1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. ライフ
  4. ライフ総合

なぜ日本の自動車事故は「アクセルの踏み間違い」が多いのか…「高齢ドライバーの増加」ではない本当の理由

プレジデントオンライン / 2023年3月23日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Tony Studio

自動車事故が起きると、ドライバーによる運転ミスが認定されるケースが多い。弁護士の郷原信郎さんは「この現状はもっと疑ってかかるべきだ。日本は事故の原因究明に関するシステムがあまりに貧弱で、たとえ車両に不具合があっても立証される可能性は極めて低い」という――。

※本稿は、郷原信郎『“歪んだ法”に壊される日本 事件・事故の裏側にある「闇」』(KADOKAWA)の第5章「交通事故の加害者が“つくり出される”とき」の一部を再編集したものです。

■事故原因の「真相」は正しく解明されているのか

交通事故の原因には、加害者、被害者の不注意・過失という人的要因と、事故車両の不具合という物的要因の両面がある。前者の人的要因に関しては、警察による事故現場の検証と当事者からの聴取などによって事故原因の特定が可能だ。しかし、運転者側の訴えで「自動車の不具合」という要素が加わる場合、事故原因の特定は様相が異なる。

このような事故においても、警察が行う自動車運転過失致死傷罪の刑事事件の捜査によって、事故原因の「真相」が正しく解明されていると言えるのだろうか。

戦前や戦後間もない頃であれば、自動車の性能に問題があり、自動車の不具合によって事故が起きることも珍しくはなかった。その頃は、交通事故が発生したときには、人的原因と車両の側の要因の両面から事故原因の究明が行われていたはずだ。

しかし、車の不具合が原因で事故が起きたとしても、運転者には、運転前の点検が義務付けられているので、そのような不具合のある自動車を運転したことについて運転者の過失は否定できないのが原則だった。

その後、自動車の性能が飛躍的に進歩し、車の不具合によって起きる事故は殆どなくなり、基本的に事故原因は人的要因だけを考えれば足りるようになった。

■もし、車載コンピューターにバグが発生したら…

しかし、最近の自動車の多くは、コンピューター制御が導入されており、もし、その制御自体に不具合が発生した場合には、運転者側の点検でその不具合を事前に知ることも、事故を防止することも困難だ(二〇二四年一〇月から、こうした“目に見えない故障”について、車検でOBD〈On Board Diagnostics、車載式故障診断装置〉診断を義務化し、車載の電子制御装置の一定の故障を検出した車の車検を不合格にできるようになる予定であるが、全部の不具合を診断できるわけでも、走行中のリアルタイムでの故障を診断できる訳でもない)。

実際に、コンピューターにバグが発生することを完全に防止することはできないし、いつ問題が起きるかもわからない。運転手が事故直後から「車の不具合」を主張して過失を否定している場合も、日本では、警察が製造メーカーに事故車両を持ち込んでその不具合の有無を検証させるのが通例だ。

仮にコンピューターによるバグが原因の暴走だった場合、その痕跡(こんせき)は事故車両のコンピューターの内部にしか残らない。

■製造メーカーに事故車両を検証させていいのか

事故車両を製造したメーカーに持ち込まれて検証が行われた場合、もしバグが原因であれば莫大(ばくだい)な損失を負うことになる製造メーカーが、車のコンピューター上に残されたバグの痕跡を正しく客観的に分析・保存するだろうか。近時、自動車へのEDR(Data Recorder)事故情報記録装置)の普及、義務化などが進んでおり、一定範囲では客観的な記録の保存が進んでいるが、すべての事故原因に関するデータとなると、実際のところ難しいだろう。

警察は製造メーカーの検証結果に基づき、「車には不具合はなかった」とする方向で証拠を固めてしまう。検察も、警察が特定した事故原因に基づいて、自動車運転過失致死傷罪で起訴することになる。

「加害者」とされた運転者は、「車の不具合」を訴えると遺族からの強烈な反発・憎悪に晒(さら)されることになる。尊い肉親を一瞬のうちに事故で失った遺族にとって、加害者は憎んでも憎み足りない存在だ。「車の不具合が原因で自動車メーカーが加害者」ということが証明されれば別だが、そうでない限り、運転者が罪を免れることは社会的には許容される余地はない。

