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「いいものが売れる」はただの思い込み…世界最高のビジネス書はダーウィンの『種の起源』であるワケ

プレジデントオンライン / 2023年3月8日 14時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/duncan1890

古典はどう読めばいいのか。立命館アジア太平洋大学学長の出口治明さんは、「ダーウィンの進化論を理解していれば、いいものが売れるのではなく、売れたものがいいものだとわかる。ビジネスの世界で生き延びるためには、目の前で起きている変化に『適応』するほかない」という――。

※本稿は、出口治明『ぼくは古典を読み続ける 珠玉の5冊を堪能する』(光文社)の一部を再編集したものです。

■変化に適応できるものだけが生き残る

ダーウィン(1809〜1882年)が『種の起源』を発表したのは、160年以上前の1859年です。ダーウィンは、ものすごく丁寧に動植物の観察を積み重ねて、生物は共通の祖先から分岐して自然淘汰(とうた)によって進化したという結論にたどり着きました。

現在ならDNAを調べれば、すべての動物が共通のDNAバーコードを持っていることがわかりますが、この頃はまだ進化の法則が明らかになっていませんでした。ダーウィンは、自分自身の観察からこの結論を導き出したのです。これはまさに優れた学者の先見性と言えるでしょう。

ダーウィンはこの本の中で、生物に変異が生まれるのは、偶然によって起きた変異がたまたま優位に働くことがあるからだと繰り返し書いています。生物にとって優位に働いた変異はそのまま残って、そうでない変異は排除されます。それが「自然淘汰」です。

常に変化している世界では、賢いものや、強いもの、大きいものが生き残るとは限らないのです。「こうしたら競争相手のほかの生物より優位になれるだろう」という戦略は役に立たない。それより大切なのは、運と適応ですよ、と。人間も生物ですから同じことが言えます。変化に適応できるものだけが生き残ることは歴史を見ても明白です。

■『種の起源』は人間社会の議論のベースになる

ぼくは、これまでいろいろな場面でダーウィンの進化論を取り上げてきました。社会の問題も個人の悩みもダーウィンの進化論に沿って考えれば、自然と答えが出てくることが多いのです。ダーウィンというと、植物や動物の話だと思う人が多いのですが、そういう人は、人間も動物だという当たり前のことを忘れているのではないでしょうか。『種の起源』は人間社会の議論のベースになる本だとぼくは思っています。

ぼくの経験をお話ししましょう。ぼくは本が大好きですけれども、昔は『レコード芸術』(音楽之友社)という専門誌を毎月買うくらいのクラシックのフェチでもありました。その頃、家で音楽を聴こうと思ったら、多くの人はレコードをかけていました。

ぼくにとってクラシックを聴くというのは、レコードを丁寧にクリーナーで拭いて、ホコリがないことを確認してから、ターンテーブルに置き、そっと針を落として耳を傾ける、という一連の動作を含めてのことでした。この針を落とす瞬間がいいんだよね、などと、いま思えば愚かなことを言っていたんです。

■レコード市場の壊滅で、ダーウィンの進化論を思い出した

1980年代にCDが出てきたとき、当時のぼくが何を思ったかといえば、こんなもので音楽を聴く人がいるはずがないやろう、と。あまりにも簡単に音楽を聴くことができるCDがものすごく薄っぺらに感じたんです。

ところがあっという間にCDが市場を席巻して、2000年代に入る頃には、レコード市場はほとんど壊滅に近い状態でした。

そのときに思い出したのが、ダーウィンの進化論です。ぼくはCDが出てきたときに、レコードより優位になるとは思いませんでした。ダーウィンは、目の前で起きていることに適応するしかないと言っていたのに、自分の経験を優先して考えたからです。ぼくはこの本を何度も読んでいるのに、何も生かせていないと反省しました。

2000年代に入ると、今度はストリーミングサービスが始まり、CDもかつての勢いはありません。ここ数年、レコードを聴く人が増えているそうですが、おそらく珍しいものとして楽しまれているのでしょう。こうした状況もかつては予想できなかったことです。

