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お互いに依存すると必ず後悔する…弘兼憲史が「子供に財産を残すべきではない」と断言するワケ

プレジデントオンライン / 2023年3月17日 13時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kazuma seki

老後の親子関係にはどんなリスクがあるのか。漫画『島耕作』シリーズなどで知られる漫画家・弘兼憲史さんは「お互いに依存せず、独立した関係を保てるのが理想だ。子供をアテにするのも、子供に財産を残すのも、そこそこにしておいたほうがいい」という――。(第2回)

※本稿は、弘兼憲史『弘兼流 好きなことだけやる人生。』(青春新書インテリジェンス)の一部を再編集したものです。

■50歳を過ぎてから直面する介護問題

好きなことを続けてお金に恵まれる生き方を目指す人にとって、クリアな親子関係は重要事項です。親との関係、子どもとの関係には、お金が介在することが多いからです。親との関係で50歳を過ぎてから増える問題は、やはり介護でしょう。

団塊世代の僕が75歳になるのですから、今、親の介護という問題に直面し出しているのは、50歳前後の団塊ジュニアと呼ばれる世代も多いでしょう。この本の読者にも多いことと思います。僕は、病院ではなく自宅で死にたいと思ってきたのですが、同じように在宅死や在宅介護を望む70代80代は増えています。在宅介護ということになると家族の協力がどうしても必要になってきますから、親と同居していなくても親の介護に関わることになる人が増えているということですね。

親の介護をすることになって、「介護をしなければいけない」と感じている人と「他人に任せず自分でやりたい」と思っている人では心構えが違いますから、ストレスの受け方が違うと思われるかもしれませんが、続けていけばどちらも大変なストレスになります。

介護はプロでも苦労する仕事ですから、助言を受けながら続けるとしても専門家でなければできることに限界があります。だから、「できる範囲で」という意識で、基本的にはプロの介護士に頼んで、家族は脇から協力するというスタンスがいいようです。

■子供をあてにせずに資産を確保しておくべき

自分一人で介護を抱え込んでしまって介護離職することだけは絶対に避けなければいけません。収入が減ってしまうと共倒れになるケースが多いからです。行政の協力を仰いで自分を犠牲にしない最善の方法を探すべきです。

もうひとつやってはいけないのが、老後資金や子どもの教育資金を介護につぎ込んでしまうこと。親を大事にすることは悪いことではありませんが、自分や子どもの人生を犠牲にしてはいけません。そのためには、親が元気なうちから依存されない関係を作っておくことが重要です。親は親のお金でできる範囲の介護を受けてもらう、その中で協力できることはする、という関係が理想的でしょう。

子どもとの関係でも、どちらかが依存するような関係は、自分のためにも子どものためにもならない結果を招きます。息子夫婦が家を建てるというので、自分たち夫婦のために持っていた老後資金を頭金にしろと、全部渡してしまった知り合いがいました。頭金を出す代わりに、自分たち夫婦が住む部屋を作るという交換条件で、老後はそこでのんびり暮らそうと考えていたわけです。

ところが、いざ生活を始めたら息子の奥さんとうまくいかなくなって、結局その家を出る羽目になったというのです。老後の資金は全部渡してしまってもうありませんから、この先、節約しながらどうやって暮らしていこうかと途方にくれていました。

こういったケースがよくあるので、子どもをあてにするのではなく、自分が最後まで暮らす資金は自分で確保しておきたいもの。

家から外を見ている孤独なアジアの老人のクローズアップ
写真=iStock.com/PonyWang
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/PonyWang

■子供に財産を残してもろくなことはない

逆に、子どもに財産を残してもろくなことはありません。財産をあてにして自立できなくなっているケースも多い。孫の誕生日にいくらか渡してあげるのはいいでしょうけど、自分で稼いだお金は自分で使い切るべきです。

「俺たち夫婦は自分たちで暮らすから介護が必要になっても面倒は一切見なくていい。その代わり、お前たちも自分で生きていきなさい」。そういう、お互いに依存せず、自立できている関係を作っておきたいですね。

老後資金2000万円問題というのがありました。定年退職してから死ぬまでに夫婦でいくらあれば安心かということなんですが、あれほどいい加減な数字はありません。人によって生活の在り方が違うのですから、どれくらい必要かなんていうことは決められないし、実情に生活を合わせるほうが現実的です。

今の時代、悠々自適な老後生活などということはまずないのですから、お金が足りなかったら働けばいい。その上で、その収入に合わせて生活を縮小すればいいのです。60代以降の生き方を考えるときに、生活のレベルを下げたくないと思う人もいるでしょう。現実と照らし合わせてそれで生きていけるのだったら問題ないですよね。

でも収入が減ることを前提に、夫婦2人でこれから20年30年と生きることを考えると、病気もあるだろうし、介護も必要になるかもしれない、貯金を足しても足りるとは言い切れないというような場合には、生活を縮小しなければいけませんよね。

■老後に入ったら自然と必要なお金は減ってくる

人生は景気のいいときもあれば厳しいときもあるわけです。いつまでも羽振りがいいままでいられるとは考えないほうが現実的です。でも、この生活のダウンサイジングは、それほど大変な絞り込みではありません。

60代になって定年退職を機に生活を縮小するのは、例えば30代のときに子どもができたばかりで会社が倒産したというような厳しさはないと思います。まず、食べる量が減りますから食費が縮小できます。毎晩のように飲み歩いていたという人でも、なかなか同じペースでは飲むことができなくなりますから、酒代も縮小するでしょう。お中元やお歳暮も本当に気持ちを伝えたい相手だけに絞り込んでラクになるチャンスです。

冠婚葬祭は増えるでしょうが、そのときの健康状況や家計に合わせて出席するものを選べばいい。毎年2回は旅行をしていたのだったら、歩き回るのもなかなか疲れることだし1回にすればいいでしょう。そう考えると、高齢になってやる生活の絞り込みは自然にできることが多いのです。

住む場所だってそうです。子どもたちが独立して家を出て行き、夫婦2人に戻ったらもう広い家は必要ありませんよね。持ち家に住んでいた人だったら処分して夫婦がそれぞれ部屋を持てる程度のマンションに引っ越せば、高い維持費もかからなくなりますし、日々の掃除もラクです。実際にそういう人が増えています。70代になってくると階段の上り下りも大変になってきますので、広い家で生活するほうが不便になってくるからです。

■どれだけお金に恵まれていても死は避けられない

しかし、生活の縮小をしてある程度の展望を持ったとしても、難病を患って莫大な医療費がかかるなんていうことがないとはいえないわけです。何歳まで生きるかということはわからないし、この先どんな出費があるのかもわからない。そんなことを言うと、話は最初に戻って不安になるじゃないかと言われるかもしれません。

車椅子に座っている認識できない男のクローズアップショット
写真=iStock.com/PeopleImages
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/PeopleImages

でも、どんなにお金に恵まれる生き方をしようが、いくらお金を持っていようが、死ぬときは死ぬんです。だから、お金についてある程度の展望を持てたら、その状況に応じて好きなことを続けて毎日を楽しんで生きる。それで命が尽きるときが来たら笑って「ああ、楽しい人生だったなあ」と思えたら幸せな生き方なのではないでしょうか。

僕は延命をするつもりはないですから、家族には延命治療はしないでくれと言ってありますし、余命宣告があったら「お迎えが来るのだな」と受け入れます。それで好きな漫画を描いて毎日を楽しみます。

人間には生きる権利として「生存権」があるのですから、死ぬ権利もあったほうがいいと思っています。安楽死制度を実行するには、併行して保険金犯罪や人口減少などの問題を解消しなければいけませんが、いずれ日本でも認められるでしょう。そうすると老後資金の考え方も変わってくるかもしれません。

■プライドが高い人は人生の後半で失敗する

人生前半でお金に恵まれた生き方ができたのに、後半の人生で失敗してしまう人は、見栄やプライドが邪魔をしているケースがとても多いですね。とくに男は本能的に自分を大きく見せようとするところがあるんです。

