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「自分の頭で考えよ」は最悪のアドバイス…勉強法の達人が「大人になっても暗記は必須」と断言する理由

プレジデントオンライン / 2023年3月30日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/SunnyVMD

「心機一転、この春こそは」と意気込むも、すぐに挫折。そんなとき必ず思ってしまうのが、型にはまった受験やテスト勉強にいったい何の意味があるの? という疑問……。『超「超」勉強法』を上梓した野口悠紀雄さんは「自然界の生き物はみな、生まれ持った運命にしたがってその生を終えます。しかし人間だけが、“勉強”で運命を変えられるのです」という──。(第1回/全7回)

※本稿は、野口悠紀雄『超「超」勉強法』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

■暗記は良くないことなのか?

多くの教育関係者は、「自分の頭で考えよ」「創造する力が重要」とアドバイスします。教育関係者でなくとも、「暗記は良くない。自分の頭で考えよ」と言う人がたくさんいます。

「暗記」というと、有無を言わさず押しつけるだけで、理解という過程を伴わない。ただルールに従うだけだと考えている人が多いのです。そのため、暗記という方法は、「詰め込み教育」「ガリ勉」「点取り虫」などという言葉と結びついており、それに対して否定的なイメージを持つ人がたくさんいます。

そして、本当の教育は、もっと自由な発想ができるようにすることだというのです。「パタンに当てはめるだけでは、定型的な思考しかできない。自分で考えないと創造はできない」。

そして、「自由な発想が必要だ。そのためには、自分の頭で最初から考える必要がある」と言います。

■「自分の頭で考えよ」は偽りの独創性

しかし、本当にそうでしょうか? この考えはインチキだと、私は考えています。

野口悠紀雄『超「超」勉強法』(プレジデント社)
野口悠紀雄『超「超」勉強法』(プレジデント社)

初めて出会ったタイプの問題に対して、「自分の頭で考えよ」と言われても、何も考えつかないのが普通です。たとえば中学受験でよく出題されるツルカメ算であれば、「未知数と方程式を用いれば解ける」という方法を暗記しているほうがよい。すぐに解けるし、何をやっているかを理解できます。

これは、専門の研究においても当てはまります。

自分流の方法で進めるのではなく、先人たちが行なった業績を出発点にして、その考えに従ってできるところまで進む。そして、その方法ではどうしてもそれ以上に進めないところまで行って、新しいやり方を考えるというのが、正しい方法なのです。

したがって、多くのことを暗記している人のほうが、独創性を発揮できます。「自分の頭で考えよ」というのは、「偽りの独創性」です。

■文章を書くにも、ルールを覚える必要がある

文章を書く場合にも、同じことが言えます。「思いついたことを、思いついたままに自由に書きましょう」と言われるのですが、これでは、自分の考えを他の人に正確に伝えることはできません。

考えを整理し、ルールに従って正確な文章を書く必要があります。文法や言葉の意味を正しく理解し、それに従って書く必要があります。

つまり、文章の書き方についても一定のルールがあり、それに沿った文章を書くことが必要なのです。

同じことが、スポーツについてもいえるでしょう。自己流でやるのではなく、指導者について、正しい方法で体を動かす訓練をしなければなりません。

■学校制度は人類最大の発明

勉強も同じことです。先人たちが作り上げてきた問題を解く体系が学問の体系なのであり、それを学んでいくことが勉強なのです。それによって、これまでの人々が開発した知恵を最大限に使うことができます。

学校で、そのような勉強をする機会を与えられたことを感謝すべきです。われわれは、そこで人類の知的財産を学んでいるのです。学校制度は、人類の最大の発明です。

なお、学校で学ぶことだけが勉強ではありません。独学も重要です。

これについては、拙著『「超」独学法』(角川新書、2018年)、『人生を変える「超」独学勉強法』(プレジデントムック、2021年)を参照してください。

■重要なのは「疑問を抱き、質問すること」

暗記の重要性について述べましたが、しかし、「疑問を抱いてはいけない」ということではありません。この点は誤解していただきたくないのですが、まったく逆であり、疑問を抱くのは非常に重要なことです。

ニュートンが「リンゴが落ちるのに、なぜ月は落ちないのか?」と疑問を抱いたのは、非常に重要なことだったのです。それが、物理学の体系を築き上げる出発点になりました。

日本人の学生とアメリカ人の学生の最大の違いは、質問をするかしないかです。

私がアメリカに留学して一番驚いたのは、学生がよく質問すること。しかも、「○○が分からないので、理由を教えてほしい」といった類の質問でなく、「あなたの説明は間違っているのではないか?」というような批判的な質問もあったことです。

日本人は、「質問をするのは自分の能力が低いためであって、恥ずかしいことだ」と思っています。しかし、そうではありません。

■「良い質問」ができるかで能力は分かる

アメリカの教室でもう1つ印象的だったのは、教授が「それは良い質問だ」と、しばしば言ったことです。質問とは、問題提起なのです。実は、教授も質問によって触発されているのです。

