入場者1人あたり3000円の赤字…サンリオが大赤字事業「ピューロランド」を32年間も続けている理由
プレジデントオンライン / 2023年3月31日 18時15分
■サンリオピューロランドは成功といえるのか
サンリオピューロランド(SPL)といえば、東京都多摩市に位置する、サンリオキャラクターのテーマパークである。
1990年12月にオープンした当時、日本初の「屋内型」で(世界では韓国ロッテワールドに次ぐ2番目の事例)、1960年設立のサンリオにとっては創立30周年記念事業でもあり、総工費650億円を賭けた一大事業であった。続く91年4月には大分県にハーモニーランド(HL)をオープンした。
折しも日本は1983年東京ディズニーランド(TDL)の大成功や1987年のリゾート法制定により、日本全国レベルでホテル・リゾート・ゴルフ場などとともに、テーマパークが乱立する時期である。
だがこの1980~90年代前半に建設された36ものパークのうち、事業継続しているのは17と生存率は半分以下。それも東武ワールドスクウェアや肥前夢街道など比較的小規模なものが多く、長崎オランダ村、ナムコ・ワンダーエッグ、新潟ロシア村など事業規模が大きければ大きいほど失敗事例も多い。
ハウステンボスのように3度所有者が替わり、経営再建をされ続けた事例もあり、かなり大型投資だったSPLは30年間以上維持継続ができているだけでも、「成功例」といえるレベルなのかもしれない。
■30年でかかった費用は1320億円
だがよくよくその実績をみると、そんな生易しいものではなかった。赤字がとめどなく垂れ続けながらも、なんとか意地と本業の利益で持ちこたえてきた、といったほうが正しいかもしれない。
SPLは初年度195万人(入場者数は決算IR資料を基にしている。以下同)、これは順調な滑り出しだったといえるが、5年後には半減。
その後10年以上にもわたって売上・来客は減少を続け、コストカットで赤字幅こそ減らしていったが2008年にはSPL・HL合わせて101万人、売上62億、赤字14億円。
「ミラクルギフトパレード」をきっかけに123万人→152万人と集客が大きくあがったのが2015年。小巻亜矢社長の改革の下、「ぐでたま」「アグレッシブ烈子」など新規のライブキャラクターも登場し、ぐんぐん改善するなかで2017年度に悲願の黒字化達成。
2018年には来場者193万人と創業以来の数字にまで到達。こうして振り返ってみると、1990年からの32年間の運営において、黒字だったのは17~19年の3年間しかないのだ。
![【図表1】サンリオテーマパーク事業の売上・営利率](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/6/c/1200wm/img_6cf34f0edfacf7fd9db10f0d48997196393191.jpg)
■入場するごとに3000円の赤字
サンリオはこの32年間、2つのテーマパークを合わせて、延べ約4000万人の来場者を迎えてきた。
初期建設費770億円(SPL:700億円、HL:140億円の51%負担分)に加え、32年間で積みあがった累積営業赤字は550億円。
つまりサンリオは本業で稼いだ利益を費やして、単純計算で1320億円(※資金調達手段の違いや利子率、償却費は計測できないので含めず)もの赤字をかけて、この2つのテーマパークを守り続けてきた。
![ハーモニーランド](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/5/3/1200wm/img_53fef10b84f94a1778cc80b4797353a5397029.jpg)
これは単純に計算すれば、ファン1人あたり平均2000円の入場券とグッズや飲食費3000円で合計5000円を使っているが、実際そのサービスには8000円のコストがかかっている、ということになる。
このファン1人ずつに「サンリオが支払っている余分な3000円」は未来への投資である。
SPLが赤字で運営されていようと、その場に足を運んだ数千万人はよりサンリオを好きになり、サンリオのグッズを将来買ってくれるに違いない。そういった期待もあって、テーマパーク事業自体の赤字は受容されてきた。
特に初期の1992~94年あたりは売上80億円前後に対して毎年営業利益が50億円~60億円もマイナス、撤退という判断があってもおかしくはなかった数字だろう。
実はこれはサンリオに限った話ではない。
この時代、長崎オランダ村(1983年設立、2001年閉鎖)、スペースワールド(1990年設立、2017年閉鎖)、ナムコ・ワンダーエッグ(1992年設立、2000年閉鎖)、東京セサミプレイス(1990年設立、2006年閉鎖)、松竹の鎌倉シネマワールド(1995年設立、1998年閉鎖)、ウルトラマンランド(1996年設立、2013年閉鎖)と、多くのパークが初期の大型投資と、その後の周辺人口の来客数・顧客単価が合わず、最初の3~5年で大赤字、10年後には再建・撤退検討となっている事例が珍しくなかった。
