なぜ芸能人の不倫報道は人気コンテンツなのか…人を攻撃するほど快感が増す「正義中毒」という脳の闇
プレジデントオンライン / 2023年3月8日 14時15分
※本稿は、中野信子『脳の闇』(新潮新書)の第3章「正義中毒」の一部を再編集したものです。
■制裁は本来、割に合わない行為だが…
誰かを裁く、という行動がある。相変わらず、不倫が報じられた芸能人へのネガティブな反応もすさまじい。この人たちの脳では、何が起きているのだろうか。
そもそも、制裁――サンクションを加えたくなる衝動、というのを、感じたことのない人はめったにいないだろう。自分にはそんな感情がない、と言い張る人もいる。けれども、まあ単に自分がそれを感じたことを忘れてしまっているか、自分をよく観察できないタイプなのか、そんな感情を持ったことがあると他人には知られたくないから隠している/黙っているかの、いずれかだろう。
まず、ルールを破った誰かに対して制裁を加えることで、得をする人は一体誰なのかを考えてみよう。有り体に言って、制裁を加える本人ではない。むしろ、制裁を加える本人は、その制裁に対する仕返し(リベンジ)と周囲からの悪評のリスクを負わなければならないため(仮に匿名であっても特定される可能性は常に付きまとう)、客観的に見れば、制裁というのは、さほど割に合う行動ではなく、合理的な選択とは言えない。また、制裁に掛かる労力、そして時間的コストを支払う必要があるという問題もある。
個人という単位で見たときに最も利得が高くなるのは「何も見なかったことにする」というチョイスである。アクションを起こすこと自体が、制裁そのもの、リベンジ行動への対応、悪評への応答を考慮した場合、時間と労力の損失になるからだ。
■なぜ「不謹慎」を叩くと快感が得られるのか?
では、制裁を加える本人にもたらされる利得は何か。リベンジのリスクがあるにもかかわらず、それを行うのは何らかのインセンティブがあるから、と考えざるを得ない。しかし、想定できる利得というのは、実は制裁を加える本人の脳内に分泌される報酬(ドーパミン)だけだろう。何の関係もない人をバッシングして何の得があるのか、とよく言われるが、脳内の報酬という得があるのだ。むしろその報酬しかないというべきか。
それではなぜ脳は「不謹慎」を叩くことで快感が得られる設計になっているのか?
個人という単位では、まったく利得がないばかりか、損失が大きくなるかもしれない行動なのに、わざわざどうして、ドーパミンを分泌させてまでやらせるのか。生物としてはどんな目的を達成するために、そんなことをさせる必要があったのか。自ら(ドーパミンで誘導してまで)損失を被りたがる個体を出現させることで、利益を得る人たちは誰なのか。
それは、制裁を加える本人を除いたすべての集団構成員となる。
つまりこういうことだ。「不謹慎」とは協力構造を「汚染」するもの。ルールを逸脱している「汚染」を排除しなければ、集団全体に感染してしまう恐れがある。ルールの無効化をもたらし、ひいては集団そのものを崩壊させてしまうかもしれない。
■集団を守る働きが高まり、「汚染」狩りにつながる
だから、崩壊の引き金になりかねない「不謹慎」=「汚染」を排しておかねばならない。もちろん、それは一人でやっても意味はなく、集団内の個体が協力して汚染に対処する必要がでてくる。これは、すべての集団で起こり得る現象だ。そしてこの現象は、危機的な時に強まると考えられる。
さて、危機が起こると、人々にはどんな影響があるのか。危機的な状態が迫ってくれば、人々は互いに互いを守ろうとして、より親密な交流が活発になり、強い絆を構築するためのホルモン、オキシトシンの分泌が盛んになる。つまり、集団を守る働きが高まっていき、これが「汚染」狩りにつながっていく。
しかし、実際にその行為によって苦しんだ人たちが、本当にそんな制裁を望んでいるかといえば、恐らくそうではないだろう。
声を上げるのは、意外にも当事者でない場合が多いようだ。例えば現実に自分が不倫されたわけでもない、あるいは、自分が事件に巻きこまれたわけでもなく、被害者と面識もないような人が、あいつは許せない! 不謹慎だ! と言って怒る。ただ想像して、その行為を不謹慎だと判断したということになる。勝手な想像とは恐ろしいものだ。むしろ他人のことになど首を突っ込まず、自分のためにだけ生きていてほしいと思うが、この一文すらも介入的であるかもしれない。
