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iPhoneにあっさり首位を奪われた…世界中のビジネスマンに愛された「キーボード付きの元祖スマホ」の転落劇

プレジデントオンライン / 2023年3月26日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/AdrianHancu

かつて「携帯で仕事をする」といえば「ブラックベリー」という時代があった。元祖スマホと呼ばれるキーボード付きの端末で、世界中のビジネスマンに愛用されていた。しかしiPhoneの登場によって状況は一変する。アメリカ人ジャーナリストの著書『ビジネスの兵法』(早川書房)から、ブラックベリーの転落劇を紹介する――。

※本稿は、デイヴィッド・ブラウン(著)、月沢李歌子(訳)『ビジネスの兵法』(早川書房)の一部を再編集したものです。

■キーボード付きの元祖スマホは、なぜiPhoneに敗れたのか

iPhoneが登場する以前、リサーチ・イン・モーション(RIM)社のブラックベリーは、企業ユーザーから、のちには一般消費者からも愛されるスマートフォンの主役だった。

フルキーボードがついていて、安定したEメールの送受信が可能であり、ブラックベリーメッセンジャー(BBM)を使えば、当時のSMSテキストメッセージとは違ってグループチャットもできた。

初代iPhoneにキーボードがなかったことは、当初、物議を醸した。ところが、ジョブズはブラックベリーや同様の機器には「キーボードがついているが、必要であるのかないのかはわからない」と一撃を浴びせ、批判をかわした。

ジョブズが表現したように、キーボードがないことはiPhoneにとって強みだった。「今から6カ月後にすばらしいアイデアが出てきても、あわててボタンをつけ足すことはできない。出荷後なのだから」と説明した。

iPhoneのガラスのタッチスクリーンは、この機器がすべてのアプリに応じられるよう、ユーザーインターフェイスをカスタマイズできるということだ。

自宅でジョブズのプレゼンテーションを見ていたRIMの創設者であり共同CEOのマイク・ラザリディスは、最初はそれほど心配していなかった。

■企業向けのシェアはダントツだった

RIMの製品は、多くがビジネスパーソンである長年のブラックベリーユーザーから支持されている。彼らは小さなキーボードを使って、驚くほど速く、正確に文字を入力できた。

消費者市場に固執するアップルとは異なり、RIMは将来を企業向け市場に賭け、ブラックベリーを、企業や政府機関が必要とする十分な安全と信頼を備えた唯一のスマートフォンと位置づけていた。

市場にあふれる薄い折りたたみ式携帯電話とは異なる、そうした抜け目のないポジショニングにより、ブラックベリーは大企業を独占していた。RIMは企業向け市場を握っているのだから、気まぐれな消費者の好みなど心配する必要はないと考えた。

普通の人々は、現代のポケベルであるブラックベリーをステータスシンボルとして持ちたがるだろう。ブランドの未来は安泰だった。

やがてAT&Tが所有する通信事業者シンギュラーのCEOがステージに現れ、アップルとの独占契約を発表した。まさか、とラザリディスはあざ笑った。電話で完全なウェブ閲覧が可能な容量と速度のデータプランを提供できる携帯電話ネットワークがあるはずがない!

ポジショニングは野蛮なスポーツのようなものだ。半端な真実や拒絶の余地はない。iPhoneに突きつけられた脅威を認めたがらなかったことが、RIMが直面した最大の脅威だった。

■RIM社のルーツ

アップル社とその競争相手であるカナダのRIMとの戦いほど、互いが根本的に違うビジネス戦争はそう多くはない。

RIMは、1984年にラザリディスと大学で一緒に工学を学んだダグラス・フレジンによってカナダのウォータールーで設立され、携帯電話やページャー〔日本ではポケベルと呼ばれる〕などの情報機器だけでなく、LED照明システム、コンピューターネットワーク機器、画像編集システムまで、さまざまな製品を開発しはじめ、当初は市場におけるポジションを模索していた。

1992年、創業8年目で従業員14人になり、どうしても現金が必要になった。ラザリディスがジェームズ・バルシリーに出会ったのはこのときだった。バルシリーは意欲的な起業家であると同時に生来の営業マンで、オンタリオ州で育ち、トロント大学を卒業して、ハーバードでMBAを取得した。RIMに可能性を見出した彼は、買収を提案した。