■多くが「アクセルの踏み間違い」と認定されている

しかし、現在の日本の交通事故の原因解明のシステムでは、もし、真の事故原因が自動車の不具合だったとしても、それが立証される可能性は極めて低いというのが実情だ。

実際に、自動車の暴走による死傷事故で、運転者が、一貫して「車に電子系統の異常が起き、ブレーキが効かなくなった。アクセルを踏んでいないのに加速した」と、自動車の不具合を主張したが、捜査の結果、暴走原因は「アクセルペダルの踏み間違い」と認定され、有罪判決を受ける、という事例は、これまでにも、相当数発生している。

それらの事故の真の原因がどうであったのか、本当に「車の不具合」であるのか否かはわからない。しかし、一般的に言えば、自動車のコンピューター制御にはバグの可能性はゼロではない。客観的には、車の不具合による事故である可能性も決してないわけではない。問題は、警察の交通事故捜査において、そのようなコンピューターのバグによるものを含め車両の不具合の有無が、客観的に解明されていると言えるかである。

■「お上が正しく判断してくれる」という考えが根強い

組織の意思決定や判断において、「当事者間の行為が、一方の立場では利益になるものの、他の立場では不利益になること」という利益相反の排除は、組織のコンプライアンスにおける最重要の要素である。しかし、「お上があらゆることを正しく判断してくれる」という考え方が根強い日本の社会で特に公的機関の判断に関しては、「利益相反の排除」の重要性の認識が乏しい。

そのため、客観的、中立的に行われるべき調査や検証等に、利害関係を有する人、機関が関わり、重要な役割を果たすことも珍しくない。

運転者側が「自動車の不具合」を訴えている場合も、その事故車両を、事故の当事者とも言える製造メーカー側に持ち込んで検証を行うことの利益相反が問題にされることはほとんどなく、むしろ、「当該車両のことを最もよく知る製造メーカーによる検証であること」で、検証結果が信頼される場合が多い。

警察にとっては、予算面の制約もある。製造メーカーであれば、その責任上、警察からの依頼に無償で応じてくれるが、それ以外で自動車の不具合の検証をしようとすれば、相応の費用がかかる。そこでは、車の不具合が事故原因であった場合に重大な責任が生じることになる製造メーカー側による検証の客観性の問題は無視される。

自動車の修理サービス
写真=iStock.com/Kunakorn Rassadornyindee
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Kunakorn Rassadornyindee

■運転者側が「車両が原因」を立証するのは極めて困難

例えば二〇一九年に東京・池袋で起きた旧通産省工業技術院元院長、飯塚(いいづか)幸三(こうぞう)氏のプリウスでの事故、二〇一八年に起きた元名古屋高検検事長の石川(いしかわ)達紘(たつひろ)氏のレクサス暴走による事故は、仮に、運転者側の主張が正しかったとすれば、車のコンピューターの誤作動か何かの原因で、突然アクセルがかかった状態になったことになる。

その場合、運転者側の供述を裏付ける情報があるとすれば自動車のコンピューターの中だ。それを、事故時の状態のまま保存し、運転者側の主張を裏付けるようなデータがあるかどうかの確認をすることをその車両を製造したメーカーによる検証に期待することに問題はないのだろうか。

運転者側が、コンピューターの作動上の問題に関連する「車の不具合」の可能性を主張して過失を否定しても、警察の交通事故捜査は、事故原因が車両の方にあったと結論づける方向で行われることはほとんどない。

運転者側が、自らの過失を否定するための立証を行うためには、弁護側の依頼による専門家の検証を行うしかない。それは、費用面からも、一般的には、極めて困難だ。

警察の事故原因の特定を、運転手側が否定し、車両の不具合を正面から主張する場合、自動車運転過失致死傷罪についての刑事事件の裁判という司法の場で、警察の事故原因の特定を前提とする検察官の主張と過失を否定する運転手側の主張とが正面からぶつかり合うことになる。

■加害者がつくり出された「白老バス事故」

では、刑事裁判に「最後の救済」を託すことができるかというと、それも難しい。日本の刑事裁判では、「疑わしきは被告人の利益に」という原則が守られているとは言い難く、検察官の主張どおり有罪判決が出される可能性が高い。

こうして、自動車の不具合による暴走事故の「被害者」であったとしても、自らの運転の誤りによって人を死傷させた犯罪者として裁かれ、刑罰に処せられるということも、現実に起こり得ないわけではないのである。

二〇一三年八月に北海道白老町(しらおいちょう)の高速道路で発生した大型バス事故では、事故直後から、運転手が一貫して「突然ハンドルが操作不能に陥った」として自己の過失を否定し、自動車の不具合が事故原因だと主張していたのに、全く聞き入れられず、運転手が自動車運転過失致死傷罪で起訴された。

警察の事故原因の特定は、事故直後に、事故車両の製造メーカーの「三菱ふそう」の系列ディーラーの整備工場に事故車両を持ち込んで行われた検証の結果に基づくものだった。

■「事故原因は車両にはない」から一転、無罪に

刑事裁判では、検察官は、「ハンドルの動力をタイヤに伝える部品に腐食破断が認められるが、走行に与える影響は、全くないか軽微なものに過ぎないから、事故原因は車両にはない」と主張したが、その後、弁護側鑑定など、真の事故原因を明らかにする弁護活動が行われた結果、運転手の主張が正しかったことが明らかになり、「事故原因は車両にある。運転手には過失はない」とする一審無罪判決が言い渡されて確定した。

この件については事故後の車両の検証結果に沿う証言を行った三菱ふそうの従業員の虚偽供述のために不当に起訴されたとして同社に損害賠償を求める民事訴訟、検察官の不当な起訴に対する国家賠償請求訴訟なども提起された。

この事故の刑事裁判の過程で事故原因が車両の側にあることが明らかになったことを受け、二〇一六年七月には、国交省が、事故車両と同型のバスで「車体下部が腐食しハンドル操作ができなくなる恐れがある」として使用者に点検を促し、その結果一万三六三七台中八〇五台で腐食があることが分かった。二〇一七年一月に、八〇五台について「整備完了まで運行を停止」するよう指示が出され、三菱ふそうは、同年二月にリコールを届け出た。

■被害者なのに加害者になってしまう恐ろしさ

日本では、重大な交通事故も含め、事故の原因究明に関するシステムが、あまりに貧弱であり、しかも、その原因究明を製造メーカー等の当事者から切り離して行うという原則すら確立されていない。

警察の事故原因の特定に基づき運転手の過失で起訴された後に、刑事裁判で、事故車両の不具合が真の原因であったことが判明した白老バス事故と同様に、二〇一六年一月一五日に発生した軽井沢バス事故でも、運転手の操作ミスを前提にバス運行会社の社長らの刑事責任が問われていることに多くの疑問があり、自動車の不具合の可能性も否定できない。

これらの事故についてこれまで指摘してきたことからすると、日本でのバス事故の原因究明と責任追及の在り方は、制度上大きな問題があると言わざるを得ない。

警察の事故原因の特定が誤っていた場合、自動車運転過失致死傷罪に問われる運転手にとっては、「被害者なのに加害者として非難される冤罪(えんざい)」となる。白老バス事故の場合がまさにそうである。しかし、実際に、その冤罪を晴らすことが容易ではないことはすでに述べた通りだ。

それに加え、もう一つ重要なことは、貸切バス事故のような社会的影響の大きな事故で、真の事故原因が明らかにならなかった場合、それによって同種事故の再発防止に向けての重要な視点が欠落することになるということだ。

ツアーバス
写真=iStock.com/batuhan toker
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/batuhan toker

■規制緩和で、古い車齢のバスが使い放題に

軽井沢バス事故についての再発防止策は、「運転未熟のために操作を誤り、ニュートラルで走行したために、速度が制御できない状況となり、事故に至った」という人的事故原因を前提に、「安全対策装置の導入促進」のほか、運転者の選任、健康診断、適性診断及び運転者への指導監督の徹底など、運転手の運転技能、運転適性の確保を中心とする対策を講じるものだった。

