1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. ライフ
  4. ライフ総合

「離婚の決行を自ら逃したツケ」50代の元モテ男がローン+別居家賃で年約200万円を払い続ける汲々人生【2022下半期BEST5】

プレジデントオンライン / 2023年3月19日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/RyanJLane

2022年下半期(7月~12月)、プレジデントオンラインで反響の大きかった記事ベスト5をお届けします。人間関係部門の第1位は――。(初公開日:2022年8月27日)
自分たちはうまくいかないと双方が悟っているのに、離婚しない夫婦。現在50代の夫は28歳で結婚して以降、妻の言動に悩まされてきた。「妻とはモノの考え方が根本的に違う」「自分が我慢すればいい」と考えてきたが、次男の高校卒業を機に、別居生活することを決意。ネックは、自分が住んでいない戸建て住宅の6200万円のローン返済と家賃代で月計16万円も払っていることだ――。
【前編のあらすじ】現在中部地方在住の狩野遼さん(仮名・50代)は中学・高校・大学と彼女のいない期間がないほどのモテぶり。大学時代に付き合っていた女性の1人が妻だった。大学を卒業し、就職した後、妻の母親が末期がんと判明。同情した狩野さんは妻に、「お母さんに花嫁姿を見せてやろうか?」と口にし、その流れで結婚をすることに。しかし、新婚生活は順風満帆とは行かず、狩野さんは、小さなストレスが積み重なっていった。

■離婚話の後の「子供を作ろう」

結婚から1年経ったある秋の日。30代になった会社員の狩野遼さん(仮名・50代)は突然、同い年で教員をしている妻に「離婚して」と言われた。特にケンカをしたでも浮気をしたわけでも、手を上げたわけでもなかった狩野さんは、寝耳に水。

狩野さんは、離婚を拒否した。

「(今から考えれば)拒否した理由が自分でも分からないのですが、おそらく新婚1年で離婚なんて『カッコ悪い』と思っただけなんだろうと思います。私の中で『カッコ悪い』というのは絶対に許せないことです。それに反することは絶対に受け入れられませんでした」

狩野さんはこのときから、「離婚のときに慰謝料を払う羽目にだけはなるまい」と思い、「有責配偶者(離婚の原因を作り、婚姻関係を破綻させた主な責任を持つ配偶者)にはならない」ことを固く誓った。どこかで離婚を意識しながらの新婚生活だったのだ。

それから約2年後、「子供を作ろう」と妻が言い出した。狩野さんは、「ま、いいか」と思うとともに、「子供を作ろうと言い出すくらいなんだから、もう離婚なんて言い出さないんだろうな」とも考えたという。

しかし、子作りに関しても不満が募った。

狩野さんが先に風呂に入ると、妻がコタツで寝てしまうのだ。狩野さんが起こすと、妻はとても不機嫌。

「私は子供が欲しいわけでも、妻を抱きたいわけでもないんです。寝てるところを起こされて機嫌のいい人間はいないと思いますが、妻が言い出したことなのに……と、不満を感じていました」

それでも約1カ月後、妻は妊娠。

そんな頃、狩野さんが実家に寄ったところ、「2人で食べて」と母親に魚を持たされた。帰宅すると妻が、「クサい! クサい!」と騒ぎ出し、狩野さんが母親からもらった魚が原因だと判ると妻は、「2人して私にこんな意地悪をして!」と怒る。

狩野さんは、自分だけならまだしも、母親に対する悪口には我慢できず、「意地悪なんかじゃねえだろ! 何でいつも人の気持ちを悪意に取るんだよ? そんなに嫌なら捨てりゃいいんだろ!」

と怒鳴り、魚をゴミ箱に投げ込む。

その翌日。妻は、「子供を堕ろす」と言い出した。狩野さんは、必死で思いとどまるよう説得。

「目の前の命が失われることに耐えられませんでした。これまで妻に対して自分が取った行動には後悔ばかりですが、このときの行動だけは1mmの後悔もありません」

やがて1995年、無事長男が誕生。結婚から5年後のことだった。

■通じ合えない夫婦

長男が生まれると、狩野さんはミルクやおむつ交換などをした。

「長男が私の顔を覚え、私の後を追うようになった頃には、人生でいちばんの宝物になっていました。この頃、『有責配偶者にはならない』から、『絶対に親権は渡さない』に目標を変更しました」。

