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イェール大学名誉教授「なぜ日本銀行新総裁に、植田和男氏が適任なのか」

プレジデントオンライン / 2023年3月31日 9時15分

2月24日、植田和男氏に対する所信聴取と質疑が衆議院議院運営委員会で行われた。(時事=写真)

■アカデミア出身の総裁は世界の常識

次期日銀総裁に植田和男氏が起用される見通しだ。日銀総裁は長らく日本銀行や財務省(旧大蔵省)出身者が務めてきた。もし実現すれば、戦後では初めて経済学者出身の総裁が金融政策の舵取りを担うことになる。

世界に目を転じれば、FRB(米連邦準備制度理事会)で議長を務めたベン・バーナンキやジャネット・イエレン、ECB(欧州中央銀行)前総裁のマリオ・ドラギもアカデミア出身だ。バーナンキとドラギはマサチューセッツ工科大学(MIT)大学院で博士号を取得しており、植田氏と同じである。植田氏の総裁就任は世界の潮流に沿ったものである。

私が東京大学経済学部で助教授をしていた1974年に、植田氏が理学部数学科から経済学部へ学士入学してきた。当時の経済学部には数理経済学の宇沢弘文教授がおり、「宇沢先生のお弟子さん」として知り合ったと記憶している。

そのとき、外貨準備の決定要因に関する研究をしていて、確率の定常過程を調べる必要があった。そこで数学科出身の植田氏に聞いたところ、短時間にすっきりと解いてくれたのに感心した。同論文は彼との共著で英国を代表する学術誌に掲載された。

■熟考して出した結論は、妥協せずに貫く

学者と言っても、植田氏は机上の論に終始するタイプではない。85年から旧大蔵省の財政金融研究所の主任研究官を経験し、98年から日本銀行政策委員会審議委員を7年間務めた。数学から経済学へ転じて世界一流の教育を受け、実務でも研鑽(けんさん)を積んだ稀有な人材といえる。

彼の印象は、ずっと「ソフト・スポークンな人あたりのよい人」であるが、信念を曲げない強さもある。2000年8月の金融政策決定会合の議事録を読むと、ゼロ金利政策を終了するか否かが検討された議論で、速水(はやみ)優(まさる)総裁(当時)が伝統的なプラス金利に戻す提案を行い、植田氏は中原伸之氏と反対票を投じている。

会合の終盤、全員一致での決定を目指した藤原作弥副総裁が「お考えを少し微修正していただけるなら非常にありがたい」と翻意を働きかけるも、植田氏は「是非賛成してくださいというだけでは変えられない」と突っぱねている。熟考して出した結論は、妥協せずに貫く。この姿勢から、私は植田氏が総裁として大事な資質を備えていると考える。

日本は戦後、円安とインフレ気味の経済で「奇跡の成長」を遂げた。だが85年の「プラザ合意」で円高基調への転換を呑まされ、円高不況に対する懸念から一時は低金利政策を導入した結果、土地・株式のバブルを招いた。

これに懲りて、三重野(みえの)康(やすし)総裁(89年12月〜94年12月)は「平成の鬼平(おにへい)」と言われるように金融引き締めに転じ、以降、速水総裁(98年3月〜03年3月)、白川方明(まさあき)総裁(08年4月〜13年3月)と、歴代の総裁はほぼ一貫して引き締め基調で円高を志向した。それが行きすぎて90年以降の日本経済は成長を止めてしまった。

例外は福井俊彦総裁(03年3月〜08年3月)で、就任直後から量的緩和策を積極的に進めた。円安を追い風に日本経済は回復に向かったものの、任期の半ば06年3月に緩和政策を解除してしまい、デフレを脱却することはできなかった。

08年9月にリーマン・ショックが起こり、これに対処するため各国の中央銀行は大規模な通貨供給を始めた。だが当時白川総裁下の日銀は、日本が金融危機でなかったこともあり十分に金融緩和せず、極端な円高を進行させてしまった。輸出企業は競争力を失い、生産拠点を海外につくるなどして対処したため、国内雇用も低迷。生産性も停滞した。

