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「将来の天皇」悠仁さまも秋篠宮ご夫妻に同行したほうがいい…英国王戴冠式をめぐる「皇室外交」の最適解とは

プレジデントオンライン / 2023年3月12日 18時15分

イングランド王チャールズ3世(撮影時の2021年11月2日時点では皇太子)(写真=The White House P20211102AS-2249-2/Wikimedia Commons)

イギリスのチャールズ新国王の戴冠式に、秋篠宮ご夫妻が出席される見通しだ。評論家の八幡和郎さんは「近年の日英の皇室外交のバランスを考慮すると、秋篠宮ご夫妻が出席されるのは自然なことだ。皇室外交をもっと開かれたものにするために、悠仁さまや愛子さまといった若い皇族の方々も、積極的に外遊すべきだ」という――。

■秋篠宮殿下ご夫妻の訪英は妥当である

5月6日に行われるイギリスのチャールズ新国王(3世)の戴冠式に、日本からは秋篠宮皇嗣殿下と紀子さまが参列される方向のようだ。

天皇皇后両陛下が参列されると思っていた人もいるようだが、過去の英国王の戴冠式への出席者、日本の皇室とイギリス王室との交流のバランス、今後の天皇訪英・英国王訪日をにらんでの配慮などから、秋篠宮ご夫妻の参列は妥当だ。それに加えて、たとえ戴冠式に出席できなくとも、皇位継承順位第2位である悠仁さまも同行されたら、最高の帝王教育になる。

本稿では、戦前のジョージ6世の戴冠式で秩父宮殿下が序列一位で厚遇されたこと、エリザベス女王戴冠式へ上皇陛下が参列された経緯、日英ロイヤル・ファミリーの交流、今後の皇室外交の課題などについて、あまり知られていないエピドードを交えつつ、全体像を俯瞰(ふかん)して論じたいと思う。

というのは、皇室外交においては、個々の場面ではなんとなく良さそうに見える対応でも、相手国の日本の皇室に対する扱いとのレシプロシティ(reciprocity、互恵性)とか、他の国への対応とのバランスも考慮しなければいけないからだ。

■深夜まで国民の祝福を受けるイギリスの戴冠式

そうした議論の前に、まず、5月の戴冠式はどのような内容なのか。詳細は未発表だが、これまでの例を参考に概要を説明しておこう。

イギリス新国王の戴冠式は、1066年に即位したハロルド2世からの伝統で、ロンドンのウェストミンスター寺院で行われる。儀式のクライマックスとなるのは、カンタベリー大主教が国王に「聖なる油」を塗る塗油(アノインティング)と、重さ約2キロもある聖エドワードの王冠の戴冠(クラウニング)である。

こうした古典的な戴冠式はかつてあちこちの国で行われてきたが、現在残っているのは、英国とトンガ王国だけのはずで、それ以外は「即位式」などとはいうが、「戴冠式」ではないのである。

カミラ王妃の戴冠式も同時に行われる。エリザベス女王の戴冠式では、フィリップ殿下は戴冠などされなかったのみならず、散々難色を示したのに、臣下を代表してひざまずかされて、妻である女王に忠誠を誓ったのだから、男女平等など無視である。先鋭的な男女差別反対論者もこの男性差別には寛容なのが不思議だ。

デンマーク女王の夫だった故ヘンリック殿下は、王妃はクイーンなのだから男女平等の時代には、女王の夫もキングであるべきだと訴えて大騒動になったくらいだ。

戴冠式の後は、317カラットのダイヤモンドをあしらった「大英帝国王冠(インペリアル・ステート・クラウン)」(重さ約1キロ)を被ってバッキンガム宮殿までパレードし、そのあと、やはり王冠をしたまま宮殿のバルコニーに深夜まで何度も出て国民の祝福を受ける。

■ジョージ6世の戴冠式も「天皇の弟」が出席

これまで、日本の皇室がイギリス王室の戴冠式にどう対応してきたかというと、1902年のエドワード7世の時は小松宮彰仁親王が、1911年のジョージ5世の時には、東伏見宮依仁親王が出席している。いずれもフランス留学組で、王侯貴族の集まりにふさわしい人選だった。