ところが、ラザリディスは共同CEOとして彼を雇い入れ、経営面を任せた(バルシリー自身も自宅を抵当に入れて12万5000ドルをRIMに投資した)。バルシリーは挑戦的で、専制的でさえもあったが、世界中の携帯電話会社と協力関係を構築するにあたってRIMになくてはならない存在となった。

■ステータスシンボルになった黒い箱

ラザリディスは子どもの頃から「スタートレック」のファンで、登場人物が使うポケットサイズの通信機器を見て想像を膨らませた。大学時代、先見の明がある工学部の教授に、無線でメッセージを送受信することがコミュニケーションにおける次の真なる飛躍的な進歩になるだろうと言われたことがあった。

ある電話会社が、ページャーのネットワークに関わる仕事でRIMと契約を結ぶと、ラザリディスはページャーの技術を学び、飛躍的な進歩をみずから実現する機会を得た。

ページャーは1949年にはじめて特許が認められたが、最初は一方向の通信しかできなかった。ごく初期のもののひとつが「テルアンサーフォン」で、送信機のある塔から40キロメートル以内にいる医師に無線で新しいメッセージがあることを通知した。

トランジスタが年々小さくなり、ページャーはさらに洗練されていき、ついに着信の電話番号が表示されるようになった。この小さな黒い箱は、医師や企業のCEOやその他の地位の高い職業に就く人たちがベルトにつけるようになるにつれて、ステータスシンボルになっていた。これを身につけるのは、呼び出しがかかるほど重要な人物であることを意味したからだ。

日本語版の携帯情報端末「BlackBerry(ブラックベリー)8707h」
写真=時事通信フォト
日本語版の携帯情報端末「BlackBerry(ブラックベリー)8707h」(2007年7月17日、東京・港区のカナダ大使館) - 写真=時事通信フォト

■電話とEメールができる革新的な携帯電話の誕生

1996年9月18日、RIMは画期的な「インタラクティブページャー」を発表した。こうした機器としてははじめて、双方向でのメッセージのやり取りが可能になった。伝言を受け取るだけでなく、親指でキーボードを押して伝言を送ることもできた。1年もしないうちに、何十万もの人がこれを使いはじめた。

バージョンが新しくなるたびに、機能が追加されていった。2000年に発売されたRIM957は、インターネット経由でEメールの送受信が可能になった。史上はじめて忙しいビジネスパーソンがデスクトップ・コンピューターに届いたメールを、出先ですぐに読んで返信できるようになったのだ。ファイル添付やウェブ閲覧はできなかったが、957は企業や政府機関に大きな変革をもたらした。

RIM957
RIM957(写真=Jarek Tuszyński/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons)

そして2002年、アップルがiPodで別の分野からポケット型電子機器の市場への拡大を図った頃、RIMは初代ブラックベリーを発表した。

ブラックベリー5810は、双方向型メッセンジャーであり、Eメール機器であり、さらに電話だった。RIMはついに、暫定的ながらも携帯電話事業に参入した。ブラックベリー5810には内蔵マイクがなく、電話として使うときはマイク付きヘッドホンが必要だったが、ユーザーはふたつの機器を持ち歩く必要がなくなった。

翌年、RIMははじめて本格的なスマートフォンを発表した。カラー画面、内蔵マイク、スピーカーに加えて、ウェブ・ブラウザが特色だった。双方向型メッセンジャーとしてだけでなく、電話としての仕様も揃ったことになる。

■企業向けスマホ市場で支配的なポジションを得る

テクノロジーセクターでは、新製品や新サービスはたいてい、消費者向けか企業向けかというポジショニングが行われる。ページャーがつねに企業向けであったように、ブラックベリーも最初から企業向けだった。

企業や政府機関といった組織を対象にするB2Bのビジネスは、一本の電話で大口顧客を獲得できる。大企業と契約がまとまれば、その企業は、契約した製品を中心にシステムや手順を組み立てる。研修や乗り換えの費用は膨大になるので、組織の基本的なニーズに応えている限りは、消費者向けの製品よりも多少使い勝手が悪くてもなんとかなる。

その結果、企業相手に取引をする企業は、実際に何を売っているかよりもセールストークに焦点を置きがちだ。ジェームズ・バルシリーはセールストークの達人だった。

RIMは、企業向けスマートフォン市場で支配的なポジションを得ただけでなく、その市場をみずから開拓した。

金融業界や政府の主要人物やインテルのような部品供給業者に直接、働きかけ、企業ユーザー特有のニーズに応えた。大企業が膨大な数の電話を従業員に提供しはじめると、機器にも弾みがついた。

2005年までに、ブラックベリーは「スマートフォン」の同義語になった。市場に敵はいなかった。2007年に収益は30億ドルに達した。機器とそれが即座にもたらす満足感にとりつかれたユーザーたちは、この機器にクラックベリーとあだ名をつけた〔clackには「麻薬」の意味がある〕。

■バグばかりだったiPhone、だがジョブズには自信があった

当初iPhoneへの評価は必ずしも良くはなかった。初代の機器にはよくあることだが、ソフトウェアの動きが遅くてバグも多く、評論家から怒りの声さえあがった。だがアップルには自信があった。アップルのリーダーも、RIMのリーダーも傲慢(ごうまん)で知られている。

両者ともトップの座に慣れていた。その頃までに、ジョブズはIBM、マイクロソフト、アドビを相手にずっと戦ってきた。それだけでなく、リーダーとしてのジョブズには、RIMに勝る決定的な利点があった。RIMにはラザリディスとバルシリーというふたりのCEOがいる。リーダーがふたりという体制は平時には良いことだったが、アップルとの戦いで、内在する欠陥が浮き彫りになった。

共和政ローマでは、ふたりの執政官が権力と役割を分け合った。ところが、危機が起こると、脅威にすばやく、断固として立ち向かうために、元老院はひとりの独裁官に絶対的な権力を与えた。RIMの社内規定では、そうしたことが許されなかった。

iPhoneが勢いを増すと、ラザリディスとバルシリーの関係が悪化し、緊張が生まれた。オフィスを分け合う仲だったふたりは、ほとんど口をきかなくなった。RIMの取締役会に近いひとりが、この緊張を間近で見ている。

ブラックベリー本社
ウォータールーにあるブラックベリー本社(写真=Michael Pereira/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons)

■アップルの猛追、RIMは小競り合いに明け暮れる…

試練のひとつは、RIMが傲慢になりはじめたことだ。その傲慢さは成功から来ていた。マイクよりもジム〔バルシリー〕のほうがその影響をより強く受けたと言える……やがて、ジムは話を聞かなくなった。

億万長者で、ほかの誰よりもわかっているので、自分自身の声を聞くのが好きだし、ほかの人の話を聞いたり、フィードバックを受けたりしたくはないのだ。

どんな競争圧力に対しても、提案に対しても「いったい何を言っているんだ。われわれはブラックベリーだ。それをわかっているのか?」……この傲慢さが本当に、本当に会社を痛めつけたのだと思う。

さらに悪いことに、RIMの取締役会は、必要なときにどちらのCEOにも抵抗できなかった。傲慢で知られるジョブズでさえ、取締役会の声には耳を傾け、助言を受け入れることもしばしばあったと言われる。

RIMが内輪の小競り合いに明け暮れる一方で、アップルは着々とiPhoneを改善していった。発表当時に欠けていたのは、サードパーティーのソフトウェアを使える機能だった。

ジョブズが、ソフトウェア開発者がiPhone用のネイティブアプリケーション〔パソコンやスマホなどで、その機種の端末に直接アクセスし、実行可能なプログラムによって作成されたアプリ〕を作成できるようにするキットを公表すると、水門が開かれた。iPhoneの特徴と広いユーザー基盤を利用しようとするソフトウェア開発者によって、多くの独創的で便利なアプリケーションが生まれた。

■均衡を破ったマイクロソフトによるサポート

2008年7月、アップルは、マイクロソフトエクスチェンジのサポートを導入し、ブラックベリーの企業向け市場のポジションを狙いはじめた。

マイクロソフトエクスチェンジは「プッシュ通知」を可能にする。つまり、新しいメッセージが届くとすぐにiPhoneに通知が来るので、メールの着信を確認するためにわざわざアプリケーションを開く必要がなくなるということだ。

マイクロソフトエクスチェンジは企業向けサーバーに標準として組み込まれ、すべての従業員の携帯電話とのあいだで確実にメールの送受信ができるようになっていた。

iPhoneがマイクロソフトエクスチェンジをサポートしたことにより、突然それまでの均衡が破れた。

いまや企業が従業員に持たせる電話をiPhoneに替えることを妨げるものはなくなった。RIMはかつて企業向けの重要なセールスポイントであった信頼性と安全性において、もはや第一線にはいないことが調査でも示された。

2008年11月、RIMはかつての地位を失ったことを認めざるを得なかった。

■ブラックベリーのキーボードは最後の砦

社内には大きな抵抗があったが、タッチスクリーンをはじめて採用したブラックベリー・ストームを発表した。それまで、ブラックベリーのキーボードは最後の砦だった。

キーボードはどうしても必要で、物理ボタンがないという考えを受け入れられないユーザーが何百万もいた。ストームにキーボードをつけなかったことにより、ブラックベリーはアップルの縄張りに戦いを移した。そこは、とうてい太刀打ちできない場所だった。

ニューヨーク・タイムズ紙のテクノロジー系コラムニストであるデヴィッド・ポーグは、誤作動が多く、使いづらいRIMの機器を「いらついて頭がおかしくなりそう」だと言った。ストームはRIMにとって大失敗だった。

「どういうわけでこのような製品が市場に出てきたのだろうか?」とポーグは述べている。「関係者はみなあまりに恐ろしくて、緊急ブレーキを引けなかったのだろうか」

その通りだった。バルシリーの攻撃的な姿勢は、電話会社や大企業と大きな取引をするときは役立ったが、RIMの社員は、社内で彼の考えに逆らうのは危険であることを身をもって知っていた。

バルシリーとラザリディスが公然とライバルの製品を無視し続けていたため、社員たちはあまりに恐ろしくて、何も気づいていない権力者たちに真実を伝えることができなかった。

■アップルは脅威ではないと思っていたが…

だが、RIMの取締役会はついに行動を起こし、いかにアップルを撃退するかについて助言をもらうために、外部のコンサルタントを招いた。バルシリーはコンサルタントと取締役たちの前で怒りを爆発させた。「わたしの対応は攻撃的だったのだろうか?」とのちに述べている。

オーストラリアのシドニーにあるアップルストア
写真=iStock.com/PhillDanze
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/PhillDanze

「そうだったのだろう。だが、倒産するよりはマシだ」

取締役会は、RIMがトップの座にあったときはバルシリーの振る舞いに寛容だったが、さすがにどうにかするべきときが来たと決断した。「わたしは取締役会に負けようとしていた。それはわかっていた」とバルシリーは言った。

ビル・ゲイツは、早いうちに脅威を感じ、攻撃的な対応によってネットスケープを食い止めた。RIMは、アップルがすでに重要な領域を占領していることを潔く認めなかったせいで、みずからを見当違いの場所に導いてしまった。

戦いに勝ち続けていても、形勢はゆっくりと変わることがある。初代iPhoneが発売されてから2年、ブラックベリー・カーブは新しいiPhone3GSを上回り、アメリカのスマートフォンの売り上げの首位を維持していた。

ブラックベリーの他の三機種もトップテン内にあった。RIMは、まだアメリカのスマートフォン市場の55パーセントの占有率を保っていた。

第1四半期の売り上げは53パーセントの伸び、出荷台数780万台、アクティブユーザーは世界に2850万人。調整後利益はウォールストリートの予測を4セント上回った。こうした数字を見ると、アップルはRIMにとって脅威ではない、とラザリディスとバルシリーがひたすら信じたのも理解できる。

ブラックベリー8820、ブラックベリーボールド9900、ブラックベリー・クラシック
ブラックベリー8820、ブラックベリーボールド9900、ブラックベリー・クラシック(写真=Kt38138/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons)

■通信速度の発達に対応できなかったRIM

ところが、アップルは、たったひとつの機種ですぐにこれに追いついた。その秋、iPhoneの売り上げが740万台を記録し、四半期の売り上げが過去最高になったのだ。

世界は変化していた。業界内の人にも、業界外の人にも、仕事用の電話と個人用の電話との境目が消えつつあることが明らかになってきた。やがてみんな一台だけを持ち歩いて、それですべてをこなすようになる。RIMは古いモデルにとらわれ、いくつものポジションを一度に守り続けようとして努力を分散させてしまった。

iPhoneがブラックベリーに勝利した要因はいくつも挙げられるが、もっとも重要なのは、RIMがモバイルデータ通信の速度の発達に適応できなかった点だ。

ブラックベリーはEメール機能にはすぐれていたし、多くのユーザーがメッセージ送受信にキーボードやソフトウェアを使うのを好んだ。問題は、モバイルデータ通信の速度が上がれば、電話でウェブを閲覧するのが苦にならなくなることだ。

フェイスブックに新しくプロフィール写真をアップロードしたり、ウィキペディアの記事を調べたり、グーグルマップでホテルを見つけたりするには、タッチスクリーンとさまざまなアプリのおかげで、iPhoneのほうがずっと向いていた。

2008年3月に行われたスマートフォン利用者に関する調査では、ブラックベリーの利用者は、Eメールやメッセージの送受信ができることに満足し、インターネットの速さと質を経験するために、つねに機器を鳴らし続けた。

一方、iPhoneの利用者は、音楽、Eメール、地図、天気予報、メッセージ、電話など、使いたいものがすべて境目なく統合されていることに満足感を得ていた。iPhoneがあればすべて手のひらのうえで使えるからだ。

■企業向け市場からシェアを奪われる

2010年には、RIMは危機に瀕していた。消費者市場で成長することができず、アップルがいまや、iPhone、さらに新しいタブレット機器iPadを自分たちの領域である企業向け市場に推し進めてきた。

10月のカンファレンスコールでアップルの四半期決算が発表され、アナリストたちはiPhoneが販売台数でブラックベリーを上回ったことを知った。ブラックベリーの1210万台に対してiPhoneは1410万台だった。しかもRIMの数字はアップルとは違い、販売店に出荷された台数であり、必ずしも末端の消費者に売られた数ではなかったため、実際の差はもっと大きかった。

ジョブズは素っ気なく言った。

「予測可能な将来に彼らに追いつかれるとは思わない」

RIMにとって大きな障害は、すでに巨大になっていたiPhoneのソフトウェアのエコシステムだった。「アップルのアプリストアには30万のアプリがあり、RIMの行く手には越えなければならない高い山がある」アップルの数字は、その年の残りの四半期ごとに伸び、売上台数はRIMの出荷台数を500万台上回った。

■新たな強敵の誕生

RIMとの戦いは落ち着きつつあったが、アップルには新たな敵が待ち構えていることをジョブズは熟知していた。2008年に、グーグルの新しいOSであるアンドロイドに対応した機器が発売されたからだ。

アップルのモバイル用OSとは異なり、アンドロイドは無償で誰にでも提供されるオープンソースだ。どんな製造者も無料で自由に使え、改造することもできる。不備が解決されれば、アップルのスマートフォン市場の支配を脅かしはじめるだろう。

世界的に今後の大きな成長が見込まれる低価格帯ではとりわけそうなる。不幸なことに、スティーブ・ポール・ジョブズは、この戦いを最後まで率いることはできなかった。1年後、がんが彼の人生を絶った。世界は非凡な革新者であり、リーダーである人物を失った。

■ジョブズのポジショニング戦略に完敗

のちにBlackBerryに社名を変更したRIMは2012年、ラザリディスとバルシリーにかわる新しいCEOに、ハードウェア部門のトップであったトルステン・ハインズを指名した。その年、同社は、売り上げが前四半期と比べて21パーセント減と大幅に落ち込み、1億2500万ドルの損失を報じた。

デイヴィッド・ブラウン(著)、月沢李歌子(訳)『ビジネスの兵法』(早川書房)
デイヴィッド・ブラウン(著)、月沢李歌子(訳)『ビジネスの兵法』(早川書房)

5年前、ジョブズがマックワールドのステージに上がり最初のiPhoneを発表したとき、RIMは世界のスマートフォン市場の半分を支配し、19億ドルの利益を上げていた。ところが、いまや58億ドルの赤字を抱えている。

ブラックベリーはふたたび企業向け市場に特化し、消費者向け市場での地位獲得をあきらめることを明らかにした。のちにその言葉を撤回し、他の製造業者とOSのライセンス契約を結んだものの、行き詰まりは目に見えていた。

コンピューターのラインナップを四機種に絞り込んだその瞬間から、犠牲を払って良いものだけを残すことが、ジョブズによるアップルのポジショニング戦略だった。犠牲を通して、アップルはすべての人のための最高の電話というポジションを獲得した。

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デイヴィッド・ブラウン ビジネスジャーナリスト
ビジネスジャーナリスト。人気ポッドキャスト「Business Wars」と「Business Wars Daily」の主催者。また、ピーボディ賞を受賞したラジオ番組「Marketplace」のキャスターも務めていた。テキサス大学オースティン校でジャーナリズムの博士号を、ワシントン・アンド・リー大学法学部で法務博士の学位を取得。

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(ビジネスジャーナリスト デイヴィッド・ブラウン)

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