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ゆくゆくは漢字を絶滅させるはずだった…「中国の漢字」が妙に簡略化されている恐ろしい理由

プレジデントオンライン / 2023年3月8日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/TR Cameraman

漢字発祥の国でありながら、現在の中国は「簡体字」という簡略化された字体を使っている。なぜか。お茶の水女子大学の橋本陽介准教授は「中国共産党は『漢字は劣った文字』とみなしていたので、ゆくゆくはアルファベットに移行するつもりだった。簡体字はその過程にできたものだ」という――。(第1回)

※本稿は、橋本陽介『中国語は不思議 「近くて遠い言語」の謎を解く』(新潮選書)の一部を再編集したものです。

■漢字はいつ、どのようにして生まれたのか

漢字はおおむね甲骨文→金文(きんぶん)→篆(てん)書→隷(れい)書→草書・行書・楷書と発展してきた。

甲骨文は殷(いん)の時代(紀元前17世紀頃~紀元前1046年)に使われていたもので、主に骨や甲羅に書かれていたもの。長らく失われていたが、清末に発見され、20世紀になってからようやく研究された。

甲骨文字は、最初に発見した王懿栄(おういえい)が薬として服用するための竜骨(大型哺乳類の化石化した骨)に文字が書かれているのに気がついたというエピソードがよく語られているが、これは事実ではないらしい。こうした出来すぎた物語はたいてい作り話である。

甲骨文の次の段階である金文は、青銅器に鋳込まれていたもの。中国の古代史研究と言えば、かつては漢代の『史記』など、後世に成立した文献を中心に行うものだったが、最近は発掘調査が進んだので、金文を用いた研究もさかんになっているときく。

篆書はさらにその後の時代のもので、さまざまな字体がある。文字の統一を行ったことで有名な秦の始皇帝であるが、その統一された文字はこの篆書の一種で、小篆と呼ばれている。

篆書体は曲線が多く、書きにくい。これを直線化し、書きやすくしたのが隷書で、漢代になって広まった。この隷書から草書、行書、楷書が発生し、20世紀まで使われ続けてきた。

■中国と日本の漢字の決定的な違い

このように長らく使われてきた漢字であるが、現代中国語を勉強しようと思って教科書を開くと、そこには見慣れない文字が並んでいることに気がつく。

というのも現在、中華人民共和国では、簡体字と呼ばれる簡略化された字体を使用しているからである。簡略化される前のものを繁体字と呼び、台湾や香港ではまだ繁体字が使用されている。こちらは日本語の旧字体と全く同じではないものの、おおむね重なる。

日本で現在使われている漢字も、戦後に簡略化されたものであるが、中国の簡体字とは異なっている。このため、中国語を学習したてのうちは初めて見る文字の形に戸惑うことになる。

“书”は「書」だし、“过”は「過」で、一見したところではわからない。この「簡体字」とは、中国語のいかなる進化の結果なのだろうか。

■19世紀末に始まった「漢字廃止計画」

長い歴史を持つ漢字であるが、中国では19世紀末から20世紀にかけて、次第に「劣った文字」と見なされるようになってしまった。

銭玄同
銭玄同(写真=Mountain at Cai Yuanpei Memorial in Shanghai/PD China/Wikimedia Commons)

アルファベットのような表音文字はせいぜい数十程度覚えればよい一方で、漢字のような表語文字は、数千も覚える必要がある。効率が悪すぎるから、そのせいで科学の勉強などができなくなる、などと言われるようになったのだ。漢字の本家、中国であっても、やがては漢字を廃止して表音文字にしようとする企てが進行したのである。

20世紀初頭には、中国でもダーウィンの進化論が流行していた。漢字は古代から現代への推移の中で、少しずつ簡略化が図られてきたのであり、現代においてはもっと簡略化された文字へと「進化」すべきだという考えが広まった。さらには、より効率の良い表音文字への移行も歴史的な必然だという考え方まで出てきたのだ。

1922年には、言語学者の銭玄同(せんげんどう)らが国語統一準備会に「現行の漢字の画数削減案」を提出している。銭玄同らが提出した簡略化の方法は、すでに現行の簡体字のものと大差がない。

■「客観的・科学的」にみて劣った文字

そして1949年に現在の中華人民共和国が成立する。共産党一党独裁国家であり、マルクス主義の国家である。マルクス主義は発展史観なので、文字の歴史的変化も必然だと考える。

象形文字から表音文字に進むのは「客観的な法則」なのであり、漢字は「客観的・科学的」にみて劣った文字と考えられたのだ。ちなみに、マルクス主義者に「何をもって客観的・科学的というのか?」という質問はしてはいけない。

このように、建国当初の中国は、漢字を捨てアルファベットのような表音文字に全面的に移行しようと考えていたのだ。さすがにすぐさま漢字全廃とはいかないので、ひとまず漢字を簡略化して普及せしめ、ゆくゆくは消滅させていくつもりであった。

1951年に中国文字改革研究委員会が発足、54年に同委員会は中国文字改革委員会に改組され、翌年「漢字簡化方案草案」を発表、討議を経て1956年に「漢字簡化方案」を公布する。それはいくらかの改訂後、1964年に「簡化字総表」にまとめられた。これが現在でも使われている簡体字である。

