がした。当時賃貸で借りていた家を解約し、敷金・礼金も含め、有り金をすべて妹に渡した。
「どうするの?」と聞かれたので「ちょっと旅に出てくる」と答えた。
そして、ホームレス生活を始める。鎌倉駅近くの公園で寝泊まりし、賞味期限切れで廃棄されたコンビニの弁当をゴミ袋から拾って食べた。
何にも頼らず、何も欲せず。夜の寒さに凍えながら、「ただ生きる」ことを経験した。それから、萬福寺での修業に入ったのだという。
萬福寺は全国から修行僧が集まる大本山。
当時24歳の泉緒が寝泊まりするのは修行の妨げになる。ついては、近所にアパートを借りなくてはならない。だが、泉緒にはお金も、人脈もない。
困った……と思っていたところに、救いの手が差し伸べられた。近くのアパートの大家が「家賃は格安、後払いでいい」という条件で部屋を貸してくれた。さらに、萬福寺の関係者が洋服や家財道具も提供してくれた。
「人のご縁で、生きていくことができる」
泉緒の人生観が大きく変わった出来事だったという。
■自分を輝かせる仕事がしたい
萬福寺で精進料理を学び、さらには京都の料亭で料理人としての修業も積んだ。東京に帰ってきて精進料理を使ったビジネスを開始しようと動き始めたとき、泉緒は「何か違う」と感じた。
もちろん、精進料理を世界に発信することも素晴らしい仕事だ。しかし、これが本当に私のやりたいことなのか……?
悩んだ挙句、泉緒は精進料理の道を離れ、ホステスとして働くことになる。
しかし、なぜホステスだったのか。
1つには、「自分が輝く仕事をしたい」という想いがあったという。パティシエや精進料理を世界に発信していく仕事も良い。しかし、自分自身を「商品」として、輝かせる仕事がしたいと考えた。
そして、「世間の常識に囚われず、自分がやりたいこと、楽しい仕事を選んでいくと水商売だった」と泉緒は言う。
今までさまざまなことを経験し、体験し、取り組んできたけれど、いいところまで行くと「コレじゃないかも」と投げ出してきた。
自分の好きなこと、やれることで、一度トコトンまで突き詰めてみたい。そう考えた結果、銀座のホステスにトライすることに決めたのだ。
これまで学んできたこと、ご縁をいただいて取り組んできたことは、この先、いつか繋がればいい。そう思っているという。
■30歳で銀座デビュー。子宮がんでも1日も休まず出勤
そして、30歳で銀座デビュー。この業界としては遅咲きである。
失踪していた父と和解もし、いつの間にか憎んでいた存在の「銀座のホステス」に、自分自身がなっていた。
ホームレス生活直後に、キャバクラのアルバイト程度の経験はあったが、銀座のホステスは未経験。それでも、1カ月でナンバーワンに上り詰めた。
「お礼のメールやメッセージを翌日早めに送るとか、会話の切り口を他のホステスと少し変えるとか、本当にちょっとしたことを淡々と続けたんです」と泉緒は言う。
まだ祖父が存命で家も大きかった頃は、老若男女が応接間に集まることが多かった。だから、人と接するコミュニケーション能力は元々高いほうだったのかも、と泉緒は自己分析する。
その後、移籍した店では雇われママとして、1日も休まず出勤。
そんなある日、健康診断で初期の子宮がんが判明した。誰にも悟られないよう、手術後に入院すらせず、手術日当日から仕事に復帰した。
■「異例づくめ」35歳で銀座のオーナーママに
35歳のとき、「Club かわにし」のオーナーママとなる。ホステス歴も銀座歴も4年半、スポンサーなし、自己資金だけで銀座にクラブをオープンするという、異例ずくめだった。
中高生の頃から質素な生活には慣れていたので、仕事で使う衣装や交際費以外は倹約し、すさまじいペースで出店資金を貯めていったという。
しかしまたしても、泉緒の身体に異変が起こる。いつものように営業開始前の準備をしていると、世界がグニャリと歪んだように見え、そのまま倒れた。脳梗塞だった。
医師は「絶対安静」を言い渡したが、泉緒はその日も出勤した。
物忘れ、めまい、顔半分の麻痺で片側だけが下がってしまう、吃音などの症状が出る中、客に悟られないように必死に隠しながら働いた。
今も泉緒は、どんなにアフターが長引いて就寝が3時、4時になったとしても、7時には起床している。
フルマラソンを三時間半で完走するほどの体力があるからできるという面もあるだろう。
しかしなぜ、病をおしてまでパワフルに仕事を続けるのか。それは、「この仕事はやりとげたい」という、泉緒の強い想いがあるからかもしれない。
■コロナ禍を機に生まれた「新しい銀座のクラブ」
2020年3月、新型コロナウイルスが銀座の街を襲った。
泉緒は緊急事態宣言が発出される前に、年内はクラブの営業を行わないことを決めた。
