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パラスカちゃんは、お肉になって皿に盛られた…90年前のウクライナで起きた飢餓殺人「ホロドモール」の悲劇

プレジデントオンライン / 2023年3月18日 11時15分

アンナさん・パラスカちゃんの悲劇を語る - 写真=NHK

■彼女の両親は一晩中、パラスカちゃんを探していた

「この子よ、人間に食べられてしまった女の子。パラスカちゃんという名前だった」

その古びた写真には、4歳ほどのかわいい女の子が写っていた。

「みんなで一緒に幼稚園から帰宅途中のことだった。村に住む、あるおばさんがやってきて、パラスカちゃんを呼び止めたの。私たちは先に帰ったんだけど、彼女はその後も戻ってこなかった。彼女の両親は一晩中、探していたわ。そしたら、あのおばさんの家で見つかったの。パラスカちゃんは、ゆでたお肉になって、皿に盛られていたわ」

4歳で「飢餓殺人」の犠牲となったパラスカちゃんの写真
写真=NHK
90年前の「飢餓殺人」で犠牲となったパラスカちゃんの写真 - 写真=NHK

ウクライナ中部に住むアンナさん(96)が、かつて目撃した「ホロドモール」の悲劇である。

「ホロドモール」とは、1932年から1933年頃にかけてウクライナで起きた悲劇。

数百万人が、飢え死にしたとされ、日本語では「飢餓殺人」と呼ばれる。

ホロドモールは、ソ連による過酷な政策が引き起こしたと言われる。当時、工業化を進めていたスターリンは、外貨獲得に躍起だった。5800万トンという、生産可能量をはるかに上回る農作物をノルマに課し、ウクライナに供出させていた。農民たちは、自ら食べる食料までソ連に送り続けざるを得なかった。食糧を失った農民たちは、木の根、犬、ミミズ、靴の革……なんでも食べた。人々は累々と倒れてゆき、全滅する村もあった。

悲劇の歴史は長く封印されてきた
写真=NHK
悲劇の歴史は長く封印されてきた - 写真=NHK

■「隣の家のおやじが自分の息子を食ったのだ」

驚くべき証言がいくつも残されている。

「餓死した人が道に倒れているが、誰も気にも留めない」
「町には犬も猫も鼠も、生きたものは一匹も見当たらない。みな食い尽くされている」
「私は実際この眼で見た。隣の家のおやじが自分の息子を食ったのだ」

ある記録には、2505人が人肉を食べたと残る。

実際の数は、それよりもはるかに多いとされている。

深く焼きついた飢餓感は、いまなおウクライナ人から消えることはない。買い物にいくと、食べきれないほど大量の食糧を買い込んでしまい、腐らせてしまう人は現在も多いと聞く。パンくずも、野菜の切れ端さえも残すことができない。ウクライナ史が専門の岡部芳彦・神戸学院大学教授は「国民的なトラウマだ」と指摘する。

■ウクライナの壮絶すぎる「100年の歴史」

多くのウクライナ人を取材するなかで、たびたび言われた言葉がある。

「いまの戦争だけではなく、過去の歴史をどうか知ってほしい」

彼らの熱意に導かれるように、私はウクライナの100年の歴史をたどっていった。

ホロドモール、知識人の粛清、言語や文化の弾圧、秘密警察による監視、強制連行、強制収容所、ロシア化教育……。あまりの壮絶さに何度も途方に暮れた。

そして、今回の軍事侵攻は、そうした悲劇の記憶を否が応でも呼び覚ましているのだと教えてもらった。

「はるか遠い昔に起きた悪夢のはずだった。それなのに、いま目の前でまた同じ悪夢が繰り返されている」

さらに恐ろしいことに、こうした悲しい歴史は、長年、話すこと自体がタブーだった。見つかれば、秘密警察に連行され、処刑されるか、シベリア送りとなると、おびえていた。

「ソ連時代は、生き延びるためにすべてが嘘でした。密告者がどこにいるか分からず、家の中であっても、歴史の事実など話すことはできませんでした。秘密警察が家の玄関をノックしたら、二度と帰って来られないのです」(1935年生まれ ハリナさん)