生涯現役を目指す人間にとって、過去の肩書と見栄を張るだけのプライドは必要のないものですから、全部捨ててしまいましょう。住人が交代でやるマンションの管理組合なんかでは、仕事をリタイアしたジジイ同士がプライドのぶつけ合いをするシーンがよくあります。

けっこう大きな会社の元重役ぐらいがやるケースが多くて、意見が合わなくなると「君、そんなやり方でうまくいくわけないだろう」「君という言い方はないだろう」なんてバチバチの言い合いになるわけです。自分のキャリアにすがって生きていく男は多いんですが、なんの価値もないんですよね。生きる舞台が変わったわけですから、もはやどうでもいいプライドなのです。

周囲の人間は、「大会社の役員? それがどうしたの」なんて思っているのですが、本人はその状況をまったくわかっていない。東大卒だろうが大会社の取締役だろうが、もう組織の人間ではないのですからなんの意味も持たないのに、本人は気づいていないのですから嫌われてしまうわけです。

彼の会社が倒産している間、彼のオフィスで一人で座っている強調されたビジネスマン - 電話、書類、メモの混乱に囲まれて
写真=iStock.com/THEPALMER
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/THEPALMER

■過去の社会的地位はなんの役にも立たない

人生後半の仕事で起業をしたり、お店を持ったりしたら、前半の仕事でどんな組織にいてどんな偉いポジションにいても関係ありません。一般社会という平場(ひらば)に下りたら、そこでは過去の社会的地位も肩書も邪魔をするだけで、それをかざしたところでなんの役にも立たないのです。

定年退職をしてからも再雇用で組織に残って仕事を続ける場合には、それまで部下だった人間が上司になるケースもあります。これは再雇用を望む時点で受け入れなければいけない現実ですから、いくら元部下であっても敬語を使う必要も出てきます。

気持ちの問題ではなくて人間社会で必要なことなのですから、プライドが邪魔をするような人は組織を出るしかなくなります。いかにプライドが幸福を遠ざけてしまうかという話では、ゴルフがわかりやすい例です。

■「いままで」よりも「いまなにができるか」が大切

ゴルフでもプライドが邪魔をしてやめてしまう人がいます。40歳くらいから会社の部長クラスが始めると続かないケースが多い。誰でも最初は下手なので、みんなからちょっと馬鹿にされながらやる時期があって、それを乗り越えないとうまくならないんです。

弘兼憲史『弘兼流 好きなことだけやる人生。』(青春新書インテリジェンス)
弘兼憲史『弘兼流 好きなことだけやる人生。』(青春新書インテリジェンス)

しかし、プライドが高いと、馬鹿にされるのが耐えられなくてやめてしまう人や、教えられるのが嫌でやめてしまう人が多いんです。知り合いの作家にも、高いプライドが裏目に出て、1回だけ一緒にゴルフをやって、それ以来、やめてしまった人がいました。

彼は同い歳なんですが、腕っ節に自信があるのか、とにかく力まかせにスイングする。だから、ちゃんと当たらず、ボールがまともに飛ばない。さらにプライドが高いから、謙虚になって一から学ぼうということができない。初めてやることなのに、人に教わりたくない、下手なところを見られたくないというのでは、上達できるはずはありません。

人生後半に何か新しいことを始めたり、好きなことを続けたりするときに大事なのは、「今までどんなことをしてきたか」ではなくて、「今、何ができるのか」です。それを謙虚に見つめられれば、人にも仕事にも恵まれ、あとからお金もついてくるはずです。

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弘兼 憲史(ひろかね・けんし)
漫画家
1947年、山口県生まれ。早稲田大学法学部卒業後、松下電器産業(現・パナソニック)に入社。74年に漫画家デビュー。作品に『人間交差点』『課長 島耕作』『黄昏流星群』など。島耕作シリーズは「モーニング」にて現在『会長 島耕作』として連載中。2007年紫綬褒章を受章。

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(漫画家 弘兼 憲史)

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