私は、新聞や雑誌のインタビューをできるだけ受けるようにしています。なぜかといえば、「良い質問」をしてくれる場合があるからです。問題を教えてくれるからです。

疑問符付きのカラフルなビジネスコンセプト
写真=iStock.com/HowLettery
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/HowLettery

もちろん、すべてのインタビュアーが「良い質問」をしてくれるわけではありません。実に陳腐な質問しか出されない場合もあります。どんな質問をするかで、その人の能力がはっきりと分かります。

■受験勉強に根本的に欠けているもの

繰り返しましょう。重要なのは「自分の頭で考えること」でなく、「疑問を抱き、質問をすること」です。

てこの原理を発見したアルキメデスは、「我に支点を与えよ。そうすれば、地球を動かしてみせよう」と言いました。これに倣(なら)って、「我に疑問を与えよ。そうすれば、(地球は無理としても)かなりのものをひっくり返してみせよう」と言うことができます。

実は、受験勉強で欠けているのは、質問をする能力の訓練です。受験勉強だけをやっていると、与えられた問題を正確に解くだけになってしまいます。自分で問題を探し出してくることができないのです。これこそが大きな問題です。

受け身ではなく、能動的に勉強することが必要です。これは、解き方を覚えることと矛盾しません。

■批判的に読む力が重要

OECD(経済協力開発機構)が実施しているPISAという学力テストがあります。これは、15歳の児童の学力を測定する調査です(2018年は79カ国・地域が対象)。

日本人の成績はかなり良いのですが、2018年には、読解力のテスト結果が、それまでに比べて顕著に低下しました。これは、問題の性格がこれまでとは変わったためだろうといわれています。

それまでは、出題されている例文の内容が正しいものとして、それを正確に理解できるかどうかのテストでした。しかし、2018年のテストには、異なる性格の問題が出題されました。

何人かの意見が示され、それらを批判的に読む(内容が正しいかどうかに疑問を持って読む)ことが要求されたのです。

日本人の学生は、「試験の問題に出てくる文章なら正しい内容のものだ」と決めてかかる傾向があります。したがって、疑問を持って、あるいは批判的な目で、文章を読むことに慣れていないのです。

■模倣なくして創造なし

以上で述べたことは、勉強一般に関していえることです。そして、「過去にうまくいった方法に当てはめる」のが、最も強力な方法です。

しかし、こうした方法を批判する人が多くいます。「パタンに当てはめるだけでは、定型的な思考しかできない。自由に発想しないと創造はできない」と言うのです。

しかし、発想とは、無から有を生み出すことではありません。既存のアイディアを組み替えることです。まったく一から創造するということは、普通はありません。「模倣なくして創造なし」なのです。

■ビジネスの問題も、「自分の頭」では解決できない

ある企業の新入社員研修プログラムの中に、「問題に突き当たったら、自分の頭で考えよ」と書いてありました。

これを書いた人は、実は、他のマニュアルにそう書いてあったことをただ書き写しただけなのだと思います。まさにこの人こそ、「自分の頭で考えていない」のです。

実務においても、「問題を解決するにはどういう方法があるのかを学び、いま直面している問題にそれを当てはめる」という方法しかありません。それによってしか、問題は解決できないのです。

キューブ
写真=iStock.com/gremlin
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/gremlin

■大発明は新しいアイディアとはかぎらない

「自分の頭で考えよ」と言う親や先生や上司は、何も有益なアドバイスをしていません。その人たちが本来提供すべきは、「こういう事例があった。これが参考にならないか?」という情報です。

他のところで用いられている方法を借用することで大成功を収めた事例は、ビジネス史上、いくつもあります。

例えば、グーグルの検索エンジンは、検索結果を表示する順序を、200を超える基準によって判断しているといわれますが、そのうち最も重要な基準の1つは、サイトへのリンク数が多い順に検索結果を表示することです。これによって、重要なサイトを簡単に見出すことを可能にしました。これは画期的な発明であり、これがその後のグーグルの大発展の出発点になったのです。

ただし、これはまったく新しいアイディアとはいえません。これを発明したのは、当時、スタンフォード大学の学生であったラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンですが、大学院の学生であれば、引用される数によって論文の重要性を判断することは、ごく普通にやっていることだからです。

■巨人たちの肩に乗って進む

専門の研究者も、まったく独自の発想に従って問題を解決したのではなく、これまでの学問の蓄積の上に乗って、新しい理論を構築してきました。

ニュートンは、「私は巨人たちの肩に乗って仕事をした」と言っています(ただし、この言葉の原典は、12世紀のシャルトル学派の総帥ベルナールの言葉だとの説もあります)。

