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なぜ安倍政権は「異次元の金融緩和」を実施できたのか…10年ぶりの日銀総裁人事で注目すべき事実

プレジデントオンライン / 2023年3月17日 14時15分

衆院議院運営委員会で質疑に答える次期日銀総裁候補者の植田和男氏=2023年2月24日午前、国会内 - 写真=時事通信フォト

■日銀総裁交代での関心は「アベノミクス」だけではない

10年ぶりとなる日銀総裁の交代が近づいている。岸田政権は2月、黒田東彦総裁の後任候補に、元日銀政策委員で経済学者の植田和男氏を充てるなどとした正副総裁の人事案を国会に提示。人事案は3月10日に国会で同意され、植田氏は来月にも就任する見通しだ。

日銀総裁人事の関心は、ほぼ次の1点に集約されている。第2次安倍政権以降の自民党政権が掲げてきた「アベノミクス」の最大の柱であった「異次元の金融緩和」を今後も維持するのか、見直すのか。つまりは「アベノミクスから脱却するのか、しないのか」ということだ。

そのことはもちろん理解する。ただ「アベノミクスからの脱却か否か」という話を、単なる政策論としてのみ語ることには、ある種の違和感を拭えない。

■安倍政権は日銀を力でねじ伏せてきた

仮に「異次元の金融緩和」という経済政策が正しかったとする(筆者にはそうは思えないが)。もし正しかったとするならば、そのために安倍政権以降の自民党政権がとってきた対日銀の姿勢、有り体に言えば「日銀を政府のいいように、好き勝手に動かした」ことまで、すべて「正しかった」と言っていいものなのか。

第2次安倍政権以降10年以上にわたり自民党政権の各所でみられる「政府からの独立性を強く求められてきた機関を、政権が力でねじ伏せて異論を封じる政治」を見直すのかどうか。それは「アベノミクスからの脱却か否か」という政策論とは似て非なるものであり、そして筆者としては、そちらの方がはるかに気にかかる。

■橋本政権時に日銀への監督権限は弱まった

現在の日本銀行法は、大手金融機関の相次ぐ破綻で日本が金融危機に見舞われていた当時の1998年、戦時中の1942(昭和17)年に制定された旧法を改正して制定された。その時のポイントが「日銀の独立性の担保」だった。

戦時立法として制定された旧日銀法は、政府が日銀総裁を解任する権限を持つなど国家統制色の強い内容だった。政府からの独立性の弱さゆえに、政治の介入を思わせる事態もあった。過去には「日銀総裁解任」に言及した自民党重鎮もいた。

しかし、バブル崩壊という苦い経験を経て、いわゆる「自社さ」(自民党・社民党・新党さきがけ)の橋本政権時代に法改正の動きが始まった。政府から独立した中央銀行としての日銀が、中立的・専門的な見地から金融政策を立案できるようにすることが、法改正の柱。政府が日銀総裁を解任できる規定が削除されるなど、政府による監督権限は大幅に縮小された。

政府の権限を縮小する方向での法改正が可能だったのは、当時の橋本政権が自民党単独政権ではなく、社民党とさきがけという、現在の立憲民主党の源流とも言える政党が政権与党に加わっていたことも、無関係ではなかったかもしれない。

■「異次元の金融緩和」の本当の意味

しかし、デフレ不況が長期化するなか、政界では「日銀の独立性が強すぎる」との声が高まった。いったん下野していた自民党が2012年に政権に復帰する前夜から、日銀に対する政府の影響力を強める方向性での法改正が模索され始めた(自民党だけでなく、当時のみんなの党や民主党の一部にも、こうした動きがあった)。

そして自民党が政権に復帰すると、当時の安倍晋三首相が大々的に打ち出したのが、アベノミクス最大の柱と言ってもいい「異次元の金融緩和」である。「異次元」という言葉は、単に「規模の大きさ」という意味で使われたのかもしれないが、筆者には「日銀に求められている次元を超えた、本来あるべきではない」金融緩和だと聞こえた。安倍氏が首相退任後の昨年5月に「日銀は政府の子会社」と発言して物議を醸したことは、まさにそのことをよく表していたと思う。

日銀法が「政府からの独立性を高める」方向で改正されたにもかかわらず、アベノミクスで政府と日銀が一体化してしまうような施策を行うことができてしまったのは、日銀法自身にあらかじめ埋め込まれていた「弱点」のためだったと筆者は考える。

