動物としゃべれる日も近い…「相手が今、何をどう思っているか」が即、画面に出る未来技術の底知れぬ可能性
プレジデントオンライン / 2023年4月25日 9時15分
※本稿は、中村尚樹『最先端の研究者に聞く 日本一わかりやすい2050の未来技術』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
■諸問題の根源「コミュニケーション」
「社会が抱える様々な問題の根源は、価値観や生活様式の多様化によるコミュニケーションの齟齬にあると私たちは考えています。そこで、あらゆる場面で人びとのコミュニケーションを支援する『自在ホンヤク機』を開発することで、こころとこころが通じ合う社会の実現を目指したいと考えています」そう語るのは、東北大学大学院生命科学研究科教授の筒井健一郎だ。
ドラえもんのポケットから出てきそうな装置の名前だが、一体どんなものなのだろうか。相手が考えていることが互いのディスプレイ画面に「カタカナで書いてあるし、何となく怪しげな感じを持たれるかもしれませんが……」と穏やかな口調で話し始めた筒井は、その役割を端的に語ってくれた。
「コミュニケーションが難しい人たちの間のやりとりを支援して、いわゆる以心伝心、こころが十分に通じ合う状態を作りあげるのが、代表的な機能です」
漢字で「翻訳」と書くと、異なる言語間で文章を置き換えることになる。しかし自在ホンヤク機で扱う対象は言語に限らず、非言語的なニュアンス、言葉にならない気持ちや思考も含まれる。様々な情報をわかりやすく置き換えて伝達する装置として、カタカナで「ホンヤク」という表記を選んだのだ。
■こころの「自在ホンヤク機」の使い道
では、まだ実在していない自在ホンヤク機はどのような姿かたちになるのかを問うと筒井は、スマートフォンはもちろん、VR(仮想現実)ゴーグルやAR(拡張現実)グラスなどの小型デバイス、映像を立体的に表現するプロジェクションマッピング、さらには各種支援ロボットなど、様々なデバイスをあげた。
つまり自在ホンヤク機の本体はハードウェアではなく、各種デバイスにインストールされるソフトウェアなのだ。
自在ホンヤク機の機能としては、解釈機の部分と、表現機の部分がある。解釈機は相手の意図や感情を解釈する。表現機は最適な表現を判断し、相手のディスプレイにその情報を伝えるのだ。
その具体的な使い方として、筒井は次のようなモードを例としてあげた。
タブレット型の装置を話している相手に向かってかざすと、相手がどう思っているのか、何を考えているのかがわかりやすく表示される「どう思っているの? モード」。
同じ場面で、今度は自分がどう思われているのか、相手の気持ちや、相手の自分に対する見方が表示される「どう思われているの? モード」。
相手を知るための補足情報を提供してくれる「データ提供モード」。
複数の人が装着している場合に、装着している人たちの共同作業を、本人たちの負担にならないような形で、気づかないような形で、こっそりサポートしてくれる「こっそりサポートモード」、さらには“私はあなた、あなたは私”的な感性を導く「シンクロ増強モード」まで。
■ダンス教室で互いのイメージを見ながら踊る
実際に自在ホンヤク機が使われている場面を想像してみよう。軽量なゴーグル型のヘッドマウントディスプレイを頭部に装着する。このデバイスには脳波計もついていて、それぞれの思考を脳波から読み取ることができるようになっている。仮に、先生が生徒にダンスのレッスンをしている場面としよう。
![自在ホンヤク機機能例](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/4/a/1200wm/img_4a7e0646cdbaa404bdf8ee6ff1bbceb9410413.jpg)
相手が今、何を考え、どう思っているのか、お互いのディスプレイ画面にわかりやすく表示される。それは箇条書きのような文字で示されることもあれば、例えば好きや嫌い、楽しいとか、怒りなど、読み取りやすい表情として表されることもある。実際の演技指導に入ると、先生が言葉で説明しながら思い描いたイメージがVRやARの機能を使い、生徒のディスプレイに映像となって映し出される。先生が実際に踊らなくても、生徒はその画像をなぞって身体を動かすことで、言葉にしにくい説明を体感できるのだ。
生徒の人数が複数になって、グループでダンスを踊る場面になると、自在ホンヤク機はいっそう威力を発揮する。それぞれのディスプレイに、各自が踊るイメージが表示される。それに従うと、すべてのユーザーがひとつの身体に統合されたような一体感を味わうことができるようになったり、別々の動きを的確に表現できるようになったりする。
■コミュニケーションの訓練効果が期待できる
「普通なら、最初の段階からピタッと演技が揃うということはまずないのですが、自在ホンヤク機で支援してあげると、うまく自分たちがシンクロしている感じを全員で持つことができ、美しい演技を早く身につけられるようになります」
自在ホンヤク機の力に頼ると、それなしでは何もできないということにはならないだろうか。
「そうではありません。しばらく使っていると、コミュニケーションの訓練効果があって、もうこの機械要らない、この機械に頼らなくても、人と仲良くできるっていうスキルが身につくはずです」これをさらに進めると、VRやARの技術を融合させて、自在ホンヤク機がないと体験できないような異次元的エンターテインメントの創出も考えられる。
![ビジネスパーソンが話をする](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/d/c/1200wm/img_dcd02e9a144990f542cf4fdaeba8ae5d437982.jpg)
■イメージが動画になって出てくる
コミュニケーション障害のある人たちに直近の目標として、筒井が自在ホンヤク機を数年以内に使ってもらいたいと考えている対象が、発達障害の人たちだ。なかでもASD(自閉スペクトラム症)の当事者たちは、相手の表情や視線、身振り手振りなどの意味が理解できなかったり、発話に抑揚がなかったりして、多かれ少なかれコミュニケーションが取りづらいという特徴がある。
心理学では会話をしているときの笑顔とか、うなずきとか、非言語的な情報がスムーズなコミュニケーションを成り立たせるうえで非常に重要だといわれている。
「そういった介入を積極的にしていくことを、考えています」
すでにASDの人たちの協力を得て、自在ホンヤク機のプロトタイプを作るべく、開発作業が始まっている。
「初期の段階では、複雑な言葉を要約して伝える。それから言葉のイメージを、できるだけ画像化して伝えたいと思っています。将来的には例えば何かの作業について、あれとこれをやるというのであれば、そのイメージが動画になって遅くても15秒ぐらいで出てくる。そんなふうにしたいと思います」
発達障害のほかにも、コミュニケーション障害はいろいろある。例えば手足や喉などの筋肉がだんだん動かなくなるALS(筋萎縮性側索硬化症)、あるいは意識は正常なのに、身体が完全にマヒして眼球と瞬き以外、ほとんど動かない「閉じ込め症候群」で苦しんでいる人たちがいる。「脳波には時々刻々と考えていることが表れてきますので、ALS、さらには閉じ込め症候群の方にも使っていただけるようになると思います」
■こころをホンヤクする仕組み
では脳や神経からどの程度、こころを読むことができるのだろうか。すでに実用化されているものとしては、自律神経を利用した警察のウソ発見器がある。自律神経には興奮しているときに働く交感神経と、リラックスしているときに働く副交感神経がある。ウソをつくと緊張して交感神経が働き、心拍数が上がったり、手のひらに汗をかいたりする。ウソ発見器は、自分の意思で自律神経をコントロールできないことを利用したものだ。
筒井のプロジェクトでも、まずは緊張と弛緩の自律神経系が計測の対象となる。次に筒井が目をつけたのが、脳内でポジティブな感情の中枢と見られる「側坐核」と、ネガティブな感情の中枢である「扁桃体」だ。いずれも脳の深部にあるが、頭皮に置いた電極で脳波を拾い上げることができれば、その人が喜んでいるのか、あるいはうれしくない気持ちを持っているのか、快・不快のこころの軸が読み取れるようになるだろうと考えている。
![様々な立場の人々のシルエット](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/7/b/1200wm/img_7bcbd2c22ceac6015f86eb4f955f216c207008.jpg)
■伝えたくないことはストップできるように
確かに自在ホンヤク機が実現すれば、人間関係を円滑にすることができるかもしれない。しかしマイナス面として、自分の本心がすべて相手に筒抜けになってしまう恐れはないだろうか。
「我々のこころって、100%きれいなわけではなくて、伝えたくないイヤな面もあります。我々のグループで考えているのはやはり、こころのなかがみんな透けて見えるようなものを作るのではなく、基本的にはプラスの感情が伝わりやすい、あるいはプラスのこころが生まれやすいような形で使えるようにしたいと思います」
その選択を自分ができるように、自分が伝えたいこと、あるいは伝えたくないことを自分で選ぶことはできないだろうか。