■「芭・巴・粑」は全部「巴」

文字改革の本来の目的は、漢字の段階的な廃止であった。つまり、56年に制定された簡体字はあくまでも過渡的なものだとされていたのである。

文字改革委員会は、さらなる漢字の改革に取り組んでいた。1977年、「第二次漢字簡化方案」の草案が提出され、81年にはその修正案が出される。

「第二次漢字簡化方案」では、さらなる画数削減が目指されていた。どのような文字が提案されていたのか、以下に並べるので、それぞれ、もとの漢字が何か、推測してみよう。


坒 辺 氿
疒 卩 歺 彐

正解は以下の通りである。

芭・巴・粑
壁 道 酒
病 部 餐 雪

過激な簡略化である。見ているだけでも楽しい。

まず、「芭・巴・粑」を見てみよう。56年制定の簡体字では、確かによく使われる漢字を簡単にすることができた。異体字も統一されたので、「回」の書き方を四つ覚える必要もなくなった。

■目標のために、意味は無視

だが、ひとつひとつの漢字の書き方が簡単になっただけで、文字の総数はあまり減っていない。記憶の負担をさらに減らすためには、簡単にするだけでなく、文字の総数自体を減らす必要があるのだ。

そこで「芭・巴・粑」はすべて同じ発音なので、「巴」に統合している。文字削減という偉大な目標のために、意味は無視しているのである。

この調子でやれば、文字の総数を減らすことができるだろう(ちなみに、日本でも同様の統合はなされていて、「辯(しゃべる)、辨(わける)、瓣(花びら)」がすべて「弁」に統合されている例が有名である)。

「壁 道 酒」は画数の多い部分を画数の少ない文字に変形することによって「坒 辺 氿」とした。「道」は日本語の「辺」(旧字「邉」)と同じになっているが、「刀」と「道」が声調は異なるものの同じ発音なので「刀」を音符として使っている。同様に「壁」と「比」が同じ発音なので「壁」は「坒」に、「酒」と「九」が同じ発音なので「氿」になっている。

「病 部 餐 雪」の簡略化は、一部分だけ残す方法である。やまいだれを使うものは他にもたくさんあるが、病気の代表は「病」だから「病」を「疒」としてしまうのだろう。「餐」は中国語のレストランを表す単語「餐厅」の「餐」だから、街角でもよく見かける。

これを「歺」と書くと確かに楽だ(私が最初に教わった中国人の先生はこの字体を使っていた。ずいぶん簡単になっているなと思ったが、正式な文字ではなかった)。

「雪」は「電」が「电」になるのと同じ法則で「彐」となっている。視力検査みたいな記号になってしまった。「堂」は、一部分削った結果「坣」となっている。印刷不鮮明になってしまったかのようだ。

■滅亡計画がとん挫したワケ

これによって、さらなる文字改革が進む、と思われた。が、1986年、第二次漢字簡化方案は廃案になった。

橋本陽介『中国語は不思議 「近くて遠い言語」の謎を解く』(新潮選書)
橋本陽介『中国語は不思議 「近くて遠い言語」の謎を解く』(新潮選書)

それはそうだろう。20年から30年に一度漢字が変わってしまったらたまったものではない。せっかく勉強したのに、また新たに学びなおさなくてはならなくなる。子供はゼロから学ぶのだからいいとしても、大人にとっては迷惑だ。

表記システムはある程度の安定性が求められる。英語だって、すでに発音とつづりの乖離(かいり)が激しいけれども、かといっておいそれと変更することはできないでいるのだ。

以降、さらに漢字を簡単にしようとか、そもそも漢字をやめてローマ字のみにしてしまおうとかいった動きは出ていない。基本的には1956年に公布された「漢字簡化方案」で定められた字体が、現在でも使用されている。

ちなみに、台湾でも漢字を簡略化しようという議論が50年代にあったが、こちらは守旧派が勝利したので、今でも繁体字を使っている。

■日本でもあった「漢字制限」

日本でも漢字を制限、もしくは撤廃しようとする動きは戦前からあった。阿辻哲次『戦後日本漢字史』(ちくま学芸文庫、2020年)によると、1923年に漢字制限を目的とする「常用漢字表」が臨時国語調査会によってすでに発表されている。

戦後、GHQの政策もあって、漢字が簡略化され、仮名遣いも歴史的仮名遣いから現代仮名遣いになった。1946年には「当用漢字」が定められ、それに含まれない漢字の使用が制限されることとなった。

しかし、その後日本でも漢字を制限しようという話はとんと聞かなくなったから、しばらく漢字の地位は安泰のようである。

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橋本 陽介(はしもと・ようすけ)
お茶の水女子大学基幹研究院准教授
1982年埼玉県生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科中国文学専攻博士課程単位取得。博士(文学)。専門は中国語を中心とした文体論、テクスト言語学。著書に、『日本語の謎を解く 最新言語学Q&A』(新潮選書)、『中国語実況講義』『中国語における「流水文」の研究 「一つの文」とは何か』(東方書店)、『「文」とは何か 愉しい日本語文法のはなし』(光文社新書)など。

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(お茶の水女子大学基幹研究院准教授 橋本 陽介)

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