それでもサンリオが継続できたのは、テーマパークが専業ではなく、あくまで本業を支援する事業としての位置づけがあったからだろう。
■なぜ世界中で店舗を運営したのか
サンリオは「空間演出」に重きを置いてきた企業だ。単にモノを置いて売る場所ではなく、ユーザーが心の充足感を味わえる空間を演出するため「ギフトゲート」(1971年~)、顧客層をより大人に向けた「vivitix」(1996年~)という直営店舗そのものにもコンセプト別に店舗にブランドをもたせた展開をしてきた。
提携店舗であっても同様で、伊勢丹の「ギフトイン」や高島屋「いちごプラザ」など、百貨店ごとにすらブランドを付け替え、20世紀にいち早く“身近なテーマパーク的空間”を先駆けてきた企業でもあった。
これはディズニー社が初めて直販事業を手掛けた「ディズニーストア」(1987年~)の10年以上前から手掛けてきた話だ。
2003年には国内で直営でも160店舗、百貨店・量販店・専門店も合わせると1470店舗(現在のゲオやTSUTAYAと同じくらいの国内店舗規模)。
北米を中心に海外にすら直営21店舗含む400店舗、取扱店にいたっては2万店舗という広大な流通・小売のネットワークを敷いていたことは20年経つ現在でも信じられない数字だ。
自社だけで1万2000種類の商品群に、毎月600種類ずつの新商品が出され、ライセンスでも2万1000種類の商品が展開された。果たして日本のキャラクターでこのレベルにまで海外の隅々に商品を届けられた事例は過去歴史上あったのだろうか。
1990年代のサンリオ破竹の勢いをみると、逆に前述のSPL・HLを赤字でも維持できた「王者の余裕」も垣間見える。
■世界にいち早く進出したキャラクター
テーマパーク事業はアジアにも派生する。1992年にSPLの中国輸出のプロジェクトが始まった。
投資規模200億円(当時為替。出資内訳:中国政府50%、タイのフォーチュングループ45%、サンリオ5%)で、上海・浦東地区にテーマパーク開設が企画された。
それは中国にとどまらず1993年には中国・深圳でもテーマパーク設立の打診を受けつつ、タイ・バンコク、フィリピン・マニラでもそれぞれで20億円規模のミニテーマパークが建設されている。
現在残っているものは多くはないが、ポケモンやガンダム、少年ジャンプ作品などと比べても、ハローキティほど海外でテーマパークになったキャラクターは他に存在しない。
こうした外資からの投資呼び込みとともに、積極的な海外展開の基軸を担ったのが「サンリオショー」である。
1992年からシンガポール、インドネシア、フィリピンでショーを展開、1993年にはこれがマレーシア、韓国、台湾に展開された。
それに従いSPLの専属ダンサー、キャラクター、スタッフが5~20名規模で各地に派遣され、1994年に海外4カ所、1995年に8カ所と公演数を増やし、これだけでも数億円の公演事業売上が計画されていった。
![中国・上海のサンリオギフトゲート](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/3/2/1200wm/img_322adb61a4d7c75d7b384de6452d51ad408337.jpg)
■あきらめの悪い会社
90年代後半に花開くが、実は1980年代から90年代初期に至る長い間、サンリオの海外展開は「冬眠状態」でもあった。
1976年とかなり早い時期に米国進出を果たし、流通もないなかでキティ人形を片手にセールスマンが個人宅を訪問して売り歩くようなドブ板から始め、ある程度人気は出た。
ハリウッド映画づくりからニューヨーク進出までさまざまな取り組みを行ってきた80年代、米国事業はずっと赤字のままだった。
そのくせ1990年になってもサンリオの海外売上高は全体の5%にも満たなかった。だがこのあきらめの悪い悪戦苦闘の中にこそ、その10年後に輝く種が眠っていたともいえる。
「子供時代にキティに触れたアーティスト」がスターになってから、パブリシティに多大な影響を与えるのだ。
モデル・テレビ司会者のタイラ・バンクスが2001年MTVアワードにキティのハンドバッグをもって姿を現すと、同じように歌手・女優のマンディ・ムーアもビルボードアワードの授賞式でキティの刺繍バッグをもち、ニューヨークではマライア・キャリーがキティのラジカセを持参してカラオケ熱唱。
シンガーソングライターのリサ・ローブを代表に、キティ好きアーティストは米国で多く登場し、遂にはレディー・ガガともタイアップも実現させている。
当時米国でキティは「おしゃれ」の代表となり、同時にマイノリティ人種やLGBTが反体制のシンボルとして使いだした。政治メッセージすら象徴する一大キャラクターとなった。
■世界中で起きたキティブームの仕掛け
SPLも1996年ごろから外国人観光客が増加、ディズニーランドの5%と比べると倍となる全体の10%が外国人観光客といった数字もたたき出しており、そこから20年後に起こる日本のインバウンドブームの先駆けともいえる。
