1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. ライフ
  4. ライフ総合

日本は生まれるはずの子供を間接的に殺してきた…"ちゃんとした親"が求められる社会で子を産むのは怖すぎる

プレジデントオンライン / 2023年3月11日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/nelic

なぜ日本は「産まない社会」になったのか。推計値より10年以上も早く出生数が80万人を下回った日本は前例のない少子化社会に突入する。文筆家の御田寺圭さんは「高まりすぎてしまった“ただしさ”のせいで、日本人は産むのが不安で怖くなった。私たちはこの世にもっとたくさん生まれてくるはずだった子供たちを間接的に殺してしまったのかもしれない」という――。

■「子供のいない社会」

読者の皆さんもご存じのことだと思われるが、2022年の出生数がついに80万人を割り込んだ。もちろん統計開始以来はじめてのことであり、推計値よりも10年以上早い結果となった。ここから日本は、前例のない少子化社会に突入していくことになる。

とても残念なことだが、日本はもはや「国」という形では存続していくことが難しいのかもしれない。あるいは、どうにか騙し騙し持続できたとしても、いまこの国に生きている人びとにとって見知った愛着のある姿形の「日本」とは、まるでかけ離れた様相に変わってしまうのかもしれない。

いずれにしても、この国にとって最後の人口マス層であった団塊ジュニア世代が20代から30代にかけての子育て適齢期に再びのベビーブームをつくることができなかった時点で、国が思い描いていた「人口動態の逆転」という大きな物語は終焉(しゅうえん)を迎えてしまっていた。私たちは薄々分かっていただろうが、気づかないふりをしていた。けれども、もう誤魔化すことはできないだろう。私たちは、子供のいない、そしてこれからも増えることのない社会に生きているのだ。

■子供がたくさんいた昭和

ベビーブームが幾度もあった昭和の時代、なぜ人びとは子供をいまより多くつくっていたのだろうか?

避妊の技術や意識が低かったから? 結婚して子供を持たなければ一人前ではないという世間的な同調圧力がいまより強かったから? それらだけでは、とても説明しきれないだろう。

令和の時代に深刻化する少子化について「子供をつくるのに十分なお金がないから」というのが定番の要因として挙げられているが、これもおかしな話だ。というのも、昭和の時代の人びとは、当然ながらいまよりずっと物質的に貧しい時代を生きていたからだ。にもかかわらず、それでも子供はいまより多く生まれていた。

「子供」にかんして、昭和の時代と令和の時代を比べてみると、統計的な数値には表れない、決定的な違いがひとつある。

■喜びや楽しさよりも「恐怖」がまさる時代

現代社会の妙齢男女のカップルは、子供を持つことについて「喜び」や「楽しさ」の期待よりも、「不安」もっといえば「恐怖」の感情がそれらを上回るようになってしまっていることだ。

「子供を持つ」というライフイベントを経ることによって、自分たち夫婦に必然的に共起するさまざまな不確実性や倫理的責務――ひと言でまとめれば「リスク」――を想像すると、それがいまの安穏とした暮らしを手放すに値する営為であるとは、とてもではないが思えなくなってしまっている。

楽しく子育てをする幸せな家族
写真=iStock.com/maroke
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/maroke

「子供を“ちゃんと”育てなければ、親として失格だ」と世間から糾弾されてしまう。しかもその「ちゃんと」のハードルは年々上昇している。子供の安心安全健康な暮らしに十分配慮しなければならないのは当然として、高い水準の教育を十分に受けさせてあげなければならないし、コミュニケーション能力の高い社会性のある子供に育てなければならない。一人前の親になるためにやらなければならないこと、満たさなければならない要件は、ますます増えている。

あるいは、親である自分がどれだけ「ちゃんとした親」をやろうといくら苦心したとしても、もし自分の子供が「ちゃんとした親」を完遂するのがきわめて困難になってしまう、なんらかの特質を備えていたとしたら? ……そんなことをあれこれと考えてしまうと、子供を持つことが「とてつもないリスクであることが分かり切っているのに、それを自分からあえて抱えにいく非合理的で愚かな行為」のように思えてきてしまって、子供を持つという決断にためらいが生じる。

先進的で高度な情報社会に生きる現代の都会人たちは、たしかに昭和の時代の人びとよりもさまざまな面で「賢く」なったかもしれない。しかし皮肉なことにその「賢さ」のせいで、かつてないほど「恐怖感」に敏感になってしまった。

■「子だくさんのヤンキー家族」が示していたもの

子供をポコポコとつくる多産な家族――と聞けば、多くの人が「田舎のヤンキー」を想像するだろう。

平成期には地方都市でよく見かけていたようなかれらも、令和の時代にはずいぶんと数を減らしてしまったが、かれらにはたしかに多産傾向があった。かれらがなぜ多産であったのかを考えると、現代の都会人たちと異なり、この「恐怖感」との距離が大きくあったからだ。わかりやすくいえば「子供をちゃんと育てられなかったらどうしよう/子供がちゃんと育たなかったらどうしよう」というリスク感覚がかれらは相対的に希薄であったということだ。

これは「田舎のヤンキー」だけではなく、昭和の時代の人びとにも共通していただろう。かつての時代の人びともまた「もしも私たちがちゃんと育てられなかったら……」「この子がちゃんと育たなかったら……」といったことを考えなかった。言葉を選ばずにいえば、子供の命や人生のことを、いまとは比較にならないほど「雑」に扱っていたのである。

世間の人びとは、自身が由緒正しい生まれでもないかぎり、子供のことを「適当」に産んで、「適当」に育てても、別にそれでよかったのである。一日のうち、日中はそれこそ野に放ってその辺で友達と適当に遊ばせておいて、家に帰ってきたらありあわせの適当な飯を食わせて寝かせ、近所の学校に適当に行かせ、卒業して適当なところに就職させれば、それで十分に「親」の責務を果たしていたと自他ともに認めることができた。

いま都内の公園に出かけると、そこで遊んでいる子供たちには親が必ずといってよいほど同伴している。公園に集まった子供たちだけで(そのときが初対面の子供同士だろうがあまり関係なく)遊ぶといった光景は見なくなり、「親‐子」のペアが複数存在し、それぞれがバラバラに遊んでいるのである。もう見慣れてしまったが、最初は違和感がすさまじかった。私が子供のころにはまったくありえない光景であったからだ。私は生まれ育ちも都会なので「公園で子供同士が遊んでいるのは田舎だけ」ということではないことは知っている。これは最近になって生まれた光景だ。

公園の遊具で遊ぶ子供の両隣で支え、見守る両親
写真=iStock.com/chachamal
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/chachamal

いまの世の中では、小さな子供たちだけで公園に遊ばせたりすることが推奨されない。なにかの事故や犯罪に巻き込まれてしまうことを憂慮しているからだ。親たちもその雰囲気に従って、文字どおり「保護者」として公園に同伴している。こうした慣習は屋外活動中の子供たちの安心安全には貢献しているだろうが、これが「倫理的責務」が親として当たり前のように組み込まれている光景は、親をやることの「恐怖感」を高めてしまう。

昭和の時代には子供が無謀で危険な遊びをしたせいで死んでしまうような事故があったり、あるいは通り魔から危害を加えられたり、誘拐されたりといった物騒な事件もいまより多かった。令和の時代にはこうした事件事故の犠牲になる子供はめっきり見なくなったが、その代償として「親を適当にやる」ことは、けっして許されなくなってしまった。

■苛烈化する「お受験」ブームの背景心理

いま都心部の親たちの間では、わが子を学習塾に入れて手厚い教育投資をして、私立中学や一貫校に入れることがブームになっている。

これは「都会人の学歴マウントの虚栄心」などとしばしば揶揄(やゆ)されることもあるが、しかしそれだけではないだろう。「子供にちゃんとした上質な教育を受けさせなければ親としての責任を果たしていない」という倫理的責務の高まりの側面も見なければならない。

ちゃんとした教育を受けさせ、ちゃんとした大学に通わせ、ちゃんとした就職ができるように面倒を見るのが、親として「当たり前」にやるべきことになってしまった。子供が独り立ちするまでの期間がむかしよりずっと長く難しくなり、子供がその間に挫折しないように細心の注意を払う必要が出てきてしまった。それに失敗した事例として「こどおじ(≒子供部屋おじさん)」や「親に暴力を振るう中高年引きこもりニート」などがメディアやSNSで紹介され、若いカップルの恐怖感をますます搔き立てる。

昭和の時代はもちろん違う。そもそも大学進学率も塾の普及率もいまと比べれば低く、放課後の子供たちは遊び呆けていた。中学や高校を出ればそのまま就職して(ほとんど家を追い出すような形で)独り立ちさせ、それで親としての責務はコンプリートされていた。「子供の将来」「子供の教育・進路」という観点についても、やはり親に求められる社会的・経済的・倫理的ハードルはずいぶんと低かったのである。

■「命を大切にする」から、命は増えなくなった

語弊をおそれずにいえば、子供の命や尊厳をもっと粗末に扱えるような社会観や人間観が世の中に再インストールされなければ、どれだけ子育て世帯の家計サポートをしようが、教育無償化をしようが、子供は増えない。

あえて乱暴な言い方をすれば、子供を気軽に殴って躾けても別にどうってことのなかった時代だからこそ、子供を持つことへの「恐怖感」が乏しかったのだ。いまはそうではない。子供を叱るときにうかつに殴ろうものなら、最悪の場合は警察に逮捕されてしまうことさえある。体罰でもって「わからせる」ことが必要にならないくらいに聞き分けのよい子が生まれてくれたらそれでもかまわないが、そうではなかったらどうすればよいのだろうか。親は途方に暮れてしまう。昭和の時代はそうではなかった。子供がなにか粗相をしでかしたら、親からも(ともすれば親ではない近隣住民からも)容赦なく鉄拳制裁を受けた。それが間違いなく素晴らしいことだったとは言わない。体罰には問題点も多いが、しかし「体罰はけっしてゆるされない」とされる社会よりも、親をやることのプレッシャーは軽かった。

現代社会は「子供の命/人権」に対してきわめて意識が高く、体罰や虐待を絶対に許さないという社会正義がある。これに異論を唱える人は皆無だ。子供が心身に傷を負うことなく良好な家庭環境で育つことに反対する人などいなくて当然だ。しかし「なにがあっても子供の命や人権を脅かすような言動をとってはならない」という親に課せられた責務は、これもまた「恐怖感」となって、現代の若いカップルに子供をつくる動機を削ぐことにもなってしまった。

反射で母親の指を握る乳幼児
写真=iStock.com/west
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/west

現代社会で多くの人が素朴に内面化する倫理観や道徳観に反していることは百も承知で、それでもあえて言うが、子供なんか別に大切にしなくてもいいという規範が強まっていけば、子供を持つことを想像するときに生じる「不安」や「恐怖」は次第にやわらいでいき、もっと純粋に「喜び」や「楽しさ」を味わえるようになるだろう。

高まりすぎてしまった「ただしさ」のせいで、私たちはこの世にもっとたくさん生まれてくるはずだった子供たちを間接的に殺してしまった。高まりすぎた「ただしさ」のせいで生まれなくなった子供を、経済的インセンティブを強化することによって産ませる政治的手法には限界がある。実際のところ、現代の家計支援型が主である「子育て支援」は思うほど奏功していない。

「命は地球より重い」といったスローガンに代表される、いわゆる生命至上主義的な価値観が、子供にとって歴史に先例がないほど安心安全で平和で健康で快適な社会をつくった。子供は病気で死なず、事故で死なず、犯罪に巻き込まれて死なない。体罰を受けることもなければ、栄養状態もいたって良好で、娯楽にも事欠かない、豊かで先進的な社会を生きている。

しかしそのような生命至上主義的で先進的な価値観を実現し維持するためのコストを、現代の親たちは支払いきれなくなっている。

■100人に訊けば100人が同意する「善意」の恐るべき影響

「私たちは子供たちのことを、大人と同等の権利と尊厳を持つ者としてみなしながら、しかし肉体的にも精神的にも経済的にも弱い存在だから、しっかりと養護しなければならない」――という、現代社会では100人に聞いて100人が賛同する「ただしさ」のせいで、私たちは子供を持つことに「恐怖」や「不安」ばかりを覚えるようになってしまい、子供を持つことを忌避するようになった。

私たちが善かれと思って高めてきた「ただしさ」こそが、私たちの社会から子供を失わせてきた。私たちがなんの疑いもなく内面化してきた倫理観や道徳観の軌道修正をしなければ、たとえどれほど巨額のリソースを投じた少子化対策が講じられたところで、親たちの「産むのが怖い」という“気持ち”を大きく変えることはできないだろう。

繰り返し強調するが、昭和の時代――あるいはもっとさかのぼって大正時代や明治時代――は、いまよりずっと貧しく、子育ての環境もずさんだったし、教育投資も乏しく、衛生状況も悪く、安全も安心も程遠かったし、子供の人権意識などいまとは比べるまでもない。

だが子供はたくさんいた。

子供を持つことが「怖くなかった」からだ。

----------

御田寺 圭(みたてら・けい)
文筆家・ラジオパーソナリティー
会社員として働くかたわら、「テラケイ」「白饅頭」名義でインターネットを中心に、家族・労働・人間関係などをはじめとする広範な社会問題についての言論活動を行う。「SYNODOS(シノドス)」などに寄稿。「note」での連載をまとめた初の著作『矛盾社会序説』(イースト・プレス)を2018年11月に刊行。近著に『ただしさに殺されないために』(大和書房)。「白饅頭note」はこちら。

----------

(文筆家・ラジオパーソナリティー 御田寺 圭)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください