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「世界基準でも歴史的な大政治家だった」安倍元首相の回顧録がロシアで称賛されている意外な理由

プレジデントオンライン / 2023年3月14日 8時15分

衆院予算委員会で質問する立憲民主党の米山隆一氏(中央)=2023年2月13日午後、国会内 - 写真=時事通信フォト

■「2島決着」の方針が回顧録で明かされた

昨年7月凶弾に倒れた故安倍晋三元首相の未公開の肉声を収録した話題のベストセラー、『安倍晋三 回顧録』(中央公論新社)は、ウクライナ侵攻を進めるロシアでも話題で、ネット上に内容紹介やコメントが次々掲載されている。安倍氏が明かすプーチン大統領との日露交渉の内幕には、ロシア側も興味津々のようだ。

安倍氏はこの中で、首脳交渉で最大の謎だった2018年11月のシンガポールでの首脳会談の内容を公表し、北方領土問題で1956年日ソ共同宣言に基づく歯舞・色丹両島の引き渡しによる「2島決着」に舵を切ったことを公然と認めた。国是の「4島」路線に戻りつつある岸田文雄首相の方針とは異なり、将来の日露交渉の足枷となる可能性がある。

■「米国の意向に逆らった異例の首相」

読売新聞記者らがまとめた回顧録は、「内容があまりに機微に触れるため、(安倍氏が)出版を躊躇した」(まえがき)とされるほど生々しい証言が多い。ロシアでは、タス通信やRIAノーボスチ通信が要旨を報道すると、各メディアが追随した。

ロシアのテレビメディア「Vesti.ru」は、「プーチンはクールな感じに見えるけれど、意外にきさくで、ブラックジョークもよく言う」という安倍氏のプーチン評を伝えた。

有力メディア「RBK」も、中国の習近平国家主席が安倍氏に、「自分が米国に生まれていたら、米国の共産党には入らないだろう。民主党か共和党に入党する」と語ったことを伝え、「世界のリーダー評がユニーク」と指摘した。

右派系の「Regnum通信」は、安倍氏が北方領土問題について、「4島を一括返還しろという主張はいつだってできます。そう言えば、ロシアは反発し、交渉は終わる」「本気で返還を実現しようとするなら、向こうが関心を示す案を示さねばならない」として「2島」に譲歩したことを取り上げ、現実的な思考と指摘した。

国営「ロシア新聞」の電子版は、安倍氏がロシアによるクリミア併合後、オバマ米大統領の反対を押し切って訪露した経緯を取り上げ、日本の首脳が米国の意向に逆らうのは異例だと強調。「安倍氏は2016年にソチを訪れ、8項目の経済協力案を提示するなど、その後数年間の関係発展の基礎を築いた」と称えた。

■「世界基準からみても歴史的な大政治家だった」

ロシアでは、米国に抵抗してまで日露関係改善に動いた安倍氏への評価が高い。

親日的住民の多い極東ウラジオストクのネット・メディア「PortoFranko」は、回顧録を紹介しながら、「安倍氏が提案した8項目提案には、ウラジオストクの快適な環境整備も含まれていた」「2018年末が最も平和条約に近づいた」などと安倍氏の対露外交が不調に終わったことを惜しんだ。

新興ネットメディア「グローバル・アドベンチャー」は、「安倍氏はロシアとの善隣関係の重要性を理解した日本で2番目の政治家だ。最初の森喜朗元首相は個人的な関心によるものだったが、安倍氏は世界で起きているプロセスを認識した上で、ロシアを重視した。米国の政策により、日中が対峙(たいじ)する事態を恐れたからだ」と書いた。

若手日本研究家のウラジーミル・ネリドフ・モスクワ国際関係大学准教授は、ロシア外交評議会のサイトで、「安倍氏は優秀な政治家が少ない日本だけでなく、世界基準からみても歴史的な大政治家だった。彼の業績には、成功もあれば失敗もあるが、日本が国益に基づく独立した政策を追求し、大国であり続けることを改めて示した。日露関係の将来は不透明ながら、安倍氏の政治的遺産は二国間関係発展に大きな影響を与えるだろう」と指摘した。

プーチン大統領も安倍氏の死後、「私はシンゾーと定期的に接触した。そこでは安倍氏の素晴らしい個人的、職業的資質が開花した。この素晴らしい人物の記憶は、すべての人の心に永遠に残る」とやや感傷的な弔電を昭恵夫人らに送った。ロシアが欧米から孤立する中で、11回の訪露、27回の首脳会談を重ねた安倍氏への評価は、ロシアで一段と高まっている。