もちろん日本でも1997年ごろから華原朋美が身に着け、女子高生の間で「キティラー」が多く誕生していたこの時期、実はサンリオも意識的にブランドPRを活用していた。
四半期ごとに50~70人の有名芸能人に自社商品を送り、間接的なPRは戦略的に行われていた。
日本ファンシーグッズ市場の8割をサンリオ1社が独占するような状態で、それが北米やアジアにも一大キティブームを巻き起こしていたのだ。
2002年アジア全体の中で、ソニー、キャセイパシフィック航空に次いでキティは「3番目に有名なアジアブランド」にも輝いている。
■ビジネスモデルの限界でやったこと
「日本国内」の売上は1998年の1400億円をピークに、現在の450億円までほとんど回復の機会がなかった。
これは新聞、出版、百貨店、アパレルなどの産業と同じくし、「モノを売る」というビジネスモデルの限界を示している。
対して、その後の20年間サンリオを支えたのは「海外」である。1990年代は70億円~80億円だった海外売上は、00年代に150億円前後、ピークの2013年300億円まで上がり続けていた。
米国は1976年から、欧州は82年から、アジア(上海)は92年からと、日本のソフトコンテンツ企業としては黎明(れいめい)期から海外に張り続けてきたサンリオは、00年代に入ってようやくその受益を糧にできるようになっていた。
だが本テーマのテーマパーク事業について言えば、実はこの海外が売上・営利ともにピークアウトし、いよいよ凋落が止まらなくなる2014年になって初めて変化が現れる。
皮肉なことに本業自体が危うくなってからしか、独立独歩で採算を目指すテーマパークは誕生しなかったとも言える。
■たった4年で黒字になったワケ
SPLのV字回復の立役者は小巻亜矢氏、1983年にサンリオに入社し、結婚退職した後50歳を過ぎてから東大教育学の修士に入り卒業。2014年に子会社の顧問に就任し、2016年SPL館長となった。
2014年赴任時に役員会で出た次のセリフに衝撃を受ける。「この会社は黒字にならない。無理、無理」。そして冒頭で述べたように、黒字化はその後の2017年度に実現することになる。
小巻氏の施策は、コミュニケーション&モチベーション(朝礼でのナレッジ共有、女性トイレの整備、スタッフ感謝デー導入)とターゲット拡大(大人も楽しめるイケメン俳優2.5次元ミュージカル導入、松竹と歌舞伎ショーを共同開発、シナモン男祭りなどの男性限定イベント)の2つの面が功を奏し、2010年代のテーマパーク市場全体の好景気の波に乗ることに成功する。
黒字になると自然と施策の打ち手にも幅が広がり、イベントを増やしたり、新規でキャラクターフードを開発したり、イルミネーションショーを導入したり、コロナ前の2017~19年、SPLやHLはどんどん活気づいていた。
■投資の真価が問われるのはこれから
コロナ禍での2020年は当然テーマパーク事業も赤字転落、そしてサンリオ本体も含めて1994年以来の26年ぶりの赤字に陥る。
「底」を見た後、創業者・辻信太郎氏の孫である辻朋邦氏の社長就任に伴い、直営店の整理や商品数の削減など過去手が付けられなかった案件にもさまざまな構造改革の成果が見え、テーマパーク事業も再度黒字化のめどが立ちつつある。
今年でサンリオは創業63年、キティが誕生49年、もはや「ショップ体験によるサンリオ商品コレクション」が中心のビジネスモデルではなくなっているが、「体験」をユーザーに訴求する“原点”としているところは今後も変わることはないだろう。
その意味ではショップやテーマパークのもつ可能性は、いまだ大きいといえる。東京都心30分という地理のアドバンテージをまだ生かし切れているとはいえない。
果たしてこの1000億円以上をかけ続けた壮大な事業の「真の成果」がどう表れてくるか。2023年以降の動きに注目したい。
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エンタメ社会学者、Re entertainment社長
1980年栃木県生まれ。東京大学大学院修了(社会学専攻)。カナダのMcGill大学MBA修了。リクルートスタッフィング、DeNA、デロイトトーマツコンサルティングを経て、バンダイナムコスタジオでカナダ、マレーシアにてゲーム開発会社・アート会社を新規設立。2016年からブシロードインターナショナル社長としてシンガポールに駐在。2021年7月にエンタメの経済圏創出と再現性を追求する株式会社Re entertainmentを設立し、大学での研究と経営コンサルティングを行っている。著書に『エンタの巨匠』『推しエコノミー』『オタク経済圏創世記』(すべて日経BP)など。
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(エンタメ社会学者、Re entertainment社長 中山 淳雄)
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