しかし、もし、事故原因が車両の方にもあった場合には、再発防止策は大きく異なり、車両自体の危険性への対策を含むものになっていたはずだ。

車両自体の危険性に関して見過ごすことができないのは、バスの「車齢」の問題である。軽井沢バス事故の事故車両は、二〇〇二年登録で車齢一三年、部品の腐食破断が原因とされた白老バス事故の事故車両は、一九九四年登録で、事故時の車齢は一九年だった。

過去、貸切バス事業が免許制であった時代には、新規許可時の使用車両の車齢は、法定耐用年数(五年)以内とされており、少なくとも最初から古い車齢のバスを使用することは規制されていたが、二〇〇〇年法改正による規制緩和で、車齢の規制は撤廃された。古い車齢のバスも自由に使用できることになった。

■車齢が古いバスの事故は相当数ある可能性がある

本件事故を受けて設置された「軽井沢スキーバス事故対策検討委員会」でも、「古い車両を安価で購入し、安全確保を疎(おろそ)かにしている事業者がいる」との指摘を受けて、車齢制限の復活も検討されたが、同委員会に提出された資料によると車齢と事故件数の相関関係が認められないことなどから、車齢の制限は見送られた。

郷原信郎“歪んだ法”に壊される日本 事件・事故の裏側にある「闇」』(KADOKAWA)
郷原信郎『“歪んだ法”に壊される日本 事件・事故の裏側にある「闇」』(KADOKAWA)

しかし、この時の対策委員会の資料は、「貸切バスの乗務員に起因する重大事故」とバスの車齢の相関関係を見たものであり、車両の不具合や整備不良等による事故と車齢との関係を検討したものではない。

白老バス事故に関連して、同様の部品の腐食破断による事故が多数発生していたことが明らかになり、リコールが行われたことから考えても、表面化していない、車両に起因するバス事故が相当数ある可能性がある。軽井沢バス事故も、一三年という、かつての法定耐用年数を大幅に超える車両で起きた事故だった。

この事故で、仮に、車両の不具合が原因の事故である可能性が指摘されていれば、「車齢の長いバスの車両の不具合による危険」の問題も取り上げられ、車齢と車両の不具合に起因する事故の相関関係についても検討され、そもそも、二〇〇〇年の規制緩和における車齢規制の撤廃が適切だったのか、という議論にもなっていた可能性がある。

■旅行需要の増大で事故が増える危険も

コロナ禍での需要の急減によって苦境に喘(あえ)いできた観光・旅行業界にとって、外国人旅行者の受け入れ再開後に、需要が増大すれば、これまでの収入減を取り戻すべく、「背に腹は代えられない」ということで、安全対策を疎かにしても、収益確保を優先する事業者が出てくる可能性も十分にある。

その際、車齢の長いバスも大量に使用され、必然的に、車両の不具合による事故の危険が高まることが懸念される。

重大な被害が発生した事故について、車両の問題も含めた事故原因を客観的に究明することは、単に、運転者に謂(いわ)れのない刑事責任を負わせることを防止することだけにとどまらない。真の事故原因に基づく事故防止、安全対策という面で社会全体にとっても極めて意義が大きいのである。

----------

郷原 信郎(ごうはら・のぶお)
郷原総合コンプライアンス法律事務所 代表弁護士
1955年、島根県生まれ。77年東京大学理学部を卒業後、三井鉱山に入社。80年に司法試験に合格、検事に任官する。2006年に検事を退官し、08年には郷原総合法律事務所を開設。09年名城大学教授に就任、同年10月には総務省顧問に就任した。11年のオリンパスの損失隠し問題では、新日本監査法人が設置した監査検証委員会の委員も務めた。16年4月「組織罰を実現する会」顧問に就任。「両罰規定による組織罰」を提唱する。『「法令遵守」が日本を滅ぼす』(新潮新書)、『検察の正義』(ちくま新書)、『思考停止社会 「遵守」に蝕まれる日本』(講談社現代新書)、『「深層」カルロス・ゴーンとの対話 起訴されれば99%超が有罪になる国で』(小学館)など、著書多数。近著に『“歪んだ法”に壊される日本』(KADOKAWA)がある。

----------

(郷原総合コンプライアンス法律事務所 代表弁護士 郷原 信郎)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください