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未知の感染症に対応する治療薬を"事前に用意"する…ワクチン開発で後れを取る日本で進む最新研究の中身

プレジデントオンライン / 2023年4月6日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Rattankun Thongbun

未知の感染症に対応するためにどんな医療技術が必要か。大阪大学感染症総合教育研究拠点の拠点長・特任教授の松浦善治さんは「感染症が出てからワクチンを作る今までの感染症研究では、後手後手に回ってしまう。ぼくたちはワクチンではなく、あらかじめ治療薬を用意しようと考えています。2050年くらいまでには、そうなるだろうと思います」という――。

※本稿は、中村尚樹『最先端の研究者に聞く 日本一わかりやすい2050の未来技術』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

■ウイルス感染症は、いずれまた現れる

人類はこれまで、生存のための様々な苦難を強いられてきた。そのひとつが、感染症との闘いである。

記録に残る最古の感染症として、紀元前12世紀のエジプトを統治したラムセス五世のミイラから、天然痘に特有のアバタのあとが見つかっている。天然痘は古くから世界各地で大流行を繰り返してきた。日本では奈良時代に地震や飢饉に加え、天然痘の大流行による社会不安を鎮めるため、聖武天皇が東大寺の大仏を建立したことでも知られる。14世紀のヨーロッパでは、黒死病として恐れられたペストで、人口の三分の一が死亡したとされる。そのほか、マラリア、コレラ、結核など、人類は致死性の高い感染症との闘いに苦しんできた。

しかし、天然痘には人類初のワクチンとして1796年、イギリスのジェンナーが種痘開発に成功し、WHOは約200年後の1980年に天然痘の根絶を宣言した。1943年に発見された抗生物質のストレプトマイシンは、細菌感染症の治療に絶大な効果を発揮し、日本では国民病とも呼ばれた結核の特効薬として多くの人の命を救った。このストレプトマイシンなどの抗生物質の出現で、ペストも今では稀な感染症となってきている。

■「どうして日本ではワクチンができないんだ」

「ぼくがまだ学生の頃、21世紀には感染症はなくなると、微生物の教授から教わりました。しかし、全然なくならないですね。これだけ科学が進歩しても、人間がこんなにも感染症に弱いという社会の脆弱性を露呈しました」

そう語るのは、大阪大学感染症総合教育研究拠点の拠点長・特任教授の松浦善治だ。新型コロナウイルスに対するワクチン開発で、欧米に大きく後れをとった日本の現状について、感染症の専門家である松浦は憂慮する。

「日本は『インフラも充実していて、きれいな国だから大丈夫』という、まったく根拠のない自信があったのですね。だから感染症の研究自体が軽んじられて、研究者が育っていない。パンデミック(世界的大流行)が起こったとき、人もいないし、お金もない。『どうして日本ではワクチンや薬ができないんだ』と言われても、『それはできません』と言うしかない。研究者が有能とか無能とか、そういう問題ではないのです」

■過去の感染症の教訓を活かしていない

21世紀になって新たに登場したコロナウイルスとしては、2003年にアジアやカナダなどで流行したSARS(重症急性呼吸器症候群)、2012年に中東地域を中心に流行したMERS(中東呼吸器症候群)がある。感染力、毒性ともに強いウイルスだ。しかし予防ワクチンや治療薬の開発を待つまでもなく、隔離と検疫という古典的対策で早期に収束した。

「あのとき、SARSやMERSの薬を作っておけばよかったのです。しかし作っても需要がないというので、作るのをやめてしまったのです」

確かに新薬の開発には、巨額の費用がかかる。製薬会社としては、投資だけして回収できないのでは、企業として存続できない。それでも欧米の製薬会社が新型コロナウイルスに対するワクチンを一年足らずというこれまでにない短期間で開発できたのは、深刻な被害に直面したこと、ワクチン先進国の技術の蓄積に加え、政府から巨額の開発資金が投入されたからだ。

ヘルスケア、教育、ライフスタイル、人の概念。保護医療マスクを着用し、大学の講義室に立って、笑顔の多様な留学生のグループ
写真=iStock.com/Prostock-Studio
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Prostock-Studio

■ワクチン開発実績がほとんどない日本

これに対して日本の製薬会社は、新たなワクチン開発の実績がほとんどない。2010年には新型インフルエンザの流行を踏まえて政府の有識者会議が「国家の安全保障という観点」から、ワクチン開発と生産体制の強化を提言した。

しかし研究開発面でも、予算面でも立ち遅れ、新型インフルエンザやMERSに対するワクチンは国の支援を受けられなかったことから開発が中断されたという苦い歴史がある。

過去にポリオの生ワクチンできわめて稀な例として手足にマヒが残る事例が出たことや、子宮頸ガンワクチンによる副反応への懸念から、日本では国民の一部にワクチンに対する不信感のあることがワクチン開発を遅らせたとの指摘もある。しかしワクチン接種を受ける側の私たちが、利益と不利益を勘案するのは当然のことである。

おたふくかぜや百日せき、インフルエンザなどのワクチンは、無料で受けられる国も多いが日本では有料で、他国と比べて接種率が低くなるのは当然だ。

こうしたことをワクチン開発の遅れの理由とするのはお門違いだ。

■感染症に対する危機管理がない

「感染症に対する危機管理が日本にはありません。国家安全保障であるという認識が、日本にはまったくないのですね。これに対して外国は感染症研究を国が積極的に進めてきました」

入院先の高齢者の予防接種
写真=iStock.com/Inside Creative House
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Inside Creative House

「先進国クラブ」とも呼ばれるOECDが2021年に発表した「図表でみる医療2021」のなかの「医薬品開発への企業の支出と医療分野の研究への政府の予算2018年」を見ると、日本の「企業の医薬品の研究費は米国の5分の1に及ばず、政府の医薬品研究予算は米国の6%」という状況だ。特に感染症の分野でその傾向が顕著だと、松浦は指摘する。

さらに医療面に関するOECDの資料を見ると、CTとMRI(磁気共鳴画像)、それにPETという、超高額な画像診断装置の人口あたりの台数は日本が断トツで、2位のアメリカの約2倍となっている。

新型コロナウイルス感染症の拡大局面では入院できない人が続出したが、それでも人口あたりのベッド数も一番多い。一方で人口あたりの医師数はOECD加盟38カ国中、下から6番目で、「診療中に医師が十分な時間を割いたと評価する患者の割合」は、OECD諸国のなかで最低である。高額な医療機器や施設は充実していても、それを活かす専門家のマンパワーが不足しているのだ。

こうしたなか、大阪大学は新型コロナウイルス感染症の世界的大流行を踏まえ、総合大学の利点を活かして「オール阪大」で感染症対策を進めようと、2021年に感染症総合教育研究拠点を開設した。その拠点の設置理由を見ると「テレビやインターネットに氾濫する真偽不明の情報、軽視されていた感染症の基礎研究、感染症の流行に弱い医療体制など、日本が抱える課題が浮き彫り」になったとしている。

■ワンヘルスの思想で立ち向かう

感染症は、何らかの病原体が体内に侵入して引き起こす病気のことである。カビや酵母などの真菌、アニサキスなどの寄生虫による病気もあるが、感染症の多くは細菌(バクテリア)、そしてウイルスによって引き起こされる。このうち細菌は光学顕微鏡でしか見えない小さな生物で、栄養があれば自分で分裂して増えていく。乳酸菌や納豆菌など、私たちの生活に役立つ細菌もあれば、サルモネラ、カンピロバクター、黄色ブドウ球菌など、食中毒のニュースでよく聞く菌もある。結核は、結核菌によって引き起こされる。

ウイルスは細菌よりもさらに小さく、電子顕微鏡を使わなければ見ることができない。しかもウイルスは単独では生きられず、ヒトや動植物を宿主とし、生きている細胞に入り込んで、つまり感染して宿主のシステムを利用し、自分のコピーを作らせて増えていく。治療法としては、細菌には抗菌薬や抗生物質が有効だ。これに対してウイルスは、抗生物質は効かない。ウイルスによる感染症の治療薬として、インフルエンザやHIVには治療薬が開発されたが、感染症を引き起こすウイルス全体で見れば、治療薬はまだまだ少ないのが実情だ。

しかもインフルエンザ治療薬として期待されたタミフルは、症状の持続時間を20時間ほど短縮する効果しかなかった。新型コロナウイルスのパンデミックもあり、ウイルス対策が重視される所以である。

これについて松浦は、ワンヘルスの思想を踏まえて反省する。ワンヘルスについて日本獣医師会は「人の健康、動物の健康、環境の保全のためには、三者の全てを欠かすことができないという認識に立ち、それぞれの関係者が“One for All,All for One”の考え方に基づいて緊密な協力関係を構築して活動し、課題の解決を図って行こうとする理念」とウェブサイトで説明している。「研究者はそれぞれ、ヒトに限定されたいくつかのウイルスを深く研究していますが、一方でほかのウイルスのことは、タイプが似ていてもよくわからないという人がほとんどなのです。みんな、自分の専門ばかりやっていて、たこつぼ状態なのです。『それではいけない』ということをみんな思っているのですが、なかなか変われないのですね」

■病名のないウイルスへの対処法は

ヒトがウイルスに感染すると、生体反応として免疫が動き出し、ウイルスを排除しようとする。そのとき、ウイルスの種類が違っても、同じような反応を示すウイルスがある。松浦の考えるウイルス対策は、従来のようにウイルスの機能や形質によるタイプを問うことはせず、ウイルスが身体に入ってきたとき、生体がどう反応するか、その反応のパターンでウイルスを分類しようというものだ。

「生体の反応をいくつかに分け、それぞれに対する治療法を準備します。例えば、新しいパンデミックの感染症が出たとき『こういう細胞が動いているから、これはパターンBだな』と判断する。そうすると『この細胞を強くしたら、おそらく排除できるだろう』ということがわかるはずです」

これまでの治療は、まず診断をして病名を確定し、学会の作ったマニュアルや保険診療の手続きに基づいた定型的な投薬などの治療を行う。それが日本における正統な治療法だ。ところが松浦のやろうとしている治療は、逆ルートだ。病名の確定はさておき、症状に応じた治療を開始する。なぜなら、未知の感染症の場合、そもそも病名自体がないかもしれない。病理学的関心からウイルスの特定を進めても、その間に症状が進行して手遅れになるかもしれない。そうではなく、症状に応じた治療法や薬をあらかじめ用意し、新しい感染症にとりあえず対処できるようにしておこうというのだ。

■未来の医療では、治療薬を事前に用意する

「感染症が出てからワクチンを作るというのが、今までの感染症研究なんですね。基本的にワクチンは後出しで、だから後手後手に回ってしまうのです。ぼくたちはワクチンではなく、あらかじめ治療薬を用意しようと考えています。例えば、パターンAの症状だったらこの薬、Bの症状だったらこの薬。そうしておけば、未知の感染症が出たらすぐに『これが効くはずだから、まずは使ってみましょう』ということができるようになるのです。先制的に準備する。2050年くらいまでには、そうなるだろうと思います」

白い背景に行Covid-19またはコロナウイルスワクチンフラスコ
写真=iStock.com/peterschreiber.media
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/peterschreiber.media

国の事業として「SCARDA(スカーダ)(先進的研究開発戦略センター)」が2022年に設置され、パンデミックを起こす可能性のある病原体に対して、様々なワクチンをあらかじめ用意しようという取り組みを始めた。これに対して松浦たちは、同じような視点で薬を準備しておこうというのだ。そうなると、ウイルスによる感染症に限らず、いろんな病気に対応できる可能性があり、実現すれば多くの人の命を救うことになるだろう。

■ウイルスを知り、「仲良く」生きていく

新型コロナウイルスは、パンデミックを引き起こした。これだけ医療を含む科学技術が進化した時代に、感染症の大流行で多くの人びとが亡くなり、社会生活が大混乱を余儀なくされるなど、予想していた人はほとんどいなかっただろう。しかしそれが、現実のものとなった。

野生生物と平和に共生していたウイルスが、大航海時代の幕開けとともに旧大陸から新大陸に持ち込まれ、新たな感染症を引き起こした。現代社会では人の大規模な移動や人口が密集する都市化、新しい生活様式や様々な医療行為、珍しい野生動物のペット化、そして大規模な森林伐採などの環境破壊により、未知のウイルスが人類と出会うようになってしまった。

中村尚樹『最先端の研究者に聞く 日本一わかりやすい2050の未来技術』(プレジデント社)
中村尚樹『最先端の研究者に聞く 日本一わかりやすい2050の未来技術』(プレジデント社)

人間中心に経済成長や新たな刺激を追い求めてきたツケのひとつが、感染症によるパンデミックという形で現れてきている。先述したワンヘルスの思想を踏まえれば、これからの社会はヒトの健康だけを考えるのではなく、家畜はもちろん、野生動物を含む自然環境が健全でなければならない。家畜を快適な環境下で飼育するアニマルウェルフェアも、これまで以上に重要になるだろう。私たちの身体を見てみると、肺などの臓器や血液のなかには、たくさんの微生物が存在している。ひとりの人間の身体には、驚くことに100兆個以上の細菌やカビ、ウイルスなどが生息していて、ふだんは何の問題も起こしていない。というよりも、例えば腸内細菌は、ヒトが消化できない食物繊維を消化してくれる。胎盤の形成には、過去に感染したウイルスの機能が活用されている。ウイルスの側にしてみても、無茶をしすぎて宿主が死んでしまったら、自分も生存することができないのだ。

「ウイルスは、私たちよりも細胞のことをよく知っていて、細胞の言葉を話しています。だからウイルスを単に怖がるのではなく、よく知ることが大切です。そして仲良く生きていければと思います」

松浦は新型コロナウイルスについて「慣れない環境で大暴れしているのだろう」と話す。新規の感染症にはそれに見合った予防法、そして治療法が必要だ。それと同時に、ワンヘルスの思想で、ウイルスを含めた生きとし生けるものが共存できる地球をつくっていきたい。

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中村 尚樹(なかむら・ひさき)
ジャーナリスト
1960年、鳥取市生まれ。九州大学法学部卒。専修大学社会科学研究所客員研究員。法政大学社会学部非常勤講師。元NHK記者。著書に『ストーリーで理解する日本一わかりやすいMaaS&CASE』(プレジデント社)、『マツダの魂 不屈の男 松田恒次』(草思社文庫)、『最重度の障害児たちが語りはじめるとき』『認知症を生きるということ 治療とケアの最前線』『脳障害を生きる人びと 脳治療の最前線』(いずれも草思社)、『占領は終わっていない 核・基地・冤罪そして人間』(緑風出版)、『被爆者が語り始めるまで』『奇跡の人びと 脳障害を乗り越えて』(共に新潮文庫)、『「被爆二世」を生きる』(中公新書ラクレ)、共著に『スペイン市民戦争とアジア──遥かなる自由と理想のために』(九州大学出版会)などがある。

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(ジャーナリスト 中村 尚樹)

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