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新制の卒業生は旧制に見劣りする…1953年の卒業式で東大総長がわざわざ指摘した「東大生の3つの課題」

プレジデントオンライン / 2023年3月25日 13時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/mizoula

1953年の東京大学では旧制向けと新制向けの卒業式がそれぞれ行われた。新制向けの卒業式で、当時の総長だった矢内原忠雄(在任1951~57)は学生に対し「旧制の学生より見劣りする」と語った。それは何か。東京大学名誉教授の石井洋二郎さんの著書『東京大学の式辞』(新潮新書)より紹介しよう――。(第2回)

■旧制向けの卒業式では学生運動に言及

1953年(昭和28年)3月28日には、旧制向けの卒業式と新制向けの卒業式の両方が挙行され、それぞれ異なる式辞が読まれています。

旧制向けの式辞では、まず占領下の日本において学生運動が熾烈(しれつ)化したことへの言及があり、それが民主化の促進と占領政策への批判の表れである限りにおいては首肯しうるものであるけれども、学外の政治勢力と結びついて非合法的な実力行使の様相を呈するならば、それは学生運動の正当な範囲を逸脱したものであって到底容認できないという、従前通りの主張が述べられています。

特にこのとき矢内原総長が念頭に置いていたのは、前年(1952年)の2月から9月まで、先に触れたポポロ事件をきっかけとして全学連指導下の学生運動が過激化した時期のことでした。血のメーデー事件もそのひとつですが、彼によれば、この時期に展開された運動は「日本の民主化を推し進めるものでもなく、大学の自治を守るものでもない」。そして「一般学生諸君からの明示もしくは暗黙の批判」があったおかげで、10月以降は急速に鎮静化していったと回想されています。

■新制向けの卒業式で触れられた「見劣りする点」

一方、新制向けの卒業式ではがらりと趣が変わって、自分が教授としての定年を迎えて最後の試験答案の採点をした結果、「新制の卒業生は旧制の卒業生に比し、若干見劣りする点がないではない」という、率直な印象が披瀝(ひれき)されています。どういう点が見劣りするのかというと──。

第一に、漢字の知識、並に漢字を用ひての表現の仕方においてである。知らないといふ事自体は大した事ではないが、問題は不熟な漢字もしくは漢語を使用するといふ事にある。文字とことばについての文学的なセンスがよく養はれて居ないといふ感じがする。

第二に、思索の対象たる問題を限定して、その中心を客観的に把えるといふ態度において弱さがあり、何でも知つて居ることを雑然と書きならべるといふ風が感じられる。

第三に、自己といふものの把握が確立して居らず、思想的訓練の弱さが感じられる。

■20歳前後の戦没学生がなぜ難解な語彙を操れるのか

本書をここまで読んできた読者の中には、特に第一点を見て思わず胸に手を当てたくなった人も少なくないのではないでしょうか。戦前の格式ばった総長式辞に読み方のわからない漢字や意味の理解できない漢語があふれているのはまだ仕方がないとしても、第2章(※編註:第1回記事で抜粋している)で紹介した戦没学生の手記を読むと、たかだか20歳前後の若者とは思えない難解な語彙(ごい)や表現が当然のように、しかも適切かつ的確に用いられていることに驚かされ、自分の無教養を恥じずにはいられません。

これにはもちろん、旧制高校的教養主義の伝統が与って大きいのでしょうが、矢内原の言葉にあるように「知らないといふ事自体は大した事ではない」のであって、問題なのは漢字や漢語の正しい使い方に習熟していないこと、「文字とことばについての文学的なセンス」が磨かれていないということです。

つまり新制の学生たちに欠けているのは、単なる知識ではなく、むしろ対象をより的確に把握するための言語感覚であり、さらにいえばこれを支える根源的な思考力なのであって、だからこそ第二点・第三点のような指摘もなされているのでしょう。

戦後の教室
写真=iStock.com/Modfos
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Modfos

■戦後日本の教育は「教養」の密度を薄めたのでは

出征を前にした戦時中の学生たちの思考や感情が、目の前の現実として切迫する死の可能性に直面して極度に濃縮され、その張り詰めた緊張が年齢を遥かに超えた成熟を否応なくもたらしたのだとすれば、そうならざるをえなかった彼らの苛酷な運命には粛然たる思いを禁じ得ません。

石井洋二郎『東京大学の式辞』(新潮新書)
石井洋二郎『東京大学の式辞』(新潮新書)

しかし一方、戦後日本の教育が良くも悪くも「教養」の密度を薄めてしまったのだとすれば、それはやはり問題ではないかという思いも湧いてきます。時代の変遷とともに言語感覚が変化していくのはやむをえないことですが、ともすると安易な決まり文句や断片的な単語の羅列に流れてしまいがちな今の学生たちの文章を見ると、「何でも知つて居ることを雑然と書きならべるといふ風」や「思想的訓練の弱さ」が新制大学発足当時の学生だけの話ではなく、現代の学生たちの間でますます深刻化していることを実感せずにはいられません。

ただし、矢内原総長はこうした危惧の念を表明する一方で、新制の卒業生のほうがすぐれていると思われる点も挙げています。それは第一に「知識に対する新鮮な興味を広くもつて居る」こと、そして第二に「頭脳に弾力性があつて、今後伸びて行く潜在的可能性を感ぜしめる」ことです。

式辞の後半では1949年に新しく設けられた教育学部、および教養学部教養学科(3、4年生の後期課程)の第1回卒業生を送り出すことについての言及がありますが、それはこうした新学部・新学科の創設が、上記のような新制卒業生の長所を最大限に引き出すものであってもらいたい、という期待の表れでしょう。

■まるで宗教的指導者の説教のような式辞

1953年(昭和28年)4月11日の入学式式辞には、キリスト教信者としての矢内原忠雄がそれまでになくはっきりと前面に表れている印象があります。入学試験を受けながらたまたま合格できなかった多くの受験生に思いを馳せながら、彼は次のように語っています。

私はそれを運命と呼ばず、神の意思といふ。運命といふ考は消極的なあきらめを人に与へるに止るが、神の意思といふ思想は、自己の置かれた境遇の中に人生の積極的な意味を認める。逆境に立つた人は、その逆境の中に神の意思を認め、ただに従順によく忍ぶだけでなく、逆境に立たないではわからない人生の意味と進路を見出すことが出来る。順境に立つた者もまた、その順境の中に神の意思を認め、自ら誇らず、高ぶらず、他人を見下さず、謙遜な心をもつて、自己の責任と使命を自覚するのである。

文章にすればわずか数行のうちに、「神の意思」という語句が4回も繰り返されていることが、どうしても目を引きます。不合格者からすれば、こんな言葉をもちだされても簡単に納得できるものではないでしょうが、これはあくまで入学生に向けられたメッセージですから、真意は合格者たちの傲慢(ごうまん)と慢心を戒めるところにあったのだと思います。

しかしそれにしても、国立大学の入学式という場でここまで宗教的な色彩の濃厚な言葉が頻出しているのは、やはり異例のことと言わなければなりません。これは大学の最高責任者というよりも、むしろ宗教的指導者の説教に近いような気がします。

■決して学問の水準を落としてはならない

一方この式辞では、つい2週間前の卒業式で指摘されていた旧制と新制の違いが、さらにはっきりした言い方で述べられています。「新しい学制の下においては、大学の門は前よりも広い範囲の学生に開放されたが、新制高等学校は旧制高等学校とその内容において変化し、卒業生の学力および年齢において低下を見たのである」、「大学は、旧学制下におけるよりも比較的に学力が未熟であり、人間としても幼い学生を迎へいれることになつた」──これは矢内原総長の偽らざる実感であったと思われますが、新入生たちの耳にはどう聞こえていたのでしょうか。

けれども新制大学には新制大学ならではの教育内容を新たに構築することが必要であり、けっして学問の水準を落としてはならないというのが、総長の言いたいことでした。式辞の最後を締めくくる次の一節には、そうした大学人としての使命感がキリスト者としての倫理観とひとつに溶け合っていて、ある種の感動を呼び起こします。

「汝の車輪を星につなげよ、」といふ言葉のある通り、諸君の生涯の歩みを真理の星に連結し、真理によつて支へられ、真理と共に進展し、真理と共に永遠の光輝を放つものたらしめよ。たとへ平凡な生涯であつても、これを高貴なる目的につなぐとき、それは永遠の光輝ある一生となるのである。

諸君の学ぶところを、諸君自身の利益のために用ひず、世のため、人のため、殊に弱者のために用ひよ。虐げる者となることなく、虐げられた者を救ふ人となれよ。諸君の生涯を高貴なる目的のためにささげよ。

社会に出て高貴なる目的のために自己の学問をささげようとする者は、「人生において高貴なるものとは何であるか」を、先(ま)づ知らなければならない。諸君の大学生活をば、この「高貴なる人生」の探求たらしめよ。諸君の若き日においてこれを見出すことは、専門的知識の断片を集積するにまさりて、遥かに重要である。私は諸君が、本学に学ぶ数年間を空費せざらんことを希(こいねご)うて止まないのである。

■内村鑑三の影響を受けた総長ならではの式辞

「汝の車輪を星につなげよ」というのは、19世紀アメリカの作家・思想家、ラルフ・ワルド・エマーソンの『社会と孤独』(1870年)に見られる「君の馬車を星につなげ」(Hitch your wagon to a star.)という有名な言葉を踏まえたものと思われますが、要は大きな目標をもって進めといった意味です。エマーソンは無教会主義の先導者でもあり、内村鑑三はその影響を受けていましたから、内村の薫陶を受けた矢内原忠雄もその著作に早くから親しんでいたのでしょう。

それにしても、なんと力強い、なんと格調の高い式辞でしょうか。弱者のため、虐げられた者のために「高貴なる人生」を歩むことを呼びかける総長の言葉は、70年を経た今でもなお新鮮な訴求力をもって響いてきます。「学力が未熟であり、人間としても幼い」と言われた新入生たちも、ノブレス・オブリージュの精神を鼓舞するこの理想主義の言説に魂を揺さぶられ、成長への志を新たにしたにちがいありません。

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石井 洋二郎(いしい・ようじろう)
東京大学名誉教授
1951年生まれ。専門はフランス文学・思想。東京大学教養学部長、理事・副学長などを務め、現在中部大学特任教授、東京大学名誉教授。『ロートレアモン 越境と創造』(筑摩書房)など著書多数。

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(東京大学名誉教授 石井 洋二郎)

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