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「怒る」という感情はなんの役にも立たない…元阪神の鳥谷敬が試合中に感情を一切表に出さなかったワケ

プレジデントオンライン / 2023年3月14日 15時15分

ヒーローインタビュー後、撮影に応じる阪神の鳥谷敬=2019年3月29日、京セラドーム大阪 - 写真=時事通信フォト

仕事中に「怒り」を感じたとき、どうするべきか。阪神タイガースなどで活躍した元プロ野球選手の鳥谷敬さんは「怒りをあらわにすることは自分にも周りにもマイナスでしかない。常に冷静でいることが最高のパフォーマンスを生む。だから私は一切の感情を試合中に出さなかった」という――。(第1回)

※本稿は、鳥谷敬『他人の期待には応えなくていい』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

■「怒る」という感情は役に立たない

引退会見の席上、現役時代を振り返って、「野球選手の鳥谷敬というのを一生懸命演じている。そういう感じだった」と発言した。

元々の性格はすごく短気で、すぐにイライラしてしまうタイプだ。しかし、野球選手としてグラウンドに立つ際には「怒る」という感情は完全に捨てていた。

チームのために自分の成績を残すうえで、「怒る」という感情が役立つことはまったくない。「怒り」は「力み」に変わり、その結果必ず失敗を招くことになる。

もちろん、「怒り」をエネルギーに変えて力を発揮する選手もいるだろう。しかし、少なくともわたしの場合はマイナスになるだけだった。

試合中に怒りを爆発させて、バットやグローブを叩きつけている選手もいる。本人はフラストレーションのはけ口として、そのような行動をしているのかもしれないけれど、まわりで見ている者にとってははた迷惑でしかない。

わたし自身は、そう考えていたから、道具に八つあたりをすることはまったくしなかった。いや、そもそも「怒り」だけではなく、グラウンドでは「喜怒哀楽」すべての感情を表に出すことをよしとしなかった。

■ガッツポーズをしなかったワケ

殊勲打を放っても、決して派手なガッツポーズはしなかった。

わたし自身が、相手にやられていい気分がしないからという理由もある。同時に、「なにくそ」と、相手を発奮させることになるかもしれない。

だから、高校時代からずっとガッツポーズを封印している。

たとえ逆転打を放ったとしても、まだ試合が終わったわけではない。相手の攻撃が控えているのであれば、その瞬間からすぐに守りに対する意識を持たなければならない。あるいは、サヨナラホームランを放ってその試合に勝利したとしても、ペナントレースはまだ続くのだ。浮かれることなく、翌日の試合に備えて頭を切り替えなければならない。

たとえ優勝が決まった瞬間であっても、現役でいるあいだ戦いは続くのだ。

ヒーローインタビューでも、アナウンサーの方には申し訳ないが、わざと口数少なく答えていた。例外はあるにせよ、優秀な成績を残している一流選手たちは派手なパフォーマンスをしないから、それを見習いたいとも思っていた。

こうした一連の思考プロセスを指して、「鳥谷敬を演じている」と発言したのである。

■どうしても怒りを抑えられない時にしたこと

わたしはしばしば、「覇気がない」と批判されることがあった。

勝っても負けても常に淡々としているからであり、成功しても、失敗してもいつも表情が変わらないからである。

もちろん、わたしにだって喜びもあれば怒りもある。その感情をそのまま表に出すことで、自分のパフォーマンスが向上するのであれば、積極的に感情表現をしたことだろう。しかし、感情の赴くままプレーしたとしても、決していいプレーができるはずもなく、むしろパフォーマンスの妨げになると考えていた。

怒りを爆発させているのは自分を強く見せたいためのパフォーマンスなのではないのか? 本当は弱くて自信がないからこそ、あえて示威行動として「怒り」を利用しているのではないのか?

わたしは、「怒り」をそのようにとらえている。

では、試合中にどうしても抑えることのできない「怒り」を感じたときにはどうすればいいのか?

わたしの場合は、怒りのベクトルを他人ではなく、自分に向けるように意識してきた。なにか腹が立つことが起こったとき、まずは「どうして、この人はこんなことをするのだろう?」とか、「なぜ、こんなことをいうのだろう?」と考えるのだ。

自分の思いどおりに物事が進まなかったときには、「なにがいけなかったのだろう?」「失敗の原因はなんだろう?」と考えるのである。

■「どうして?」「なぜ?」という問いかけ

怒りのベクトルを「他人」にぶつけると、そこからは反発しか生まれず、相手との衝突も避けられなくなる。

そうではなく、腹立たしい出来事に遭遇したり、苛立ちを感じたりしたときには、自分自身に対して「どうして?」「なぜ?」と問いかけてみるのだ。

部屋でうなだれる人のシルエット
写真=iStock.com/kumikomini
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kumikomini

最初は慣れないかもしれないけれど、わたしは大学生の頃から「どうして?」「なぜ?」と問いかけているうちに、気がつけば無意識にできるようになっていた。鳥谷敬を演じているうちに、怒りの感情をコントロールできるようになっていたのだ。

タイガース時代の終盤、なかなかチャンスが与えられなかった。もちろん悔しさはあったけれど、怒りに任せて自暴自棄にならずに済んだのは、この思考プロセスがあったからである。

