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なぜ「中高は公立で十分」と言いづらくなったのか…子育てが複雑で難しくなってしまった根本原因

プレジデントオンライン / 2023年3月18日 13時15分

なぜ「中高は公立で十分」と言いづらくなったのか(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/taka4332

なぜ家庭での虐待はなくならないのか。精神科医の益田裕介さんは「かつてに比べて子育てがハイレベル化する中、親が『正しい子育て』を押し付けすぎると、教育虐待が起きる。子育てはある程度で十分と割り切ることも重要」という――。(第1回)

※本稿は、益田裕介『精神科医が教える 親を憎むのをやめる方法』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

■「親ガチャ」には一定の妥当性がある

社会ではしつけや学校教育は親の義務となります。

ただ近年、その義務は、幼稚園から大学までに限らなくなっています。

いわゆる「意識の高い親」は、子どもが将来どのような職業につくか、そのためにはどのような教育を受けさせるべきかを考えています。

そのため、就職活動や、場合によっては転職まで面倒を見るような親も珍しくありません。

現代においては、もっとも身近な社会人である親のサポートがあるかないかで、子どもの将来が大きく変わります。

そう考えると、近年世を騒がせている「親ガチャ」という概念にも、一定の妥当性があると言えるかもしれません。

親が子どもの社会的成功や自己実現まで考えてサポートできるかが問われる時代なのです。

それを左右するのは、親の知識と経済力です。

要するに、現代の親子問題とは、「格差問題」をはらむものでもあるのです。

■子育ての「密室化」

この問題と密接に結びついているのが、子育ての「密室化」です。

これも、時代が進むほど顕著になっている傾向のようです。

戦前まで、子育ては親だけの問題ではありませんでした。家には祖父母もいましたし、家の外の大人たちも子育てに参加しました。

「子どもは地域全体で育てるもの」という意識が自然に共有されていたのです。

■かつての子育ては今より単純だった

ほんのひと昔前まで、外で知らないおじさんが子どものいたずらをしかる、という場面も見られました。

今は子どもが遊んでいると、うるさいとしかる人もいますが、それは教育的理由というより、自分にとって都合が悪いからという理由がほとんどのようです。

かつての子育てという営みは今よりも単純でした。

乳児や幼児の死亡率がはるかに高かったので、子どもに生存と安全さえ提供すれば、親は十分「合格点」だったのです。

教育にしろ就職にしろ、基本は親の生業を引き継ぐだけなので、さほど高度な知識は求められませんでした。

しかも戦後になると、子育てに関わる人数が加速度的に減っていきました。

核家族化によって子どもの面倒を見るのは両親2人だけになりました。近年はシングルファーザーやシングルマザーも珍しくなくなりました。

「子どもは地域全体で育てるもの」という意識が薄れ、個人すなわち「親の責任」へと変わっていったのです。

手をつないでいる父と息子
写真=iStock.com/PeopleImages
「子どもは地域全体で育てるもの」という意識が薄れた(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/PeopleImages

■子育ての「合格点」が高くなっている

子育てが「密室」化したことで、子どもにとって息苦しい状況が生まれました。

親のほうも大変です。子育てで親がやることが増え、より幅広い責任が求められています。

子育ての「合格点」が昔より高くなっているのです。

社会的にも大学進学率が上がったことで、今や最終学歴は大卒が半ば当たり前のようになっています。

そのうえ、子どもを良い大学に入れたいなら、「中高は公立で十分」とは言ってはいられなくなり、中学受験も激化しています。

現代は親子ともに、シビアな時代になっているのです。

■「子育てに正解がある」は虐待のはじまり

学歴や社会的地位が高くても、必ず「良い親」になるとは限りません。

「良い教育」に一定の正解があるわけではありません。

子育ては迷いと判断の連続です。

子育てのみならず、人生の決断とはすべてそういうものですが、子どものことになると親はさらに悩むものです。

つまり、現代において親に求められる資質とは、「子育てには正解がない」ということを「当然のこと」だととらえる能力でしょう。

逆に、「子育てに正解がある」と思っていると、おかしな方向に向かってしまいます。

「自分の考えが絶対」だと子どもに押し付ける親。
明らかに適性のない進路を子どもに無理強いする親。

そうした親もしばしば見かけます。

その結果、子どもが激しく拒否し、場合によってはうつ病になるほど悩んでいても、それでも親が判断を変えないようであれば、これは虐待です。

いわゆる「教育虐待」と呼ばれる現象です。

指を突き出すビジネスマン
写真=iStock.com/kuppa_rock
「子育てに正解がある」は虐待のはじまり(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/kuppa_rock