妻は産休と育休を取得。狩野さんは仕事から帰ると、風呂掃除をして長男を風呂に入れ、食器を洗ってから長男を寝かしつけた。

バスタブに湯を張る
写真=iStock.com/yipengge
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/yipengge

そんなある日、「親になったんだからもう1つ保険に入って」と妻が言い出した。

狩野さんがOKすると、「保険会社の指定医による健康診断を受けに行こう」という。17時で終わる病院なので、狩野さんは午後休暇を取って健康診断に行こうとした。すると妻は言った。

「その前に、出産祝いのお返しを買いにデパートに一緒に行ってくれる?」

買物が終わったとき、17時近かった。妻は、「明日も休みとれる?」と言うが、「そんなに休めないよ」と答えると、「誰のための保険だと思ってるのよ!」と怒り出す。

狩野さんは、「お祝い返しなんて土日に買えばいいのに、なんで俺の休暇を使って買いに行くんだよ?」と思ったが、言わなかった。

「口論になれば、私はたいがいの相手を完膚なきまで叩きのめす自信がありますが、妻に理屈は通じませんから」

狩野さんはこの頃、「妻とはモノの考え方が根本的に違う」と悟り、「自分が我慢すればいいだけ」と諦めていた。

「我慢することにした理由は、私には『人生の目標というものがなかった』ということなんだと思います。食事を例にすると、食べるならなるべくおいしいものを食べたいとは思いますが、出されたものが口に合わなくても、私は“そういう味の食べ物だ”ただ“自分の口に合わないだけ”と諦めて食べます。結局私は、自分で自分の人生を終わらせてしまったようなものなのかもしれません……」

■謝らない、感謝しない、報告・連絡・相談しない妻

妻が育児休暇から復職する日は、保育園の入園式だった。妻は、前日になって突然、「育休明けの新年度初日だから休めない」と言い出す。

「『休めない』じゃなくて、『どうしよう?』と相談する発想はないのか?」とあきれつつも、狩野さんが休みを取って入園式に参加すると、翌日から『慣らし保育』というものがあることを知る。

入園式だけならまだしも、1週間以上子供のために仕事を遅刻・早退というのは難しい。狩野さんは、母親や妹に頼んで何とかやり過ごしたが、妻は毎日「休めない」の一言で、さっさと学校に行ってしまった。

また、長男が1歳になった頃、例によって電話一本もなく妻の帰りが遅いため、狩野さんが長男に食事をさせた。すると翌日、妻が離乳食用のスプーンがないと騒ぎ出す。

うれしそうにパフェを食べる少年
写真=iStock.com/kohei_hara
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kohei_hara

使った記憶がない狩野さんは、「知らない」と答えると、「子供のことくらいちゃんとやってよね!」と吐き捨てる妻。狩野さんが探すと、ゴミ箱からスプーンが出てきた。

「昨日最後にスプーンを使ったのはあなただよね?」と狩野さんが言うと、「あ、そう、分かったよ」と目も合わせず言う妻。

狩野さんは、「何が『分かったよ!』だよ!」と怒鳴りたいのを必死でこらえた。

同じ年、妻が通勤途中で交通事故を起こした。相手はバイクの中年男性。原因は妻の一時不停止だったが、幸い相手に大きなけがはなかった。

ただ、妻は公立小学校の教員。人身事故になると、最悪何らかの処分も考えられる。校長から、「念のため相手にお詫びに行くように」と言われたため、長男を狩野さんの実家に預けて、夫婦でお詫びに向かった。

狩野さんは、お見舞金を多めに包み、ひたすら平身低頭。

すると相手からは、「そこまで謝ってくれるなら人身事故にはしない」と言ってもらえた。

ところが帰りの車中、開口一番、妻が言った。

「なんで奥さんが事故を起こすと旦那が出てくるんだろうね? 逆だったら奥さんと謝り行くなんてあんまりないよね?」

狩野さんはあぜん。

「妻に感謝してもらいたくてお詫びに行ったわけじゃないですが、『アンタがどんな疑問を抱こうが勝手だが、アンタのために頭を下げた俺に言うことか? まず先に言うことはないのか?』と思いました」