怒りのベクトルは「他人」ではなく、「自分」に向ける――。

これが、誰にでもできる、「鳥谷流アンガーマネジメント」である。

■目を疑った金本監督からのサイン

プロ15年目となる2018年シーズン、5月18日のことだった。

この日、代打で出場して、球団記録となる2011試合出場を記録した。

わたしの出番は試合終盤の9回だった。球団記録がかかっていたことは知っていた。だから、「必ず出番は来るだろう」という思いとともにベンチで戦況を見つめていた。

そして、走者のいる場面でいよいよ出番が回ってきた。バッターボックスに入ってサインを確認したその瞬間、わたしは自分の目を疑った。

送りバントのサインだった――。

もちろん、1点を争う大切な場面である。ひとつでも先の塁にランナーを進めて、後続のバッターに託したいという監督の意図は理解できる。

ただ、長いプロ生活において、こうした場面でバントのサインが出たことはなかった。ベンチからのサインは絶対である。もちろん、指示にしたがうしかない。

鳥谷敬
撮影=平野司
「ファウルでもいいや」という考えが頭によぎったが…… - 撮影=平野司

■わざと失敗してもいいか

しかし、この瞬間の気持ちをいえば「ファウルでもいいや」という投げやりな気持ちがあったのは確かだ。半ばやる気を失ったまま、わたしはバントの構えをした。

すると、驚いたのは相手バッテリーだった。

キャッチャーはタイムを取り、自軍ベンチの指示を確認する。そのままマウンドに行き、ピッチャーと何事かをささやき合っている。

相手からしても、「本当にバントをしてくるのか?」と疑心暗鬼になっていたのだろう。そして、この「一瞬の空白」はわたしにとって幸いした。

ベンチからのサインを見たときに、「えっ、ここでバント?」と感じると同時に「なんで記録のかかった節目の試合でバントのサインを出すのだろう?」という、ふてくされた感情に支配されたのは紛れもない事実だった。

しかし、相手バッテリーがタイムを取って話し合いをしているあいだに、冷静に考える時間がもたらされることになった。

この瞬間、わたしは冷静さを取り戻したのだ。

「プライドを傷つけられた」とは思わなかったけれど、腹が立たなかったといえば嘘になる。だからといって、仮にそこでわざとバントを失敗してファウルになっていたとしたら……。

考えただけでも恥ずかしい。もしもそんなことをしていたら、その一瞬だけは個人的な溜飲が下がるかもしれないが、冷静に考えてみれば、それは首脳陣への反抗にしかすぎず、チームプレーである野球選手として、サインを実行しないということは絶対に許されないことだ。

■もしわたしがベンチにいる選手だったら

ベンチでは若い選手が見ていた。当然、わたしにバントのサインが出ていたことも知っている。彼らもプロ選手である以上、「本気でやって失敗した」のか、それとも「最初からファウルを打つつもりだったのか」はすぐに理解するだろう。

もしもわたしが若手選手だとしたら、その先輩選手を軽蔑するだろう。一時の感情に我を忘れ、首脳陣からの指示を無視するような先輩に対して、「口では偉そうなことをいっていても、いざというときに自分勝手なプレーをする人なのだ」という目で、その人のことを見ることだろう。

逆に、怒りの感情を表に出すことなく、淡々と自分の役割をこなすとしたら、わたしはその先輩のことを「かっこいいな」と尊敬することだろう。

結果的に、相手バッテリーによって冷静になる時間をもたらされたことで、わたしは指示どおりバントを決めることができた。ベンチに戻ってからも、普段どおりに感情を表に出すことなく、自軍の応援に努めた。

■職場における感情表現の正解とは

いまから振り返ってみても、自分の判断は正しかったと思う。

一時の感情に支配されて、我を忘れてしまったとしたら、そこで失うものは大きかったはずだ。けれども、そんなときこそ、冷静さを取り戻して、自分のなすべきことを淡々と行うことができたことは幸いだった。

現役時代、「ずっと感情を表に出すことは控えていた」と、すでに述べた。

それは、「野球のプレーにおいて感情表現は不要だ」と考えていたからだ。そして、それは野球に限ったことではないと、あらためて痛感している。

人間には喜怒哀楽の感情がある。嬉しいときには全身で喜びを表現し、悲しいことがあれば人目もはばからずに涙を見せ、理不尽なことがあれば徹底的に怒りをあらわにする……。それは、本当に「人間らしいこと」だと思う。

鳥谷敬『他人の期待には応えなくていい』(KADOKAWA)
鳥谷敬『他人の期待には応えなくていい』(KADOKAWA)

しかし、仕事の場において、こうした感情表現ははたして必要なことだろうか? たとえ「覇気がない」と非難されることになろうとも、きちんと成果を得るまでは、冷静に事に臨むほうが「正解」ではないだろうか?

感情を揺さぶられるような事態に直面し、冷静な判断ができないなかでなんらかのジャッジを求められたとき、わたしが重視するのは「それはかっこいいか、かっこ悪いか?」ということだ。

腹が立つときこそ、かっこよくあれ――。

パニック状態に直面して取り乱したり、我を忘れてしまったりすることは、本当にかっこ悪いと思う。わたしは、かっこ悪いことはしたくない。

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鳥谷 敬(とりたに・たかし)
プロ野球解説者
1981年6月26日生まれ、東京都出身。聖望学園、早稲田大学を経て2003年自由獲得枠で阪神に入団。正遊撃手として活躍。2020年にロッテに移籍し、2022年限りで現役を引退。2004年9月から2018年5月まで継続した1939試合連続出場はNPB歴代2位。遊撃手として、NPB公式戦シーズン最多打点記録(104打点)および、歴代最長のフルイニング出場記録(667試合)を保持している。撮影=平野司

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(プロ野球解説者 鳥谷 敬)

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