■「本人の意思を尊重しすぎる」親も問題

逆に、「本人の意思を尊重しすぎる」親も、これはこれで問題です。

まだ義務教育の年齢にもかかわらず、子どもが学校に行かずYouTuberになるのを許す親は、社会を生きる上でどのようなリスクが生じるかを、子どもにしっかり伝えていないのです。

親が偏差値的に優秀であっても、こうしたことは起こります。

こういう問題の背景として、親の発達障害の可能性が考えられます。

親の発達障害的なこだわりが、子どもの教育に向けられたとき、子どもは大きなストレスを背負います。

これは臨床場面で頻繁に見られるケースなのです。

■子育ては「ある程度」で十分

現代の親は求められることが多くて大変です。ただ、大変ではあっても、決して不可能ではありません。

子育てに正解はありません。だから難しいのですが、逆に言えば、ある程度できていれば、それで十分なのです。

親子の会話の時間を持つ。
子どもの好きなこと、得意なことに目を向け、応援する。
世の中のしくみや、これから必要なスキルなどの話をする。

など、社会人としての経験があれば、誰でも知っているようなことでも、子どもにとっては貴重な情報なのです。

親子
写真=iStock.com/yamasan
子育ては「ある程度」で十分(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/yamasan

■「親は子どもに無条件の愛情を注ぐもの」ではない

親のサポートが十分でも、子育てがうまくいかない場合もあります。

とくに発達障害やグレーゾーンの子どもには、親は非常に困惑させられます。

親にとって一番つらいのは、子どもと気持ちを通わせられないことでしょう。

発達障害の子どもは人と目を合わせなかったり、スキンシップを嫌がったり、場合によっては相手が親であっても無関心だったりします。

この場合、親は厳しい試練にさらされます。

「親は子どもに無条件の愛情を注ぐもの」

そう言われることもありますが、現実にはなかなか難しいことがあるのも否定できません。

親自身もそんな自分を責めてしまい、うつになることも多いです。

親自身に虐待された経験がある、夫婦関係がうまくいっていない、経済的な問題を抱えているなどの場合、子どもに愛情を注ぐのが難しくなります。

益田裕介『精神科医が教える 親を憎むのをやめる方法』(KADOKAWA)
益田裕介『精神科医が教える 親を憎むのをやめる方法』(KADOKAWA)

また、親が発達障害の場合、子どもへの愛情や関心が希薄になることがあります。

「親と子ども、どちらが悪いのか?」という視点で語ることに、あまり意味はありません。

必要なのは「親は子どもに無条件の愛情を注ぐもの」という世の常識に、留保を加えることです。

親に愛されなかったと感じている人(もしくは子どもを愛せないと悩んでいる人)には、とくに重要な視点となります。

「親は子どもを愛して当然」という考え方に、「ただし例外はある」とつけ加えることで、親子関係に一定の客観性がもたらされるでしょう。

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益田 裕介(ますだ・ゆうすけ)
早稲田メンタルクリニック院長
防衛医大卒。防衛医大病院、自衛隊中央病院、自衛隊仙台病院(復職センター兼務)、埼玉県立精神神経医療センター、薫風会山田病院などを経て、早稲田メンタルクリニックを開業。精神科診療についてわかりやすく解説するYouTubeチャンネル「精神科医がこころの病気を解説するCh」を運営。著書に『精神科医が教える 親を憎むのをやめる方法』(KADOKAWA)、『精神科医の本音』(SB新書)、『精神科医がやっている聞き方・話し方』(フォレスト出版)がある。

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(早稲田メンタルクリニック院長 益田 裕介)

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