エリザベス女王の父親であるジョージ6世の戴冠式が1937年に挙行されたときは、昭和天皇の弟である秩父宮殿下ご夫妻が出席された。妃殿下はロンドン生まれ・米国育ちの帰国子女だからうってつけだった。

そのときの、駐英大使は吉田茂で、彼が頑張ったお陰かどうかは知らないが、戴冠式ではすべての王侯の中で第一位の席を与えられていたのである。

このあと、フランス、オランダ、スウェーデン、ドイツを回られたのだが、そのときの駐英大使だった吉田茂の反対にもかかわらず、ドイツに多くの日数をとり、英国以上の大歓迎を受けて、秩父宮殿下はナチスの党大会にも来賓として出席された。

■上皇陛下の初外遊は6カ月にわたる大旅行に

終戦後、1953年に行われたエリザベス女王の戴冠式には、当時19歳だった皇太子殿下(現上皇陛下)が出席された。戦時中は敵対関係にあった、英国をはじめとする欧州王室との関係を修復したいということだけでなく、皇太子の国際化教育の一環でもあった。

1953年6月2日、エリザベス2世戴冠式
1953年6月2日、エリザベス2世戴冠式(写真=BiblioArchives/CC-BY-2.0/Wikimedia Commons)

人生初となる外遊は3月30日に横浜を出港され、10月12日に米国から空路でお戻りになるという大旅行で、このために、皇太子殿下は単位不足のため学習院で進級ができなくなった。留年もされず、同級生たちと一緒に大学を離れられたので、卒業はされていない。

ヨーロッパでは、王族は子供の時から公務をこなす。エリザベス女王も12歳ではじめてスピーチをされ、13歳で社交界デビューを果たされた。

ところが、日本ではそういうことをしないから、昭和天皇の場合もそうだが、まず、海外を訪問することで公務を始められる。皇太子殿下も、わざわざ船旅で、アメリカ、カナダを経由して時間を稼ぎながら練習された。

当時、まだ反日気分は高かったが、英国ではチャーチル首相が午餐会を開いて、そこに、うるさ型のマスコミ幹部を招待し、マスコミ論調を上手に和らげてくれた。また、エリザベス女王は、競馬場に来ていた殿下に使者を出して、第二レースをロイヤルボックスで一緒に見ようと誘い、王室としては歓迎していることを絵になる形で世界に報道されるよう見せ場をつくってくれた。ただ、大歓迎というわけにはいかなかった。

■順風満帆とは言えなかった昭和天皇の訪英

その後も、日英の皇室外交はなかなか戦前のようには回復しなかった。女王の従姉妹であるアレキサンドラ王女の来日、三笠宮寛仁親王の留学、大阪万博時のチャールズ皇太子の来日などあったが遅遅としたものだった(チャールズ皇太子は、来日時にイカの刺身を食べさせられたことをサウジアラビアの羊の目玉と並ぶ悪い思い出として語って話題になった)。

この大阪万博のとき、来日したベルギーの皇太弟(のちのアルベール二世)に関係者が、昭和天皇が訪欧を希望されているが、なかなか実現が難しいという話をしたところ、皇太弟はベルギー国王から招待状を出すことと、各国の根回しを引き受けてくれた。

これが功を奏して1971年に昭和天皇の訪欧は実現したが、イギリスを公式訪問する前提として、遠くない時期にエリザベス女王の訪日があるべきことを確認するということになった。

昭和天皇にとっては皇太子のとき以来、50年ぶりの訪欧で、天皇による外国訪問は歴史上はじめてのことだった。このとき、ベルギーなどでは温かく歓迎されたが、オランダとイギリスでは反対運動に見舞われた。

1971年昭和天皇オランダ訪問
1971年昭和天皇オランダ訪問(写真=Joost Evers/Anefo/CC-Zero/Wikimedia Commons)

エリザベス女王のスピーチは「両国民間の関係が常に平和であり友好的であったとは申すことができません」とやや辛口だったし、フィリップ殿下の叔父であるマウントバッテン卿は、式典をボイコットした。