■2人目と新居購入

長男誕生から2年後、30代半ばに差し掛かった妻が2人目を希望。狩野さんは、「長男を一人っ子にしておくのもどうか」と考え同意。このときも狩野さんは、「もう一人って言い出すんだから、もう離婚なんて言わないだろう」と考えたという。

次男が生まれた後も、息子たちを風呂に入れるのは狩野さんの役目だった。通常、息子たちを風呂から出すときに、妻を呼んで妻が服を着せていたが、何度呼んでもコタツで寝てしまい来ないことがしばしば。仕方なく狩野さんは、ボタボタと水をしたたらせながら息子たちに服を着せた。

3歳になった長男は、「今日はお母さんとお風呂に入る」という日があった。だが妻は、先に狩野さんと次男が入っている間に寝てしまうことが少なくない。起こしてもなかなか起きず、挙げ句の果てには、「疲れてるのよ!」と長男を怒鳴る始末。泣く長男をなだめて、次男を1人寝かせ、狩野さんが2回目の入浴をするしかなかった。

1999年冬。妻が今度は戸建ての家を欲しがり出した。狩野さんは長男だが、実家には未婚の妹がいた。狩野さんは、「実家は妹にやろう」と考え、家の購入を承諾。同時に、「もう離婚なんて言わないだろう」とまた思った。

土地探しを始めた妻は、坪単価35万円・80坪の土地を見つけてきて、狩野さんは驚愕。妻は、「今貯金が700万円あるから、○○して××すれば……」と説明を始めるが、狩野さんは面倒くさがって聞こうとしない。狩野さんは、「妻が大丈夫と言うなら大丈夫なんだろう」と思い、契約書にハンコを押した。

夕暮れの住宅地
写真=iStock.com/jimfeng
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/jimfeng

そして妻に、「俺の部屋はいらないからガレージを作ってくれ。俺はガレージに車と住む」と伝えたが、あっさり却下。

「半分金を出す相手に、『却下』っておかしくないですか? 私はガレージがボツになった時点で、家のことには全く関心がなくなりました」

妻は複数のハウスメーカーで相談していたようだが、狩野さんは完全にノータッチ。3社からの見積もりが出たとき、妻は「どれがいい?」と言ってきたが、狩野さんは、「一番安いトコ」と即答。結局購入したのは3社の中でも一番高い家。3400万円だった。

「土地と合わせて6200万円(税別)。『これだけの借金をするんだから、もう離婚はないんだろうな』とまた考えました。なんでこんなに婚姻を継続しようと思ったのか、自分でも訳が分かりません」

2000年春、家が完成。妻が「ガーデニングをしたい」と言うため、外構にコンクリートは打たず。しかし実際は放置され、草ぼうぼう。狩野さんが1人で草取りをする羽目に陥り、近所で「偉い旦那さんね」と評判になった。

その冬、雪が積もった。車いじりが趣味の狩野さんは、早朝、自分と妻の車をスタッドレスタイヤに交換し、家に戻った途端、妻が来て言った。「あなたの車を貸して。私の車、スタッドレスタイヤじゃないんだもん」。

狩野さんは「あなたの車のタイヤも交換したんですけど」と言うと、「あ、そう」とだけ言って去っていった。

「この時すでに妻とはほとんど会話をしない仲になっていましたが、それでも夫として最低限の務めだと思って交換してあげたのです。そんな私に『車をよこせ』と言って、謝罪もお礼もしない妻が理解できませんでした」

■決定的出来事

2002年。夫婦仲はますます冷え切り、40代に入った妻は度々、「お話があります」と言っては、狩野さんに対する不満をつらつらと紙に書いて渡してきた。

「私も同じくらいの不満を妻にぶつけることができました。でも、そんなことをしても夫婦関係が良くなるとは到底思えません。私が妻に不満を告げたことがほとんどないのは、そんなことをしても変わらないと思っていたからです」

何度か話し合いをしたが、狩野さんが声を荒らげれば「怖い」と泣く妻にそれ以上話はできない。

・話し合いを避けてきたのは、価値観や考え方の違いが明確になるのを恐れたから。違いが決定的になれば結論は離婚しかないと思っていた
・子供たちにはまだ両親が必要だと思う
・離婚を選ぶならそれは仕方ないが、離婚するにしても子供たちのために同居は続ける方法を考えてほしい
・同居も嫌なら自分が家を出る

