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ジェンダー平等を掲げる日本共産党にかつて存在していた「ハウスキーパー」という女性の役割

プレジデントオンライン / 2023年3月17日 9時15分

2022年6月24日、博多駅前で演説する志位和夫日本共産党委員長(中央)(写真=赤羽霧/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons)

ジェンダー平等を重要政策の一つに掲げる日本共産党は、かつて女性党員をどのように見ていたのか。元外務省主任分析官である佐藤優さんは「創立60年に出版された党史『六十年』では、権力の弾圧に屈しなかった女性党員についての言及はたった一文のみであった」という――。

※本稿は、佐藤優『日本共産党の100年』(朝日新聞出版)の一部を再編集したものです。

■『八十年』党史で語られた共産党の女性党員への見方

現在、日本共産党は「ジェンダー平等」を重要政策の一つとして掲げている。日本共産党の創立の節目に刊行されてきた党史では、権力の弾圧に屈しなかった女性党員についても言及している。創立80年に出版された『八十年』(2003年刊行・日本共産党の八十年)ではこう描かれる。

戦前、少なからぬ女性党員が、天皇制政府の弾圧に抗して不屈にたたかい、社会進歩の事業に青春をささげました。

女性の活動や組織化に力をつくすなかで三三年五月に検挙され、三五年に獄死した飯島喜美の遺品のコンパクトには「闘争・死」の文字が刻まれていました。共青中央機関紙「無産青年」編集局ではたらき、各地に配布網を組織した高島満兎(まと)は、三三年三月、活動中特高におそわれ、二階から飛び降りて脊髄(せきずい)複雑骨折の重傷を負い、翌年七月、下半身不随のまま死去しました。

「赤旗」中央配布局で「赤旗」の配布をうけもった田中サガヨも弾圧に倒れた一人です。三三年十二月に検挙された田中は、獄中でチリ紙に姉への手紙を書き、(中略)三五年五月に生涯をとじました。

「三・一五事件」で検挙された伊藤千代子は、天皇制権力に屈服して党と国民を裏切った夫への同調を拒否し、拷問、虐待にたえてがんばりぬき、翌年、急性肺炎で亡くなりました。(中略)

彼女たちが、党の若く困難な時期に、それぞれが二十四歳という若さで、侵略戦争に反対し、国民が主人公の日本をもとめて働いたことは、日本共産党の誇りです(『八十年』)

■『六十年』での言及は一文のみであった……

一方、創立60年に出版された党史である『六十年』(1982年刊行・日本共産党の六十年)は次の一文のみだ。

飯島喜美、相沢良、高嶋(ママ)満兎、関淑子(としこ)など少なからぬ婦人党員も、不屈のたたかいに命をささげた(『六十年』)

■ジェンダー平等は一貫した理念ではなかった

この記述は「党九州地方委員長西田信春(三三年二月逮捕)が警察で虐殺されたことは、三十数年後にようやく確認された」という文章の後に続けられ、女性党員については付け足しの印象を拭えない。そもそも『八十年』党史と『六十年』党史とでは、『六十年』の方が圧倒的に情報量は多く、二段組みの本文に年表を付けて737ページある。他方、『八十年』は一段組みで年表もない326ページで半分以下の量だ。にもかかわらず『六十年』における女性党員の記述の少なさはどうしたことだろう。『八十年』は党史全体を見てもかなり手厚く具体的で情緒に訴えかけるような筆致で女性たちの姿を描いている。

両党史の女性党員についての記述の質と量の落差からは、日本共産党が一貫した理念としてジェンダー平等を掲げてきたわけではないことがうかがえる。

男女平等ではないことを示す木製ブロック
写真=iStock.com/ronstik
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/ronstik

■ハウスキーパー制度の非人間性

それどころか非合法時代の戦前には「ハウスキーパー」という「制度」があった。その「非人間性」について文芸評論家の平野謙は、「中野重治や宮本顕治に一蹴されてしまった」ものの、「ひとつの欠陥を組織上のものとみるみかたは、わが革命運動には伝統的に欠如しているようである」と述べる。平野はハウスキーパー制度について記した「ある個人的回想」と題する文章を1978年2月27日号の「週刊朝日」に発表している。

佐藤優『日本共産党の100年』(朝日新聞出版)
佐藤優『日本共産党の100年』(朝日新聞出版)

当時の編集部が「ハウスキーパー」という言葉について、「昭和初期、共産党が非合法の時代、警察の目をくらますため、男性党員が、女性党員やシンパと同居して、普通の家庭生活をしているようにみせかけた。その女性党員やシンパのことをハウスキーパアと呼ぶ」という註をつけると平野は「一般的にはハウスキーパアとはそういうものだ」としたうえで、小林多喜二の遺作『党生活者』のなかのハウスキーパーの「非人間的な扱いかたをめぐって批判したとき、戦後はじめてハウスキーパア問題なるものが提起されたといっていい」と述べる(『「リンチ共産党事件」の思い出』平野謙、三一書房、1976年)。

■「釈然としない」小坂多喜子の回想

小坂(こさか)多喜子の回想『小林多喜二と私』(「文藝復興」1973年4月号)には、無残な姿で母親の家に戻ってきた多喜二の通夜の席で、遺体をなでさすり、髪や頰や拷問のあとなどに頰を押し付ける若い女性の姿に驚く様子が描かれる。

小坂多喜子はその異様なふるまいに「かえってこの女性の受けた衝撃の深さを物語っているように私には思われた」と思いなおしてはいるものの、やはり一般論として、当時のハウスキーパアなる存在に一種の嫌厭の情を表明せずにはいられなかった。

「私は当時云われていたハウス・キーパーという言葉に一種の抵抗を感じていた。誰がそういう言葉をいいはじめたのかしらないが、いやな言葉だと思っている。地下運動をする男性の、世間の眼をごまかすための同棲者、実質的には妻同様の役目をする。イデオロギーの便宜のための、そういう女性の役目に私は釈然としないものを感じるのだ。女としての立場から納得のいかないものを」(前掲『「リンチ共産党事件」の思い出』)

平野は、戦後まもなく起きた「政治と文学」論争の際に書いた次の文章を本書でも引いている。「目的のために手段をえらばぬ人間蔑視が……運動の名において平然と肯定されている(『政治と文学』《新潮》昭和二十一年十月号)」。これに対し、宮本顕治は「新しい政治と文学」と題された論文の一節で、「日本共産党はハウスキーパー制度というものをかつて採用したことはなかった」と反論したという。

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佐藤 優(さとう・まさる)
作家・元外務省主任分析官
1960年、東京都生まれ。85年同志社大学大学院神学研究科修了。2005年に発表した『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮社)で第59回毎日出版文化賞特別賞受賞。『自壊する帝国』(新潮社)で新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞受賞。『獄中記』(岩波書店)、『交渉術』(文藝春秋)など著書多数。

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(作家・元外務省主任分析官 佐藤 優)

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