■エリザベス女王が日本重視だったとは言いがたい

1975年には、エリザベス女王ご夫妻が訪日され、6日間で東京のほか京都と伊勢志摩を訪れられた。この訪日は英国側から見れば大成功で、東京帝国ホテルから国立劇場までのオープンカーでのパレードには11万人もの人が押し寄せた。

そののち、日本側からは、皇太子時代の天皇陛下や秋篠宮皇嗣殿下がオックスフォード大学に留学されたり、平成の両陛下が即位後だけでも、1998年、2007年、2012年と3回訪英されたりしたが、エリザベス女王の再来日はなかった。

女王は即位後、英連邦諸国にはカナダの23回、オーストラリアの16回など頻繁に訪問され、ドイツ7回、米国、フランス6回、イタリア5回などヨーロッパの主要国や米国は数回ずつ訪問されているが、アジアではUAE、オマーン、トルコ、ネパール、タイに2回訪問されたほかは、中国、日本、韓国は1回のみだった。滞在日数はそれぞれ7日、6日、4日と、重要性に応じてなのかさじ加減されていたわけで、日本を重視していたとは言いがたい。

■完璧とはいえない日英皇室外交のバランス

また、1989年の昭和天皇の大葬にはフィリップ殿下が、平成の即位礼にはチャールズ皇太子とダイアナ妃が、令和の即位礼にはチャールズ皇太子が来日している(カミラ妃は飛行機嫌いなので弾丸旅行を嫌われたといわれる)。これのほかに、チャールズ国王は皇太子時代にダイアナ妃とカミラ妃とそれぞれ1回訪問している。

そして、2020年には天皇皇后両陛下が訪英されるはずだったが、新型コロナ禍で延期になり、2022年9月のエリザベス女王の葬儀には両陛下が参列された。

皇室外交のバランスを考えた場合、本来は女王が訪日する番だったのだが、晩年の女王は外遊を減らされていたのでやむをえないとはいえ、英王室とややバランスを失した状況であるのは確かだ。

エリザベス女王が日本の皇室を特別扱いしていた、と言う人が根拠として挙げるエピソードの一つが、平成の両陛下が出席された2012年のエリザベス女王在位60周年記念行事だ。これは、記念撮影のときには外交儀礼の原則に従い、参加した君主・元君主の即位順で両陛下は第9位の位置に座られたのに、午餐会では女王の左隣という第2位の上席を用意されたというものだ。

しかし、参加者のうち女王たちと元君主、そしてある意味で格下ともいえる英連邦加盟国の君主(スワジランド。現エスティワニ)を除くと、即位順でスウェーデン国王がトップで陛下が第2位だった。まさにその通りの席だっただけで、なにも冷遇はされていないが特別の配慮ではなかった。

■両陛下の訪英が続くことに配慮された可能性も

ただ、伝統的に日本皇室への特別待遇を継続的にしてくれているのは、イギリスの最高勲章であるガーター勲章を、非キリスト教国ではただ1カ国だけ、日本の天皇陛下が明治天皇以来、授与されているからだ。現在も上皇陛下がガーター騎士団の一員である(天皇陛下もいずれ授与されるだろう)。

今回、天皇皇后両陛下の参列でなく、秋篠宮皇嗣殿下ご夫妻となったのは、2020年から延期になっている両陛下の訪英が近いうちに実現した場合、短期間に日本側ばかり連続3回の訪英となって、アンバランスが拡大することも配慮されたと見ることもできる。

日本学術振興会育志賞授賞式の会場に到着された秋篠宮ご夫妻=2023年3月2日、東京都台東区の日本学士院会館[代表撮影]
写真=時事通信フォト
日本学術振興会育志賞授賞式の会場に到着された秋篠宮ご夫妻=2023年3月2日、東京都台東区の日本学士院会館[代表撮影] - 写真=時事通信フォト

さらにいえば、むしろ、新しいチャールズ国王陛下ご夫妻に先に訪日していただいて、大歓待することで、日本の皇室外交への評価を高めることが日英皇室の絆を高めるためにも、世界戦略としても意義があると思う。

外交上の互恵性ばかりにこだわる必要はないが、一定の配慮はしないと国としての尊厳にかかわる問題であるし、イギリス王室はそういうプロトコール上の問題には非常に神経質で誇り高い。エリザベス女王は、1993年に行われたベルギーのボードワン国王の葬儀で席次を巡ってもめて以来、ベルギー王室を冷遇しているといわれるほどであり、日本の皇室もバランスを気にするのが当然だろう。

■両陛下に限らず、皇族はもっと外遊したほうがよい

令和の時代になってから、皇室外交は、新型コロナ禍で止まってしまっていた。せっかくの東京五輪・パラリンピックの機会も生かすことができなかった。これから、再スタートということになるが、皇后雅子さまのご体調の問題もあり、平成の時代ほどの頻度と内容で両陛下の外遊を行うわけにはいきそうもない。

そうなると秋篠宮皇嗣殿下夫妻の役割を増やし、しかも、重い位置づけのものにしなければならないが、限界もある。皇族数の減少と高齢化のなかで、いろいろ工夫があってしかるべきだ。三笠宮家や高円宮家の女王さまたちや佳子さまにももっとご活躍いただきたいし、悠仁さまや愛子さまには、外国の王室のように、成人や大学卒業を待たずに積極的に公務をしていただいてよいのではないか。

あるいは、休暇を過ごすという目的でも、どんどん海外へ行っていただいたほうが、リフレッシュのためにもよいと思う。公務か休暇か曖昧な形より、国内の私的旅行と同じ扱いでよいだろう。

■「開かれた皇室外交」のために必要なこと

さらに、皇位継承問題との絡みで、旧宮家や結婚したあとの女性皇族に皇族になっていただく、あるいはとどまっていただこうという案も「皇位継承についての有識者会議」の報告で提案されているが、私はかねて、皇族などにしなくても、そうした方々に、宮内庁参与とか嘱託のようなかたちで国際交流やこれまで皇族が担っていた活動の一部を分担していただくのはどうかと提案している。

それは、上記の有識者会議の報告での皇族の範囲拡大の準備としても有益なのだ。旧宮家の方の中には、これまで国際的なお仕事をされてきた方も多いし、若い方でも有給休暇をとられて外国訪問など可能な時代だ。皇族に復帰していただく適任者探しのためにも好都合だ。

また、女性皇族が結婚されるまでの短い期間しか公務ができないのはもったいない話だ。黒田清子さんのようなケースだけでなく、小室眞子さんのように、結婚によって皇室から出て海外に拠点を移すようなケースでも、それなりの手当で、皇室外交につながるような仕事をしていただくのはよいことだと考える。彼女たちの生活を安定させて、品位を保っていただくことにもつながる。

こうした皇室の課題を考えても、秋篠宮ご夫妻の戴冠式へのご出席は前向きなものだと思う。皇室や王室による外交は人気があり、世界から歓迎されるものだ。高円宮妃殿下久子さまが国際オリンピック委員会(IOC)総会で、東京五輪・パラリンピックの誘致演説をされたことについては当初、消極的な意見もあったが、結果的に大成功だった。

令和の皇室外交はより積極的に、開かれた多彩なものにすべきであろう。

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八幡 和郎(やわた・かずお)
徳島文理大学教授、評論家
1951年、滋賀県生まれ。東京大学法学部卒業。通商産業省(現経済産業省)入省。フランスの国立行政学院(ENA)留学。北西アジア課長(中国・韓国・インド担当)、大臣官房情報管理課長、国土庁長官官房参事官などを歴任後、現在、徳島文理大学教授、国士舘大学大学院客員教授を務め、作家、評論家としてテレビなどでも活躍中。著著に『令和太閤記 寧々の戦国日記』(ワニブックス、八幡衣代と共著)、『日本史が面白くなる47都道府県県庁所在地誕生の謎』(光文社知恵の森文庫)、『日本の総理大臣大全』(プレジデント社)、『日本の政治「解体新書」 世襲・反日・宗教・利権、与野党のアキレス腱』(小学館新書)など。

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(徳島文理大学教授、評論家 八幡 和郎)

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