プーチン得意の「情報戦」はもう通じない…ロシアがアメリカとイギリスに仕掛けた「世論工作」の中身
プレジデントオンライン / 2023年3月22日 15時15分
※本稿は、池上彰『世界史を変えたスパイたち』(日経BP)の一部を再編集したものです。
■なぜロシアは圧倒的速さでクリミアを攻略したのか
膨大な情報を収集、発信できるインターネットをインテリジェンスに活用しようと考えるのは、アメリカだけではありません。プーチンが大統領就任後、力を入れていたのがインターネット戦略です。
プーチンは2000年代に旧ソ連地域で起きた民主化運動を「西側が起こしたものだ」と捉えていました。冷戦期のCIAの政治工作を思い起こせば、プーチンがそう思い込むのも無理はありません。
そこで、対抗策として、インターネットでの影響力工作に乗り出します。プーチンからすれば、ネットを使って西側諸国や旧ソ連地域に攻撃を仕掛けるのは、あくまでも西側の影響力を削ぐための防御なのです。
2014年のクリミア侵攻時には、実際の軍隊の侵攻前にウクライナに対してサイバー戦を仕掛けました。
インフラなどを中心にシステムをダウンさせ、国民に対しては携帯電話に偽情報のメールを送り付けて混乱に陥れて軍事行動に移り、あっという間にクリミア半島を手中に収めました。
■世論形成や政治決定に影響を及ぼす
こうしたサイバーと実際の軍事力を合わせたロシアの戦い方は「ハイブリッド戦争」と呼ばれ、21世紀の新しい戦争の形だと大きな話題になりました。特にウクライナ国民向けの偽情報の流布は、ウクライナ国内にロシアがソ連崩壊後も持ち続けていた拠点が発信地になっていたと言われています。
ウクライナも旧ソ連の一員ですから、KGBの中でも国内治安を担当する部署、つまりソ連崩壊後にFSBの第2総局になった部署のウクライナの出先機関や人員がそのままとどまっていた。そうした人々がウクライナ国内の情報を攪(かく)乱していたのです。
さらにロシアの情報戦略にはウクライナなど旧ソ連だった国や地域だけでなく、西側諸国に対しても、偽情報を流して世論形成や政治決定に影響を及ぼそうというものが含まれていました。
■座っているだけで相手に大ダメージ
日頃から「ロシア・トゥデイ」(RT)や「スプートニク」のような政府系メディアがロシアの立場をニュースの形で発信していますが、「ノーヴァヤ・ガゼータ」のような独立系メディアとは違い、あくまでも政府広報に近い形の発信を行っています。
そのため、「ロシア・トゥデイ」や「スプートニク」を報道機関ではなく、プロパガンダ機関とみなす人たちもいます。
こうした情報戦でとりわけ狙われるのが選挙です。報道の自由がある国では、様々なニュースや意見、評論が発信されます。特に選挙時には多くの人が政治に関する話題やニュースを求めますし、自ら意見を発信します。
そこでロシアは、そうとわからない形でロシアに都合のいい情報を流すことで、選挙結果にも影響を及ぼせると考えたのです。
以前であれば、スパイが標的国の中に親ロ派を作り、ロシアに都合のいい言説を流させるという工作を行っていたところですが、ネット時代にはロシアから偽情報を流すだけである程度の影響を及ぼすことができるというわけです。
ここでも以前なら標的国に潜入したスパイが担っていた任務が、ネットで代替が利くようになったという変化が起きています。
■「プーチンは天才だ、素晴らしいリーダーだ」
最も大きな問題になったのが、トランプが大統領に選出された2016年11月に投票が行われたアメリカ大統領選です。
![ドナルド・トランプ氏(写真=CC-BY-SA-2.0/Wikimedia Commons)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/5/6/1200wm/img_56526eafd453da56c59a849d9effd127605275.jpg)
アメリカでは日本以上にFacebookのユーザーが多く、ロシアはアメリカ人を装った架空のアカウントを大量に作り、トランプの対立候補だったヒラリー・クリントンの悪口や批判、「悪魔崇拝だ」「小児性愛者を支援している」といったフェイクニュースを書き込み、拡散させました。
ヒラリーは国務長官時代に特にロシアに厳しい態度を取っていたので、ロシアとしてはヒラリーに当選されるのは都合が悪かったのです。一方、トランプは不動産業でロシアと接点があるだけでなく、「プーチンは天才だ、素晴らしいリーダーだ」とほめそやしていました。
ロシアとしてはトランプが大統領になる方が、都合がよかったのです。そこでロシアはアメリカの民主党の上層部のメールや選挙資金に関するデータをサイバー攻撃によって盗み取りました。
■選挙後に明らかになったこと
その中で、ヒラリーが国務長官時代に私用メールを使って機密情報をやり取りしていたことが発覚し、トランプは猛烈にヒラリーを批判しました。
確かにそれ自体は問題と言えますが、メールの流出がロシアのサイバー攻撃によるものだったこと、それも選挙結果をロシアに都合のいい方に誘導しようという意図から行われたことは、さらに問題です。
しかしそうしたFacebook上の書き込みが、ロシアが作った偽アカウントによるものだったこと、ヒラリーのメールを暴露したのがロシアの仕業だったとわかったのは、選挙が終わった後のことでした。
結果としてロシアは、トランプ選出という、自らに都合のいい選挙結果を得ることができたのです。しかもこの時には、トランプ陣営もSNSを使って対立候補の支持低下や自分たちの支持を広げる戦略を実行していました。
トランプ陣営の選挙戦略を主導した政治コンサルタントのスティーブ・バノンは、イギリスの選挙コンサル会社であるケンブリッジ・アナリティカと組んでFacebookのデータを大量に購入し、SNS上でビッグデータを使った効果的な宣伝を展開したのです。