などを狩野さんは書面にまとめ、妻に渡した。

その数日後、7歳の長男と4歳の次男が寝静まった夜、1階に降りると、ダイニングテーブルに離婚届があった。「ああ離婚ですか」と狩野さんは思ったが、妻は言った。

離婚届
写真=iStock.com/yuruphoto
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/yuruphoto

「この前あなたと本音で話し合って手紙も読んで、気持ちの整理がつきました。その上でもう一度あなたとやり直したいんです」

その瞬間に狩野さんは、「ああ、この女とは絶対に分かり合えない」と確信。

「『やり直そう』と言いながら、『離婚届を出す』という、その神経が私には分かりません。この日から妻は、私の中では完全に他人になりました」

狩野さんは離婚届に署名し、「印鑑は認印でいいはずだから適当なのを押しとけや! 親権なんざくれてやるよ。紙にどう書いてあろうが俺があいつらの父親であることに違いはねえ。保証人はアンタの周りにはいくらでもいるんだろうから、適当な人に頼んで署名してもらってくれ!」とまくし立て、自室に戻った。

この日、狩野さんは自分の心の中で約14年後に次男が高校を卒業したら離婚することを決意した。その判断に妻との改めての相談はなかった。

■宣戦布告

2015年4月。狩野さんは妻宛の手紙を自宅の郵便受けに入れて家を出た。2月末には一人で暮らすためのアパートの鍵を受け取り、家具などを購入しては運び込むなど、狩野さんは2015年早々から着々と引っ越しする準備を具体的に進めてきていた。

3月に次男が高校を卒業。この日以降、狩野さんは一度も自宅に戻らず妻にも会っていないが、息子たちとは連絡を取り合い、時々会っている。

ところが2022年8月現在、狩野さんと妻はまだ、戸籍上は夫婦のままだ。

「正直、当時の私にとって、家のローンの自分の分をひと月約8万円払いながら、別居して賃貸住宅に住む、というのは経済的に厳しかったし、成人前の子供たちを置いて出ていくことも絶対にできませんでした。そこでやむなく私が選んだのは、高い家賃だと諦めてローンを払いつつ、子供たちに全力で愛情を注ぐことでした」

鍵が刺さったままのドア
写真=iStock.com/Inna Dodor
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Inna Dodor

現在狩野さんは、家賃約8万円のアパートでひとり暮らしをしている。

手紙を見た妻からは、「冷静に話せます」というたった一言だけがLINEで届いた。

「離婚そのものには妻も異存はないと思います。争点は家の私の持ち分を妻に買い取らせることですが(6200万円のローン返済は同額を妻と折半)、妻が家と離婚を別モノと捉えてくれないため、話が進まないのです。とはいえ、私は夫婦といっても紙きれ一枚の話としか思っていませんし、もう二度と結婚はしないと固く誓っているので、離婚しないことの不都合はあまり感じていません」

正式な離婚に至らず宙ぶらりんの状態で、現在狩野さんは、「自分の遺産の2分の1が妻に行くことを阻止したい」と思っている。現在返済しているローン契約時には団体信用生命保険に加入したが、仮にローンの支払い義務者である狩野さんが死亡すると、その後の返済は不要になり、家はそのまま100%妻のものになる。だから、「買い取ってほしい」と考えているのだ。

ただ、逆の可能性もある。戸籍上配偶者であるかぎり、妻が死んだら家が100%狩野さんのものになる。宙ぶらりんを半ば放置しているのはそうした事情があった。

■「これで離婚はないな?」

ここまで読んだ読者は、おそらく筆者と同じところに引っかかっていることと思う。それは、狩野さんが子どもを持つ前や家を建てる前などの「人生の分岐点」で必ず、「これで離婚はないな?」と考えることだ。

本人も、「そんなふうに考える私って、おかしいですかね?」と言うが、正直筆者は、「違和感がある」と答えざるをえない。

本人は無意識かもしれないが、理由の1つは、素直に捉えれば、「離婚したくない」という気持ちの表れではないか。事あるごとに「妻のことが嫌いだ」「妻とはわかり合えない」と繰り返す狩野さんだが、これも裏を返せば、「妻のことを愛したかった」「妻と分かり合いたかった」という欲求の発露のように思える。