先立つ多くの人が残した業績の上に、少しだけ新しいものを付け加えたというのです(もちろん、ニュートンが付け加えたものは、われわれの基準から見れば、途方もなく大きなものですが)。

物理学の方法論も、基本的にはこれまで述べてきたものと同じです。つまり、「古いアイディアを再利用する」のです。例えば、水素原子のモデルは、陽子のまわりを電子が回るというものですが、これは、地球のまわりを月が回るモデルを借りたものです。このモデルは、水素原子のさまざまな挙動をうまく説明します。

■相対性理論誕生の秘密

宇宙物理学者のローレンス・クラウスは、「(物理学の)重要な革命のほとんどは、古いアイディアを捨てることによってではなく、なんとかそれと折り合おうとした結果得られたものだ」と述べています。

その例として、アインシュタインの相対性理論を挙げています。相対性理論は、それまでの物理学を否定するのではなく、それをできるだけ維持するという立場から作られたものです。

「等速運動する観測者の間で物理法則は同一」という「ガリレオの相対性原理」と、「どの観測者にとっても電磁波の伝播速度は同一」という「マクスウェルの理論」を両立させるには、「時間や距離が変化する」という考えをどうしても持ち出さざるをえなかったのです。

■「創造的剽窃行為」こそが重要

1978年のノーベル化学賞受賞者ピーター・ミッチェルも、相対性理論について同じ説明をしています。そして、「若い研究者が心がけるべきことは、最小の変革ですむように考えることだ」「古いアイディアを剽窃(ひょうせつ)して、何にでも使ってみよ」「新しい問題をすでに解決済みの問題に焼き直せ」と言っています。

クラウスは、これこそが、最先端の現代物理学まで連綿と続く物理学の基本的方法論だとし、つぎのように言っています。

「新発見がなされるとき、いつも中心的役割を果たすのは、抜本的に新しいアイディアである──こんな言葉を信じている人もいるのではないだろうか。しかし、本当のことを言えば、たいていはその逆なのだ。古いアイディアは生き延びて、あいかわらず多くの実りをもたらしてくれることが多くある」
「古いアイディアの焼き直しが毎度のようにうまくいったから、物理学者たちはやがてそれに期待するようになった。新しい概念もたまには登場するけれど、その場合でも、既知の知識の枠組みからむりやり押し出されるようにして生まれてきたものにすぎない。物理学が理解可能なのは、まさにこの創造的剽窃行為(creative plagiarism)のおかげだ」

経済学でも、歴史を変えた本はいくつかあります。それらは、それまでの理論の上に立っています。しばしば、「いまの世界を根本的に良くする方法」などというアイディアがありますが、中身は何もありません。これらは、偽りの独創性に過ぎません。

■模倣からの脱却

通常は独創的な発想が必要と思われている数学や物理学においても、以上で述べたように、「模倣なくして創造なし」という原則が正しいのです。

ネクタイを結ぶ父と息子
写真=iStock.com/SelectStock
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/SelectStock

ただし、誤解のないように、つぎの点を述べておきましょう。それは、「模倣なくして創造なし」とは、「創造に至る出発点が模倣だ」ということです。模倣だけに留まっていては、進歩がないことは明らかです。

「パタンに当てはめるだけでは、定型的な思考しかできない」という批判に一定の真理が含まれていることは、事実なのです。既存のパタンに束縛されると、自由な発想ができません。多くの問題は定型的パタンの当てはめで解けますが、それに終始しては限界があります。パタンの当てはめと、それから脱却しようとする努力を適切にバランスさせることが必要なのです。

これは、きわめて難しい課題です。

■受験レベルでは「点取り虫、大いに結構」

もっとも、これは専門の研究者の場合です。学校での勉強に関する限り、新しいものを付け加えることは要求されていません。これまでの知識の体系を正しく学ぶことだけが要求されています。

それだけで、学校の試験も通るし、入学試験も通ります。中学の入試から大学入試に至るまで、新しいものを創造する能力がテストされることはありません。

テストされるのは、これまでの方法を理解し、それを使えるかどうかです。ですから、「点取り虫、大いに結構」ということになります。それこそが求められていることです。

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野口 悠紀雄(のぐち・ゆきお)
一橋大学名誉教授
1940年東京生まれ。63年東京大学工学部卒業、64年大蔵省入省、72年エール大学Ph.D.(経済学博士号)を取得。一橋大学教授、東京大学教授、スタンフォード大学客員教授、早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授、早稲田大学ビジネス・ファイナンス研究センター顧問を歴任。一橋大学名誉教授。専攻はファイナンス理論、日本経済論。著書に『「超」整理法』『「超」文章法』(ともに中公新書)、『財政危機の構造』(東洋経済新報社)、『バブルの経済学』(日本経済新聞社)、『日本が先進国から脱落する日』(プレジデント社)ほか多数。

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(一橋大学名誉教授 野口 悠紀雄)

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