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「ごめんちゃい!」と言えればよかったのに…"初代・論破王"ソクラテスの残念すぎる末路

プレジデントオンライン / 2023年3月20日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Caslav Lazic

古典から何を学ぶことができるのか。立命館アジア太平洋大学学長の出口治明さんは「『ソクラテスの弁明』を読めば、人間は論理だけでは動かせないことがよくわかる。多くの人から協力を得るためには、ロジックだけでなく、『かわいげ』も重要になる」という――。

※本稿は、出口治明『ぼくは古典を読み続ける 珠玉の5冊を堪能する』(光文社)の一部を再編集したものです。

■偉人たちが続々と誕生した時代

『ソクラテスの弁明』の著者は、ソクラテス(BC469~BC399年)の弟子の一人プラトン(BC427~BC347年)です。ソクラテスという人は、自分では何も書き残していなくて、ソクラテスのことを知りたければ、ほかの誰かが書いたものを読むしかありません。その代表的なものがこの『ソクラテスの弁明』で、プラトンが、ソクラテスが語ったように書いています。

紀元前5世紀前後のギリシアには、ソクラテスやプラトンを含めて面白い人が山ほどいました。ソクラテスの同時代人では、当時、人気のあったギリシア悲劇の作者で三大悲劇詩人と呼ばれるアイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデス。

ほかにアテナイの最盛期を築いた政治家のペリクレス、彫刻家でパルテノン神殿の再建に従事したフェイディアス、歴史家のヘロドトスなど、きら星のごとく才能のある人がたくさん現れたのです。哲学者も数多く、あとで紹介する『ギリシア哲学者列伝』には82人が紹介されています。

■地球全体が豊かになって、思想家や学者が登場した

これはギリシアに限ったことではなく、インドではブッダやジャイナ教を開いたマハーヴィーラも生まれていますし、中国では孔子や老子が生まれています。孔子はソクラテスよりも80年くらい年長で、孔子とブッダ、マハーヴィラはほぼ同時代人と言ってもいいでしょう。

つまりこの時代に世界規模で知の爆発が起きたのです。当時はお互いを知ることはできませんでしたが、もし今のようにSNSがあって彼らがつながっていれば、と考えたら楽しいですね。

知の爆発が起きた理由は明白です。地球が温暖期に入り、農産物がたくさん収穫できるようになりました。さらに鉄器が世界的に普及したことから、農業の生産性が上がり、世界全体の高度成長が始まったからです。そうなると富裕層が増えます。

そういう富裕層が、仕事をしなくて遊んでいる人、勉強している人を養うことができたということ。地球全体が豊かになって、畑や田んぼを耕さなくてもご飯が食べられる学者のような階級が生まれた。だから学問が発達したのだと考えればいい。

■問答のきっかけは「デルフォイの神託」

ソクラテスは、この本の中で「自分は貧乏や」と言っていますが、それでも生活できたのは、勉強が好きな人は勉強していたらええで、ご飯ぐらい食べさせてあげるで、という余裕が社会にあったから。中国の諸子百家やインドの六十二見など、当時、ギリシア以外にもたくさんの思想家や学者が登場したと言われています。

プラトンが書くところによれば、ソクラテスは、朝から晩までいろんなところに行っては問答をしかけていました。

ソクラテスがそんなことをするようになったきっかけは、「デルフォイの神託」です。古代ギリシアでは国事でも個人のことでも、デルフォイにある社で巫女ピュティアからアポロン神の意を伺う慣習がありました。

アテナ神殿、デルファイ、ギリシャ
写真=iStock.com/TimothyBall
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/TimothyBall

そこでカイレフォンという人物が「ソクラテスより知恵のある者が誰かいるか」と尋ねたところ「誰もいない」という託宣があったのです。

■「無知の知」ではなく「不知の自覚」

だけどソクラテス自身は、自分はそれほど賢くないと思っていました。

神は、一体何をおっしゃっているのだろう。何の謎かけをしておられるのだろう。(30ページ)

とあります。

自分では賢いと思っていないのに、神様から一番賢いと言われた。ほんまやろかと。それは自分で考えていてもわからない。そこでソクラテスは実証を始めました。世間で賢いといわれている人のところを訪ねて問答をしかけるのです。

そうしているうちにソクラテスは、次のような考えに至りました。

私はこの人間よりは知恵がある。それは、たぶん私たちのどちらも立派で善いことを何一つ知ってはいないのだが、この人は知らないのに知っていると思っているのに対して、私のほうは、知らないので、ちょうどそのとおり、知らないと思っているのだから。(31~32ページ)

ソクラテスのこの言葉を日本では「無知の知」と説明することがあるのですが、この本では訳者の納富先生が、知らないと「知っている」ではなく、知らないと「思っている」と訳しています。ソクラテスはそういう慎重な言い方をしていたので、注釈でもこれは「無知の知」ではなく「不知の自覚」であると指摘しています。

■道場破りを続ける難儀なおじさん

ソクラテスがアテナイの人たちに問答をしかけていたのは、簡単に言えば、剣道の道場破りのようなものです。昔、剣の達人が道場に「たのもう」と入っていって勝負を挑み、勝ったら道場の看板を戦利品として持ち帰ることがありましたが、ソクラテスもそれと同じようなことをやっていた。

アテネ国立アカデミー前のギリシャの哲学者ソクラテス
写真=iStock.com/thegreekphotoholic
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/thegreekphotoholic

みんな俗人ですから、今日は友だちの家へ遊びに行こうと思っているのに、ソクラテスが訪ねてきて、問答をふっかけられたらイヤでしょう。来られたほうは迷惑に違いないのですが、ソクラテスは、次から次へと道場破りを続けます。すごく難儀なおじさんなのです。

この頃、アテナイではお金をもらって弁論術などを教える「ソフィスト」と呼ばれる人たちがいました。それくらいアテナイでは議論が活発に行われていたということですが、ソフィストが教える弁論術は、劣った理論や間違った理論でも優れているように見せかける術で、「弱論を強弁する」と言われていました。

■相手の辻褄の合わないところを論破する

詩人のアリストファネスの喜劇『雲』には、ソクラテスもそうしたソフィストとして描かれています。たしかにこの本でもソクラテスは、ソフィストと言われても仕方がないような詭弁的なテクニックを用いていることがわかります。

ただしソクラテスの場合は、相手の辻褄の合わないところを、ロジックをキチッと詰めて論破していますから、弱論を強弁していたわけではありませんし、自分はお金を受け取ったりはしていない、とも言っています。

だけどいきなりやってきたおじさんのロジックがあまりにも完璧で論破されてしまったら、人間やっぱりカチンと来ます。アテナイの人々から反感を買うのはわかりますよね。

■閉塞感が哲学にパラダイムシフトを起こした

ソクラテスが哲学にパラダイムシフトを起こしたのは、ソクラテスの天賦の才能に加えて、当時のアテナイの閉塞感や市民が抱えていた問題意識も影響しています。

アテナイが順調に発展しているときは、何も心配しなくてよかったのです。高度成長期は、何かに疑問を差し挟むこともなく、働いていればそれで満足できます。ソクラテスが道場破りをしていたのはその時期です。

その後アテナイはスパルタと戦争を始めます。ペロポネソス戦争(BC431~BC404年)です。ずっとアテナイを率いてきた政治家のペリクレスが疫病で命を落とし、アテナイは次第に衰退へと向かいます。30年近く続いたペロポネソス戦争は、アテナイがスパルタに降伏して終結しました。

そうなると、市民の気持ちがすさんでいきます。「なんでこんなことになったんや」と犯人探しが始まるんです。日本でも関東大震災が起こったときに朝鮮の人々が虐殺されましたが、あのときもみんなで犯人探しをして、朝鮮の人が井戸に毒を入れたというあり得ないデマが広がってしまいました。

■才能が社会のニーズと合わさったときに時代が動く

うまくいかなくなると、社会の中でこいつらが悪いとか、あるいは他の国が悪いんやと言い出し始める。人間はスケープゴートを求めたくなる本質を持っているんです。みなさんもよくご存知だと思います。

ソクラテスが告発されたのには、このような時代背景がありました。スケープゴートを求めたアテナイ市民の一部が、ソクラテスのことを、若者たちを堕落させたとして訴えたのです。

いっぽうソクラテスの裁判での振る舞いを見ていると、ソクラテスはソクラテスで、アテナイ市民は何も知らないのにおごり高ぶっていたからこうなったのではないかと、仮説を立てて検証を始めたようにも見える。だから人を試すような弁明をしたと考えれば、辻褄が合います。

社会が閉塞するのは、いつの時代にもどこの地域にもあることですが、そこにソクラテスのような個人の特異な才能が結びつくと時代が動くことがあります。天才というのは、優れた才能があるだけではダメで、その才能が社会の大きなニーズと合わさったときに初めてケミストリーが起きるのです。

■ナポレオンの登場で国民国家という概念が生まれた

ナポレオンもそうして時代を動かしたひとりです。フランス革命というものすごいエネルギーが解き放たれたときにナポレオンのような天才が登場して、ネーションステート(国民国家)という概念が生まれました。ナポレオンが登場するまで、フランス人には自分たちはフランス国民だという意識はなかったんです。

せいぜい自分たちが住んでいる地域、たとえばブルターニュやノルマンディーの住民だという感覚しかもっていませんでした。ナポレオンはそんなフランスをワンチームにまとめて、対仏大同盟に対抗したのです。

その後、ほかの国もフランスにならって、ネーションステートをつくり上げるようになりました。明治政府も同じです。江戸時代、日本人は自分たちが日本人だとは思っていなかったでしょう。意識にあったのは、日本ではなく藩でしたから。

■矛を収めてかわいく振る舞うことで、壁が突破できる

ソクラテスの裁判には、陪審員が501人集まりました。そこで弁明の機会が与えられたソクラテスはまず自分の悪評の根源は何なのかを説明します。

普通の人なら家族を連れてきて、「私には大切な家族がいるんです。彼らを残して死ねません!」とか泣き落としするようなところです。ところがソクラテスは、大切なのはロジックやと、自分を告発した人たちの非を指摘するのです。かわいげがまったくない(笑)。

ぼくが会社員だった頃、同僚に面白い人がいました。ガンガン好き勝手なことを言うのですが、矛盾を指摘されると、突然ニッコリ笑って、「そこまで考えていませんでした。ごめんちゃい!」と言うのです。そしたらみんな、彼がとんでもないことを言っていたのも忘れて、こいつはええ奴や、となります。そんな例が、みなさんの周りにもないでしょうか。

ロジックで詰めても、だいたい勝ったと思うところで「飲みに行きましょうか。実はずっとあなたと飲みに行きたかったんです。誘うきっかけがなかったので、今になってしまいました」と言ってみると、相手も「そうか。お前、なかなかええ奴やな。じゃあ、お前の提案、通したろか」となるのは会社でもよくあるでしょう。あるところで矛を収めてかわいく振る舞うことで、壁が突破できるのです。

■哲学者として、あえて態度を変えなかった

ところがソクラテスはそれをしません。以前から難儀なおっさんやと思われていましたから評決はどうなるかといえば……わかりますよね? ロジックは正しくても「ごめんちゃい」のひと言もなく傲然としていれば、誰も助けてやろうとは思わない。

出口治明『ぼくは古典を読み続ける 珠玉の5冊を堪能する』(光文社)
出口治明『ぼくは古典を読み続ける 珠玉の5冊を堪能する』(光文社)

やはり人間は論理的ではないんです。この本を読めば、それがよくわかります。今でも人間は変わっていません。

ソクラテスもそのことは十分、わかっていたと思いますが、ここで態度を変えては問題提起にならないし、自分が哲学者としてやってきたことを否定することになると考えたのではないでしょうか。「そんなことで判断していいのですか。あなた方の理性はどこにあるのですか」という問いかけを際立たせるために、こういう作戦をとったのだと思います。

もう70歳やし、やりたいことはやったし、こんなところでかわいくして生きながらえてもしょうがないという割り切りがあったのかもしれません。自分が70年かけてやってきたことを、「ごめんちゃい」のひと言で、帳消しにしてええのかと。

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出口 治明(でぐち・はるあき)
立命館アジア太平洋大学(APU)学長
1948年、三重県生まれ。京都大学法学部卒業後、日本生命保険に入社。ロンドン現地法人社長、国際業務部長などを経て2006年退職。同年、ネットライフ企画(現・ライフネット生命)を設立し、社長に就任。2012年に上場。2018年より現職。読んだ本は1万冊超。主な著書に『生命保険入門 新版』(岩波書店)、『全世界史』(上・下、新潮文庫)、『一気読み世界史』(日経BP)、『自分の頭で考える日本の論点』(幻冬舎新書)、『教養は児童書で学べ』(光文社新書)、『人類5000年史』(I~IV、ちくま新書)、『0から学ぶ「日本史」講義』シリーズ(文春文庫)、『日本の伸びしろ』(文春新書)、『哲学と宗教全史』(ダイヤモンド社)、『復活への底力』(講談社現代新書)、『「捨てる」思考法』(毎日新聞出版)など多数。

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(立命館アジア太平洋大学(APU)学長 出口 治明)

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