■根拠もなく他人を断罪する人の心理とは
「不謹慎」=「汚染」の検出は、人々にそれを判定する規範がなくては不可能である。ただ、規範は使われ方次第で、どんな人間でも断罪し得る、恐ろしいものともなる。
規範意識が高いところほど、いじめが起きやすいことがわかっているわけだが、これは規範意識から外れた人のことはいじめてもいい、という構造ができてしまうからだ。あなたが先にルールを破ったのだから、あなたのことは排除しても構わないはずだ、と。
男女間にも同様のことが言えて、決めごとの多い夫婦ほど離婚しやすい傾向にあるのだという。それは、二人で決めた「規範」からひとたび相手が逸脱すると、その行動を取った相手を許せなくなるからだ。
密告制を伴う恐怖政治は互いに断罪し合う仕組みによって、人々をそれぞれの規範意識で攻撃させ合い、分断し、コントロールする。誰もが誰をも許さない社会が構築されたら、どこで息をすれば良いのだろう。
ネットなどで第三者がさしたる根拠もなく他人を断罪してしまえるのは、正義の執行自体が快感であることに加え、他人を「あいつはダメだ」と下げることによって、相対的に自分の置かれている階層が高く見えるからでもある。さらに、いち早く糾弾する側に回ることで、他者から叩かれる可能性が低くなる、という防衛的な意味合いもある。
■現代人は、美意識の暴走で心を蝕まれている
アルトーの『神の裁きと訣別するため』では神が虱(しらみ)や黴菌(ばいきん)に例えられた。それは、神が不可視の体制であり、人間の身体がその定律に則って整序させられてしまうからだ。神への単純な冒涜(ぼうとく)のためにこうした喩えをもちいたのではなくて、不可視だが現実に存在し、我々に厳然たる影響を――それも多くの場合は好ましからざる影響を――与えているということをこうして表現しているのだ。
神の裁きのもとでは、我々は自分たちを糞便的に、あるいは悪魔的にしか愛することができない。
不可視である神の存在が占めている変数の位置に、民という怪物を代入してみよう。ほとんど同様の方程式が成立するだろう。場面によっては、神と民とはほぼ同じものとして扱ってよい。彼らの裁きのもとでは、我々は自分たちを糞便的に、あるいは悪魔的にしか愛することができない。
誰かを叩く行為というのは、規範意識に則って汚染を排除するという重要な社会的機能の一つだ。そして本質的にはその集団を守ろうとする行動である。総員の善意と美意識が集積した末の帰結ともいえる。だがそれが過熱したときが恐ろしい。美意識の暴走によって心を蝕まれた人々が互いに攻撃し合うさまは、新しいウイルスのパンデミックよりもずっと黙示録的に見える。
■著名人の不倫報道を「許せない」と感じたら
私はそもそも人間に一夫一婦制は向いていないという考え方なので、著名人の不倫報道に驚きもしないし、むしろ自分の意思をはっきりと世間に示すことができるのは心の健康の問題としては望ましいのではないかとすら思うのだが、世の中の大多数の人はそうではないようだ。
こういったニュースが流れる中でよく聞かれるのが「許せない」という言葉である。
会ったことも話したこともなく、利害関係にある相手でもないのに、よくそんなことが言えるな、と思うが、これが非合理的な人間の本質であると考えるとにわかに面白味を帯びてくる。
「家族を裏切るなんて」「清純派だと思っていたのに」「子どもがかわいそうだ」など、対象者への怒りや憎しみの感情がニュースを目にする多くの人の心を騒がせ、数えきれないほどの「許せない」を生み出していく。
もし自分や自分の近しい人が何らかの被害を受けたのであれば、憤りや怒りが湧くのは当然だろう。しかし、自分や自分の身近な人が直接不利益を受けたわけではなく、当事者と関係があるわけでもないのに、強い怒りや憎しみの感情が湧き、知りもしない相手に非常に攻撃的な言葉を浴びせ、完膚なきまでに叩きのめさずにはいられなくなってしまうというのは、「許せない」が暴走している状態といっても過言ではない。
■なぜ脳は「正義中毒」にかかりやすいのか?