日銀法には「日銀は常に政府との連絡を密にし、十分な意思疎通を図らなければならない」との条文がある。実は法改正当時から、この条文について「独立性の担保は大丈夫か」との懸念が出されていた。

その懸念が現実となったのがアベノミクスだ。

■自民党は「ちゃぶ台返し」できる規定を忍ばせた

前述した通り、日銀法が改正された当時の橋本政権は「自社さ連立」政権だった。「非自民」の細川政権発足で野党に転落した自民党が、55年体制下で敵対した社会党などと連立を組む、という驚くべき方法で政権に復帰して、まだ間もない頃。政権内の意思決定にも社会党やさきがけの意思を無視することができず、ある意味自民党が最も「好き勝手がやりにくかった」時代だったわけだ。だからこそ、政府からの独立性を重視した法改正が可能だったと考えられる。

しかしそんな時でも自民党は、こうした法改正の理念を「ちゃぶ台返し」できる規定を、さりげなく忍ばせておいたのだと筆者はみている。いつか党勢がさらに回復した時、自分たちの思うに任せなかった時代に「決めざるを得なかった」政策決定を「なかったこと」にするために。

アベノミクスとは、つまりは自社さ政権時代に「21世紀の金融システムの中核にふさわしい中央銀行を作る」(日銀のウェブサイト)という政治理念を、法に触れない範囲で大きく「ちゃぶ台返し」したものだと言っていい。

俯瞰で見た日本銀行本店
俯瞰で見た日本銀行本店(写真=Norio NAKAYAMA/CC-BY-SA-2.0/Wikimedia Commons)

■日銀は牙を抜かれて「おとなしい番犬」になり下がった

日銀だけではない。民主党から政権を奪還して以降の10年余り、第2次安倍政権以降の自民党政治とは、冒頭に書いたように「政府からの独立性を強く求められてきた機関を、政権が力でねじ伏せて異論を封じる政治」だったのではないか。

その高い独立性から、時に政府の方向性に異を唱えることも役割の一つとされていた機関から、次々に「牙」を抜いて(彼らにとっては少しでも自分たちに異を唱えられることは「政府に牙を向く」行為としか受け取れなかったのだろう)「おとなしい番犬」に変質させていく。そうすることで政権(行政)がフリーハンドを確保し、歯止めの効かない「やりたい放題の政治」を実現する。それが第2次安倍政権以降の自民党政治だ。

■岸田政権の日銀への権力行使に注視すべき

内閣法制局の人事に手を突っ込み、集団的自衛権の行使に関する憲法解釈の変更に手を貸すようなまねをさせたことも、検察庁法を改正し、人事を通じて時の権力に都合の良い検察をつくろうとしたことも、みんな同じ文脈で語れるのではないか。政府機関とは異なるが「批判や異論を封じたい」という観点で言えば、現在国会で大きな問題になっている放送法改正問題も「テレビにおける政治報道の牙を抜く」という意味で、同根であるとも思う。

昭和の時代の55年体制当時でさえ少しはあった「権力行使のたしなみ」を、すべて脱ぎ捨てた強権政治。少なくとも筆者は、10年続いた「異次元の金融緩和」に、そのことを強く感じざるを得ない。

「岸田文雄首相はこうした方向から脱却しようとしている」という報道も、一部に散見される。「(量的緩和の)手段は日銀にお任せしたい」など、日銀の独立性に配慮したとみられる発言があるからだろう。だが、一方で岸田首相は「政府・日銀一体となって、物価安定下での持続的な経済成長の実現に取り組んでいきたい」とも語っている。要は前述した日銀法の条文をそのままなぞっているだけであり、現時点で方向性を明らかにしているとは言えない。

日銀総裁の交代について、経済政策の面から注目するのは当然のことだ。だが一方で「政府が権力行使のありようをどう考えているのか」を推し量るための重要な要素としてこの問題を考えることも、同時に必要なことだと思う。この場合、問われているのは新総裁ではない。岸田首相その人の政治姿勢である。

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尾中 香尚里(おなか・かおり)
ジャーナリスト
福岡県生まれ。1988年に毎日新聞に入社し、政治部で主に野党や国会を中心に取材。政治部副部長などを経て、現在はフリーで活動している。著書に『安倍晋三と菅直人 非常事態のリーダーシップ』(集英社新書)。

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(ジャーナリスト 尾中 香尚里)

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