■「悲劇っていう言葉で表すのもすごく不十分」

誰かに語ることも、つなぐこともできなかったウクライナ人の悲劇の記憶。

去年始まった軍事侵攻を機に、それを取り戻す動きが始まっている。私たちが今回取材した、大阪在住のソフィヤさん(33)もそのひとり。家族に話を聞き、家系図も作りながら、祖国の歴史を調べてきた。手に入る公的な資料も限られているため、ウクライナ人は、自分たちの歴史は自分たちで調べなければという意識が強い。

家系図を足掛かりに、ウクライナの百年をたどっていくソフィヤさん
写真=NHK
家系図を足掛かりに、ウクライナの百年をたどっていくソフィヤさん - 写真=NHK

農家だった曾祖母を絶望におとしいれた悲劇。ホロドモールが祖母に残した禍根。秘密警察やロシア化教育が、父や母に与えた影響。一族が経験した重たい現実が、一つひとつ明らかになっていく。そして、自分自身の中にも知らぬ間に受け継がれていた無意識のトラウマも……。

「これを悲劇っていう言葉で表すのもすごく不十分。犯罪以上のものだと思う」。

ソビエト時代のウクライナの国語の教科書。「ロシアとウクライナの友情は永遠」だという挿絵が
写真=NHK
ソビエト時代のウクライナの国語の教科書。「ロシアとウクライナの友情は永遠」だという挿絵が - 写真=NHK

■「私たちの歴史を知ってもらうためなら、よろこんで協力します」

私は仲間とともにこの1年、ウクライナの「百年」にフォーカスした番組を制作してきた。

百年前からウクライナ人音楽家たちが神戸に避難してきた物語を掘り起こした「亡命ウクラニアン 百年の記憶」(去年5月放送)。

そしてETV特集「ソフィヤ 百年の記憶」(3月18日 23:00~)では、ソフィヤさん一家のファミリーヒストリーを通して、ウクライナの百年の歴史に迫っていく。

「私たちの歴史を知ってもらうためなら、よろこんで協力します」。番組には、そう言って協力してくれたウクライナ人たちの「思い」が、図らずも取り込まれていった。

たくさんの涙が流れた、今まで経験したことのない不思議な制作プロセスだった。

■100年の悲しみが込められた「チョム」

たとえば、編集用に音声素材として、ウクライナ語の「チョム」(=なぜ? の意味)を収録しようとした時。このわずか一言を収録しに来てくれたウクライナ人女性。スタジオに入ると、突然、涙を流し始めた。聞けば、かつてシベリアに強制移送され、その後処刑された家族のことを思い出したという。

「チョム」という言葉を収録しに来てくれたウクライナ人女性
写真=NHK
「チョム」という言葉を収録しに来てくれたウクライナ人女性 - 写真=NHK

なぜ殺されなければならなかったのか? なぜいま戦争をしなければいけないのか? 100年の悲しみが込められた「チョム」となった。

過去の再現シーンでエキストラ出演してくれた女性も、やはりソ連に殺された先祖がいるという。自然に涙が流れ、声が震える。みなプロの役者などではなくたまたま参加してくれたウクライナ人たちだ。すべてがドキュメンタリーとなり、どんな演技力でもかなわない本物の映像になっていった。どの一家にも、それぞれの悲劇がある事実に揺さぶられた。

番組で大切な意味をもつ歌も見つかった。ウクライナの民謡『赤いカリーナは草原に』。ソビエト時代は「禁じられた歌」で、かつては歌うだけで身の危険があった。

100年前に歌われるようになった、悲劇の歴史を象徴するこの歌を、ウクライナ人女性が思いを馳せ、歌った。

番組のために「赤いカリーナは草原に」を歌ってくれた大阪在住のウクライナ人NASUさん
写真=NHK
番組のために『赤いカリーナは草原に』を歌ってくれた大阪在住のウクライナ人NASUさん - 写真=NHK

終わりの見えない戦争。ウクライナ人たちは、100年の歴史を背負いながら、いまも闘っている。

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佐野 広記(さの・ひろき)
NHKディレクター
2006年入局。福岡県出身。NHKスペシャル「果てなき苦闘 巨大津波 医師たちの記録」「亡き人との“再会”」、シリーズ「NEXT WORLD」「東京リボーン」「デジタルVSリアル」、特集番組「ありのままの最期・末期がんの“看取り医師”」「ただ自由がほしい・香港デモ」などを制作。

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(NHKディレクター 佐野 広記)

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