■ダーウィンを理解していないから「プロダクトアウト」の発想になった

ライフネット生命をつくってからも、ダーウィンの進化論を思い出さざるを得ないできごとがありました。2008年にライフネット生命を開業したとき、パソコンで生命保険の申し込みができるサイトはつくったのですが、スマートフォン用のサイトは資料請求ができるようにしておけば十分だろうと考えて、簡易的なものをつくっただけでした。当時、スマートフォンはまだそれほど一般的ではなく、保険のような高額なものを契約するときにはパソコンを使うに決まっていると考えたからです。役員や株主のなかには、そもそもスマートフォン用の契約ページをつくるなんてお金の無駄遣いだ、と言う人もいました。

ラップトップとスマートフォン
写真=iStock.com/bee32
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/bee32

ところがやってみたらえらいちがうで、と。スマートフォンからどんどん契約が来たんです。あわててスマートフォン用のサイトをしっかりつくり直すことになりました。

ちょっと気を抜くとこうなります。生命保険の契約をするときは、パソコンを使うだろうと、自分たちで先に出口を決めていたんです。こういうのをプロダクトアウトと言います。本当にダーウィンを100%理解していたら、スマホ用もパソコン用も同じようにサイトをつくって、どちらの利用者が多いかを見てから次にどうするかを考えればいいと判断するはずです。

ところがそんな思考ができなかった。ぼくが愚かだったんです。本を読んでわかったつもりになっていても、人間の固定観念は、簡単には消えないと改めて思わされたできごとでした。

■ダーウィンの進化論は現代のビジネスにも生かせる

ダーウィンの進化論を理解していれば、いいものが売れるのではなく、売れたものがいいものだとわかります。テクノロジーはどんどん進化し、人々の意識や社会の風習も変わっていくのです。だけどどう変わるのかは予測できません。生き延びるためには、目の前で起きている変化に適応するほかないのです。

160年も前に書かれたダーウィンの進化論は現代のビジネスにも生かせます。だからぼくは、古典を読み続けるのです。

立命館アジア太平洋大学(APU)の学長の仕事でも進化論が役に立っています。スタッフから、「このプラン、しっかり考え抜いたので、やってもいいですか」と聞かれると、ぼくは「考え抜くのは時間の無駄やで」と答えています。学生が喜ぶかどうかはわからないので、まずやってみて喜んだら動けばいい。学生の意見も聞かず、自分らだけで議論して「これ、絶対喜ぶはずや」なんて言うてたらあかんで、と。

世の中は常に変化していて、学生も変わっています。しかもAPUは学生の半分が日本以外の国や地域から来ている外国人ですから、日本人だけで考えても学生が喜ぶものをつくれるはずがないんです。それなのに、ついプロダクトアウト的な発想で、「自分たちがしっかり考えれば、いいものがつくれる」と思い込んでしまう。

■運とは「適当なタイミングで、適当な場所にいること」

ぼくがそうだったように、人間は、何が起こるかわからないということをつい忘れます。何が起こるかわからないということは、生き残るのは、目の前で起きていることに適応できたものだけだということ。だから思いついたことを全部やってみて、学生が喜んで、ワクワク、ドキドキしてくれたものを続ければいいんです。

ダーウィンの考え方は、あらゆるビジネス、日常生活に役に立つことがわかっていただけるでしょうか。いくらAIが進化したところで、人間も生物ですから、ダーウィンの進化論は、この先もずっと役に立ちます。

ダーウィンは、生物が生き残るために必要なのは運と適応だと言いました。次は運について考えましょう。みなさんは、人間社会で「運」とはどういうことを指すと思いますか。

ぼくは、「適当なタイミングで、適当な場所にいること」だと思っています。たとえば、棚から落ちてくるぼた餅を手に入れようと思ったら、どうすればいいか。どんなに調べても、いつ、どこに落ちてくるかはわからない。だとしたら対策することはできませんね。つまり落ちてくるタイミングでたまたま棚の近くにいた人が、ぼた餅を手にすることができるんです。

■いつ「ぼた餅」が落ちてくるかは予測できない

ビジネス書の中には、運も実力のうちだとか、運は引き寄せるものだとか、運命の女神はこういう人に微笑むといったことが書いてあるものもあります。それを励ましとして受け取るのはいいのですが、その通りにすれば運がよくなると思って読むのだとしたら、読むこと自体が時間の無駄です。本気でそんなことを信じる人は、ダーウィンの進化論をまったく理解していないのではないでしょうか。

人間は、いつぼた餅が落ちてくるかを予測できないのです。ただし確率論で考えたら、人生のうち何回かは落ちてくるときに居合わせます。運がいい人だけが居合わせられるのではなく、単に確率の問題です。

確率の高い人と低い人がいるのではないか。それを運と呼ぶのではないか。そう考える人もいるかもしれませんね。これはダーウィンのいう「適応」で説明がつきます。棚からぼた餅が落ちてくるときに運よく居合わせたとしましょう。だけど近くにいるのは1人ではないのです。5人、10人いるかもしれません。大勢の人たちがいる中で、いち早く走っていって、ぼた餅の真下で大きく口を開けた人だけがぼた餅を食べられます。これが適応です。少しわかりにくいでしょうか。

■運と適応しかないとわかれば、人間は謙虚になる

つまりこういうことです。自分の近くにぼた餅が落ちてきたとしても気がつかないことがあります。周囲をしっかりと観察していなかったら気づくことはできませんから。じっと前だけを見ていたら後ろに落ちてくるぼた餅に気がつきませんし、キョロキョロしていると見逃がします。ここに落ちてくるはずだ、と自分の考えに固執する人も見落とす可能性が高い。たとえ気がついたとしても、そのとき二日酔いだったら身体が動きません。こういう人たちは適応していないのです。だからその場に居合わせたとしてもぼた餅を口にすることはできません。

出口治明『ぼくは古典を読み続ける 珠玉の5冊を堪能する』(光文社)
出口治明『ぼくは古典を読み続ける 珠玉の5冊を堪能する』(光文社)

つまり運の良し悪しではないんです。

いつ何が起こるかわからないとしたら、素直な気持ちで広い視野を持つこと。さらにいつ何が起きてもなんとかできるように、自分の体調管理をしっかりすることがぼた餅を手にする最低条件になります。ぼくはずっとそういうふうに思い続けてきました。

それともうひとつ。運と適応しかないとわかれば、謙虚になります。何が起こるか人間にはわからない。運命は変えられるとか、運を左右できるという考え方は、考えようによってはものすごく傲慢(ごうまん)なんです。人間の能力を過大評価し過ぎています。人間の力なんて大したことはないのです。

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出口 治明(でぐち・はるあき)
立命館アジア太平洋大学(APU)学長
1948年、三重県生まれ。京都大学法学部卒業後、日本生命保険に入社。ロンドン現地法人社長、国際業務部長などを経て2006年退職。同年、ネットライフ企画(現・ライフネット生命)を設立し、社長に就任。2012年に上場。2018年より現職。読んだ本は1万冊超。主な著書に『生命保険入門 新版』(岩波書店)、『全世界史』(上・下、新潮文庫)、『一気読み世界史』(日経BP)、『自分の頭で考える日本の論点』(幻冬舎新書)、『教養は児童書で学べ』(光文社新書)、『人類5000年史』(I~IV、ちくま新書)、『0から学ぶ「日本史」講義』シリーズ(文春文庫)、『日本の伸びしろ』(文春新書)、『哲学と宗教全史』(ダイヤモンド社)、『復活への底力』(講談社現代新書)、『「捨てる」思考法』(毎日新聞出版)など多数。

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(立命館アジア太平洋大学(APU)学長 出口 治明)

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