この悪循環を変えたのが黒田東彦(はるひこ)総裁(13年3月〜)だ。異次元の金融緩和政策を導入し、それまでの極端な円高を正常に戻した。アベノミクスの一環として、19年半ば、コロナ禍の前までで約500万人の雇用を生んだのである。

■植田日銀の最初の壁とは

しかし、黒田総裁の円安誘導は、ゼロ金利、マイナス金利が世界に浸透していくと、次第に効果が頭打ちになってきていた。世界各国もゼロ金利になって、金融だけでは円安誘導ができなくなったからだ。窮余の策として、16年9月に日銀はYCC(イールドカーブ・コントロール、長短金利操作)導入を決定した。伝統的には、金融政策は短期金利の操作で行い、長期金利は自然な動きに任せる。それに対して、YCCは10年物国債の金利の変動許容幅に収まるように国債を買い入れ、短期から長期までの金利体系全体の動きをコントロールしようとするものである。

21年以降はコロナ禍への対策、22年以後はウクライナ侵攻の対ロシア制裁のため、世界中でインフレが起こり、欧米ではインフレを高い短期金利で制御しようとした。日本の長期国債金利をゼロ近くに固定するような政策のもとでは短期金利も上がらないので、ドル高円安が進んでいく。長期の量的政策を変えると、為替レートは極端な乱高下(オーバーシューティング)が起こるという、植田氏のMITでの師であるルディガー・ドーンブッシュの理論に類することが現実に起こっているのだ。

為替レート
写真=iStock.com/Torsten Asmus
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Torsten Asmus

22年以降、円が下落し、今は消費者物価で比較しても、生産者物価で比較しても円は安すぎる状態だ。しかし、円安を是正しようとして、金利を急に上げると、債券価格が大幅に下落して国債や社債などの債券保有者がやけどする可能性がある。「金融正常化のためには金利を上げたいが、債券保有者の急激な損失も避けたい」というのが、新日銀の置かれたジレンマである。

なお円安になると、貿易収支は一時的に悪化する。しかし、やがて価格競争力が増して輸出が増加し、徐々に改善に向かう。そのため円安が景気に反映するまでには約2年を要するというのがJカーブ効果である。

現在の円安は22年3月に始まったが、「円安のポジティブな効果が表れるまでYCCを維持すれば、そのうち米国の急激なインフレも収まって金利も下がり、現在の過剰なドル高円安は是正されるだろう」というのが、おそらく黒田総裁の戦略と思われる。好意的にみれば、「日本経済は1995年からアベノミクスの開始まで、20年以上も円高で苦労した。今回の円安の利益が出るまで2、3年は待たしてもらってもよいのではないか」ということになる。

2月24日、植田和男氏に対する所信聴取と質疑が衆議院議院運営委員会で行われた。そこでは金融緩和について「さまざまな副作用が生じているが、経済・物価情勢を踏まえると、2%の物価安定目標の実現にとって必要かつ適切な手法であると思う」と発言し、黒田総裁の路線を継承する立場であることを示した。

植田氏は日本経済を不況から救った黒田総裁の基本路線を進むと思われる。そんな植田氏を指名した岸田政権の基本方針は正しい。現在の長短金利操作と、欧米の高金利との間の調整は依然として残る。植田氏は経済理論と計量モデルに精通している。ゆえに、経済メカニズムに忠実でありながら、しかも政策変更の影響を受ける市場関係者のことも考慮しつつ、緩やかに調整していく道を選ぶだろう。

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浜田 宏一(はまだ・こういち)
イェール大学名誉教授
1936年、東京都生まれ。東京大学法学部入学後、同大学経済学部に学士入学。イェール大学でPh.D.を取得。81年東京大学経済学部教授。86年イェール大学経済学部教授。専門は国際金融論、ゲーム理論。2012~20年内閣官房参与。現在、アメリカ・コネチカット州在住。近著に『21世紀の経済政策』(講談社)。

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(イェール大学名誉教授 浜田 宏一 構成=渡辺一朗 写真=時事)

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