バカをバカだとみなした時点で自分もバカになる…フランスの哲学者が説く「モラルの低い人間との賢い接し方」
プレジデントオンライン / 2023年3月29日 17時15分
※本稿は、マクシム・ロヴェール(著)、稲松三千野(訳)『フランス人哲学教授に学ぶ 知れば疲れないバカの上手なかわし方』(文響社)の一部を再編集したものです。
■バカは周りの人を引きずりこむ蟻地獄
バカの中にも、人ともめたくないと思っている者はいます。誰ともめたくないかは、立場によってさまざまでしょう。
たとえば家で、夫の立場であれば妻と。妻の立場であれば夫と。親ならば子どもと。子どもならば親と。あるいは、近所の人と。仕事では、同僚や上司やクライアントと。学校では、先生ならば生徒と。生徒ならば先生と。人によっては、マスコミや警察と……。
でも、バカの行動を車の運転にたとえるなら、お互いに他の車にぶつかるまいと、必死でハンドルを切るものの、結局バックでぶつけてしまうような感じです。
・バカは周りの人を引きずりこむ蟻地獄。
・考え方を変えれば、蟻地獄を抜けだせる。
バカは、思ってもみないときにいきなり現れます。そのためこちらは心の準備ができていません。なにしろ、ただ普通に何かをしようとしているときに突然現れるのですから。
たとえば、電車や車で移動しよう、きれいな景色を見よう、仕事をしよう、生活を楽しもう、など、つまりは、ただ単に堅実に生きていきたい人の日常のひとコマに、急にバカが割りこんでくるのです。
■バカは人を傷つける
不意にバカが現れると、誰でもイライラしてうっとうしく思うものです。それは朝でも夜でも同じですし、直前までの機嫌のよしあしとも無関係です。
より正確で少し重い表現をしてもよければ、そのバカのせいで傷つくのだと言えます。
たとえ自分に自信があり、「バカが現れても動じずにいたい」と思っていても、やはりバカのせいで傷つきます。そして、自分が傷つくという事実にまた苛立ちます。すると、傷はさらに大きくなり、悪化します。
ここでは、自分が傷ついていることを素直に認め、あえてその傷をよく見つめ、なぜ傷つくのか考えてみましょう。まず試しに、街にたくさんある、バカの事例を思い浮かべてみましょう。
たとえば、通行の妨げになっている車のドライバー、散歩中に、犬を蹴り飛ばす飼い主や、道にごみを捨てる人などです。
この場合、バカとは、他者への敬意に欠ける人、ほんの常識程度のルールさえ守らない人、つまり、人々が共に暮らすための大切な条件を破る人のことになります。
そういうことをされると、条件をちゃんと守っている人は傷つくのです。
■バカと社会は表裏一体
ただ、速やかに事実を明かせば、バカによるこうした行動自体が、たいていは、本人たちだけではどうにもできない、もっと根深い社会問題の表れなのです。
たとえば、労働条件は厳しく雇用も不安定な一方で、テレビやインターネットを見れば、一般の人にはとても手が届かないような高額のレジャーや贅沢品の情報があふれています。職場で人間関係に悩んでも、管理職がうまく調整してくれるわけでもないでしょう。
したがって、状況をきちんと理解するには、「バカが一方的に、社会生活の条件を破って世の中を住みにくくしているのではなく、病んだ社会もまたバカを生みだしている」というように、バカと社会は表裏一体であることも考える必要があるでしょう。
大切なのは、「人間が絡む現象には、他のものにはない独特の奥深さがあるものの、とにかく実際問題として、バカはいる」ということを覚えておくことです。
バカについて大事なことを、まずひとつ言います。それは、バカとはモラルの低い人間だということです。
わたしたちはみんな、自分の道徳観をもっています。常日頃からそれに沿って行動し、努力を重ねながら、完璧ではなくても、なるべく正しいふるまいをこころがけているものです。そうやって、モラルの高い立派な人間になろうとしているのではないでしょうか。
それと同時に、わたしたちは、他者のふるまいを自分の道徳観に照らして不適切だと思えば、その人はモラルが低いとみなします。バカとは、そうやって周りの人から、モラルが低いと(一時的にでも)思われている人のことだと言えます。
■絶対的なバカは存在しない
「バカは蟻地獄だ」という本題に入る前にいろいろと検討してきましたが、このあたりで手短に、反対意見にも備えておきたいと思います。
本書の「はじめに」に「人はみんな、他の誰かにとってバカである」と書きました。まず、これに対して考えられる反対意見を書いてみます。
《人がみんな、他の誰かにとってバカであるなら、仮にこちらが誰かをバカだと思っても、その人のことをバカとは言えないのではないか。向こうからしたら、きっとこちらのほうがバカなわけだから……。そもそも、立派な人間とはどんな人のことで、それは誰が決めるのか。》
この考えを突き詰めれば、絶対的なバカは存在しないということになるでしょう。なぜなら、バカとは相対的なもので、要は比較の問題だからです(人はみんなバカで、程度が違うだけ)。