我々は誰しも、つい今しがたまで仲間であった誰かに対し、きっかけさえあれば皆で寄ってたかって私刑を加えずにはいられなくなるという、このような状態にいとも簡単に陥ってしまう性質を持っている、世にも恐ろしい生物種なのである。
もちろん、不倫は倫(みち)にあらずという意味の言葉であるから、文字通り「してはいけないこと」とされているわけだが、丹念に追ってみるとその基準も条件によってかなり多様なのである。性別や、その対象がみっともない姿をさらして平謝りに謝ったかどうか、「生意気」な言動をしていないか、我々大衆を舐めていないか……これらをクリアしてようやく、「禊(みそぎ)」が済む。
人の脳は、裏切り者や社会のルールから外れた人といった、わかりやすい攻撃対象を見つけ、罰することに快感を覚えるようにできている。他者に「正義の制裁」を加えると、脳の快楽中枢が刺激され、快楽物質であるドーパミンが放出される。この快楽にハマってしまうと簡単には抜け出せなくなってしまい、罰する対象を常に探し求め、決して人を許せないようになっていくのだ。
こうした状態を、私は正義に溺れてしまった中毒状態、いわば「正義中毒」と呼んでいる。この認知構造は、依存症とほとんど同じだからである。ずっと言い続けているのだが、あまり自覚的になってもらえる人は少ないようで、残念だ。正義中毒の犠牲に、あなたも、なってしまうかもしれないのに。
■他人の言動にイライラする日々を送らないために
他人の過ちを糾弾し、自らの正当性が認められることによってひとときの快楽を得られたとしても、日々他人の言動にイライラし、許せないという強い怒りを感じながら生きる生活を、私は幸せだとはとても思えない。
この、誰しもが陥ってしまう「人を許せない」状態から、人間が解放されるための手立てはあるのだろうか。穏やかな気持ちで、寛容に生きるためには、いったい物事をどう捉え、ルールを犯した人に対してどう接すればよいのだろうか。また、糾弾される側に回ってしまった人が、人々をなだめるためには何ができるのだろうか。
まずは自分が正義中毒状態になってしまっていないかどうかを、真摯(しんし)に見つめなおしてほしいと思う。自分はそんなことはしない、とどれほど思っていても、むしろ自分はそうしないと信じているからこそ、他者を貶(おとし)めたり攻撃したりすることに対する認識が薄くなってしまうものだ。よくよく心のうちを観察してみれば、かなりの確率でルールを逸脱した誰かに対して怒りを感じている自身を発見するのではないか。自分の状態を自分自身で把握できるようになることはとても重要だ。
■「自分はどこでスイッチが入るのか」を押さえておく
自分が誰かを許せなくなったとき、この人は謝罪すべきではないかという感情が湧いてしまうとき、自分はどういうところでスイッチが入るのか、そのポイントを知って押さえておくのは様々な場面で役に立つだろう。これを自身で認識できるようになれば、自分を客観視して「正義中毒」を抑制することができるようになるはずだ。願わくば、一人一人が、こうした認知的な抑制システムを備えておけるようになるとよいのだけれど……。
許せない、の相手は何も個人だけとは限らない。「こんな広告」「バカなテレビ番組」「ひどいゲーム」「最近の若い連中」等々、ものや制作物などについてその感情が向けられることもある。
こういった感情が湧いてしまったときは、その感情をエスカレートさせるような相手との付き合いを避け、エコーチェンバーのように自分の感情が増幅していく(主としてSNS上の)環境から身を遠ざけ、意見が固まって誰かを責める快感に思考を奪われそうになってしまう前にひと呼吸置いて、「自分は今、中毒症状が出ているかもしれないな」と判断するようにしてほしい。
■脳の前頭前野が衰え始めているかもしれない
正義中毒を乗り越えるカギは、メタ認知である。メタ認知とは、前頭前野の重要な機能である、自分自身を客観的に見て、その行動や思考を改めて問い直す能力の事である。さらに、内的に設定されている倫理基準と、外的な情報として得られる倫理基準とに自分の行動と思考を照らし合わせ、「私は今こういう状態だが、本当にこれでいいのか?」と問い直すということをする。こういうことができるのは、前頭前野が働いているからであり、メタ認知が機能しているからなのだ。
残念ながら、前頭前野は成人になってからもまだ成熟に時間がかかる部分であり、しかも加齢に伴って萎縮しやすい部分でもある。脳もあくまで体の一部なので、その部位をよく使っている人とそうでない人とでは機能に違いが出てきてしまう。つまり、簡単に誰かをつるし上げるような風潮に自分の思考を乗っ取られやすい人は、前頭前野が衰え始めているということなのかもしれない。
■だれかを叩く自分をちゃんと客観視できているか
逆に、前頭前野の機能が十全に働いているならば、普段から「自分はこう思う」「こうに決まっている」といった固定化された通念や常識・偏見にとらわれることなく、常に事実やデータを基に合理的思考や客観的思考を巡らせることのできる知的な人だと言うこともできるだろう。前頭前野は知能の座でもあり、他人をやすやすと責めるかどうかを見ることでその人の知的水準があらわになってしまうともいえる。
メタ認知ができていない人は、他者に共感したり、他者の立場で事情を斟酌(しんしゃく)したりすることが困難である。同時に、自分自身が現在どのような状況にいるのかということも、うまく把握できない傾向にある。「今、自分は正義中毒になっているかもしれない」と少しでも感じた時には、まずメタ認知を意識することから始めてみてほしいと思う。
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脳科学者、医学博士、認知科学者
東日本国際大学特任教授。京都芸術大学客員教授。1975年、東京都生まれ。東京大学大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程修了。2008年から10年まで、フランス国立研究所ニューロスピン(高磁場MRI研究センター)に勤務。著書に『サイコパス』『不倫』、ヤマザキマリとの共著『パンデミックの文明論』(すべて文春新書)、『ペルソナ』、熊澤弘との共著『脳から見るミュージアム』(ともに講談社現代新書)、『脳の闇』(新潮新書)などがある。
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(脳科学者、医学博士、認知科学者 中野 信子)
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