結果的にバノンとロシアのネット戦略は互いに相乗効果を生んだような形になりました。
■いまでも影響は続いている
問題は、これが「結果的に」生まれた相乗効果だったのかということ。つまり、トランプ陣営とロシアが共謀した可能性があるのではないかという疑惑が選挙後に浮上すると、アメリカは大騒ぎになりました。
この疑惑はニクソン大統領が辞任に追い込まれたウォーターゲート事件になぞらえ、「ロシアゲート」と呼ばれています。疑惑の捜査に当たったのはFBIですが、トランプ大統領は捜査を始めた時期にFBI長官を務めていたジェームズ・コミーを解任してしまいます。明らかな捜査妨害です。
しかしコミーの下にいたFBIの幹部が、ロバート・モラーを特別検察官に据えて調査させました。結果、共謀の事実ははっきりしないものの、ロシアの介入は認め、2018年2月にロシア人とロシアの3団体を起訴。団体にはロシアのIRA(インターネット・リサーチ・エージェンシー)も含まれます。
こうした団体を通じてロシアが流したヒラリー批判の情報を、バノンが代表を務めていた右派サイト「ブライトバート」などが掲載、さらに匿名掲示板やSNSが広げたことで、トランプに有利なフェイクニュースが拡散したのです。
偽の情報を信じきってしまったトランプ支持者への影響は2016年の大統領選にとどまらず、2020年の大統領選でトランプが敗退すると「選挙は盗まれた」として不正選挙を訴えるようになります。そして2021年1月6日、米議会に突入し、死者まで出す大事件に発展したのです。
■「ブレグジット」にも大きな影響
2016年の米大統領選後、ロシアの選挙介入が明らかになった以上、「他の国や選挙でも同じようなことが行われていたのではないか」と考えるのは当然のことです。
米大統領選より少し前の2016年の6月には、イギリスがEUから離脱するか否かを問う国民投票が行われました。結果、イギリスは離脱を選び、その選択は「ブレグジット」とも呼ばれましたが、ここにもロシアの介入があったのではないか、という疑いが浮上したのです。
![イギリスの選挙または国民投票。投票者は投票票の上に封筒を手に持っています。背景に英国と欧州連合の旗。](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/b/7/1200wm/img_b7e255d45292f95b4e1fabb0cdff0bb4438082.jpg)
西側の結束を弱めたいロシアとしては、イギリスがEUから離脱してくれれば好都合です。さらにNATOが弱体化すれば、ロシアにとっての目の上のタンコブがなくなるに等しい。やらない手はありません。
イギリスで調査したところ、2014年のスコットランド独立を問う住民投票にロシアが介入したことはほぼ事実であるとしたものの、2016年のEU離脱を問う国民投票に関しては「ロシア介入の兆候はあった」とするもので、介入を断定することはできなかった、という報告がなされています。
■暴かれ始めたロシアの手口
しかし報告時の首相はEU離脱派だったボリス・ジョンソンでしたから、「故意に簡素な報告にとどめたのではないか」との指摘がくすぶりました。一説には、ブレグジット用にロシアが作成したFacebook用の偽アカウントは15万件を超えるとも言われています。
そこで改めて英議会下院の情報安全保障委員会が調査した結果が2022年7月に公表され、「英政府はロシアの脅威を甚だしく見くびり、必要な対応を怠った」と結論付けられました。
![池上彰『世界史を変えたスパイたち』(日経BP)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/2/1/1200wm/img_21e471ff5717392adf9a5ba9b3b2fa33250299.jpg)
ロシアの介入、影響力を及ぼそうという工作があったのに、イギリス政府は対処しなかった、ということです。
ただ、こうしたロシアのネット言論に対する介入が、常にロシアにとって都合のいい結果をもたらすわけではありません。
2017年のフランス大統領選でもロシアは米英に対するのと同じように介入を試みました。ロシアとしてはリベラルなマクロンではなく、右派でプーチンを評価していたマリーヌ・ルペンを大統領にしたかったのです。
ロシアはやはりサイバー攻撃で盗み出した本物のマクロンのメールに、偽情報を混ぜた形で、マクロンがケイマン諸島に秘密の銀行口座を持っているかのような情報をネット上にリークしたのです。リークがあったのは投票の2日前。選挙前の報道規制が始まる直前でした。
ところがフランスでは、英米のようにはうまくいかず、マクロンが当選したのです。既に英米2つのケースにおけるロシアの影響が取りざたされていたことが奏功したようです。
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ジャーナリスト
1950年長野県生まれ。慶應義塾大学卒業後、NHK入局。報道記者として事件、災害、教育問題を担当し、94年から「週刊こどもニュース」で活躍。2005年からフリーになり、テレビ出演や書籍執筆など幅広く活躍。現在、名城大学教授・東京工業大学特命教授など。計9大学で教える。『池上彰のやさしい経済学』『池上彰の18歳からの教養講座』『これが日本の正体! 池上彰への42の質問』など著書多数。
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(ジャーナリスト 池上 彰)
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