![その実態は煙ってしまって見えない](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/b/8/1200wm/img_b84ecef40a9155e6d564e081a9986065231338.jpg)
それに、バカを判断する基準になっている道徳観にも、絶対的なものはなく、人によって緩かったり厳しかったりします。
そのため、ある人がバカかどうかは、完全に個人の見解に左右されます(その人が自分の目線で見てそう思うだけ)。そういう意味では、バカという言葉は、人それぞれの個人的な好みを反映しているだけ、ということになりますね。
■大多数の人がバカだと思えばバカ
というわけで、確かにバカは比較の問題なのですが、ひるまずに先を続けます。人はみんな、他の誰かにとってバカである。
わたしは心からそう思っていますが、それは、バカはみんな似たようなもの、ということではありません。一人ひとりがバカを独自に評価するのですから、そうした評価を集めて見比べれば、当然、一致する部分もしない部分も出てきます。
そこで、本稿で取りあげて分析する対象は、ある時ある場所で、困った状況になった場合に、本人以外の大多数の人がバカだと思うような人とします(人によって細かい考えが多少違っていてもよしとします)。
先ほど、絶対的なバカは存在しない、と書きましたが、それについてもう少し考えてみましょう。順番としては、客観的に見てバカな人が先に存在しているわけではありません。
ある人のことを、たくさんの人が、自分の主観で「あれはバカだ」と思えば、それがその人たちの共通認識となり、結果としてその人は客観的に見てバカ、ということになります。
人々の主観を全部合わせたときに重なる部分、つまり共通部分が、結果として客観性になると言えます。
したがって、バカは比較の問題だから、客観的に真偽を判断し、真理を追究することはできない、というより、バカな人に下される「バカ」という評価こそが、人の立ち位置は周囲のとらえ方で決まるという、まさに人間関係の真理を表していると考えられます。
■立派とは言えないふるまいをすればバカ
では、立派な人間とはどのような人のことでしょうか。おそらく、本稿でバカだとして取りあげている性質とは逆の性質を備えた人のことでしょう。
他者に敬意を払う。常識的にふるまう。マナーがいい。ルールを守る。モラルが高い。親切で優しく愛情深い。共感力が高い。冷静に行動できる。知的で考え方が柔軟で話し合いができる。何かあっても寛容に受けいれて、他の人と共生できる。そうした人ではないでしょうか。
したがって、やはりわたしの結論は、先ほど「バカとはモラルの低い人間」のくだりで書いたのと同じです。
人は誰しも、立派な人間になろうと努力しているものですが、それでも、たとえある時ある場所に限ってのことでも、他の人と比べてうまくできなかった人、つまり、立派とは言えないふるまいをしてしまった人をバカとするなら、やはりバカは実際にいると考えてよい、となります。
このことは、細かい点では多少異論があっても、みなさんに納得していただけると思います。
■バカは醜悪で不快
ただ、ここでおかしなことが起こります。バカをバカだと思う人は、バカに比べれば立派な人間のはずなのに、なぜかバカを止められないのです。
先ほど「バカは人を傷つける」のくだりで、街で見られるバカの事例をいろいろ挙げましたが、自分のことをいわばバカの目撃者役だと思っている人たちは、自分のほうが人間的に上だと感じてもいるはずです。
どういうことかというと、仮に誰かが、あるふるまいをしたために、(たとえ一時的にでも)低レベルだとみなされるなら、他の人たちはそれより高いレベルにいることになるはずだからです。
ですから、誰かのふるまいが間違っている、非生産的である、危険である、という場合、周りにいるわたしたちがすべきことは、その人よりも優れた人間性を発揮して何か行動し、ちっとも怒らずに、困った状況をすんなりと立て直し、バカによる被害を食い止めることでしょう。でも、それができません。なぜでしょうか。
それは、バカはモラルに欠ける、あるいはモラルが低いというだけではないからです。ここでバカについて、もうひとつ大事なことを言います。
「バカであることはただの欠点ではなく、醜悪でもある」ということです。バカであることは、人間の欠点の中でも不快なほうだと言えます。
■嫌悪感で親切心も愛情も消え失せる
本当の問題はそこから始まります。まずわたしたちは、人のことを劣っているとみなす自分にショックを受けます(もちろん、劣っているとみなすには「必ず」、「それなりの」理由があります)。
そして、自分が、人に対して引いたり、軽蔑したり、嫌悪したりという感情をもっていることに気づいてまたショックを受けます。さらに、そうしたネガティヴな感情が生まれると、もともともっていたポジティヴな力は、まさに根こそぎ奪われてしまいます。
たとえば、公衆トイレで流さずに出ていった不潔なバカ男がいて、その後にあなたが入ってしまったらどう思いますか? あるいは、たまたま出会った資産家のバカ女が、自分が金持ちだから何をしても許されると思っていて、あなたに失礼な態度を取ったらどう思いますか?
わたしたちは、そんな人たちより自分のほうが人間的に優れていることを、理屈でも感覚でもわかっています。でも、たとえ優れた資質をもっていたところで、それだけでは、その人たちのバカさを喜んで受けいれることなどできません。
その逆で、ものすごくイライラします。相手をその場に置き去りにしたいと思うことや、いっそこの世から消し去りたい、と思うこともあります。
そうした気持ちが強ければ強いほど、相手のことをバカだと強く思います。すると、相手に対する親切心や愛情は、潮が引くようにサーッと消えてしまいます。バカとは、自分で自分の周りに引き潮を作っているような存在です。
■バカのせいで感情が高ぶる
このように、わたしたちは、形の上では道徳観に照らして人をバカだとみなしていますが、それと全く同時に、相手と感情面での関わりをもっています――つまり、感情が高ぶるのです。
感情の高ぶりには、いいものと悪いものがあり、この場合は悪いほうです。具体的には、イライラしすぎて、深く考えもせず反射的に、みんなが共に暮らす社会など諦めようと思うのです。
諦めたら、自分が救われるのか破滅するのか、それさえ、もはやどうでもよくなっています。とにかくバカが憎くて、まさに「バカ滅ぶべし」という気持ちでしょう。
こちらが冷静さを失うと、からくり仕掛けのようなものが作動しはじめ、バカの罠にかかってしまいます。罠にはいろいろなパターンがあるので、ひっかからないようにするために、わたしもいろいろなたとえを駆使しながら、この先何度も説明していきたいと思います。
これまでのわたしたちは、人々の生活を台無しにするバカを、いわば全員で輪になって取り囲み、自分たちより下に位置づけることで合意しているような状態でした。でもバカに嫌悪感をもちはじめると、今度はこちらの共感力がなくなってきます。
そうやって、悪循環が始まります。仕組みを簡単に説明します。
① あなたが相手のことをバカだと悟る(このバカを仮に《バカA》とする)。その思いはどんどん強くなる。
② ①に比例して、親切心がなくなる。
③ ②に比例して、自分が思い描いている理想の人間像から遠ざかる。
④ ③に比例して、敵対的な人間、つまりバカになる(その何よりの証拠に、この時点であなたは、バカAにとってのバカ、すなわち《バカB》です)。
それも無理はありません。だって、あなたはこのバカのすることの一つひとつに傷ついていて、もう顔も見たくないくらいでしょうし、自分の心のゆとりだって守る必要があるでしょう。それなのに、向こうはあなたをイライラさせ、嫌悪感を抱かせます。
でも、あなたがバカを受けつけない気持ちになればなるほど、向こうはあなたを罵倒してきます。するとあなたは、さらに受けつけない気持ちになり、軽蔑心を強めます。その軽蔑心は、蟻地獄の砂のようにあなたを深く引きずりこみます。
![こちらを指さし、怒鳴りつけている男性](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/c/c/1200wm/img_ccc00ee579415d310070e293f9562ffa286197.jpg)
確実に向こうが悪いのですから、嫌いになるなと言うのは無理な話です。でも、嫌えば嫌うほど、あなたは、バカの蟻地獄に落ちていきます。
バカと相対すると、建設的な方向に進むことがとても難しくなります。そうなってしまう経緯を蟻地獄にたとえてみました。
人の欠陥をあげつらうような態度は、たちまち、その欠陥の主を貶めるだけでなく、それを見ているほう(自称「目撃者」)の品位をも落とすことにつながります。
ちなみに、本書の「はじめに」で主体(外から観察する側)という哲学用語を出しましたが、逆に観察される側(この場合、欠陥の主)のことは客体と言います。
![マクシム・ロヴェール(著)、 稲松三千野(訳)『フランス人哲学教授に学ぶ 知れば疲れないバカの上手なかわし方』(文響社](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/c/0/1200wm/img_c0d49efa9ed466532e677bffd1ea221f168670.jpg)
つまり、人はバカに対して、ただの「目撃者」ではいられない仕組みになっているということです。確かに、バカを前にした人が中立の立場でいられる、とすると矛盾があります。
人は誰かをバカだと思った時点で、相手に敵対的評価を下しているわけですから、すでに、その人の敵なのです。
そして、中立性を失えば、自分も無傷では済みません。なぜなら、人をバカだとみなすこと自体が、今ここで相手に示せる愛情と親切心が減ることに直結するからです。
こうして見てくると、バカがすごく厄介なのは、問題を生むと同時に、その問題を解決するために必要なもの(人の愛情や親切心)を壊してしまうから、ということになりますね。
バカにモラルを求めてはいけない。あなたが誰にでも愛情深く親切にふるまえば、問題は解決する。
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1977年生まれ。フランスの作家、哲学者、翻訳家。高等師範学校でベルナール・ポートラに師事。2015年から教皇庁立リオデジャネイロカトリック大学(ブラジル)で哲学を教える。本書は本国フランスはじめ、世界10カ国以上で注目を集める話題作となる。ジョルジョ・アガンベン、チャールズ・ダーウィン、ヴァージニア・ウルフ、ルイス・キャロル、ジョゼフ・コンラッド、ジェームス・マシュー・バリーなど哲学書、文学書の翻訳も手がける。
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(作家 哲学者 マクシム・ロヴェール)
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