銀座の中でも、特に早い決断だった。
そして、1年間の休業を経て2021年3月、店舗をソニー通りから銀座八丁目の並木通りに移し、再びオープンさせた。
雇われママ、そしてオーナーママとして働いたからこそ、見えてきたこともある。
たとえば、銀座に古くから残る慣習や流儀の理不尽さ。もちろん、伝統がすべて悪いものだとは考えていない。
しかし、不明瞭な料金設定や、売掛のシステム、一見さんはお断りの「会員制」ではない、新しいかたちの「銀座のクラブ」を、泉緒は生み出そうとしている。
新店舗には、スタンディングバー、ソファ席、VIPルームという3種類の席が用意されている。
スタンディングバーは、初めて銀座に来る方や、銀座の雰囲気を味わってみたい方に向けた席だ。
他のエリアやキャバクラと比べれば多少値は張るが、銀座のクラブとしては極めて安価な値段で飲める場を用意した。
また、すべての席の料金は明示されていて、ホームページでも公開されている。何時間いて、何をどれだけ頼めばいくらになるのか、客側も把握できる仕組みを作り、安心して飲める店づくりを意識したという。
■水商売で働く女性が夢や理想を叶えていける場を
また、店で働くキャストに対しても、新しい取り組みを数多く行っている。
たとえば、ライブ配信アプリ「17LIVE」と提携し、キャストの中から選抜したメンバーによる投げ銭ライブ配信を実施している。
店の宣伝になるのはもちろんだが、キャストたちが自分の力で視聴者から投げ銭をもらうこともできる。
活躍次第では、アイドルやモデルとしてデビューする道も開けるかもしれない。
実際、ここから銀座初のアイドルユニットとして、「AMOUR BEAT」が歌手デビューをはたし、活躍の場を広げている。
![甲賀香織『日本水商売協会 コロナ禍の「夜の街」を支えて』(筑摩書房)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/c/1/1200wm/img_c1702e859708cc75ef511575787c2a14145607.jpg)
自分の夢を叶えるため、今は水商売でがんばる。そんな女の子たちを応援したい。
そのためにも、会社の人事制度のように、勤務態度や売上に応じて給与が上がる仕組みや、店側で個々人の目標を設定し、その目標達成に向けてそれぞれが努力することで、店の売上も上がる、という仕組みを作った。
結果、キャストたちも自発的に成果が上がるような活動をするようになったという。
他にも、キャストたちには収入の一割を投資に回すことを推奨し、投資の勉強会を開いたり、将来起業するための支援活動を行ったりもしている。
「関わってくれる人たちがより良くなるためには? と考えていったら、こういうかたちになっていったんです」と泉緒は言う。
自分の夢を追いかけるキャストたちが、店を盛り上げ、接客も工夫し、努力する。
その結果、来た客は楽しく飲める。そうすれば、店やキャストの売上も上がる。それによって、キャストたちは自分たちの夢にまた一歩、近付いていく。
さまざまな人生のアップダウンを経験し、今は経営者として水商売に携わる泉緒。
かつては憎しみすら覚えた「銀座のホステス」として自らも活動するかたわら、水商売で働く女性たちが自分の夢や理想を叶えていける場を提供する。
そんな彼女の挑戦は、まさに今、始まったばかりだ。
![銀座初のアイドルユニットAMOUR BEATのステージ。](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/a/a/1200wm/img_aa3b0608b43e4799e3601ce555a3f7961066033.jpg)
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一般社団法人日本水商売協会代表理事
1980年、埼玉県生まれ。青山学院大学文学部卒業後、出版社等を経て株式会社ベンチャー・リンクに入社、カーブスジャパンに出向。人材教育や営業マニュアルの作成、新規店舗の立ち上げ、業績不振店舗の再建に従事する。27歳で銀座の高級クラブ「ル・ジャルダン」に入店。1年でナンバー1となる。引退後は、ホステスの営業メール配信システムの開発・販売を行う。2018年、日本水商売協会を設立。
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(一般社団法人日本水商売協会代表理事 甲賀 香織)
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