「自分が伝えたいことが伝わるように、逆に伝えたくないことはストップできるようにする。そういった機能は絶対につけないといけないという話はしています」
さらにうがった見方だが、悪意を持った人が他人を騙そうとして、悪意の部分だけを表示されないようにするという使い方をされる可能性はないだろうか。
「犯罪の被害者になることを抑止するような機能も、もちろんつけられたらいいと思います。例えば詐欺の恐れがある場合、相手の人はウソを言っている可能性があるという警告が鳴る機能も必要かもしれないと思います」
■メタバースと「自在ホンヤク機」は相性抜群
自在ホンヤク機で利用者の情報がどんどん集積することになれば、今流行りの仮想空間、メタバースで、その人の代わりとなるアバターとして、よりリアルに活用できるかもしれない。
![中村尚樹『最先端の研究者に聞く 日本一わかりやすい2050の未来技術』(プレジデント社)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/2/e/1200wm/img_2e3de433f9c12bc6b3af2404345e6548332979.jpg)
「利用が進むにつれて自在ホンヤク機のなかに蓄積していくライブモデルは、デジタルツインといってもいいものです。そこには個人情報がたくさん詰まっていますので、データをどのように管理し、活用していくのか、検討すべき課題と思っています」
新型コロナウイルス感染症の予防対策として、パソコンやスマートフォンを利用し、ミーティングやセミナーをオンラインで行うビデオ会議システムの利用が急速に増えた。離れた場所でも顔を見ながら話ができるため、非常に便利なのは確かだ。その一方で、画面越しだと相手の雰囲気がつかめず、手応えが感じられないなどの課題も指摘されている。自在ホンヤク機があれば、お互いに空気を読んでよりリアルな空間を感じられるようになるのではないだろうか。
「それを目指しています。特に今の状況下で、コンピューターを介したコミュニケーションがぐっと一般化して利用が進んだと思いますので、様々なデバイスを使って自在ホンヤク機を実装していく社会基盤としては、取り組みを進めやすい状況になっているのではないかと考えています」
すでに筒井のもとには、日本内外の大手IT企業などから、協業に向けた問い合わせが相次いでいるという。確かにITベンダーにとって、自社の製品に自在ホンヤク機のソフトを組み込むだけで、会話がスムーズになるとすれば、非常に魅力的だ。
■人と動物が自在に会話できる日
「脳科学に根ざしていますので、人と人だけではなくて、基本的には人と動物の間でも利用できると思います」
ムーンショットのプロジェクトとは別に、筒井の所属する東北大学大学院生命科学研究科で、あるプロジェクトの立ち上げが検討されている。その名も「ソロモンの指輪プロジェクト」。イスラエル王のソロモンが大天使ミカエルから授かった指輪をはめると、動物と話すことができたという伝説からとった名前だ。
「本当に動物と人のこころを結ぶ装置にもなると思います。最近はペットを伴侶動物と呼ぶ人もいるということで、そういう人には必要ないかもしれません。しかし自在ホンヤク機を人と動物の間で使えば、動物のこころを読むのが得意じゃないという人も、うまく動物のこころがわかるようになると思います」
ドリトル先生のように動物としゃべれる日も、そう遠いことではないかもしれない。
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ジャーナリスト
1960年、鳥取市生まれ。九州大学法学部卒。専修大学社会科学研究所客員研究員。法政大学社会学部非常勤講師。元NHK記者。著書に『ストーリーで理解する日本一わかりやすいMaaS&CASE』(プレジデント社)、『マツダの魂 不屈の男 松田恒次』(草思社文庫)、『最重度の障害児たちが語りはじめるとき』『認知症を生きるということ 治療とケアの最前線』『脳障害を生きる人びと 脳治療の最前線』(いずれも草思社)、『占領は終わっていない 核・基地・冤罪そして人間』(緑風出版)、『被爆者が語り始めるまで』『奇跡の人びと 脳障害を乗り越えて』(共に新潮文庫)、『「被爆二世」を生きる』(中公新書ラクレ)、共著に『スペイン市民戦争とアジア──遥かなる自由と理想のために』(九州大学出版会)などがある。
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(ジャーナリスト 中村 尚樹)
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