■岸田外交への不満や失望の裏返し

ロシアでの安倍氏賞賛は、岸田外交への不満や失望の裏返しでもある。岸田首相はロシア軍のウクライナ侵攻を「許されざる暴挙」「戦争犯罪」と糾弾し、G7(主要7カ国)と組んで対露制裁を進める一方、北方領土問題では従来の原則路線に戻りつつある。

岸田首相は今年2月8日の衆院予算委員会で、「4島の帰属問題を明らかにして平和条約を締結する」と従来の「4島」路線に戻る方針を示唆した。1年前の2月7日、「北方領土の日」の全国大会でのあいさつでは、「2018年以降の首脳間でのやりとりを引き継いで粘り強く交渉を進める」と述べたが、今年は「交渉前進」「引き継ぐ」といった表現はなかった。大会アピールでは、「不法占拠」を非難する表現が5年ぶりに復活した。

地元紙の北海道新聞は2月7日付の社説で、「首相は四島返還を目指す意思と、解決への道筋を示さなくてはならない」とし、「毅然(きぜん)たる4島返還方針」を採用するよう求めた。ロシアの野蛮なウクライナ侵略戦争を受けて、「4島返還」へ回帰するのは、国民感情として当然だろう。

安倍氏は2018年11月の首脳会談で「2島決着」による交渉妥結へ舵を切ったが、日本外務省関係者は、「ロシアがウクライナ侵攻のような重大な国際法違反行為を行った以上、それまでの交渉はチャラになる。シンガポール合意は文書化されたわけではなく、日本側は安倍発言に束縛されない」とし、「2島」を封印する意向を示した。

■日露関係は最悪の段階に突入した

これに対し、ロシア側は日本を「非友好国」に指定するなど、強硬姿勢で臨み、今年に入っても反日外交を強めている。

外務省のザハロワ報道官は「日本との平和条約交渉は完全に閉ざされた」と述べ、領土交渉を再開する意思のないことを強調。北方領土周辺の日本漁船の安全操業に関する政府間交渉に応じない方針も通告した。

ロシアは今年2月から、同国産原油の輸入価格に上限を設けた日本などG7や欧州連合(EU)諸国に禁輸措置を発動しており、エネルギーと漁業で日本に圧力をかける構図だ。

ロシア最高検察庁は1月30日、故瀬島龍三元伊藤忠商事会長ら旧日本軍人3人の名誉回復措置を取り消すなど、対日歴史戦も挑んでいる。日露関係は1992年の新生ロシア誕生後、最悪の段階に突入した。

2014年3月18日、クリミアのロシアへの再編のニュースを祝うモスクワの赤い広場の人々
写真=iStock.com/BendeBruyn
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/BendeBruyn

■回顧録が交渉の障害になる可能性がある

今年は日本がG7の議長国で、岸田首相は「G7議長国としてウクライナ支援で積極的な役割を果たし、連携を強化する」としている。ロシアは5月の広島サミットを牽制し、対日圧力をさらに強化しそうだ。

日露平和条約交渉の再開は、ウクライナの終戦、プーチン政権の退場を待たねばならないが、仮に交渉が再開されても、安倍氏の回顧録が障害になる可能性がある。日本側が「4島の帰属確認」を求めても、ロシアはシンガポール会談の議事録を公表し、日本の立場が「2島」に転換したと主張するだろう。

回顧録は北方領土問題への日本の混乱や動揺、弱みを暴露した形だ。外交交渉の情報公開請求に対し、北方領土問題の経緯は公表できないとしてきた日本政府の立場とも矛盾する。

ザハロワ報道官は「日本の現政権は、前任者らが長年作り上げてきた協力を一貫して破壊している」と批判しており、ロシア側は将来の交渉で安倍路線への回帰を求めそうだ。

安倍外交のダメージ・コントロールをどう行うか、日本の対露外交は新たな課題を背負った。

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名越 健郎(なごし・けんろう)
拓殖大学特任教授
1953年、岡山県生まれ。東京外国語大学ロシア語科卒。時事通信社に入社。バンコク、モスクワ、ワシントン各支局、外信部長、仙台支社長などを経て退社。2012年から拓殖大学海外事情研究所教授。国際教養大学特任教授。2022年4月から現職(非常勤)。著書に、『秘密資金の戦後政党史』(新潮選書)、『独裁者プーチン』(文春新書)、『ジョークで読む世界ウラ事情』(日経プレミア新書)などがある。

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(拓殖大学特任教授 名越 健郎)

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