海辺でうつむく男女のカップル
写真=iStock.com/yamasan
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/yamasan

また、狩野さんは、中学の頃から異性にモテ始め、同性からも慕われていたというが、同性・異性にかかわらず、常に周囲からチヤホヤされるのが普通だった人にとって、一緒に家庭を持った、最も身近な存在である妻に慕われないのはつらいことだろう。

「自分を好きになってくれる女性としか付き合わない」ということは、「自分を好きでいてくれる女性がそばにいないと寂しい」と言い換えられるかもしれない。

結婚してからというもの、妻以外の女性と付き合っていない狩野さんにとって、「妻に愛されなくなること=寂しいこと」となる。だから事あるごとに「嫌いだ」「わかり合えない」と繰り返す一方で、妻のために昼食をとるのを待ったり、車のタイヤをスタッドレスに履き替えておいたりして、妻の愛を取り戻そう、関係を保とうとしたとも考えられる。

こうした深層心理と同時に、人生の分岐点で必ず、「これで離婚はないな?」と考えていたもう1つの理由は、「妻より先に自分が離婚を切り出すんだ!」と強く心に誓っていたからという可能性も考えられる。

結婚して1年後、妻から離婚話を切り出された狩野さんは、寝耳に水だった。妻に対して、「この俺が、仕方なく結婚してやったんだ」という気持ちがあった狩野さんは、見下していた妻からの三行半を突きつけられ、ショックだったに違いない。以降、二度と妻から離婚を切り出されないように、人生の分岐点で必ず、「これで離婚はないな?」と自分で自分に言い含めるようになったのかもしれない。

■狩野家のタブー

筆者は、家庭にタブーが生まれるとき、「短絡的思考」「断絶・孤立」「羞恥心」の3つがそろうと考えている。

狩野家の家庭のタブーは、狩野さんと妻が結婚する以前にすでに発生していた。狩野さんが複数の女性と付き合っているにもかかわらず、狩野さんから離れようとしなかった妻。妻の母親ががんで死にそうだと知り、結婚を口にした狩野さん。何度も踏みとどまれるタイミングがありながらも、お互いにスッキリしないまま結婚に踏みきった。ここに短絡的思考が見られる。

さらに疑問なのは、そんな2人が結婚をしようとしていたのに、親も友達も、誰も止めなかったということだ。狩野さんにとって、妻は“キープちゃん”だった。そんな相手と結婚を決めたと聞いて、「やめたほうがいい」と言った人は誰もいなかったのだろうか。

妻のほうも、女遊びが激しい男性との結婚話など、親身に考えてくれる友達がいれば踏みとどまりそうなものだし、親は反対しなかったのだろうか。それを振り切って結婚したのかもしれないが、筆者は狩野さんから聞いた妻の言動から、もしかしたら妻には、親友と呼べる人がいなかったのかもしれないと思った。そういう意味で、狩野さん夫婦は孤立していたように感じる。

問題がありそうな中年カップル
写真=iStock.com/bee32
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/bee32

結婚後も同様に、2人の話を親身に聞いて、的確なアドバイスをくれる相手がいたら、子どもをもうける前に離婚しただろうし、2人目など考えない。ましてや、6000万円以上もする注文住宅など建てなかっただろう。こうしたことからも、「短絡的思考」や「孤立」が感じられる。

聞けば、狩野さんは、自分の結婚生活を周囲に話せなかったのは、「妻のことが恥ずかしかったから」だという。狩野さんは、自分の妻を「恥ずかしい」と感じていたのだ。

「私は妻が大嫌いですし、妻の考え方が全く理解できません。もっとも向こうにしても同じでしょうけどね。でも妻の人格をとやかく言うつもりはありません。職場では、いい教師、いい同僚、いい上司、いい部下なのかもしれません。彼女を好きになった、あるいは好きになる男性もいることでしょう。ただ単に私と価値観を共有できないだけの話です。価値観が違う人間なんていくらでもいるとは思いますが、そんな人間が夫婦になってしまったのが不幸だったというしかないですね」

全くその通りだろう。

複数の異性と付き合えば、それぞれにかける時間も感情も分散される。だからお互いを深く知らずに結婚してしまったことが、家庭のタブーの始まりだったのかもしれない。

----------

旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。

----------

(ライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください